『脱腸』

「アメリカを救う」昭和28(1953)年1月1日発行

これは小児に多いが、稀には老人にもある。原因は腹部に遺伝薬毒が固まったもので、それが腸を圧迫するため下垂するので、これを治すには本教浄霊なら簡単だが、現代医学では、内部の毒素を除去する方法がないから、手術による外はあるまい。

御蔭話(脱腸)

(1)兵庫県N.T

昭和二五年九月お道に入信させて頂き、日毎感謝で過させて頂いて居る私で御座います。お救いのお力までも戴きまして、只有難さで一杯で御座います。左記拙文なれども二、三御報告御礼申し上げます。

私の長女(三歳)は脱腸にて今迄にも脱腸帯を四回も取り替える始末、その果ては脱腸帯にて幼児の腰に擦傷が出来、これが腫れると医師は「温めよ」「いや湿布せよ」と日夜気の休まる事とてなく、その後脱腸帯を取ると一段と大変な心配です。泣けば出る、腸が出ると子供は火の付いた如く泣き、時間をも構わず医院へ駈込む有様でした。

丁度昭和二五年八月中頃、隣のA様にまいりました処、見知らない方が御主人の前後より右手を前に差伸べてかざして居られるので、家の人に尋ねますと「どんな病気でも楽になり、治るのだ」との事、私は面白い神様だ、世相も変れば何とやら、実の処一笑に付しその場を去りましたが、家に帰り子供の顔を見るや、「そうだ、体に手も触れず治るとは、もしインチキにしても子供に何の障りとてなき事、又事実お蔭を頂けるとしたら私の最大の悩み苦労も解決するのだ」と、早速子供を連れてA様に伺いましたらK先生(施術者)が手を休めた処でしたので、色々とお尋ね致しましたら「この御浄霊は御心配無用です。おすがりしなさい。意味は解らなくともしばらく続けている間に、何か目に見えますから」と言われるままに御浄霊を受けて居りましたら日一日と心配は薄らぎ、一カ月も経たないうのに脱腸は出なくなり、私自身も浄霊をお受けし、心持のすがすがしさに信仰を持たない平凡な自分にも何か心を打つものがあり、早速S教会Y先生より教修を受けてより、一年を顧みて、急性大腸カタル、男児出産の折等々、数々の御守護と御恵に御屏風観音様も奉斎させて頂き、御浄霊の尊さは、今尚一層深く味あわせて頂きました。明主様の尊き御恵に御礼の申し様とてなく、またY先生、B先生の御指導の賜物と深く感謝致して居ります。明主様有難う御座いました。(昭和二六年一〇月八日)

(2)福岡県N・Y

私は昭和二三年七月子供の脱腸の為入信さして戴きました。その後も数知れぬ御守護を戴き、毎日を幸福に暮さして戴いている者でございます。長女H(四歳)は生後四五日目から脱腸が始りました。はじめの中は痛みもなく別に気にも止めませんでしたが、泣く度に、力を入れますとだんだんと大きく出て来ます。後には両方共出るるうになりました。驚いて医者に診せますと、「何としても赤ん坊の事とて手術も出来ず、適薬とてもなく脱腸帯より外に致方ない」との事でした。これとて両方共同時に押えるものはなく、片方を押えれば別の片方が出るという工合で大変困って居りました。

何うしたものかと毎日思案にくれて居りました処、或人から、「S町に何の病気でも治して下さる神様があるから、是非一度お詣りされては」と勧められ、S町の分教会にお参り致しました。先生から色々とお話をお伺い致しまして、「脱腸でも治ります」との力強いお言葉でしたので、早速御守様を頂き、御浄霊をお願いすると共に自宅でも浄霊して居りましたが、痛みのない丈に、中々治りそうにも思えませんでした。

その内に光明如来様を御奉斎さして戴きました処、それから丁度三カ月目には完全に治ってしまい、今ではどんなに力を入れても出る様な事はありません。その後お蔭様で子供は病気らしい病気もなく、生まれてから注射一本だけ、それも予防注射した丈で、外には薬をのんだ事も御座いません。毎日元気一ぱいに遊んで居ります。ああ!あの時にお救い戴いていなかったなら、今頃はどんなに苦しんで居た事だろうかと思えば、現在の幸福な身が有難くてたまりません。明主様有難う御座いました。厚く御礼申し上げます。(昭和二六年八月一一日)

(3)兵庫県H・K

明主様、入信以来数多くの御利益を戴きまして感謝の日々を過さして戴いて居ります。御礼の言葉も申し遅れて申訳ない次第乍ら、今日は拙文をも顧みず、謹みて御礼御報告させて戴きます。

私達は子宝に恵まれて居りますが、皆身体が弱く、特に本年四歳のKは脱腸の為、半日位はお腹が痛いと泣き通し、医者に行けば「直ぐ手術せよ」と言われ、「それでは命に別条無いか」と問えば「幼少の子だから請合えぬ」と言われ、又家が貧しいために何時も冷く取扱われて居りましたので、人がいいと言う神様に参詣や御百度参り等、色々信仰も致しましたが快くならず、二年間程は泣く子を抱えて苦しみ通しました。

その時にある方の奨めにまって、神戸R町のA様宅の教会で御浄霊を御受けする事になりましたが、一〇日程続けるうち又脱腸が痛むと泣き出しましたので、御浄霊でも快くしていただけないのかと思いましたが、その日『栄光』新聞を戴きまして「帰って家でよくお読みなさい」と言われましたので、泣く子をさておき一心に読ませて戴きます中に、明主様の御霊徳の宏大無辺を教えられて思わず「明主様、どうぞ子供を御救い下さい」と心に念じさして戴いて居りました処、私の頭から足の先まで電気に触れた様になり、側の子供も同じ様な状態で無心な小さい掌を合わせて居りました。そうして暫くしてすやすやと眠り始めましたが、見ればあんなに泣き苦しんでいた脱腸もどこへやら、ちゃんと治って居るではありませんか。夢の様な事実にびっくり致しましたが、やがて嬉し涙に「明主様!」と泣き入ったままでした。

その後主人が高い所から落ちまして手が動かなくなり、御浄霊をお受けする際「掌を合わせて御覧」と言われた時も手が上らなかったのに、天津祝詞を奏上して戴きますと、自然に掌があわさり、やがて手も快くして戴きまして主人もこうして神様の御力を知らされ「この神様でなければ私共は教われない」と申しまして、大変熱心になり、三月一八日には一心に念願しておりました有難い御守様を戴き、私も念願叶って五月に拝受さして戴き、日々御守護戴いております。
又一二月には一歳になるMが大浄化を戴き、暮の三〇日には駄目かと思いましたが、熱心な信者様の御浄霊の御協力も得まして、一心に「明主様」と御念じさして戴きまして、又しても奇蹟的に快くして戴き、今では元気に過さして戴いて居ります。

未入信で、しかも明主様や神様の御霊徳を何にも知らぬ幼い無心の子供にすら深いお恵と御守護戴き、入信後は今迄諦めていた子供の命を教われ、又日々の御守護に一家明るく何の不安もない日を送らして戴いて居ります。

明主様を白鶴美術館に御迎え致しました時には、嬉しさに思わずおすがりして泣きたい様な気持をこらえて、只土にひれふし、目頭のうるみに御尊顔が見えない位で御座いました。諸先生方の御指導に右も左も解らぬ私達を日々明主様への感謝の明け暮れの生活に導かれました今、罪深い私達をも御救い下さいます明主様の御教を、素直に実行させて頂きまして、どんな事にも御用に立つ決心で御座います。至らぬ者で御座いますが今後共御守護御願い申し上げます。
明主様有難う御座います。(昭和二七年二月二七日)