体験記「水晶殿に御神光を拝す」

新潟県 S.M

「栄光」293号、昭和30年1月26日

明主様、日々厚き御守護を賜わり、有難く謹んで御礼申し上げさせていただきます。

十二月十一日、水晶殿御遷座遊ばされます折、お出迎えのお許しを戴き、身に余る仕合せと、心に深く改心の姿にて、今までの到らなさをお詫び申し上げさせて戴きました。

この感激を胸に、誠の精進をお誓い申し上げ、躑躅山の参道より御挨拶させて戴きました。その時、新つの館のお窓の中央部より、靄の如きお光が拝されましたが、光線の曲折か私の眼の錯覚かと思い、二、三歩又五、六歩、やはり拝されます。魂の引寄せられる如くにて下山致し難きに、無我の境にてメシヤ会館へと上らせて戴き、五、六間先に二、三十名位の信者さんがおられ、私も水晶殿を拝させて戴いておりました処、先刻の靄の如きお光が次第に金色のお光に変り、益々強烈に大いさを増し、燦々と一瞬にして地軸をも焦がすかのお光、観世音菩薩の大慈悲光の具現か、金龍神のお光か、更に彌増す偉大なる御神光御神カに仰天して胸せまり、溢れ出づる涙にくれつつ〝明主様有難うございます。何卒お許し賜わり御神業の一端にでもお使い下さいませ〟と伏し拝み、御神光を拝し、又伏し拝むを幾度ともなく繰返すのみでございました。

御神光も拝されなくなりて、ふと我に帰りまして、ああ、あの最高の主神の御神光を拝し奉りし時が、御言葉賜わりし時かのように拝察させて戴き、一入に無量の感慨に浸らせて戴きました。

明主様、罪深き者にお許し戴き、勿体なくも無上の光栄に、只々有難く御守護の程謹みて御礼申し上げさせて戴きます。