御教え『霊界の構成』

「明日の医術、第三篇 」昭和18年10月23日

そうして天国、八衢、地獄を通じて最も顕著なる事は光と熱による差別である。即ち天国は光と熱の世界であり、地獄は暗黒と無熱の世界であって、八衢はその中間であるから丁度現界と同位である。故に最高天国即ち第一天国に於ては光と熱が強烈で、そこに住する天人は殆んど裸体同様であり、仏画にある如来や菩薩が半裸体であるに察(み)ても想像し得らるるであらう。又第二天国、第三天国と下るに従って漸次光と熱が薄くなるのは勿論である。従而、仮に地獄の霊を天国へ昇らすと雖も、光明に眩惑され熱の苦痛に耐え得られずして元の地獄へ還るのである。丁度現界に於て、下賎の者を高官に登らすと雖も窮屈に堪え得られないのと同様である。特に霊界に於ては、すべて相応の理によって離合集散するのであるから、右の如くならざるを得ないのである。

茲に注目すべき事は、霊界の天国に於ける構成とその集団的生活とである。それは大別して神界及び仏界であって、神界は天国であり、仏界は極楽浄土である。そうして仏界より神界の方が一段上位であるから、第一天国は神界のみで、仏界のそれは第二天国である。そうして第一天国の主宰神は日の大神天照皇大御神であり、第二天国の主宰神は月の大神素盞嗚尊であり、仏界のそれは観世音菩薩即ち光明如来である。

又霊界に於ても神道十三派や仏教五十数派等それぞれの団体がある。例へていへば、大社教は大国主尊を主宰神とし、御嶽教は国常立尊、天理教は伊弉冊尊等の如くであり、仏界に於ても、真宗は阿彌陀如来、禅宗は達磨大師、法華宗は日蓮上人といふやうに、それぞれの団体がある。故に、生前何等かの信仰者は、死後霊界に往くや、各々の団体に所属するから、無信仰者よりも幾層倍幸福であるかは自明の理である。然るに無信仰者に於ては、所属すべき団体がないから、現界に於ける浮浪人の如く大いに困惑するのである。昔から中有に迷ふといふ言葉があるが、之は無所属の霊が中有界に迷ふといふ事である。

又、霊界を知らず、死後の世界を信じない者は、一度霊界に往くや安住するを得ず、そうかといって現界人に戻る事も出来ず中有に迷ふのである。此一例として先年某所で霊的実験を行った際、徳富蘆花氏の霊が霊媒に憑依した事がある。其際早速蘆花夫人を招き、その憑霊の言動をみせた処、確かに亡夫に相違ないとの事であった。そうして種々の質問を試みたが、その応答は正鵠を欠き、殆んど痴呆症の如くであったそうである。之は全く生前に於て霊界の存在を信じなかった為である。現世に於ては蘆花程の卓越した人が、霊界に於ては右の如くであるにみて人は霊界の存在を信じ、現世に在る中死後の準備をなしおかなければならないのである。

天国又は極楽とは如何なる所であるか。否一体天国や極楽などといふ世界は事実存在するものであるか、大抵の人は古代人の頭脳から生れた一種の理想的幻影としか思はないであらう。然るに私は、天国なるものも極楽浄土なるものも立派に存在してゐる事を知ったのである。従而、存在するとすれば、その真相を知り極めたいのは誰もが希ふ所であらう。然し乍ら、之を説くとしても、想像や霊感的であっては現代人として受け入れ難いであらうから。私は幾多の実證的経験を発表して、読者の判別の資に供したいのである。

私が治療時代、某会社重役の夫人(三十歳)重病の為招かれた事があった。勿論医師から見放されたのであって、その家族や親戚の人達が、是非助けてほしいとの懇願であったがその患者の家が、私の家より十里位離れてゐるので、私が通ふのは困難であるから、兎も角自動車に乗せて、私の家へ伴(つ)れて来たのである。其際、途中に於ての生命の危険を慮り夫君も同乗し、私は車中で、片手で抱へ片手で治療しつつ、兎も角、無事に私方へ着いたのである。

然るに翌朝未明、附添の者に私は起されたので、直ちに病室へ行ってみると、患者は私の手を握って放さない。曰く「自分は今、身体から何か抜け出るやうな気がして恐ろしくてならないから、先生の手に捉(つかま)らして戴きたい。そうして妾(わたし)はどうしても今日死ぬやうな気がしてならないから、家族の者を至急招(よ)んで貰ひたい」といふので、直ちに電話をかけ、一時間余経って夫君や子供数人、会社の嘱託医等、自動車で来たのであった。其時患者は昏睡状態で脈搏も微弱である。医師の診断も勿論時間の問題であるといふ事であった。そうして家族に取巻かれ乍ら、依然昏睡状態を続けてゐたが、呼吸は絶えなかった。終に夜となった。相変らずの状態である。丁度午後七時頃、突如として眼を見開き、不思議相にあたりを見廻してゐるのである。曰く「私は今し方、何ともいへない美しい所へ行って来た。それは花園で百花爛漫と咲き乱れ、美しき天人等が多勢ゐて、遙か奥の方に一人の崇高(けだか)き、絵で見る観世音菩薩の如き御方が、私の方を御覧になられ微笑まれたので、私は思はず識らず平伏した--と思ふと同時に覚醒したのである。そうして今は非常に爽快で、斯様な気持は罹病以来、未だ曽つて無かった」と曰ふのである。其様な訳で、翌日から全然病苦はなく、否全快してしまって、ただ衰弱だけが残ってゐた。それも一ヶ月位で、平常通りの健康に復したのである。

右は全く一時霊が脱出して天国へ赴き、霊体の罪穢を払拭されたのである事は勿論である。そこは第二天国の仏界であらう。

次に、私が霊と治療の研究に入った初め頃二十歳位の肺患三期の娘を治療した事がある。そうして一旦治癒したが、一ヶ年位経て再発し、終に死んだのである。其頃、私が宗教にも関係してゐたので、その霊を私が祀ってやったのである。然るに、その娘に兄が一人あった。その兄は、非常な酒呑みで怠惰であったので、家族の者は困ってゐたのである。娘が死んでから二三ヶ月経った頃、或日その兄が、自分の居間に座してゐると、眼前数尺の上方に朦朧として紫色の煙の如きものが見ゆるのである。すると、その紫雲が徐々と下降するにつれて、その紫雲の上に、数ヶ月前死んだ筈の妹が起(た)ってゐるのである。みると生前よりも、容貌など余程美しく、衣服は十二単衣の如き美衣を着、品位さへ備はってゐる。そうして妹の曰く「私は、兄さんが酒を廃(や)めるべく勧告に来たのである。どうか家の為身の為、禁酒していただきたい」と懇々言って再び紫雲に乗り、天上に向って消へ去ったのである。そうして又数日を経て其様な事があり、又数日を経てあったのである。其時は、眼前に朱塗の曲線の美しき橋が現はれ、例の如く妹の霊が紫雲に乗って、その橋上に降り立ち、静かに渡り来って曰く『今日は三回目であるが、今日限りで神様のお許しはなくなるから、今日は最後である。』といって、例の如く禁酒の勧告をしたのであって、それ以後はそういふ事はなかったそうで勿論之は、一時的霊眼が開け見えたのである。

右は、天界から天人となって、現界へ降下する実例としては好適のものであらう。それに就て面白い事は、右の兄なる人は全然無信仰者であるから、潜在意識などありよう筈がないので、従而、観念の作用でない事は勿論である。

次に、拾数年前、私が霊的研究を行ってゐた時の事である。それは、肉体の病気ではない。いはば、精神的病気である二十幾歳の青年があった。その青年は、其頃、或花柳界の婦人に迷ひ、終に情死をする所まで突詰めた所、その一歩手前で私は奇蹟的に救ったのであった。救ってから先づ霊的に調査してみようと想ひ、その方法を行ったのである。然るに、その男には狐霊が憑依して、そういふ事をさしたといふ訳が判ったので、その狐霊へ対し、警告を与へなどして、約廿分(にじゅっぷん)位で終ったのである。然るに、終ったに拘はらず、本人は猶も瞑目合掌したまま(之は被施術者の形式である)で左方に向ひ首を傾げてゐる。それが約三四分位で眼を見開き、不思議そうに猶も首を傾げてゐるのである。彼曰く「不思議なものを見ました。それは、自分の傍に琴の如き音楽を奏してゐる者があった。その音楽の音色は、実に何ともいへぬ高雅で、聞惚れてゐながら四辺(あたり)をよくみると、非常に広い神殿の如きものの内部で、突当りに階段があり、その奥に簾が垂れてゐるのが微かに見へるのである。すると先生が衣冠束帯で、静かに歩を運ばれ、階(きざはし)を昇り、御簾の中へ入られた」といふのである。従って私は『後ろから見たのでは他の人ではないか』と問ふた処「否確かに先生に違ひない」との事であった。そうしてその服装はと問へば、冠を被り、纓(えい)が垂れ、青色の上衣に、表袴(おもてばかま)は赤色との事であった。

右は、夢ではなく、その男が一時的霊眼が開け、霊界が見えたのであって、斯ういふ例も時にはあるものである。そうして此男は、何等の信仰もなく、商店の店員であって霊的知識など皆無であるから、反って信をおけるのである。

右の神殿は、第三天国の神社内ではないかと私は想ふと共に、其時の私の幽体は神社の中に住してゐたものであらう。

以上示した所の三例は、天国の室外と室内と、天人の降下状態等を知る上に於て参考になると思ふのである。

霊視の実例として顕著なるものを一つ挙げてみよう。これは彼の有名な日露戦役の日本海海戦の時である。バルチック艦隊が日本に接近しつつあった時、東郷元帥の当時参謀であった秋山真之少将が地図を凝視してゐると、その地図の上に何隻かの敵艦が通過するのが明瞭に見へたのであったから、此奇蹟を直ちに東郷元帥に申告したので、彼様な大戦果を獲たのであるといふ事は有名な話である。此戦報には、天佑神助の文字が入ってゐた事は勿論である。因(いな)みに、同少将は右の奇蹟が動機となって、其後種々の宗教を研究された事も周知の事実である。

次に、仏界に於ける極楽の状態をかいてみよう。私は十数年以前、或霊媒を通じて、極楽界の状況を聞き得た事がある。その霊媒は十八歳の純な処女であったから、相当信をおけると思ふ。

右の娘に憑依したのは、その娘の祖先である武士の霊であって、二百数十年前に戦死したのである。その霊は真言宗の熱心な信者で死後間もなく弘法大師の団体へ入ったのである。其際、私の質問に応じて答へた所は左の如くである。

『最初自分が来た時は数百人居たが、年々生れ易(かわ)る霊が、入り来る霊より多いので、今は百人位に減ってしまった。そうして日常生活は、大きな伽藍の中に住んでゐて、別段仕事とてはなく遊芸即ち琴、三味線、笛、太鼓を窘(たしな)み、絵画・彫刻・書道・碁・将棋其他現世に於けると略々同様な娯しみに耽けるのである。そうして時々弘法大師又は○○上人(此名を私は失念した)の御説教があり、それを聞く事が何よりの楽しみである。又、弘法大師は時々釈迦如来の許へ行かれるのであるが、そこは、此極楽よりも一段上であって、非常に光が強く眩しくて仰ぎ見られない位である。又外へ出ると非常に大きな湖水があって、そこへ蓮の葉が無数に泛(うか)んでをり、その大きさは丁度二人が乗れる位で、大抵は夫婦者が乗ってをり別段漕がなくても、欲する方へ行けるのである。そうして夜がなく二六時中昼間である。明るさは、現世の晴れた日の昼間よりは少し暗く、光線は黄金色の柔い感じである。』--と言ふのである。右は多分、寂光の浄土であらう。

又、天国は三段階になってゐるが、その一段が亦上・中・下三段に分かれてゐる。故に第二天国でいへば、上位に観世音、中位が阿彌陀如来、下位が釈迦如来が主宰座(ましま)すのである。其他の諸善天人等何れもそれぞれの階級に応じて住し給ふのは勿論である。又弘法大師は、第三天国の上位であらう。

次に、地獄界とその状態を書いてみよう。霊界は、八衢即ち中有界を中心とし上方に向って天国が三段階、下方に向って地獄が三段階になってゐるのであるが下方へ行く程光と熱に遠ざかり、最下段の地獄は、神道にては根底の国と謂ひ、仏教にては極寒地獄と謂ひ、全くの無明暗黒界であって氷結境である。何物も見へず聞えぬ凍結状態で、其所へ落ちた霊は何年、何十年、何百年も続くのであるから、実に悲惨とも何とも形容が出来ない程である。私はそこにゐた事のある霊から、聞いたのであるから誤りはないと思ふのである。彼のダンテの神曲の地獄篇にも、この氷結地獄の事が記(か)いてあるが、真実であらう。

そうして最上段は軽苦であって、多くは地獄の刑罰が済んで、八衢へ行く一歩手前ともいふべき所である。従而、そこにゐる霊は地獄界に於ける労作の如きものをさせられるのである。例へていへば、各家の神棚、仏壇等に饌供した食物を運び、其他通信・伝達等が重なる仕事である。

茲で、右饌供の食物に就て知らねばならない事がある。それは霊と雖も食物を食はなければ腹が減るのである。そうして霊の食物とは、総ての食物の霊気を食するといふよりは吸ふのである。然し現世の人間と異い極めて少量で満腹するので、霊一人一日分の食料は飯粒三つで足りるのである。従而、饌供された食物は多勢の祖霊が食しても猶余りある位であるから、その余分を配り役が運んで、饑(ひも)じい霊達に施与をするのであるから、その徳によって、其家の祖霊の向上が速くなる事である。故に、祖霊へ対し、出来るだけ、食物など供へる事は非常に良いのである。

従而、祖霊へ対し供養を怠る時は、祖霊は飢餓に迫られ、やむを得ず盗み食ひをするやうになるので、其結果として八衢から餓鬼道へ堕ちるか、又は犬猫の如き獣類に憑依して食欲を満たさうとする--それが畜生道へ堕ちる訳である。然るに、人霊が畜生へ憑依する時は、漸次人霊の方が溶け込み、遂に獣霊と同化して了ふのである。此人獣同化霊が再生した場合、獣となって生れるのである。然し乍ら、これは真の獣霊と異るのは勿論で、馬犬猫狐狸等の動物の中に人語を解するのがよくあるが、これ等は右の如き同化霊である為である。

そうして之等の実例は非常に多いので、私が見聞した一二の例を挙げてみよう。私が以前、或家へ治療に行った時の事である。その家にかなり大きな犬がゐたが家人の曰く「此犬は不思議な犬で、決して外へは出ない。殆んど座敷住居で、絹の上等の座蒲団でないと座らないのである。家人が呼べば行くが、使用人では言ふ事を聞かないのであって、食物も、粗末な物は絶対に食はないといふ贅沢さでよく人語を解し、粗末な部屋や台所を嫌ひ、一番上等の部屋でなくては気に入らないといふ訳で、其他すべてが、普通の犬とは異ふのである。」家人は如何なる訳かと、私に質ねたので、私は答へたのである。『それは、貴方の家の祖霊の一人が畜生道に堕ち、犬に生れ代って来、其因縁によって貴方の家に飼はれるやうになったのであるから、祖先としての扱ひを受けなければ承知しないのである。』と説明したので、よく諒解されたのである。

次に、此話は現在開業してゐる私の弟子が実見した事実である。それは今より十数年以前、横浜の某所に、中年の婦人が不思議な責苦に遇ってゐる事を聞いたので、好奇心に駆られ早速行ってみたのだそうである。本人に面会すると、其本人は首に白布を巻いてゐたが、それを取除くと、驚くべし一匹の蛇が首に巻きついてゐる。そうしてその蛇はよく人語を解し、特に食事をする時には一杯とか二杯とか量を限って許しを乞ふのであって、そうする事によって、蛇は巻きついてゐた力を弛めるから、其間に食事をする、それが約束した以上を少しでも超過すると、喉を締めて決して食はせないそうである。其原因に就て本人が言ふには、『自分がその家へ嫁入後暫くして、姑である夫の母親が病気に罹ったので、其時自分は早く死ねよがしに、食物を与へない為、餓死同様になって死んだ』のだそうである。『その怨霊が蛇になって仇を討つべく、此様な責苦に遇はせるのである。』との事で「世人に罪の恐ろしさを知らせ、幾分なりとも世の為に功徳をしたい」といふ念願から、「出来るだけ多くの人に見てもらいたいのである』といふ事であった。

茲で、供物に就ての説明をした序でとして華や線香の意味を説いてみるが、すべて仏壇の内部は極楽浄土に相応させるのであって、極楽浄土は善美の世界であるから、飲食(おんじき)は饒(ゆた)かに百花咲き乱れ、香気漂ひ、優雅なる音楽を奏してゐるのである。此理に由って小やかながらも、その型として花を供へ、線香又は香を焚くのであって、寺院に於て読経の際、木魚を叩き、鐃鉢(にょうばち)を鳴らす等は音楽の意味であり、立派な仏式に於ての、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)なども同様の意味である。又仏壇に飲食を供ふる際、鐘を叩くのはその合図である。

次に、動物の虐待に就て、世人の誤解してゐる点を説いてみよう。それは動物に対し、人間と同様にみる事である。それは動物を虐待する事は、人間からみて非常に苦痛のやうに想ふが、実はそうではないのである。本来牛馬の如き動物は虐待される事を好むのであって、寧ろ快感さへ催すのである。よく牛馬などの歩行遅々とする場合、鞭を当てると走り出すが、それは鞭の苦痛の為に走り出すのではなく、鞭で打たれる快感を望む為に、故意に遅々とするのである。故に、もし打たれる苦痛を厭ふとすれば、打たれないやう走り続けるべきであらう。特に牛などは何回となく歩行を止め、打たれたい様をするのである。此例として、彼のマゾヒズムといふ変態的病気を世人は知るであらう。之は誰かに肉体を打たれたり、傷つけられたりする事を好むので、それは一種の快感を催すのだそうである。医学ではその原因不明とされてゐるが、実は、被虐待を好む動物霊の憑依によるのである。

此意味に於て、動物愛護や動物虐待防止は意味をなさないのである。

次に、中段地獄は、昔から唱ふる如き種々の刑罰苦がある。即ち針の山、血の池地獄、蜂室地獄、蛇地獄、蟻地獄、焦熱地獄、修羅道、色欲道、餓鬼道等々ある。そうして針の山は、読んで字の如く、無数の針の上を歩くのであるから、其痛さは察するに余りある。血の池地獄は、姙娠や出産によって死んだ霊が、必ず一度は行く処であって、以前私が扱った霊媒に、血の池地獄の霊が憑った事がある。其時の話によれば、自分は約三十年来血の池地獄に漬ってゐるが、そこは全くの血の池で、首まで漬ってをり、その池に多くの虫がゐて、それが始終顔へ這上ってくるので、その無気味さは堪らないとの事である。蜂室地獄は、私の知人で其当時有名な美容師の弟子である若い婦人に親しくしてゐた芸者の死霊が、右の弟子に憑ったのである。其時、或審神者に向って霊の訴へた話は、蜂室地獄の苦しみであった。それは人間一人入る位の箱の中に入れられ、無数の蜂がゐて身体中所嫌はず刺すので、実に名状すべからざる苦痛であるといふのである。

焦熱地獄は、文字通りの地獄であって、三原山の如き噴火口へ飛び込むとか、火事で焼死するとかいふ者が行く処である。

私は以前、一種の癲癇を扱った事がある。それは極って夜中に発るので、本人曰く「就寝してゐると、最初数間先に火の燃えるのが見へ、それが段々近寄るとみるや、発作するのである。その瞬間、身体が火の如く熱くなると共に無我に陥る」のだそうで、之は大震災の翌年から発病したのであるから、全く震災で焼死した霊であらう。

色欲道は、勿論不純なる男女関係の結果堕ちる地獄である。その程度によってそれぞれの差別が生ずるのである。それはどういふ訳かといふと、例へていへば情死の如きは男女の霊と霊が、密着して離れないのである。それは彼世までも離れないといふ想念によるのであるが、それが為、霊界に於て行動に不便であり、苦痛でもあるから非常に後悔するのである。抱合心中はそのまゝの姿であるから一見それが暴露され、羞恥に堪へないのである。又別々の場所で心中をしたものは背中合せに密着するのである。偶々新聞の記事などにある生れた双児の身体の一部が密着して放れないといふのがあるが、勿論之等は心中者の再生である。又世間でいふ逆様事、即ち親子、兄弟等の不純関係の霊は、上下反対に密着するのである。それは一方が真直であれば、一方が逆様といふやうな訳であるから、是等の不便と苦痛と羞恥は実に甚だしいものがある。又姦通の霊は、非常に残虐な刑罰に遇ふのである。以上の如くであるから、世間よく愛人同志が情死の場合、死んで天国で楽しく暮すなどといふ事は、あまりにも甚だしい違ひである事を知るべきである。之によってみても、霊界なるものは至公至平にして一点の狂ひもない所であるから、此事を知って現世に生存中は、不正不義の行為は飽迄慎しみ過誤に陥る事なきやう戒心すべきである。

次に、斯ういふ事も知っておかなければならない。それは現世に於て富者でありながら非常に吝嗇な人がよくあるが、其様な人は巨万な富を有するに関はらず想念は常に不足勝であって、より以上の金銭を得んと心中堪えず焦慮してをるから、その想念も生活も、貧者と異ならないが故に、外面は富者であっても、霊体は貧者であるから、斯ういふ人は死後霊界に行くや、想念通りの貧困者となり、窮乏な境遇に堕ちるのである。それに引換へ現世に於て中流以下の生活者であっても、心中常に足るを知って満足し、日々感謝の生活を送り、余力あれば社会の為人の為善根を施すといふやうな人は、霊界に行くや富者となって、幸福な境遇になるのである。

然るに、一般世人は、現世のみを知って霊界を知らず、飽迄現世のみを対象として生活を立てるのであるから、如何に愚かであり不幸であるかを知るべきである。従而、霊界の事象を知り、之を信ずる人にして初めて永遠の幸福を得らるるのである。此意味に於て人は生命のある限り、善を行ひ徳を積み、死後の準備をなしおくべきである。』