「軒先迄燃え焼失を免る」

埼玉県比企郡K.T

一月二十二日午前一時四十分頃、突然隣に寝ていた長女に「火事だ」と起されたので反射的に表の方をみますと、僅か一寸程開いている襖の間から道路に面し た座敷の障子が真赤にみえましたので、早速表座敷の障子を開けて近所の人々に大声で火災を告げました。この騒ぎに階下に寝ていた次女、三女も起きて二階に 来て光明如来様に祝詞を上げ始めました。私も長女もこれに伍して一心に祝詞を上げました。何しろ火事は意外に近く私の家から僅か七、八米の筋向いの二階家 です。深夜の事故人々は集まらず、火の廻りは意外に早く猛火は私の家の真前の二階に移ってしまいました。近隣の半鐘も漸く乱打され始めました。この間まったく数分間のように思われましたが、実際はそれほどでもなかったのでしょう。私の家も既に類焼を免れない事を私は覚悟しました。女手ばかりのところへ長女 が病気の為どうにもならず、私はすべてを光明如来様にお任せする事に決め、さらに祝詞を奏上火に向って浄霊いたしておりました。火は漸く猛威を揮い私の家 も軒下一杯に火がはってまいりました。ガラスは次々に音を立てて割れてゆき、階下で誰かが友田屋(私の家の屋号)についたという声をききました時には、流 石に心の動揺を禁じ得ませんでしたが、すでにこの期に及んではいたし方がありませんので、更に神に対する信念をつよめ、浄霊を続けておりました。

この時不思議と申しましては誠に勿体ない事でございますが、軒下をはっていた火が私の家から離れてただガラスの割れる音のみが残りました。勿論家の戸は 全部しめてありましたので、家の中へはまだ誰も入りませんでしたが、たまりかねてこの時裏木戸を破って大勢の人が入って来て「大切なものから出しましょう」といってくれますので、一応荷物を出してもらう事にし、三女に荷物の番をさせすべては他人の力を借りて荷物も順調に出していただきました。火も多少下 火になり駈付けた消防ポンプも水を出し始めましたので、私の家は焼けないと人々がいい出しましたので、光明如来様の御力に感銘し神様への信念を一層深くい たしました。細い路をへだてて向う三軒が失われた事に対しては、ただお気の毒でなりません。この間僅か四、五十分全く夢のようでした。再び人手を借りて荷 物を家の中へ入れて頂き、幸い失くなった物もなく、総てが終り手伝って下さった人々の話がただ「不思議だった、不思議だった」と言う言葉のみ交わされましたが、私はこの人達に知らせる適当な言葉が見当りませんでした。この人達の心がまだ落付いていなかったからです。しかし間もなくこの多くの人達がこの尊い お力によって次々救われて行く日の近い事を信じております。猛火より救われた私ども一家の喜びを御想像下さい。