「列車に激突――微傷一つ負わず救はる――」

愛知県知多郡T.K

私は昭和二十一年八月に光を受けましたトラックの運転手でございます。本年一月二十日岡田町の工場の依頼で愛知郡日進村へ同乗者二人とともに亜炭の運搬 に出掛けました。その帰途、午後二時頃でした。東海道線大高駅付近の踏切で上り列車の通過を待合していました。そして列車の通過後、遮断機が上ったので汽 車は通過したものと思い、待っていた人々と共に線路を越えようとしました。しかし実際はその瞬間すぐそばに迫っている列車の煙り、物凄き勢いで進んでくる 列車前には乳母車を曳いた人がいるのを突嗟にみて、ままよと突進し逃れようと一心にレールを越えようとした。しかしおそい、三人とも「ダメダ」と叫びまし た。ガンとしたショックを受け、運転台以外の後の車体は亜炭諸共粉々に突きとばされ、又、大きな電信柱も根元より折れて機関車に倒れかかり二十間も前へ引 きずられております。列車は急行列車だったそうで、その惨状に目を見張ると共によくもよくも助かったものだと背中に寒気が走るのでした。

そして乳母車はどこにかとんであとかたもありませんが、その人は見物人の中に無事にいるのを見てホッとしました。今更つくづくと観音様の偉大なる御救い の有難さにこの教えをしらぬ他の二人も共に涙を流して感極まったのでした。そして迎いの自動車に乗り無事に家へ帰る事が出来た時、夢の中を彷よっている感じでございました。

家にお祀りしてある光明如来様御前にひれ伏し、次に竹内恒治教導所の大光明如来様御前に、感謝感激に涙を流しつつ何物にも代え難い命をお救い下さったお礼を申上げました。そして頭部と腰に受けた打撲傷も御浄霊をして頂き次の日から出勤致す事が出来ました。

後からきくところによると昨日の出来事は全く踏切番の不注意によるものだそうで、私の車の積荷であった亜炭は二十尺も高く吹きとばされて前にあった家に とび込んだのですが、実に不思議な事にはガラス一枚も破損しておらず「信仰雑話」の中の「奇蹟」の項を読むにつけてもつくづく身に沁みて体験させて頂きこ の偉大な御力御守護は筆には表わし難く地に伏して御礼申上げます。