「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行
薬というものは全部毒である事は常に言っている通りであるが、特に消毒薬の害毒が如何に恐ろしいものであるかは、左の御蔭話が遺憾なく証明している。これを読んだなら如何に頑迷な専門家でも、首を捻らざるを得ないであろう。この事実によってみても、現代医学の迷盲を嘆かざるを得ないのである。従ってこれに気付かない限り、患者は多額な費用を払いつつ大きな苦痛を与えられるのであるから、その無智驚くべきである。ところが可笑しな事には斯くの如き迷信を発見した吾々は、その実証を裏付けとして知らせているのを、反って迷信視するのであるから、彼等の頭脳こそ迷信に輪をかけた迷信であるといっても否とは言えないであろう。これを一言にいえば医学は善意の罪悪という以外言葉はないのである。
御蔭話 大分県S.S.(昭和二七年一一月一日)
この一事に就いては、明主様より絶えず医薬中最大な害毒として御垂示賜わり、充分に我々としても認識済みであるが、今ここにそれに就いての事実を目の前にして如何に消毒薬そのものが現実に人体に悪影響をもたらすかを説明するに十分なる実例があるから載せさせて戴きたいと思うのであります。
夏の日差しも次第に強まってきた七月初め、別府郊外K町へ何時もの様にW信者の宅へ浄霊に赴いた。処が光明如来様にお参りして浄霊に来ている人の顔を見渡すと苦悩を激しく訴える見知らぬ老女がいる。この人が問題の人である。というのはこの老女は乳癌で過去四年間ずっと苦しみ続けてきたとの事、然して四年前にもこの御道の事を聞き、或る婦人の信者に浄霊を三カ月して貰ったが一向に治らず、ひどくなるばかりだったので止めたという話、考えるに、当時ではまだ十分に当人としても浄化の意味も解らず、浄霊を施す婦人も単なる信者に過ぎない為、浄霊の個所も誤っていた事だろうと思うが、それはまあまあとして今日まで手術をしてないのがこちらにとってはいくらかのとりえである。早速「何故今日まで手術を……」と聞いてみれば「このお道の事を聞いて薬の使用と手術はいやだ……」こというのである。併し乍らその考え自体が本教の非常なるおかげで、今日まで生きのびてるわけである。全く体にメスを入れぬ者、薬を使わぬ体はかくも強いものであり、かくも病気に耐え得るものであろうかと、私は深く感心した。然して更にそれを深く証明するものに、近隣の人が二月位後で同じく乳癌になり、その人は医学一本で治療を続け、軽い内にと言われて手術を国立でやったそうだが、半年経たずに死んだとの事、実に手術はこわいものであり、本人は丸で手術の為に医師から殺されてしまった様なものである。
こういう訳で、今日まで四年間手術をせぬ為生き延びてきたこの老女は、最初の一、二年の間はだんだんと溶けて乳房から出てくる膿を、自分で拭き取っていたそうだが、遂に膿が多量に出る為自分ではやり切れず、医者に行って看護婦から膿をふきとってもらい、消毒したガーゼを乳の所に当て胸を包帯で巻きつけていたそうである、全く頑固な老女だ。
今日初めて私の見る傷は、もはや左乳のふくらみは全然なく、乳のふくらみ丈逆に溶けて凹みが出来、肋骨も二本程見える極めてひどい傷になっている。それ程の重病人だ。
本人は乳癌になってからは傷に一つも薬を使いませんと自慢そうに言い張るが、中々どうして、消毒したガーゼをつめ替える事、これが大変なのだからとよく話し
初めて浄霊してやる時の臭さったら話にならぬ程の物凄さ!併し痛みつつあった瞬間のそれはほんの一〇分程の浄霊で去ってしまった。これに就いては面白い話がある。即ちこのガーゼをつめ替え始めてからというものは、一日にきっと三回以上は極めて激しい勢で苦痛が襲ってくるとの事である。そして又家中が物凄い悪臭を満たしており、その人の後は臭くて歩けぬ程だそうです。これ等は凡て消毒薬の為というわけである。
私は早速この日、老女に自分でガーゼを求めて自分自身出る膿を処理した方が良い事を話してやったが、老女は「そりや、先生!そうしたいのですが、中々こんな大きな深い傷になっては自分で傷を見る事さえこわくてね……」と言って一向に応じなかった。併し僅か一〇分の浄霊で痛みのとれたその偉大なる神力に驚ろかされ、明日より自分では出来ないから医者にそう話して、消毒しない、ガーゼを家からもって行ってそれでやってもらおうと張切って帰った。
処が翌日早朝より彼女は信者宅に私の来訪を待ちわびて「先生!御医者がやってくれましたよ。御医者さんは私の病気にはもう手におえぬとサジを投げているんだから「まあまあ生きている間あなたの希望通りにして上げよう」といって何でも私の言う通りにしてくれました」と。そのH医者とは私もちょいちょい話し合った事もあるが中々立派な人である。それにも増して喜々として話す言葉に「一日三回以上今までは痛んでいたが、昨日は二度しか痛まなんだ。わしやほんとに嬉しかったぜ……」と心をはずませていた。
かくして五日目には到頭医者をやめて凡て自分でやる様になってしまった。
処が一週間目の事である。「先生!とうとう痛みがなくなったぜ。物凄い激しさで襲ってくるあのこらえる事の出来ぬ痛さ、有難テェもんじゃなあ、ほんとに、もうあの痛みつたら堪える事が出来んからなあ、それがなくなったんだから……」ほんとうに嬉しそうである。それもその筈である。あれ丈の深い傷に痛みがやってきたらもう死にもの狂いであるからである。それがなくなったのであるから……。「先生、それからもう……」大いに張切って愉快そうな口振り。「何だね。臭みのなくなったという事じゃないのかね」「そうですよそうですよ先生!家中大喜びです。食事の時分そして何でも食べる時、あの臭さはたまらないからな。有難いものですよ。光明如来様……」と嬉し涙を流していた。かくして消毒薬をやめ、浄霊を施す様になった結果、(一)あのひどい堪えがたい苦悩は忽ちにして去り、一日に一回もなくなり、(二)物凄いあの膿の臭みがなくなってしまったのである。
処がこの老女の長男と長女が二人揃って、母の傷が次第に楽になる不可思議さにわざわざ私を訪ねて喜びを語り、妙智力なるものを質した。その第一とする処は、「一般常識的には、否、科学的に言ったって、毎日きれいに消毒したガーゼでお医者さんが出てくる膿をきれいに拭きとってくれるのだから、反って臭みがない筈のものだが、その方が臭くて、逆に母自身がガーゼを取り替えるといったって隔日位のもので、とりかえるにしても医者程きれいに拭きとる事は出来ない筈だが、事実は反対で、毎日とりかえるよりも放つといた方が臭みがないなんて実に不思議だ」というのである。これに就いては誰もがそう思うであろうが、明主様の「薬剤の体内に於ける毒素化説」を、現実の証明する処を話してやると納得がいったらしい。
その他いろいろと珍談奇談が続出したが、最後に「もう私達の母は何処の医者からも断られ「あんたの病気は手の施し様がないからあんたのいいようにして死を待つより仕方がない」といわれているんです。それにあんなに先生のおかげで嬉しがっている母の姿はほんとに家中の喜びです。これからはもうこの道信仰の外に道はありません事をよく知りました。よろしくお願いします」と。
彼等二人して余りにも偉大なる御神力に驚歎し、消毒薬が如何に人体を害するかをよく認知し、平伏して大光明如来様に母の御守護を願って帰って行った。