『はしがき』

自観叢書第9篇、昭和24(1949)年12月30日発行

これは私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵(まこと)に平凡で世間ありふれた経歴で、おもしろくないから書かない事にしたのである。それが三十八歳の時私は運命の一大転換に逢着した。それからが波瀾万丈の生活が始まったのである。ある時は高山へ登りある時は谷底へ転落したというような経路を経つつ、あらゆる人生の苦悩を嘗(な)め尽して来たのである。とはいうものの三十八歳は私の第二の誕生でもあった。それからは予期しなかった信仰生活に入り、初めて私に課せられたる天の使命を知ったのである。宗教人となってから苦悩の大きい代り、また実に欣喜雀躍する程の喜びもあり、全く文字通り悲喜交々(こもごも)の人生を経て来た訳である。もちろん神幽現三界にわたり神仏の存在、生と死の本義や、過現未にわたる世界の動向、人生の意義等々、何人も窺知(きち)し得なかったところの彼の釈尊が七十二歳にして到達し得たところのいわゆる見真実の域にまで達したのである。この喜びはいかばかりであったであろう。ちょうど達磨が面壁九年八月十五夜の満月を仰いで悟道に徹したという歓喜に勝るとも劣らないと思ったのである。

由来一宗の開祖たる人は、昔から非常に奇蹟に富んだ事は普(あまね)く人の知るところであるが私も同様幽玄にして神秘極まる奇蹟の生活を続けつつ今日に至っている。今一つ特に言いたい事は、文献等による今日までの宗祖開祖に比し、私というもののすべてが余程変っている。その中の著しい点は、私の生活態度は凡人と少しも変った所がない事で、これは人からもよく言われるのである。そのように私は常に常識をモットーとし、奇矯な言動は極力嫌うためでもあろう。また私ほど多角性のものもないと思う。私は宗教家でありながら、政治、経済、芸術、教育、美術等々ほとんど人生百般のものに、趣味と関心をもっていないものはないと言ってもよかろう。この事は実に多幸とも思っている。これは私として常に神に感謝しているところである。

以上のごとき、私がたどって来た奇蹟に富める活歴史をこれから書こうとするのであるが出来るだけ興味に富めるものを主として記事を進めるつもりである。