『憑依霊の種々相』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

その頃小山某なる三十歳位の青年があった。この男も霊媒として優秀なる資格者であった。この男は大酒呑みで酔うと精神喪失者同様、物の見境もなく、一文の金も持たずして近所の酒屋を一軒一軒飲み廻るのであるが、その尻拭いを親父がいつも、させられるという訳で、その悪癖を治して貰いたいと頼みに来たのが動機であったが、おもしろい事にはその男に種々の憑霊現象が起り、私に価値ある霊的資料を提供してくれたのである。その中の興味あるものを選んでかいてみる。

ある日憑依した霊は数ケ月前死亡した近所の酒屋の親父で、非常に角力が好きであったとみえ、憑霊するや肘を張り、四股を踏み、「サア、どいつでも掛って来い。俺に敵うものはあるまい」といって威張るのである。私の家の書生は癪に触って打(ぶ)つかってゆくとたちまちに投飛ばされて肱(ひじ)の関節を折られ治癒に一年以上かかったのである。ある時は屈強の男が三人掛りでやっと抑えつけた事もあった。

またある日の事である。老人のごとき霊が憑依したので、聞いた所、「俺はこの肉体の伯父に当たる者で、埼玉県の百姓であるが、俺は酒が好きで堪らないからこの肉体に憑いて酒を飲むんだ」といい酒を要求するのである。私は、「酒を飲ませるからこの肉体を出るか?」と言うと「ジャア、なるたけ大きいので一杯呑ましてくれろ、そうすればすぐ出る」と言うので、その通りしてやった所彼は、「もう一杯」という。またその通りしてやると「また一杯」と言い、都合三杯飲んで肉体を去ったのである。この霊が最初憑った時部屋中を見廻し、怪訝な顔をしていた。私は質(たず)ねたところ、彼は「ここはどこだんベ」と言う。私は、「東京の大森というところの私の住宅である」と言ったところ、「俺がいる彼世(あのよ)とは余程異うなア」と言い、「煙草が喫みたい」というので巻煙草を与ると、「こんな煙草はいけねえ。煙管(キセル)で吸いてい」というのでその通りしてやると、彼はヤオラ腰を上げたが、その姿は老人そのままである。やがて縁側へ出て庭を見廻しながら、うまそうに煙草を喫んでいる。私は聞いた。「彼世には煙草はありますか?」と言うと、「煙草もねえし、銭もねェので喫む訳に行かねえがら、人間の身体に入ェって喫むんだよ」という。「なる程――」と私は思った。

右の老人が出ると入れ替ってまた何かが憑依したらしくすこぶる慎ましやかな態度である。聞いたところ「妾(わたし)は近くの煙草屋の娘で○○という。今から二月ばかり前に死んだものですが、竹ちゃんが好きだったので(この男の名は竹ちゃんという)今晩来たのです。」というので、「何か用がありますか?」と訊くと、「喉が涸(かわ)いて堪らないから水を一杯頂戴したい」というので私は、「まだ新仏であるあなたは毎日水を上げてもらうんでしょう」というと「ハイ、上げてはもらいますが呑めないのです」というので私は不思議に思い、再び訊ねたところ、彼女いわく「水を上げる人が私に呑ませたい気持などはなく、ただ仕方なしお役で上げるのでそういう想念で上げたものは呑めないのです。」との事で、「なる程霊界は想念の世界」という事が判った。故に仏壇へ飲食を上げる場合、女中などにやらしたり、自分であってもお義理的に上げるのでは、何にもならない事が判った。彼女の霊に水を呑ませると、うまそうに都合三杯のんだのである。