「服毒自殺未遂救われる」

御陰話 宮崎県N. A. (昭和二六年三月二一日)

本年一〇月二九日午後七時頃の出来事で、支部から帰宅の途中、若いアベックと行合い、その会話の端が聞くともなく耳に残り、どうも心配になり、その足で市内都島公園に行き、草原を見ますと、黒服学生風の青年が俯し苦しんでいる様子なのでございます。

最初は酔倒れかと思い、日暮の事で早く帰宅するように話しましたが、黙っていますから、触れてみますと、既に冷たくなっていますが、上半身はひどい痙攣を起しています。抱き起そうとしますと、クタクタになっていて私一人ではどうする事も出来ない状態でした。服のポケットから二冊の本がのぞいていますから、何気なく見ますと、『思想』と『死に到る病』という題字でした。アッ服毒だ!と直感しましたので、上向きに転じて上頭部と腹部を御浄霊さして戴き併せて祝詞を奏上さして戴きました。間もなく嘔吐を始め大量に二回吐き出し上半身を少し動かし、手足も少し動かせるようになり、上衣のポケットからアドルム一箱とカルモチン二箱を出しました。空箱です。確にこれをのんでいます。再びガクリと力抜けた様子なので、御守護を念じつつ、一心に御浄霊さして戴きますと、約一五分位でまた大量に吐き出しました。声も出るようになったらしい。市内H町○○〇と言うI高等学校二年生であることが聞き取れました。

アドルム一○粒とカルモチン六〇粒をのんでいるのです。一応、支部に連れて行こうと思いますが、体は大きくグニャグニャなので支部に走り帰り、Yさんを呼んで来て二人で支部に漸く連れ込み、約二時間御浄霊をさして戴きますと、続け様に黄色の液を吐き続け、洗面器に半分位になり、話も少々出来るようになって参りました。

事件が事件なので警察署に届け市内の日赤病院から医師が来て、御浄霊の結果であることは知らずに、吐いたようですから大丈夫助かりますと、内服薬を置いてかえりました。その中に母親と受持の先生とが駆けつけました。もう何でも話せます。母親は薬をのんだらと医者の置いて行ったのを勧め、手に持ったままオドオドして居ります。私は「もうのまなくてもよいでしょう、これまでになったから見合せたら」と申しますと「そう致しましょう」とそのままに済みました。

翌三〇日には元気になり一人で歩いて帰宅しました。母親の喜びに私もつり込まれました。十二月三日には学校の文化祭に、演劇部員として自分も出演するなど大元気になりました。本人もその家族も大喜びなのは勿論ですが、私には殊更感銘深いものがございます。偉大なる御救の力を現実に見せて戴き、一層信仰を深めさして戴くことが出来ました。

この上は明主様の恩恵に浴し、尚一層この御道に進まさせて頂く覚悟でございます。

明主様、誠に有難うございます。