「神が見える子供」

御蔭話 神奈川県M.S. (昭和二七年三月一五日)

この度、御神体並びに御書の御文字の中に、神様のお姿が拝されるという御恵を吾子を通じ頂きました事につき、謹みて御報告をさせて頂きます。

昨年一一月三日、二、三日前より次男K(六歳、昭和二四年八月御守様拝受)が下痢の御浄化を頂いており「今日は僕寝てようかな」と申しますので、御浄霊をさせて頂きました処、御神体に「のんのんさんがみてる、のんのんさんが見てる」と申します。私はびっくりしました。ああ、お姿が拝めるのだと直感し「だって御神体は御文字だけでしょう」と申しますと、じっと御神体を見て「お母ちゃんほらこっちを、ちゃんと僕の方見てるだろう、僕の方見てるだろう」と繰返して申します。「どこにいらっしゃるの」と聞き返しますと、大光明如来様の「明」の御文字の所を指差して「ここにちゃんといるじゃないか」と申します。子供の言葉はそのまま私にも本当に尊い響きをもって感じられ、思わず合掌致しました。

同月一一日の御参拝日に、御本部にて教師会の折、会長先生様に申し上げまして、御本部の御神体を拝ませて頂きました。Kは背のびする様にして、「明」と「如」の所を指差し「二人いる二人いる」と申します。今度は御書体につき拝ませて頂きました。明成の御額は「成」に、日月は「日」、円通自在は「円」、地上天国は「地」、天地開明は「開」、大経綸は「大」、経の御書、大神力は「力」、散花結実は「結」、両手で高く抱き上げて子供の指差す御文字を皆一斉に見守るのでした。御色紙、御短冊は御落款の「主印」、会長先生の資格証は、明主様の「主」の御文字でございました。

又、支部及び自宅の御神体は「明」、地上天国は「地」、御色紙等は前と同じでございました。

その後、ニー日御神苑御参拝の折、建設の御額を拝し、私は気付かずに居りました処「建」の御文字を指して、「お母ちゃんここにも、のんのさんいますね」と申します。

その間子供の状態は別に普段と変りなく、御浄化も軽く済ませて頂いて居りましたので特に御浄霊も頂かずに過させて頂いて居りました。その後は別に聞きもせずに居りましたが、一月になって再び聞いてみましたが「もう、のんのちゃんいない」と申しました。六歳の子供の事故、どんなお姿?と申しましてもはっきりした表現が出来ず、ただ両足を組んでその足をなめているような恰好を致します。御本部のお姿は支部や自宅の御神体のお姿とは違うと申します。勿論字などわからぬまま、指差した御文字を指で形を示して見せます。

今まで、お光の見えるおかげ話を種々拝読させて頂きましたが、私も吾子の口からそうした奇蹟をみせて頂き、唯々有難さと驚きとに胸一ぱいの気持でした。川柳に、負うた子に浅瀬を教えられて渡るという意味の句がありましたが、この度の御恵も、神様が無心なる子供を通じて私達に神の実在をお知らせ下され、お救い下さる大愛の御恵であると存じます。再び斯様な奇蹟を頂ける事はないと思うと、勿体ないと思われる許りで日々御神前に額ずきますごとに、そのことが脳裡に甦り、一層お道に精進させて頂けます様御祈念申し上げさせて頂いて居ります。

御神体はもとより、御書体のすべてに尊き大御霊魂を戴き、御守護を賜わっていることを思うと、神様の御用をさせて頂く身の幸福に、唯々感涙に咽ぶばかりでございます。微力ではございますが、一層お道の為御奉仕の誠をいたさせて頂き、この尊いお道を世の多くの人々に伝えさせて頂けます様念願して居ります。明主様誠に有難うございました。