御教え『新日本医術と既存医学の誤謬』

「新日本医術書」昭和11(1936)年4月21日執筆

そもそも、病気とは何ぞやと言えば、人体の浄化作用である。人間の健康は、病気有るが為に保っている、と言ってもよいのである。

人間が生を営みつつ諸々の行為による罪穢や、食物の毒素、その他近代生活における、種痘の為の陰性化天然痘毒素及薬剤中毒等、あらゆる可避不可避、又は意識と無意識とによって、知らず識らず堆積する毒素は、ある程度免るる事の出来ないものである。そうして、その堆積の量が、ある程度を超ゆる時、それはどうしても排除されなければ、人体の健康は保ってゆけないのである。

それが人体における自然浄化作用であって、その排除されなければならない余剰毒素は、身体のいずれかの部分に集中し、そこから排出されようとするのである。病気とは、右の排除されようとして、ある部分に集中した毒素が、なおも外部へ排出されようとするその道程の苦痛である。

故に、自然浄化による血液中の毒素が、膿汁となって排泄する場合、排泄に有利ならしめん為、その膿を溶解する必要がある。元来、膿汁は人間の体温及び、それより低い温度では、凝結する性質があるので、それを溶解せんとするには、どうしても体温以上の温度を要するのである。それが為の発熱である。又、膿の排除作用の工作が、痛みであるから痛みと熱に因って、毒素排出の目的が達せられ、健康は持続されるのである。又、肺結核痔疾等にて、喀血や出血するという理由もそうである。排除されなければならない余剰毒血が、その排除器能である肺又は肛門を利用する訳である。故に、肺からの喀血は、多量であればある程、浄化作用が良く行われるのであるから、何ら恐るる事なく、むしろ喜んで、放置しておけばよいのである。それの後は非常に、健康は増進される事実を、断言するのである。この理を知らない医学は、出血や発熱を以て病気悪化と誤解し、非常に恐れて、それを停止させようとする。その為に、折角の浄化作用が完全に行われないから、病気は長引き、健康は容易に恢復し難くなるのである。なおその上に、薬剤服用の為の毒血増加が、病気悪化に拍車を掛けるのである。

これらの理によって、病気現象は決して健康を損ねるものでなく、反って浄化作用であるから、これを知ったならば、病気は恐るる所か、大いに喜んでいい訳である。

故に、今日までの病気治療は、病気を治癒させるのではなく、治癒を遅延させ、病気を悪化させる結果に外ならなかったのである。