『慢性頭痛持』

「アメリカを救う」昭和28(1953)年1月1日発行

これはさきにかいたごとく、現代人は薬を無暗(むやみ)に入れる事と、頭脳を使用する事が多いため、頭部を中心にその付近に固結した毒素が、浄化によって発熱と共に溶解し出ようとして、神経を刺戟するためである。というように痛みは治る作用であるから、薬さえ廃(や)めて辛抱すれば、長くは掛るが漸次的に治るものである。

御蔭話(慢性頭痛持)

(1)千葉県N・S

昭和二三年四月一六日、春とはいえうすら寒い雨の日、当時日本観音教T会Y支部と言っていた頃、入信の光栄に浴した一農婦でございます。
入信後数知れぬ御守護を戴きつつも、思う事の万分の一も筆や口にて言い表わす事の出来ない愚かな者でございます。唯ありのまま二、三御報告させて頂き、明主様に御礼申し上げ度く存じ、謹んで一筆御判読御願い申し上げ度うございます。

以前から義妹が入信して居りましたので、常々私の頭痛の苦しい様子を見ては「姉さんも入信しなさい。きっとなおるから」と何度も奨められましたが、何故かその気になれず、頭痛のために日夜苦しんで居ましたが、丁度春の養蚕のとき、あまり毎日頭痛の連続で、いくらノーシンでもハレヤカでもうちっともなおらなくて、食事は勿論入らず、吐き気がひどくなり、静かに床に入り、頭痛薬をのんでねる事がその当時の唯一の気休めだったのです。但し幾日経ってもちっとも楽にならないので、或日、近くの寺で運命等を見る処がありますので、そこへ行って見てもらいましたら、「子宮と卵巣がはれているのだから、常に下腹部を温めて居るように」との言葉でした。しかし農家の嫁の事とて、その当時は乳児はあるし、農事に、養蚕に、子供や洗濯と追われ、一日とてそんな事をして居られず、苦しい時を幾度か過して参りました。しかし何とかして治る方法はないものかと、いろいろな薬をのみましたが、苦痛はつのるばかりでした。妹は又もや入信をすすめますので、私は「この頭痛が本当になおるのかしら」と、うたがいつつも聞いてみましたら「必ずなおるから」と、熱心に申しますので、私のような無学な者が入信させて頂いても務まるかどうか?・・・・信仰というものを知らない私は、インテリ的なかた苦しい世界と思っていましたが、納得して妹に連れられておそるおそるY支部へ行き、二日間の御教修の御話をいろいろと有難く拝聴いたし、三日目の御教修にははるばる鎌倉から御来訪下さいました○先生の御指導を仰ぎ、有難い御守様を御下げいただきました。鳴呼その時の感激・・・・そのとたんに頭の中がスーッと軽くなったような気持でした。その後いろいろの御浄化を戴きまして、その度毎に軽くさせて頂きまして、今年になってからは殆ど頭痛を忘れた人間の様に健康で、何物にも代えがたい幸福に浸って居ります。入信後は支部へお詣りしてお話をうかがうのが何よりの楽しみとなってしまいました。帰宅後は主人と野良仕事の合間等に、F先生から伺って来るいろいろなお話を主人に話しかけ、その度毎にお互に感激し、同年一二月二九日に主人も入信の光栄に浴しましたので御座います。そのときの私の喜びは本当にうれしくて、涙がとめどなく流れるのをどうすることも出来ませんでした。これからは夫婦手をたずさえて、唯一すじにお縋りして、御道の中に生きて行く決心を致しました。それから後というものは、姑の私に対する態度も一変し、何かにつけてもいままでの日常とは違い、何かしら家庭の中に和気が張り、不思議な程に仕事が楽しく、働き甲斐があるような幸福感に、一家楽しく食糧増産に邁進させていただいています。翌年四月に御屏風観音様を、七月一六日には光明如来様を御奉斎させて頂きました。その後姑も風邪引の御浄化の折に入信させて頂きましたが、父がまだですので、何とかして入信してもらい度いと念願していますが、中々今の処頑固一徹で困ります。四人の子供達も御蔭様にて皆健康体で、近所の人から羨まれる程で、朝夕の御礼拝も自発的に思い思いにして居ります。
明主様有難うございました。真心から感謝の祈りを捧げつつ!! (昭和二六年一〇月二一日)

(2)福岡県0・H

謹んで日々の御守護の御礼を申し上げます。
私は五月一六日に、有難き御守様を拝受した一信者で御座いますが、入信動機の御報告かたがた入信の御礼を申し述べさせて頂きます。
昭和一五年頃より過度の頭痛に悩み、その度毎にノーシンを服用、一時はよいが更に又悪化するといった工合に、一日もノーシンを懐に忘れた事はありませんでした。一時は自殺をしようかと思った事もある程でした。

只今は鞍手郡M町のK炭坑に寮の炊事係として勤務して居りますが、四月六日に小倉のA氏の息女と結婚致しまして、妻よりこの御道の有難い事を聞きましたが、最初はなかなか信じられず、妻は既に入信して居りましたので半信半疑乍らも御浄霊を頂く内に、何となくスーッと気持がよくなり、僅か四、五日のうちにあれ程執拗な頭痛症がとってのけた様に軽くなり、最近では顔色もすっかり変り、全くどすぐろがかった顔色も艶が出てまいりました。そして毎日の仕事が愉快に出来る様にならせて頂きました。

早速入信の御許を得まして五月一四日、一五日、一六日と支部のH先生に遠路はるばる御越を頂き、お守様を拝受させて頂きました。
私の如き罪多き者に迄あの難症を癒して頂いたばかりでなく、救世の御手伝をさせて頂く事は本当に身に余る光栄と有難く感謝して居ります。
この上は世の悩める多くの人々をお救いさせて頂き、地上天国建設の御聖業の万分の一でも御手伝させて頂き度くかたく御誓い申し上げますと共に、今後の御守護の程伏して御願い申し上げます。
明主様重ねてあつく御礼申し上げます。有難うございました。(昭和二七年五月二五日)

(3)岐阜県K・T

昭和二五年五月中旬より神経痛にて手足が痛み、にんにく灸に二ヵ月余り通いましたが大た効果も得られず、頭も重く体がはっきり致さず困っておりました折も折、八月七日午前四時頃突然鼻血が出まして、それよりぱたり床についてしまい、体は寒くてがたがたふるえますし、顔はサッと血のひく思で約四〇分間少しの休むまもなく出まして、この時はもう駄目かと思った程で御座いました。それより一週間のうち四回に亘り鼻血が出まして、一寸した物音も苦になり、暗い静かな室で休まねば尚体にひびくという、未だかつてない苦しみを味わい、その時は未だこの有難いお道を存じませんでしたので、転々と医師を変えましたが良くならず、来る日も来る日も深い谷底へつき落されたような日を送っておりました。三ヵ月というものは一日三貫目ずつ氷で後頭部をひやしつづけ、その後はずっと水枕で休んでおりました。一寸散歩が出来るようになったと思えぱ又悪くなり、医師に尋ねても病名もはっきり致さず、只「神経だ、神経だ」と頼りない言葉にて、苦しみの日を送っておりますうち、昨年の七月二〇日頃より、H先生のお母様にこの有難い御浄霊をいただきますようになり、それより大変楽にさせていただきました。

あの炎天下も厭わず四〇日の間、休む日もなく御足労下さいましたH先生のお母様のお心に、只々有難さいっぱいで言葉も御座いません。そして七月ニ八日に、一ヵ年余り胃腸で苦しんでいた娘(二〇歳)が入信させて戴き、私も一〇月一二日に入信、母娘共に喜んで居ります。どうしてもとることの出来なかった水枕も、浄霊をいただきますうちに九月にははずすことが出きまして、少しずつ床を離れることが出来るようになり、初めて杖にすがってH先生のところへお礼詣りをさせていただきましたあの九月二日の嬉しさは、終生忘れることの出来ない喜びで御座います。
明主様本当に有難う御座いました。

日々薬にさせていただき、暗かった家の中も大変明るくなり、何につけましても御蔭御蔭と感謝の気持が自から湧きいで、有難い気持で日々を送らせていただいております。
一〇月の三一日明主様が名古屋へおいで遊ばしました時、H先生のお母様に連れて行っていただき、お参りさせていただきましたが、半月程前から肩が重く、手足も痛み、気分がすぐれませんでしたのに、何と有難い事でしょう、この時すっかり荷をおろしたように体が軽くなり、楽にしていただきました。

こうした数々の御利益をいただき、あの過ぎ去りし入院当時の苦悩が夢の如くに感ぜられ、只々有難い気持でいっぱいで御座います。
明主様誠に有難う御座いました。謹んで厚く御礼申し上げます。(昭和二七年一月二六日)