『真理の具現』

自観叢書第12篇、昭和25(1949)年1月30日発行

抑々、宗教の真の目的は何であるかといえば、言う迄もなく真理の具現である。真理とは何ぞやというと、勿論自然そのままの姿を云うのである。東から太陽が出て、西に沈むという事も、人間は生れれ いわゆるば必ず死ぬという事も、之は仏説の所謂生者必滅会者定離という事であり、人間は空気を呼吸し、食物を食う事によって生きているという事も、勿論真理である。こんな判り切った事を言わなければならない程、人類の現状は出鱈目になっているのである。

右の理によって、現在社会万般に渉る混乱、闘争、無秩序、罪悪等の忌わしい事象を見ても、人類が幸福になるよりも、不幸になる条件の方が多い事は否み得まい。とすれば、その原因が奈辺にありやを考えてみなくてはならない。私の見る処では、一切の根本が真理に遠ざかり過ぎているからで、それが あまりにも明かである。ただ真理に遠ざかっていながら、それに気がつかないだけである。然しながら、それは何が為であろうかを茲に検討してみるが、実は現代人は真理そのものさえも判らなくなっている。というのは生活問題の窮迫に真理など考える余裕が無いからでもあろう。尤も、肝腎な宗教でさえ、今日迄真理そのものがはっきりしなかった点もあり、真理と思って非真理を説く事が多かったのである。もし真理を真に説き得たとしたら、人類社会は現在よりもっと良くなっていなければならない筈である。或は天国楽土が或程度実現していたかも知れないと思う。然るに天の時来って茲に神意の発現となり、 私を通して真理を説諭すると共に真理の具現を遂行さるる事になったのである。故に私が説く処の諾々の言説は、真理そのものを万人に最も解り易く宣示する以上、読む人は虚心坦懐白紙になって熟読玩味すれば、髪髭として真理は浮ぶであろう。

右によって私は最も手近な所から説いてみるが、人間が病気をするという事は、真理に外れた点があるからであり、それを治し得ないという医学は、之亦真理に外れているからである。政治が悪い、思想が悪いという事も、犯罪が殖える、金詰り、インフレ、デフレで苦しむという事も、どこか真理に外れた処があるからである。もし真理に外れていないとすれば、正しい事は人間の希望通りにゆく筈で、其様に人間社会を神が造られているのである。故に思想的善美な社会も、人間が歓喜幸福の生活者たり得る事も、敢て難事ではないのである。即ち私が唱える地上天国出現の可能性も茲にあるのである。

此様な訳であるから、私の言説には随分異つた点があると思うであろうが、実は些かも異ってはいな い。至極当りまえの事である。異っていると思うのは非真理の眼で見るからである。私の説が異説と思えば思う程、社会の現実が異説的な為である。

神は人間に対し無限の自由を与えている。之が真理である。人間以外の動植物には限られる自由しか与えられていない。茲に人間の尊さがある。然らば人間の自由とは何であるかというと、人間向上すれば神となり、堕落すれば獣となるという両極端のその中間の位置に存在しているからである。此理を推進する時、斯ういう事になる。それは人間の行り方次第で、此世はいとも楽しい楽苑ともなり、その反対であれば、いとも悲惨な地獄ともなる。

之が真理である。とすれば、人間は右の何れを選ぶべきか、考えるまでもなく先天性の悪魔でない限 り、前者を欲するのは当然であろう。

右の如くでありとすれば、前者の天国世界の実現こそ、人類究極の目的であり、その目的達成こそ、 真理の具現あるのみである。そうして、それが宗教本来の使命である以上、私は常に、筆に口に真理を 教え、尚且つ真理の具現者として、日も之足らず努力活動しつつあるのである。