『狐霊と老婆』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

私が実験した多くの中での傑作を一つ書いてみよう。これは五十余歳の老婆で、狐霊が二、三十匹憑依しており、狐霊は常に種々の方法をもって老婆を苦しめる。それで私の家へ逗留させて霊的治療を施したのである。その間五六ケ月位であったが、この老婆は狐の喋舌(しゃべ)る事が判ると共にまた狐の喋舌るそのままが老婆の口から出るのである。ある日老婆いわく、「先生、狐の奴が“今日はこの婆を殺すからそう思え、今心臓を止めてしまう”というと、私の心臓の下へ入り掻き廻しているので、痛くて息が止まりそうで直に死ぬから、その前に家族に遇いたいから呼んで貰いたい。」と苦しみながら言うので、私も驚いて、急ぎ電話で招び寄せた。老婆の夫君初め五六人の家族が、老婆を取り巻いて、死の直前のごとき愁歎場が現出した。しかるに時間の経つに従い、漸次苦痛は薄らぎ、二三時間後には全く平常通りとなったので、家族も安心して引揚げたという訳でマンマと一杯食わされたのである。その後二三回同様の事があったが、私も懲りて騙されなかった。

ある日の夕方老婆いわく「先生、今朝狐の奴が“今日はこの婆の小便を止めてしまう”といった所、それきり小便が出ない。」というので、私は膀胱の辺りへ霊の放射をした所、間もなく尿が出、平常のごとくになった。またある日老婆いわく、「この頃食事中狐が“モウ飯を食わせない”というと胸の辺りでつかえて、どうしても食物が人らない。」というので私は、「それじゃ私と一緒に喰べなさい。」といって一緒に膳に向かい、共に食事をした所、果して「今狐が食わせないといいます、アヽもう飯が通りません。」という。早速私は飯に霊を入れ、また老婆の食道のあたりへ霊射をすると、すぐに喰べられるようになったがその後はそういう事は無かった。また私が治療を行う時、首の付根、腋の下等を指頭をもって探ると、豆粒大の塊が幾つもあるので、それを一々指頭をあて霊射すると、その一つ一つが狐霊で、その度毎に狐霊は悲鳴を上げ、老婆の口をかりていわく「アッいけねえ、見つかっちゃった。アア苦しい、痛い、助けてくれ 今出る今出る。」というような具合で、一つ一つ出てゆく。その数およそ二三十位はあったであろう。

ある朝早く、私の寝ている部屋の方へ向かって廊下伝いに血相変えて老婆が来るので、家人は私を起こし、注意を与えてくれた。私は飛起きてみると、今しも老婆は異様な眼付をし片手を後へ廻し何か持っているらしく、私にジリジリ迫って来る、私は飛付いて隠している手を握ると煙管を持っているので、「何をするか。」と言うと「先生を殴りに来たんだ。」――という。私は抱えるようにして老婆の部屋へ連れ行き、そこへ坐らせ、前頭部に向かって霊射する。と、前頭部には多くの狐霊がいたとみえ、狐霊等声を揃えて“サァー大変だ大変だみんな逃げろ逃げろ、アア堪らねえ、痛てえ、苦しい”というので、私は可笑しさを堪え、数十分治療すると、平常のごとくなったのである。またある日老婆は私に向かって「先生姜(わたし)には頭がありますか?」と質(き)く、私は頭へ触りながら「この通りチャントあるじゃないか。」というと、老婆は「実は狐の奴が“今日は婆の頭を溶かしてしまう”というので、妾は心配でならないのです。」という。この事以来常に手鏡を持って、映る自分の頭をみつめている。訊ねると、「狐に溶されるのが心配で、鏡が放せない。」という。

「そんな馬鹿な事はない。」と私は何回言っても信じないので困ったのであった。以上のごとき種々の症状はあっても、他は別に変っていない。もちろん精神病者でもない。従って、「貴女は正気の気狂だ。」と私はよく言ってやった。しからばこの原因は何であるかというと、この老婆は前世において女郎屋の主婦のごときもので、多くの若い女を使って稼がしたが、それら若い女の職業が客を騙す狐のごとき事をさせたため、霊界に往って畜生道に墜ち狐霊となったもので、その原因が老婆にあるから怨んだ揚句、老婆に憑依し悩ましつつ復讐を行っている訳である。この意味によって現世における職業、たとえば遊女は狐、芸妓は猫、というように、相応の運命に墜ちるのである。従って人間はどうしても人間としてはずかしからぬ行為をなすべきである。