広島県U.S.

御蔭話 広島県U.S. (昭和二七年五月七日)

私は昭和一九年六月頃、広島に於て、御守様を拝受致しました。当時は指圧療法の時でありました。病気はありませんでしたが、親戚の者に勧められまして、この療法により病気が治り、人様も助ける力を授かるという事でありますので、然も入信すれば直ちに容易に出来るとの事、これは只事でないと感じましたまま、勿論理論など解り様とてない事でありました。併しこの為に、世紀の原子爆弾を避け得られた事実は偉大であります。厳粛であります。

昭和二〇年の七、八月は炎天続きでありました。毎日市中を行動中B29の来襲にも時々出会いましたが何等自分には変りありませんでした。当時私は広島市北方一三粁、国鉄電車で三五分間の距離にあるK町の軍需工場に入社勤務していました。自宅は市の西部で原爆中心地より半里以内にありました(現在も同じ)。会社では当時物資不足の折で、購入や官庁等の用件で毎日午前中は殆んど市中で行動をとって居りました。当八月六日には、早朝弾き出される様に午前六時半Y駅(広島市北部の省線駅)発の電車で出勤致しました事は、今もって不思議でなりません。会社の事務所の北から南向きの自分の机からは、南の窓を通して広島方面の空はその日も炎熱を思わす青白色を西の山が斜に区切って居ました。「ピカッ」とその上空の閃光を全身に感じましたのは正しく午前八時一五分でありました。「新型爆弾だ」とは全員の意見でした。閃光後の茸型の爆煙はこれ又庭に奇異なものでありました。

早速広島よりの通勤者はトラックで正午頃帰りました。市周辺の家屋は未だ延焼中の物が多くありました。途中避難者の群に出会いましたが、これ等は全部無傷の者でしたが、全部、荷物はおろか袋一つ持っていませんのを見まして不思議に思いました。途中でトラックを下り省線の線路伝いに Y町に出るのにガスの為一苦労でした。道々に横たわる屍、未だ息のある重傷者、全裸の男女、しかも腕、脚、胸、背の表皮ははがれて、赤身のぶらりと垂れ下ったままで苦痛を訴え救いを求める様、河原の砂上に群なす負傷者達、今もってまざまざと脳裡に浮びます。

翌日からは市の西方約一六粁の親戚に疎開致しまして、縁故者の捜査に約一カ月許り市中の各所に通いました。朝六時頃出発、日ぐれ八時頃帰途につき一一時頃帰宅致しました。無論交通機関絶無の時ですから往復徒歩でありました。しかも炎天下、原爆ガスと屍臭が充満して青や緑色一つなく、奇怪な黒褐色に覆われた残骸広島は、生存者の私には大きな反省を促すものの様でありました。しかも歩く白シャツ、パンツには真黒になる程の蝿をつけて払えども追えども際限のない蝿でした。二〇ヵ年近く呉服商で事務方面に従事致しまして、所謂蒲柳の質の自分が、毎日地下足袋での歩行初めは蹠が痛みましたが、終りには大分皮も厚くなった位であります。タ暮時に村と市の境の峠の頂上に立つや、西方の田舎からの空気の爽快な味わいは初めての体験でありまして、如何に当時の広島市中の空気の尋常でなかったかを御想像願います。

原爆時に難を避けさせて頂きました私も、直後から毎日をこの原爆ガスの中に暮しましたのに何等故障のなかった事、これも亦普通でなかったと思います。後になって気付いた事でありますが、その八月か九月の間に一週間位無痛無熱の下痢がありました。近年になりましてこれが大変に結構な御浄化を頂いたのだという事を感じさせて頂きました。否この御浄化によって私は生命を賜わったものと感謝致して居ります。このガスの為に、原爆当時助かりました者、又疎開者で被爆後に市中に出歩いた為に傷ついた人の数は相当に上り、寧ろその為に死去した者も多数ありました。田舎の人で被爆後市中の寺の幕を調べる為に僅か一日来た為に帰宅して死去した話を一、二聞きましたが、如何に被爆後の空気状態の悪かったかという事が窺われると思います。最初原爆から御加護を頂いた私も、当時は勿論それが原子爆弾とは知りませんでした(当時は専門学者以外は誰も関知しなかったと思います)。又当然その原爆ガスの有毒さも無関心のまま第二段目とも申します危険この上もないそのガス中を徘徊しながらも、不知不識の内に御浄化の御加護によりまして身体に異常のありませんでした事は何と申しましても大神様、明主様の御加護と申し上げる外ないと思います。誠に有難く厚く厚く御礼申し上げます。

尚当時、親戚の婦人の火傷患者に掌を触れずに治療致しま世界救世教奇蹟集したが、苦痛が軽減致し、遂に全快致しました。家屋倒壊の時下敷になりまして右肩、右手全体を打撲致しまして筋を痛めまして、指の動きも不充分で痛苦を訴えていましたが、火傷治療後、御浄霊で楽になりました。原爆後は生存者は全部市外に疎開致しましてこのお道の連絡も絶たれて居りました処、昭和二一年現在の0中教会のI先生が、交通、食糧等すべて不自由の中を、御遠路を御来広下さいました事は、原爆に遭いまして助かった私達と致しまして、誠に、大神様並びに明主様の御恵みと感謝感激厚く御礼申し上げる次第であります。爾来毎月御指導に与り、H支部設置の御許しも頂きました。殊に去る三月一二日には、この広島市で最初の世界救世教の大講演会を開催して頂きまして、管長先生外諸先生の御来広下さいました事は私達生存者は勿論、原爆の犠牲者二十幾万の霊の如何に喜びましたかを思いますにつけ、感慨無量なるものがございます。今後共益々御道の為に努力させて頂く覚悟でございます。簡単でございますが、原子爆弾体験を報告させて頂きました。明主様有難うございました。厚く御礼申し上げます。