「線路から無事子供を救助」

御蔭話 茨城県S.K. (昭和二七年一月一〇日)

数限りなき明主様の大愛に包まれ、感謝と喜びに満ち満ちた毎日を送らして頂いて居ります。昨年三月入信させて戴いた者でございます。入信以前より数々の御守護を戴き、又々この度は、眠っている私の信仰を呼びもどして戴いた様な大きな大きな御守護を戴きました。

それは九月一四日の夕方の事でございました。長女M(四歳)の姿が見えません。一人っ子なものですから、私と二人きりではどうしても満足いかないらしく、いつも同じ塀の中にある主人の勤める会社へ行っては、いたずらしながら元気で遊んでいる毎日でした。それに夕方にでもなれば決って「お父ちゃん迎えに行って来るからね」と言っては出て行きますので、その日も別に気にもしないで何時もの様にお風呂へ火を入れていたのですが、何時になくその日に限ってMの事が気になり、気になり出したら何となく胸騒ぎがして、じっとお風呂の火など見ていられなくなりました。急いで会社へ行ってMの安否を尋ねましたら、来ないとの事、慌てて往来へ飛び出しアチコチ探しましたが、見当りません。近所の子供達に尋ねましたら「Tチャンと二人で魚釣りに行くと言って汽車路の方へさっき行った」と申します。六つと四つの子供に魚など釣れる筈がございません。それに線路と聞き、五時二二分のB線の来るのにも間のない時刻、私は夢中でした。

近所の子供達も共に探してくれるとて、駈足で線路へ向いました。勿論私もどうしてそこまで行ったかおぼえて居りません。踏切から上り下りを見ましたら、遥か向うの鉄橋の上に小さな姿が見えます。けれども私はMの上着は赤なのに、どうしてもスカートが赤の様にしか見えません。それでも唯夢中でした。鼓動も止るかと思う程高鳴る胸、気は急いでも進まない足、私は大きな声で「ジッと動かないで」と叫び夢中で汽車の来ない事を明主様に御念じしつつ鉄橋へ急ぎました。行って見て又々ぞっとする程驚かされました。二人共下駄を手に線路を跨いでしがみつき、しかもお尻が川の中へ落ちそうに枕木の間に入り、川には水が一杯に流れ、汽車が来なくても川へ落ちれば命などなかったのです。

子供心にも魚を釣りたい一心で、恐ろしい事も忘れて下駄を持って渡り始めたのでしょう。一足毎に川の流れを見る度に恐ろしくなってしがみついた処だったらしいんです。よくよく二人に言い聞かせながら踏切まで来ました時、ゴーッと物凄い勢で私達の前を汽車が通り過ぎました。

有難い御守護、Mは助かった。思わず私は両手を合わせて子供達が大勢いる事も忘れて涙をボロボロ流しました。あと五分知らなかったらどうなっていたでしょう。何時になく胸騒ぎを感じさせて頂いたのが御守護でした。以前この線路で、やはり三つ位の女の子の轢かれそうな処を見ていたものですから、その感激は一入でした。

家へ帰りましても薄暗くなりかかった夕空を、冷汗と生唾ばかり出る胸をおさえて、縁先へ掛けたきりしばし茫然と眺めるばかりでございました。夕飯の仕度さえ手につかない私でした。この一文を書いている中にも、あの時の事が思い出され、思わずMを見に会社へ行って来ました。汽車の汽笛を聞く度に、まざまざとあの時の事が思い出され、新たな感にうたれ、感謝の日々を送らせて戴いて居ります。私の肺浸潤の御浄化も、A先生始め、皆々様の真心こもれる御浄霊のお蔭で、今ではほとんど苦痛も薄らぎ、軽い咳や痰が少し出る位で、日毎に元気にさせて戴き夢の様な毎日です。

拙い筆や言葉では、あの感激の万分の一も書き表わす事の出来ませんことを残念に思います。

この広大無辺なる御恵を深く感謝しつつ子供と共に戴きました御守護に、厚く御礼申し上げます。明主様有難うございました。