「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行
私は左記の文を読んで思い出したのは、今から数年前栃木県川治温泉から四里奥に湯西川村という平家村があった。戸数六〇戸、人口約九〇〇で勿論無医村という事である。この村に就いてはいつかもかいた事があるが、全然菜食村で、鶏一羽すらいないという徹底振りだ、訊いてみると病人は殆んどなく、現在酒の飲みすぎで、ヨイヨイになった爺さんが一人あるだけだそうで、又斯ういう面白い話がある。それは年に一回、県からチフスの予防注射に、医師が出張して来るのだが、村民は恐れて逃げてしまうのだそうで、ょく訊いてみると、注射をされると三日位熱が出て仕事も出来ないという事である。然もチフスなど昔から一人も出た事がないというのだから、医師もこの村へ来るのは実に嫌だとコボしているとの話だ、それなら来なくてもよさそうなものだが、そこが御役所式で、規則通りやらなければならないという訳で、私も余りの官僚的に唖然とした事があったので、今でも億えている。
御蔭話 東京都E.K.(昭和二七年一月八日)
「やられちゃった。やられちゃつた。早く浄霊してくれよ」上着の袖を捲くつたまま、次男坊がおどけた調子で叫んでいる。
この坊主が、浄霊してくれ、と言う時は、その言い方で腹痛か、怪我かが解るのだ。小さな声で、浄霊してくれよ、と言ったときは、転んで膝小僧を擦りむいたときだし、シクシク泣き乍ら、浄霊、と、帰ってきた時は、足に踏抜きをしたり、野球で突き指をしたときで、蛔虫のために腹が痛かったり、頭が痛むときは、きまって、アアイテエ、アアイテエと、頭か腹を押えている。
こうした、子供の癖を知っている私は、今のょぅに、元気な声で浄霊、と叫ぶょうな時は、大した事はない、と少しも驚るかない。
「学校で注射されちゃったんだよ」と言う子供の言葉にギクリとした。「ホーソーか」「ううん、ツベルクリンだ。逃げちまおう、と思ったんだけど、皆んなやらなければいけないって、先生が言うからやったんだよ」
私や妻が、ふだん、薬毒の恐るべき事を、未信者の人たちに話をするのを、聞いている子供たちは、怪我をした時も、浄化の時も、「薬を」とは、決して言った事はない。学校で便の検査をして、虫がいる、と言われても、他の子供のように、虫下しの薬を貰らって来ないで「先生が、「虫がいる」と言ったよ。すぐ浄霊しておくれ」という位、薬と、注射の害は徹底して知っている。だからこそ、注射、と聞いて逃げよう、と考えたのだろう。
子供のいいわけを聞きながら、赤く、少しはれている・その個所を浄霊した。
「この次は、B・C・Gか、あれだけは止めて買い度いな。どうしてあれを強制するのか、これなんかも、憲法で保証されている、基本的人権を躁璃するようなもんだ」
傍で、縫物をしている妻に言った。「洋服屋のNさんは、上の男の子が、中学校で、B・C・Gを接種されてから肺病になった、と言って、B・C・Gだけは、あとの子供さん達にさせないそうですよ」「家の子供たちにも、注射とB・C・Gはしてくれるな、と、学校へ頼んでみるか」「そうですねえ、弊害もある事を知っていながら、どうして強制するんでしょう。お役所のやり方には、何んだか領けないものがありますね」
珍らしく、妻も、子供ゆえに、いきまいていた。この頃の学校の子供たちは、予防医学の立場から、と言って、百日咳、ジフテリャ、チフス、種痘等、無暗に注射攻めにされている。薬毒の恐ろしさを知る私たちは、それ等の注射があるたびに、顔を覆い度い思いである。だから、といって、薬毒を知らず、善意でしている、相手の立場に無理解ではないが、強制、となれば、問題はまた別である。
自分たち一家が、救世教徒である為めに、学校へ、公然と注射反対の態度を表明し、それと戦う事になれば、事あれかし、と待ち受ける、商業新聞の、悪意に満ちた宣伝材料に使われる。それは、結局、救世教全体へ迷惑を掛けることになる、と、考えて、今までも予防注射は受けさせてきたのだった。
馬齢を加えた、私たち夫婦は止むを得ないとしても、折角、無医薬で健康に育てた子供達の身体には、一滴の薬も入れたくない。これは、薬毒の恐ろしさを、身を以って体験している、救世教信者の血の叫びであろう。
高等学校へ行っている長男は、注射のすぐあとで、その個所を口で吸い、そして自分で浄霊してくるが、小さい子供にはそれが出来ないので、家へ帰ってから、私か、妻かがそれをやってきたのであった。
「一年の時は、ツ反応が、陽性と出たので、B・C・Gはやらずに済んだが、今度はどうだろう」「多分、大丈夫でしよう」
縫い物の手を休めず、そう答える妻に、その知識があろう筈もなく、もとより、希望的観測から一歩も出ていない事は解っていながら、「そうであってくれればいいが」と、今日の、ツ反応の結果を案じるのであった。
それから、暫く経ったある日、今年、一年に上る三男に、ツベルクリン反応の検査があるから、連れて来い、と学務課の通知があった。「こんな、小さな子を、どうして痛い思いをさせるのか、学校へ行って話して来ます」そう、勢い込んで行った妻が帰って来たが、結果の悪かった事は、その顔色で察しられた。「学校で何んと言った」「あちらからの命令だから、私たちには、どうにもならないって、てんで取り合ってくれません。ツベルクリンだけは仕方がないからさせて、あとは、神様にお願いしましょう」
妻のその言葉には、思い詰めた母親の必死の響きが籠もっていた。
心配していた、ツベルクリン反応の結果が解った。学校医は、「お気の毒ですが、この子は小児結核です。今年の入学を延期して、充分療養して、来年、改めて入学させた方がいいですね」と冷めたく言った。
「小児結核」。校医の診断を聞いた、私たち夫婦の驚きは大きかった。
肺病――死。不吉な翳が、さっと脳裡をかすめた。肺病。若しそうであっても、薬の入っていない身体だから、浄霊で必ず治す事が出来る。治す力を、私たちは神から許されているのだ。この絶対の自信に考えが辿りつくまでには、長い時間がかかった。夢想だにもしない小児結核と、唐突に医師に診断された為に、私たちの気持は転倒し、冷静さを失ったのであった。
「それにしては可笑しいね。今までに、幾人もの肺病の人を見、浄霊で救ってもきたが、この子に、肺病らしい症状が、何処にあるだろう。近所の同い年の子供に比べて体重は多いし、食欲は見事だし、咳も出なければ、寝汗もかかない。肺らしい形跡は、一つもないが」そう、いいながら、不安そうに両親の話を聞いている子供の、頭、頚、延髄に手をあてて見た。今までの経験で解っているように、この子に何等、そうした病気のない事を、再確認しただけの事であった。
校医は、都の保健所を指定し、そこで、血沈と、レントゲンの検査をしてくるように、と教えた。
保健所へ行くと、私たちと同じように、心配そうに、子供を連れた親たちが、幾人も順番を待っていた。血沈の検査は、同い年の子供に比べてやや多いが、レントゲンに写った両肺とも、何の異常も認められない。
「大丈夫です。この分なら今年から、学校へ上げてもいいでしょう
若い、保健所の医師の言葉に、張り詰めた心が、ホッと、ゆるんだ。
「アア、解つた。これは神様の御慈悲」
帰りの電車の中で、妻は、私の耳に口を寄せて言った。
「毎日、B・C・Gをうたずに済みますように、神様にお願いしていたので、こんな、とんでもない診断が出たのよ。今、小児結核ならB・C・Gを接種するまでもない事だし、本物の結核なら、今年は学校へ上れないし、神様のお力は実に、深謀遠慮ね」と感嘆した。
「深謀遠慮は良かったね」揺れる電車の吊皮に掴まり乍ら、改めて神様の御慈悲に胸がつまり、「良かったなあ。学校へ上れるよ」と、子供の頭をなぜたのであった。