「精神病が全快す――人生を取戻した復員者――」

愛媛県温泉郡I.H

私は昭和二十二年六月復員致しましたが、約三年半の南方生活で身体は弱り、頭髪は薄くなって我家に帰りましても元気なく毎日ぶらぶら何一つせずおりまし たが、不眠が続き、食欲は無く頭がぼんやりと成り不愉快な気持で過している中、頭は益々重く成り、判断も正確を欠き考え事は出来なくなり一日一日気が遠く 成って行くように感じました。

一人で海岸へ出て見たり眠れなくて真夜中に月を眺めて坐っていたり苦しみ続け「もう自分は駄目だ、死んだ方がましだ」と思った事も有りましたその末にある日家業を手伝っておりました時頭がたまらなくなりのぼせ上ってしまいました。

それからは周囲をみても何が何だか解らないようになり一つところに坐っている事も出来ず家中ぐるぐる廻り、外へ出ては一つ路を行ったり来たりするばかりで自分の気持は今にも気狂いになるように思いました。私は両親に「私は今日か明日か気が狂ってしまうから早く何とかして下さい」と言いその夜は嘔吐し気分は極度に悪く、もだえ苦しみ両親は心配して薬を呑ませてくれましたが、何の効果もありません。

私は脳病院に行けば治るものと思い両親に伴われて入院致しました。病院では精神に異常はないが考えることがまとまらない病気だ、といわれとうとう軽い程度の精神病者の室に一人入る事になりました。そして「良くなるまではこの部屋からは絶対出てはいけない話しもいけない、寝台に寝ているか窓から外を眺める程度なればよい」と言われました。その通りしておりましたが、一人でいると苦痛と不安に益々神経が尖ってたまらなくなり部屋を飛び出し、看護員のところまで行った事も幾度もありました。仕舞には部屋を出ては養生にならぬから戸を締め鍵をされその中で我慢しなさいと言われ、苦痛を我慢して一カ月過ぎました。

その間約半月は服薬し後半月は電気にかかって養生致しました。不眠の為身体は極度に衰弱し少しも良くなりません、特に電気にかかる時が恐ろしいのです。それは電気にかかると人事不省になり何時間か全然判らなくなるのです、結局退院することに致しました。我家に帰りましても近所の人々も心配して下さいましたが、私は話をするのも厭で一口だけ言った後は逃げるようにしておりました。私の話は一つ事を何回も言っておりすでに精神病となっていたのです。

その時母より北條町に胡田先生と言われる方がおられ何の病気でも治すとの事で今日お願いに行って見なさいと言われ早速胡田先生に浄霊をして戴きに参りました。その時の私は歩いていても夢のような気持で人から言われた事を漸く判断する程でした。

五日目の浄霊をして戴いて帰りますと後頭部が何か崖崩れでもしたように何か下に降ったように思いましたと同時に苦しかった頭が非常に楽になり判断がはっきりして来ました。先生にこの事を話しますとそれは頭に溜っていた毒素が溶けて降ったので楽に成ったのですと言われました。

それから一生懸命に続けましたところ尿は濁り鼻痰、下痢等続いて一日一日快方に向い、一カ月半後には全然出来なかった仕事も出来るように成りました。次々と浄化を戴きまして痰や鼻が沢山に出て又下痢も四カ月間位続き内一カ月は一番多くて毎日続きました。浄化が終った後は食欲は進み熟睡するようになり頭ははっきりとし体は丈夫になりました。私は精神病で一生を終るところで御ざいましたが、有難い観音様のお力に救って戴きました。

この嬉しさはとうてい筆や言葉では表す事は出来ません。教修を受けさせて戴き観音様の御用の御手伝いをさせて戴き御恩の万分の一にも御報いさせて戴かねばと胡田先生にお願いしてお手伝させて戴いております。

世間には私の様な病気で苦しんでおられる方が沢山おられる事と思います。一日も早くお観音様にお縋りして浄霊をお受けする事をお祈り致します。私の家庭も父が一度目はもう駄目かと思うような呼吸の苦しい病気になりましたが御蔭を戴きました。

又弟も頭が悪く苦しんでおりましたが、胡田先生の御指導を戴きましてお蔭を戴いております。父の二度目の浄化も終りまして今では元気で家業に励んでおります。家中教修を戴き光明如来様を御祭りさせて戴きました。

私の病気以来暗い家庭となっておりましたが胡田先生の御指導により明るい家庭にならせて頂き毎日感謝の日を送っております。