神界通信

メシヤ講座・特選集no.51(平成17年4月分)より引用:

<神界通信>

天照皇后様から「天岩戸隠れ」の真相を承りました。野洲河原の誓約以後、様々の謀略により世が乱れたために御自ら岩戸に入られたとのことでした。そして、今日までお出ましにはなられなかったということです。神話にあるようなことが岩戸の前で繰り広げられた際、臣下の女神様が少し岩戸を開いた折に引っ張り出され『天照大神』と奉られた由のこと。皇后様の代理神とされたそうです。このことが、夜の時代の‘すりかえ’の典型だそうです。

 

では、今後どのようにさせていただいたらよろしいのか、お尋ね申し上げましたところ、伊都能売神皇様がご教授くださいました。『ご祈願が大切』とのことでした。メシヤ教々義に基づいて、祈願参拝を積み重ねることが重要であることを認識致しました。

 

メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)より引用:

<神界通信>

昨年6月元伊勢へ参拝した折に、日室嶽(ひむろだけ)遥拝處で不思議な感懐をもちました。「禁足の聖地である。」「一願成就の信仰が強い。」「夏至の日、太陽が頂上に沈む」という表記がされており、元伊勢の本社はこちらだと思いました。しかも御陵であると感じました。神宮関係者も謂れを知らず、今日まで確かめることも叶わずにいましたが、伊都能売神皇様から『間違いない。しかし、今日まで世に知らしめると危険であった』とご教授いただきました。

 

また、平成12年9月16日に神上がられた乙姫様について『神格をはずされた状態だが、執念は残っている』と、ご教授いただきました。そのことにより、昨今の内外の情勢についての因果関係が明らかになりました。しかも、私達の因縁の正体もそれぞれの執念であるとのこと。

 

この点については、カナメ神宮(静岡県引佐町奥山)の村松神息宮司との4時間に及ぶ会談でも同様のことが話題に上がりました。昭和40年マスコミに大きく取り上げられましたが、その後も‘因縁切り’法の修行に取り組まれ、「因縁の元は魂の執念」であることを強調されていました。霊界の修行は我と執着を取ることが第一義であるとする御教えに合致しており、この時期に強く認識させられました。

 

この会談で日本近代の皇室に関わる裏面史も知ることができましたが、ここに記述することは時期が来るまではできません。

 

メシヤ講座・特選集no.53(平成17年6月分)より引用:

<神界通信>

本年6月15日の「地上天国祭」を期して、『昼の時代』を司る神様に全て交代されることに相成る旨をご教授されました。『夜昼転換』とは司る神様が交代される由とのこと。昭和6年6月15日鋸山でお迎え申し上げた「天照皇大御神」様を日枝神社へご鎮座申し上げ、それまでの留守居の神様と交代なされたことに照らして慮(おもんばか)ると、‘なるほど’と拝察申し上げることができます。

 

昭和29年6月15日に「メシヤ降誕仮祝典」を執り行われたにもかかわらず、教祖ご自身は短期間しか『メシヤ』という御名を名乗られませんでした。『夜の時代』の神々の執念が幾重にも取り巻いていたためと拝察できます。それ故に、毎年の「地上天国祭」を『メシヤ降誕本祝典』と受け止めて、積み重ねてまいりましたが、昨年『明主様からメシヤ様の尊称へ変更するように』との啓示をけ、御経綸の進捗を感得させていただきました。そしてこの度、司る神様が交代なされたので、その意志を以って取り組むならば、必ず事成せるということであります。

 

また、『霊的に世界の中心は箱根の神山である』との御教えがありますが、『そのことを強く認識するように』とのご教授があり、「地上天国祭」祭行を前に赴かせていただきました。

 

三千年以上前は箱根より東を「ホツマクニ」と呼び、誠に秀でた国として讃称されていたことも判明しております。「夜の時代」到来時点での東西の基点は琵琶湖となりましたが、それ以前の基点は箱根であったのです。そして、加えて芦ノ湖が大変重要な意味を占めているようです。今後、そうした意味を少しずつ明かになされてゆくとのことです。

 

メシヤ講座・特選集no.54(平成17年7月分)より引用:

<神界通信>

本年6月15日の「地上天国祭」を期して、『昼の時代』を司る神様に全て交代されることに相成る旨をご教授され、その意思をもって取り組むならば、必ず事成せるということになりました。

 

しかし、周辺に起きる事象が天国化に映ずるかと言えば、かえって終末度を増すということであります。私達は、何事も『建設』と『破壊』が同時進行で進んでいることを認識せねばなりません。

 

そして、メシヤ教内でも将来に備えて各種体制を整え始めるようにご教授いただきました。主に資格制度や下意上達制度などです。資格については、御教えの基準に沿って整えてまいりたい、と考えております。