『私の観た私』

自観叢書第12篇、昭和25(1949)年1月30日発行

此題をみて読者は不思議に思うであろうが、順次読むに従って成程と肯くであろう。

先ず私というものほど不思議な存在はあるまい。何となれば、人類の歴史の上に私のような人間の記録はなかったからである。この記事をかくにあたっては出来るだけ主観を避け、客観的にかくつもりで あるから、そのつもりで読まれたいのである。

先ず私の仕事からかいてみよう。勿論私の目的は人類救済にあるのであるから、一挙一動その線から はずれる筈はない。そうして今、私の仕事の中で一番主力を注いでいるものは、紙へ文字を書く事である。即ち書である。それは多くの信徒から乞わるるままに、出来るだけ満足を得させたい為に努力して いる。処が信徒はそれをお守りとして首にかけ、懐に入れ、病者に向って数尺隔った場所から掌をかざし霊の放射を行うのである。これによって例外なく病苦は軽減する。而も難病として数人の博士から見離され、死に瀕した病者が入信数ヶ月経た信徒によって治癒され、健康人となって再び社会生活を営むようになるのである。此ような例は日々無数に上っている。この起死回生的奇蹟を眼の当り見る限りの人は、驚歎するのは無理はあるまい。実に古往今来、何人と難も不可能とされていた人間生命の延長が 可能となる事である。恐らく之は世界の大問題であろう。この様に教われた者の感謝感激は日々数知れない程で、その報告や礼状が机上に山を成すのである。私はそれを読む毎に、眼頭が何度熱くなるかしれない。そればかりではない、お守を懐に入れて掌をかざす、此方法を浄霊と名づけているが、この浄霊に依て今や戸を開けんとする盗賊を逃走さしたり、中には断崖から落ちた者、汽車、電車に跳ね飛ばされた者、車に轢かれたりした者が、何等の疵もなく生命が助かったり、又火災を免れたりする等々の例は枚挙に遑(いとま)がない程である。特に農業に就ての奇蹟である。今や枯れなんとする麦畑が浄霊によって 復活したり、浄霊によって虫害を免れ、例外なく増産の成果を挙げ、獣医から死と断定された馬や牛が蘇るというような例も抄くないのである。其他貧困者が貧苦から解放され、陰欝な家庭が明朗化するというように、お守を懐へ入れる刹那から運命の好転が始まるのである。之等無数の奇蹟は『光』新聞や 雑誌『地上天国』に掲載されているから、一読すれば想い半ばに過ぎるであろう。昔から大聖者、大宗教家の事蹟を見ても一人対一人の痛患を救い得た奇蹟はある。又その宗教に帰依し、御利益によって治病された例も、取次者が治病の力を表わした例もあるにはあったが、今私によって行われる取次者の浄霊の顕著な力とは、恐らく比較にならない程の異いさがあろう。

斯ういう事がある。私が書いた文字を見ていると、その文字通りの形が光となって無数に分散、空間 に躍動するという事で、之は常に多くの人から聞く処である。又私の腹中に小さいゴム鞠位の光の玉を見る人もある。私の掌から光が出るのを見た人も多数ある。此光の玉から光波となって噴出した状態が写真に映った事もあり、此玉の光が部屋一ぱいに拡充した状態も写真に映った事もある。

私は毎日一時間を定めて数百の信徒に面会している。前以て信徒に対し、如何なる難問、疑問でも質問せよと言ってあるので、多い時は右の一時間内に質問数十に及ぶ事さえあるが、私は答え得ない質疑は殆んどないと言ってもいい。勿論毎日異った質問である。然し私の知らない事も偶にはあるが、その質問に対うや、即時その答が頭脳に閃き、口を突いて出て来る。それによって私が私に教わるという奇現象もある。

次に信徒でない第三者は、私の生活を豪奢だとよくいう。今日の物質不足を見ては無理もないが、私としても何もそのような生活を欲した事はないが、何にしろお蔭を蒙った多くの信徒が、感謝の印として凡ゆる物質を献上して来るので、その誠を出来るだけ汲みとるべく努めている。金銭に於ても、救業に必要な場合は必要だけ自然に集ってくるから不思議である。教線は日に月に進展しつつある状況は、 信徒諸君の見らるる通りである。此様な訳で、一切は私の意図の下に、私がやっているのではなく神の意図の下に神が私を自由自在に駆使しているという訳である。云わば私というものは、神の操り人形に過ぎないと思っている。であるから、此次には神は私にどういう事をさせるのかと思って、興味深く私は私をみつめているという、世にも不思議な事実である。

又私の行っている諸々の業と、それに伴う趣味である。趣味の多い事も先ずあまり例はあるまい。それを以下かいてみよう。

私は宗教家である事は言うまでもないが、実は宗教家とは思われない。では何かというと少々変な言い方ではあるが、救世業者とでも言う方がピッタリするように思う。そうして私の多くの弟子は、日々無数の人を救い、奇蹟を表わすので、彼等は生神様のように尊敬されるという事をよく聞くので、「それでは私は生神製造業者という訳になる」と大笑いする事がある。

私は絵を描き、書もかき、歌も作り、川柳も作り、書籍を著わし、小説も歌詞も、雑誌も新聞の原稿も書き、編輯(へんしゅう)もしている。又地上天国の小模型を造る目的を以て、私の設計監督の下に、建築、庭園、 花井栽培、室内装飾、農作等もやっている。箱根強羅の神苑や熱海に目下造営中のそれを見た者は肯くであろう。

次に私の趣味である。美術を好み、新古を問わず、優れた芸術家の作品を鑑賞する事は十四、五歳頃より今日に至るも変らない。其他音楽に於ても日本西洋の両方に趣味を持ち、一家中私が一番多くラジ オを聴くのである。特に政治、経済、教育、哲学、文学、社会問題等にも興味を持ち、常に研究を怠らないので、之等の蘊蓄は順次著書を以て発表するつもりである。

之を要するに、私というものを職業別にすれば宗教家、政治、経済、教育の研究家、文筆家、文明批評家、特殊医学者、歌人、画家、書家、建築設計家、造園業者、農業者、美術音楽批評家等々実に多彩である。

千手観音は手が四十本あって、一本の御手が二十五種の働きをされ、合計千本の御手にまって凡ゆる救いをなされるというから、私は千手観音の働きを神様からさせられているのではないかと常に思って いる。未だ種々書きたい事もあるが、余り長くなるから後は読者の想像に任せて筆を欄く事とする。

以上が私の観た私の実体である。