広島県M.S.

御蔭話  広島県M.S. (昭和二七年四月三〇日)

原子爆弾!科学は何とまた素晴しく恐ろしいものを作り上げたものでしょう。幸にして生き残ったものの、私達の目標も家庭も、根本からくつがえされ、あの時病貧争の最底に破滅寸前の処を、世界救世教の御浄霊によって教われなかったら、どうなって居った事でしょう。明主様有難うございました。この事実を御報告申し上げます。

「原子爆発」 運命とは言え余りにも悲惨でした。軍需工場で学徒を指導して居た父親は若い学徒と共に、あえない最期を遂げました。私宅は爆心地より二粁程離れて居る為、他の者は、全部助かりましたが、家の屋根、天井、家具等吹き飛んで、家中足の踏み入れる所もない程でした。近所の者と共に裏山の谷間の避難所へ逃れ、多くの負傷者(殆んど火傷で上半身又は、全身で二倍位に腫れて、見た丈では誰だか判らない)と共に不安の日夜を過しました。こうなっては医者も薬も間に合いません。食用油や、野菜の汁を塗るのです。医師の言葉では、「火傷者は特に水を欲しがるが、沢山やる事は絶対いけない」との事でしたが、実に可哀相でした。「水、水、水を呉れ」と皆発狂した様に言うのです。「少しずつでなくては駄目なんだ、我慢して呉れ」と。それも静かになって、動かなくなったと見れば皆黒く変色して死んで行くのです。ああどうせ死ぬのなら思い切り水を飲ませてやりたかった。後で分ったのですが、飲みたいだけ飲ませた方が結果が良くそのおかげで助かったという人もありました。初めは何とかして、楽にして助かる方法は、と皆一生懸命看護しましたが、無懸に死んで行く状を見て控然と放心したようになってしまいました。今当時を思い起せばペンを持つ手も重く鈍ります。放射能を受けた者で外面的には何ともなかったものが、黒い様な血を吐き血便をし、又、頭髪がぱらぱらと全部抜けて、ばたばた倒れ出しました。「これは爆弾と共に「毒ガス」が使われたので、市内にはまだ残って居るから、危いだろう」ということで、私達も急ぎ田舎の疎開先へ逃げのびました。

間もなく終戦、あの臨時ニュースを聞いた時は何とも言えない気持でした。廃塩と化した広島にも青い草木の芽が吹き出しました。そうして、もう住まれまいと思っていた土地に帰ることが出来ました。こうして、新しい平和日本建設を目指して生きる事を喜び合ったのも束の間でした。あの時放射能を左半身に受けた母は、その方の感覚が痺れた様で重く、体の調子が悪くなりました。私もとかく病気勝ちになり、身体がだるく、仕事が手につかなくなりました。当時原子病と言いまして、前記の様にぱたぱた倒れて行くので私達もそうなるのではないかと非常に心配して、近くの医師に診て貰った処「これは大分肺が悪くなっているから、私の言う通りに、注意しないと危いょ」と言われました。でも何となく信じられず、あっちこっちと医者に診て買った結果皆まちまちの事を言われるので、医者にかからず薬だけ貰ってのんで居りました。併し乍らだんだんと悪くなり、頭は重く、胃腸も害して、働く力もなくなり、身体は痩せ細り、幽霊の様になりました。ああ強くなりたい、早く良くなりたいと焦れば焦る程悪くなりました。せめて精神的にでも強いものをと、父親の残して行った、バイブルや、仏教書、精神修養などの本を出して見ましたが、それを読んで理解する力もありませんでした。そうして「ああ自分は駄目だ、何も判らなくなった」と投げ出してしまいました。そこには悪魔が不気味にせせら笑って居りました。「神仏なんてないんだよ、あんなものはお前の様な気の弱い奴が勝手に拝むものさ、幸福なんて、ちゃんちゃらおかしいや」と私も世界救世教奇蹟集何時の間にか、そういう様になってしまいました。そうして自分で自分の墓穴を掘る恐ろしい人間になりかけたのです。併し私だけを頼りにして居る母や、幼い弟妹達の不安そうな顔を見るにつけ何とも言えぬ腹立たしさと良心の呵責にもだえ苦しみました。こうした病気、貧乏、精神的苦痛に堪えかねて、気丈な母も「私も倒れそうだ、こんな事なら、いっそあの時皆が一緒に原子爆弾で殺されて居れば良かった」と言う様になりました。残されたものは「絶望」それでした。

「奇蹟」 二三年九月でした。近所になんとか、変った事をして病気を治す人が来て居られると聞いて、母が浄霊を三回して戴いただけで何時にない明るい顔をして「とても体が軽くなった。何とも言えぬいい気持だ。お前もお願いしてごらん。どんな病気でもよくなると仰言ったよ」と熱心に勧めるので、最初はこういう事が大嫌いなので相手になりませんでしたが、しかし一度お願いして見ようか、と行って見て驚きました。若い男の方で、仰言る事が、今までにない事ばかりなので、何となく心を引かれ、用心深く、疑い乍ら、一カ月続ける中に、ひどかった胃病がすっかりよくなりました。母も左半身の症状が治り、そうして母がお守様を頂き、私も立派な宗教だと思ったので、先生に入信をお願いし、三一月お守様を拝受させて頂き、母と共に、家中喜び合いました。

そうして、その後、沢山の奇蹟や浄化等頂き、ともすれば崩れそうになる信仰心も先生方の力強い御指導により、三年後の現在では、精神的にも、肉体的にも、健康な生命を与えて頂き、家中光明に包まれ感謝の生活をさせて頂ける様になりました。最後に今日まで原爆症について莫大な費用をかけて、現代医科学的にて色々研究されて居りますが、「この原爆症を真に救うのは浄霊以外に無い」という事を、実際に直面した私達は、はっきりと世界中の人達に申し上げます。明主様、誠に有難うございました。