御講話(昭和29年1月27日)

「御教え集」30号、昭和29(1954)年2月15日発行

一月二七日

(前略)

いま読んだようで、霊界は層になってますから、そのとおりが写るので、つまり層というのが人間の魂の居所なのです。ところがこの魂というやつが人間全体を支配しているのですから、魂の居所ということが資格です。だから魂の資格さえ上になっていれば、ぜんぜん苦しみはないわけです。しかしそうかと言って、人間いままでにいろいろな罪穢れや薬毒やいろいろなもので汚しているから、その掃除をされなければならないのです。そこで、信仰に入ると魂だけは先に上のほうに行ってしまいます。そうすると魂だけが光を持つと、肉体にある汚れがどうしても魂と相応しないから、魂の地位だけにきれいにならなければならない。浄まらなければならない。それが浄化作用です。だから信仰に入ってからの浄化作用と、未信者のときの浄化作用とは意味が違うわけです。その区別を知っておかなければならないのです。未信者のときの浄化作用というのは、その人の健康を維持するために自然に浄化作用が起こるのです。その浄化作用が起こらなければ、その人は死ななければならないのです。だから人間できるだけ生きて働けるように自然浄化が起こるのです。自然浄化とは悩み苦しみによって掃除されるわけです。そこで、よく修行などをして、断食をしたり、山に籠もったり、いろいろな難行苦行をするということは、その掃除をするために自分から苦しみをするわけです。ふつうの人は他動的に苦しみがぶつかってくるのですが、難行苦行というやつは自分から進んで難行苦行の世界にぶつかってゆくわけで、自動的です。その点が違うわけです。ところが苦しみによって浄められることを知らないからして、苦しみを逃れるために、またいろんな嘘のことをやるのです。ごまかしとか、金が足りなくて苦しめば人を瞞(だま)して金を得るとかして、次の罪を作るから、苦しみを取りながら次の苦しみを作っている。結局二進(にっち)も三進(さっち)もゆかなくなって地獄のドン底に落ちるというので、これは世間にたくさんあります。ですから病気もやっぱりそうです。病気を免れるために薬で一時的に固めようとして、第二、第三の病気を作るというのと、いま言ったこととは同じ理屈です。そういうことがいままで分からなかったのは、勿論信仰のないためですが、いままでの信仰では徹底して説いてなかったです。他の抽象的に苦しみは罪のためだというように単純に考えていたのです。それで、いま霊層界のことを書いたのは、つまり徹底して書いたわけです。ですから罪というものや、そういうことの関係がはっきり分かっていなかったのです。よくお蔭話にありますが「自分のような罪穢れの多い者には資格がない」とか、「それにもかかわらずこういうお蔭をいただいた」ということがありますが、なるほど自分の思いのある罪穢れもあるに違いないですが、思いのない罪穢れもあるのですから、漫然と罪穢れと言っているのです。ですから罪穢れと人間の幸不幸がいままでははっきり説かれてなかったのです。私はいつもお蔭話を見るときに、罪穢れ罪穢れとよくありますが、一番はっきりしているのは薬を使ったことです。しかし薬を使うということが、実は自分で悪事をしようと思ったのではないので、かえって早く丈夫になって働こうと思ったために薬を使ったので、要するに薬というものは病気を良くするものだということに瞞(だま)されていた被害者です。これは詐欺どころではないので、一番大きな欺瞞です。そういうふに考えてくると、薬を服むという、一つの瞞(だま)しを受けていたわけです。そしてまた、お医者でもなんでも悪意ではないので、結局において人を助けようという考えには違いないから、善意の罪、善意の一つの詐欺です。妙な話ですが、そういうのがピッタリしているわけです。というのは、世の中の組織がそうなっているのです。それは夜の世界であったために、はっきりものが分からなかったからです。ほとんどがそういう間違ったことが行なわれていたのです。それが長い間そうなっていて、それを発見する人がなかったというためであったので、これは人間の一つの運命です。それを発見ができないで苦しみながら、そういうものとして続けてきたのです。それがいよいよ神様は私を使って発見したということは、教えたわけです。これはみんなよく知っているでしょうが、そういうようなわけで、運が良くなるということは、どうしても霊的地位が上に行くということなのです。だからして「どうも思うようにゆかない、困ることが多い」ということは、結局自分の霊界の地位が低いからです。たとえてみれば「自分は信仰に入ってありがたい、よく分かるが、どうも親父の奴は分からない」また「娘も伜(せがれ)もこれに反対してしようがない、どうしたらよいだろう」というように考えている人はずいぶんあります。それは自分の霊層界の地位が低いからです。もし自分が高ければ、自分の家族の者は霊線が繋がってますから、自分の霊が向上すれば、その繋がっている枝でも幹でも、自分の地位のほうに引っ張り上げられるわけです。私がいつも言う「分からなかったらウッチャラかしておけ、急(あせ)って早く信仰に入れようという考えはいけない」ということはそういうことです。ですからそういうことはぜんぜん考えないで神様にお任せして、自分だけが一人でも多くの人を助けて、神様のお役に立つというようにすれば、自分の霊が上がって行きますから、そうすると他の者も自然につり上げられるから、黙っていても分かるというわけです。結局において、根本の根本というものは自分の魂の居所にあるのです。ただし魂だけが上に行っても、自分の霊やあるいは肉体が伴わないということは、そこにまだ汚れがあるからで、それの浄化が起こるわけです。しかしそういう場合には浄化が早くすむわけです。そういうことが分かると、別に迷うことや苦しむことはないわけです。しかしそこまで覚れるということが、なかなかたいへんなのです。この覚りは本当の真理です。いままでいろいろな宗教などで説いたことよりずっと上ですから、その点などがよく分かると、いろいろな、宗教、思想、哲学というものまで分かります。この話はそのくらいにしておきます。

(後略)