『精神病』

自観叢書第9篇、昭和24(1949)年12月30日発行

十七歳の女学生の精神病を扱った事がある。これは非常に暴れ、ある時は裸体となって乱暴する。その際三人くらいの男子でなくては制えられない程の力である。また大いに威張り母親を叱りつける事がある。しかるにこの原因は左のごときものである事が判った。すなわち娘の父は数年前没し、現在は母親のみであったがその母親は、数ケ月前ある宗派神道の信者となったので、祖霊を祀り替え、仏壇や位牌を処分した。それがため父の死霊が立腹したのが動機となった。ところが父のまだ生きている頃、その家は仙台から東京へ移転したが、元の邸宅を売却し邸内に古くから祀ってあった稲荷をそのまま残したので、買主は稲荷の祠を処分してしまったため、その狐霊が立腹し、上京した父に憑依し父は精神病となりついに死亡した。このような訳で、父親の霊と稲荷の霊との二つが娘に憑依したためであった。故に発作時父親の霊は母親を叱り、狐霊は常軌を失わせるといったような具合であったが、私の治療によって全快し、その後結婚し、今日は二児の母となり、なんら普通人と異ならないのである。

右のごとく古くからある稲荷を処分した事によって、精神病になる場合が非常に多いのである。今一つおもしろい例をかいてみよう。これは、二十歳の青年で、大方治癒した頃私の家で使用した。いつも庭の仕事などやらしていたが、私の命令に対し狐霊が邪魔するのである。例えばある場所の草を全部刈れと命じ、暫くして行ってみると一部だけが残っている。私は、「なぜ全部刈らないか」と訊くと、「先生が「そこだけ残せ」と言われました」という。私は、「そんな筈はない。それでは「一部残せ」と言った時、私の姿が見えたか」と訊くと、「見えないで、声だけ聞こえました」と言うので、私は、「それは狐が私の声色を使うのだから、以後注意せよ」と言ったが、直に忘れて右のような事がしばしばあった。