「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行
本教の驚異的治病奇蹟は、『栄光』新聞一枚見ただけでも、一度で分る筈だが、そうもゆかないのは、如何に医学迷信が沁み込んでいるかという事である。左の御蔭話はキリストの奇蹟と何等変りはない程のもので、この記事を見て、第三者は何と思うであろうか聞きたいものである。日本脳炎が治っても一生不具になるという事実は、医学でも盛んに唱えられている事で、誰も知っているところであるが、吾々の方はそんな事は可笑しい位である。このすばらしい本教浄霊の治病効果を知っても、尚遠くから眺めて膿暗逡巡している人は、先ず神経麻痺症と日われても、否とはいえまい。以上のょぅに随分思い切ったかき方で、癪に障る人もあるかも知れないが、吾々の方は理屈や観念ではない。生きた事実の報告であるからどうにもならないのである。
御蔭話 静岡県S.T.(昭和二七一二月一七日)
この世に生ける屍となり果てた、吾子Y(六歳)が、偉大な騎明主様の御力に起死回生的の御救いを賜わりました事につき世まして、明主様の御前にひれ伏し、御礼の御言葉を申し述べせて頂きます。
次女Yは昨年八月三〇日、世にも恐ろしい日本脳炎となりました。昨日までは、あれ程元気でおりました吾子の、余りに変り果てた姿に気も狂わん許りでございました。高熱と間断なく痙攣がつづき、連日連夜氷冷に或いはリンゲル、マイシンとうち続けました。果ては医師を替えて、脊髄の水を数回とり、その時の苦しむ様は見るに耐えない惨酷な姿でございました。こうしてあらゆる手を尽くしましたが、結局一命鞘はとりとめたものの、廃人同様処か、漸く生命を支えているに過ぎない有様で勿論頭脳の働きは全然なく、全身不随、クラゲと同様、「Y」「Y」と呼んでも何一つ答えて呉れず、幾度悲しみの涙に咽んだ事でございましょう。せめても頭だけでも良くして頂きたいと切ない願いでございました。
一〇月二一日でございました。ふと或人から「若しか救世教の御浄霊で治して頂けるかもしれないから、一度御願いなされたら」と勧められ、早速近所にお住まいの信者様、0様宅に御伺いし、事の次第をお話いたし「是非御救いして下さい」と篤と御願い致しました。夕方○様がおいで下さいましたが、余りの哀れな姿に、0様も愕然となされた様でございました。早速手をかざし御浄霊を始められました。如何様になるかと、主人はじめ一同じっと見守りました。一〇分二〇分!!!と見る見る間に、汗が顔一面に滲みでて参りました。暑いからと蒲団をはがしてあげると「アツイ」と一言言いました。続いて「ネ、ネンネ、ネーカーチャン」と言い、「ネコ、ネコ、ネコ!!こと言い始めました。鳴呼何たる奇蹟でございましょうか。五〇日振りに聞く吾子の声、止めどなく涙が流れでて参りました。キリストの奇蹟を今目の前に、しかも吾子の上に垂れさせ給いし大神様の御慈悲に、何度も有難うございますと頭を下げる許りでございました。明る日は聡一日中歌を歌い続けました。こうして御浄霊して頂く度に快くして頂き、一週間日頃には智能の働きは殆んど元通りとなり、二週間目頃には寝返りもできる様にならせて頂きました。三週間目頃には言う事が出来る様にならせて頂き、四週間目には大小便が気づく様にならせて頂ました。そして=月二二日はじめて歩く事ができた時の嬉しさは、何と申し上げてょいかわかりません。御浄霊満一カ月、こうして短時日の間に、すっかり快くして頂きました。遊びたわむれる吾子の姿を見るにつけ、誰の目にも元通りになるとは信ぜられず、明日の生命さえ危いと思われていたにもかかわらず、夢の様な御救いを賜わり、唯々感謝の気持で一杯でございます。
明主様洵に有難うございました。早速教修を受けさせて頂き、御救い頂いた御礼に、一人でも多くの方々を御救いさせて頂き、御恩の万分の一に御報い申し上げたいと存じて居ります。