『化人形』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

以前私が扱った化人形という面白い話がある。ある時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困っているから解決して貰いたい。」と言うのである。私も好奇心に駈られともかく行く事にした。その当時私は東京に住み霊的研究熱に燃えていた時なので、早速友人と同行して赴いた。所は深川の某所で、その家の二階の一室に通された。見ると正面に等身大の阿亀(おかめ)の人形が立っている。実に見事な作で余程の名人が作ったものらしい。年代は徳川中期らしく十二単衣を着、片手に中啓(ちゅうけい)を翳した舞姿である。家人の話では、

「連日夜中の、世間が寝静った頃になると、中啓の骨の間からニタニタと笑う顔が透けて見えるかと思うと歩き初め、その家の主人の寝所に来、腹の上に馬乗りになって首を締めるのである。そのような訳で転々と持主が代る。」――というような話を聞き私の興味は頂点に達した。早速阿亀の前に端座瞑目して祝詞を奏上し神助を乞い、人形に憑依せる霊が自分に憑依するよう祈願した。すると忽ち私に憑依したらしく、急に私は悲哀感に襲われ落涙しそうである。直ちにその家を辞し家に帰り、翌朝例のM夫人を招いた。直ちに昨夜より私に憑依せる人形の霊に

「前にいる婦人に憑り、化ける理由や目的を語れ」といったので、早速霊は霊媒に憑依したその語るところは左のごときものである。

「自分は約四十年前、京都の某女郎屋の女郎であったが、その家の主人と恋仲となり、それが妻女に知れたため、大いに立腹した妻女は自分を虐(いじ)め始めた。それだけならいいが、ついには当の主人までが自分に対し迫害をするようになったので、口惜しさの余り投身自殺したのである。人形は客から貰ったもので、非常に愛玩していたので、一旦地獄で修行していたが我慢しきれず、怨みを晴らそうとして地獄から抜け出し以前の女郎屋へ行ってみると、主人夫婦はすでに死亡していたので、その怨恨を晴らす由もなく、その代わりとして縁もゆかりもない人形の持主になる主人を苦しめ怨みを晴らそうとした。」――というのである。これは現界人が聞くと不思議に思うが、常識からいえば怨みを晴らすべき相手がいなければそれで諦めるべきで、他人に怨みを持って行くという事は理屈に合わない話だが、このように霊の性格は現界人とちがう事を、私はしばしば経験したのである。というのは霊が一旦何らかに執着心を起すと、それを思い反す事がなく、一本調子に進む癖がある。話は続く、

「自分の本名は荒井サクといい、生前京都の妻恋稲荷の熱心な信者であったが、自分は怨みを晴すについて狐の助力を懇請(こんせい)したところ、その稲荷の弟狐とその情婦である女狐との二狐霊が協力する事を誓い、援助する事になったので、人形の化けたのは右の狐霊の仕業である事が判った。

いつも荒井サクの霊が憑る前、M夫人の眼には見えるのである。夫人が、

“今サクさんが来ましたよ”というので

「どんな姿か?」ときくと

“鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)を沢山頭に挿し、うちかけを着て隣へ座りました。”という。またこういう事もあった。私は霊友に右の話をしたところ「自分も一度霊査してみたい」と云うので、十人位の人を集め心霊研究会のような会をした。その時右の友人がM夫人に対し霊査法を行ないながら、侮辱するような事を言ったので狐霊は立腹し、いわく、「へン馬鹿にしなさんな、これでも妾(わたし)は元京都の祇園で、何々屋の何子といった売れっ子の姐さんでしたからね、その時の妾の粋な姿をお目にかけよう」と言いながらいきなり立って棲(つま)をとり、娜(しな)を作りながら座敷中あちらこちらと歩くのである。私は「モウよい、解ったから座りなさい」と言って座らせ、覚醒さした。M夫人に質(き)けば「何にも知らなかった」と言う。覚醒するや私に対(むか)って「今ここに狐が二匹おりますが、先生に見えますか」というので、私は「見えないが、どんな狐か?」と訊くと、「一方は黄色で一方は白で本当の狐位の大きさで、ここに座っている」というかと思うと「アレ狐は今人形の中へ入りました」というので「人形のどこか」と訊くと、「腹の中央にキチンと座って、こっちを見て笑っている」と言うのである。私は実に霊の作用なるものは不思議極まるものと、つくづく思った。

それなら私は、狐霊とサクの霊とを分離し狐霊は古巣へ帰らせ、サクを極楽へ救うべく努力しついに成功したのであるが、その期間中の参考になる点をかいてみよう。ある時M夫人を前にして私は小声で、「サクさん御憑りを願います。」というとM夫人は合掌した手がピリリッと慄えたが、これは霊の憑依した印である。種々の問答の後覚醒するやM夫人いわく、「サクさんが今日来た時は襠裳(うちかけ)を着、鼈甲の簪を沢山髪に飾り、花魁姿でよく見えた。」というのである。またこういう事があった。私がサクと問答していると言葉が野卑になり態度もちがうので、

「誰か」と訊くと“自分は狐だ”という。私は「お前は用がないから引込んで、サクさんと入れ替れ。」というと、今度はサクの霊になるという具合で、人間と狐と交互に憑依するのである。そうこうするうち狐は“京都へ帰る”と言い出し狐の要求をを快く満たしてやったので、ついに満足して帰った。サクの霊は私の家の仏壇に祀り、今でもそのまま祀ってある。かくして化人形問題は解決したのである。

次に前項広吉の霊が憑いて病気になった娘は一旦は快くなったが、一年位経てついに死亡したのであった。死後一ヶ月位経った時不思議な事が起こった。それは右の娘の兄に当る者で非常に大酒呑みがあったが、ある一日部屋に座していると、数尺先に朦朧として紫の煙のごときものが徐々として下降するのが見えた。するとその紫煙上に人間のごときものが立っている。よく見ると死んだ妹が十二単衣のごときものを着し、美々しき装いをなし、その崇高き風貌は絵に書いた天人のごとくである。と思うかとみれば娘は口を開き、「私は兄さんに酒を廃めて貰いたい事をお願いに来た。」というのである。語り終わるや徐々として上昇し消えたという事である。そのような事がその後一回あり、次いで三回目の時であった。その時は例のごとく紫雲が下降し、その上に朱塗りの楷〔階〕(きざはし)が見え、その橋を静かに渡って来た妹は、「今日は最後に禁酒を奨めるために来たので、神様の御許しは今回限りである。」といい、それ限りそういう事はなかった。

この兄は、平常から信仰心などは更になく、もちろん霊的知識などは皆無という人物であったから、潜在意識などありようはずはないから、確実性があり、霊的資料として大いに価値があると思うのである。

因みに右の娘は全く天国に救われたのはもちろんで、私は信仰生活に入って間もない頃であったから、年若き肺病の娘などを短時日に天国へ救う事が出来たという事実に対し、神の恩恵の厚きに感謝したのである。