『五六七世界の建設』

自観叢書第12篇、昭和25(1949)年1月30日発行

吾等が唱える五六七世界の実相は目下執筆中で、何れ発表するつもりであるが、茲では五六七世界建設までの過程に就て些か述べようとするのである。

勿論、五六七世界とはキリストの予言した天国であり、釈迦の唱えた所謂みろくの世である。然るに此理想世界たる五六七の世は、今や呱々の声を挙げんとする寸前に迫っている事である。

私の霊感によれば、今霊界に於ては既に五六七世界の土台は築かれたのである。之によって近き将来、いとも現実的に此地上に出現する事は、疑う余地はないのであるから、何と有難い時節に生れたものではないか。之を慮う時、吾々は歓喜が湧き起るのである。

それに就て知らねばならない事は、例えば今茲に一大豪壮な建築物を建造せんとする場合、今迄その土地に存在していた古い家は破壊されなければならない。勿論その古材の中から、新建築に役立つものを選び・ 洗い浄め、削り治して使用する事は勿論であって・ 今や五六七世界建設に当っても、それと同自盤様な事象が行われるであろう。それに就て今後発生する凡ゆる事態が、人間の眼からみて理屈に合わないような事や、無益と思う事、破壊的の事等もあるかも知れないが、それは汚穢の一大清掃である事を知らねばならない。然し一切は神意の具現である以上、人間の凡眼によって、兎や角判断する事は出来ないとすれば、人間たるもの大いに謙譲の態度を以て、一切の推移に順応すべきである。此事を霊感によって知識し得た吾等は、常に偉大なる神意を曲解せざるよう戒意し、正しい神観を以て今後人類の経験にない、如何なる異常事や崩壊作用も、信仰に徹する者の特権として与えられたる安心立命の境地に住し、生を楽しみつつ時を待つべきである。

斯様な甚だ掴み所のない言い方も、深遠なる神の密意は現在具体的に言う事を許さないからである。要するにミロク世界実現前、当然経なければならない其過程に対処する心構えを述べたまでである。