「北と北東について纏めた御教え」

(S24.10. 1)

「昨年入信させて頂きました者で御座いますが、私は以前、日蓮宗の信仰をしておりました。北海道の芦別山には深い意味があると聞きましたが、その後、霊眼でその芦別山が見え、直径一丈位の大木が御座いまして、そこに御観音様の印度に行かれる時の雲上のお姿を見せて頂きました。そのお姿の御様子は、頭に金色のまばゆい王冠を戴かれその上に薄絹白色(幾分桃色がかる)の頭巾をかぶり給い、眼光鋭く御着衣は薄かば色の美しい上着に、下衣は薄水色にて、見るもすがすがしいお色をしておられ、目鼻立ち御立派にて、口元しっかりと締り濃き八字髭を立てられておられ、左手に如意の御玉を戴せられ、右手金色の金剛杖を持たれておられ(神通力を表わされる時、例えばこれより東の方へ行かんとなされる場合、金剛杖にて行く先を指されると行く先の様々の様子が一瞬にして解られるものと自分で感じられました)御伴の神は一人にて、これは薄茶色の上下の着衣にして、御尊の陰の形に添う如く守護申し上げられるその時の御尊の御姿は、一見女の尊の如く、お伴の神は左足下にひれ伏しておられます。この様な事を見せて頂きました事は本当で御座いましょうか。又いかなる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。」

『国常立尊は、御隠退後、霊界では閻魔に、現界では、観音様になられた。芦別山に行かれ、霊界に行かれ、閻魔になられ、又印度へ行かれ、観音様になられた。お伴の神は金龍である。この事を夢にみたので、大変結構である。』

 

(S25. 3.18)

「北海道の芦別は観音様と関係がありますか。又、芦別の地方の神社は天照大神が御祭りしてあります。何か関係ありますか。」

『北海道の真中、中心になる。ここに北海道を支配する国魂の神があり、日本の真の艮は芦別の方角になる。芦別の山は国常立神様が御隠退になられたという。

非常に厳格な神様で、地獄へ下りて閻魔大王となられ、仏界へ表われて観世音になられ、悪人も善人も差別なくお救いになる。であるから、関係がある。

観音様は日水土の神様であり、天照大神は日の系統の神様で、大日如来になられる。故に、御関係がある。』

「北海道北見は芦別山の北方に当ります。この場合鬼門はいかようになりましょうか。」

『鬼門はどの場合でも東北である。芦別は、神様が一時御隠退の因縁があるだけである。』

「仏滅により艮神様はすでにお出ましになられたと承っておりますが、現在鬼門に便所、台所等のあるのは絶対にいけないもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。」

『鬼門はそういう霊気が発生する事に、地球は出来ている。地球の汚いものを浄化するように出来ている。ただ艮の金神様が御隠退の時、そこへ行かれた。それで綺麗にしておかなくてはいけない。』

 

(S24.12.13)

「北海道の北端においても、清浄なる霊気は、やはり丑寅の方向から流れているので御座いましょうか。」

『これは勿論である。北からの霊気は清浄である。清浄の気の元は鬼門である。キは霊であり、神の霊気。霊気の強いという事は、神の霊気の故である。北は人間でいうと天庭である。霊気の強い元がそうである。』

「北極星が常に北方に見えることは、地球との関係上どんな意味がございましょうか。また北極星自体はどんなものか、御教え下さい。」

『地球の出来たての時は真中にあったという。それが、地球が二十三・五度傾斜したために、北へ行ったという。七つあって七星という。北は一番霊が濃い。強い。北に最高の神様がお出でになる事になっている。北から地球へ対して良い霊気がくる。南は濁った霊(気)が来る。南は物質、北は霊気である。七は大地となる。故に北極星は地霊が強い事になる。磁石は霊に引付けられる。キは霊、タは強い事。ミは水であり女、ナは土である。南はことごとくが体(ミ)という事。頭寒足熱。』

 

(S23.12.18)

『地面から始終霊気を発散している。地霊である。天文ではこれを気圧という。山の上とか高い所ほど雲があり、地霊は薄くなる。土に邪魔されるから、地霊の発散がその所だけ少いのである。であるから霊気が強く出ると、雲が晴れ、弱い時に雲が多い。磁石は、北の霊気が強いからである。』

「ふつうは南北の極を結んで地軸と申しますが……?」

『それは考え方の違いですが、南北の極は両横と考え、また霊気は赤道の面を上下していると考えたらよい。……地霊が出るときは晴で吸うときは雨です。これを気象上は高気圧、低気圧といっているのです。……日が長いとか短いとかいうがこれは太陽が地球の中心、赤道の面に沿ってまわる時日が長く、端になると短くなるのです。……いまは学者は地動説を唱えてますが、これは嘘で不動説が本当です。天動説はキリスト教から出ているのですが、初めてガリレオが地動説を唱えたとき異端として獄に投ぜられ拷問にかけられようとしたが、もう七十いくつの年なのでそれは免れたということです。このころは封建的だったのですね。』

「不動説ということは、大先生様のみご存じのことでしょうか?」

『ええ、まあ一人だけでしょうね。』

 

「一、地球の呼吸によって夏冬が来るとの御教えですが、北半球と南半球で夏冬が反対であるのはどんな原因によるもので御座いましょうか。

二、地球自体は何らかの運動を行っているもので御座いましょうか。右御教示の程を御願い申し上げます。」

『水の緯になる。地球の熱は狭い、下と上とあり、火は上昇しているし、水は下降する。上昇する方は――。地球の呼吸運動。不動説は宗教的で、二十三度傾斜してる。

 

「御光話録3号、 昭和24年1月8日」

『面北枕にするのは、北といふのは霊気が強いのです。磁石が北を向くのもそのためです。そして北は霊で南は体だから、死んだ人の霊は北へ行くべきです。従って霊が頭から抜けて北へ行く様にといふ意味で北枕にするのです。私は北枕が好きでよくします、が、死んだ時するのだからよしなさい、と云はれますが、そんならもう死なゝいから大丈夫だ、と云って笑ふんですよ。(笑声) 』

 

「教えの光、北枕の意義 昭和26年5月20日」

【お伺】人間往生すると北枕に寝かし、着物を左前にしたり、逆さに掛けたり、逆さ屏風にしたり、死体の上に刀を置いたりする習慣になつていますが之は如何なる訳でしようか。

【御垂示】元来方角からいつて北は霊、南は体である。人間が死ぬと霊になるので、北へ向つて往くのが本当である。往生する時、天国へ往く霊は額から、地獄界へ落ちるのは足の拇指から、八衢へ往くのは臍から、それぞれ脱出するのであるが、天国行の霊は少ない事は勿論で、兎に角天国へ行く様にという意味から北枕にするのである。そうして方角の中北が主で一番位が高く霊気が濃いのである。

北とは言霊学上気足(キタ)で、即ち霊が満ちている事で磁石が北を指すのもそのためである。従而、体は南へ、霊は北に属する。これが原則である。故に生きた人間とても北枕にした方がよい。昔から頭寒足熱というが頭を冷く、足を温める訳で私は昔から北枕にしている。然し北枕がいいといつても床の間が南になつている場合は不可である。死者に着物を左前にしたり、逆さにかけたりするのは現界と霊界は逆であるからで、すべて反対が理窟に合う事となる。

刀は魔除けのためにおくので、死人を魔が狙うとか、猫や邪霊などがいたずらをするという訳だがそんな事はないので、之等は生きてる人の気慰めにすぎない。

 

「直心会会報、 昭和24年6月号 無碍光 昭和24年6月20日」

坤は(水、石)になり艮は(火、木)になる。物質に恵まれる人は水が良く出る、徳のある人であるから。

 

「御光話録18号 昭和25年4月23日」

『水ってものは財物と共通 したもんですからね。だから湯水の様に金を使ふって言ひますが、実際うまく言ってますね。』

 

「御光話録18号、 昭和25年4月23日」

『主人の居場所から艮(ウシトラ)、鬼門は火と水、坤の裏鬼門は水と石ですね。そこで裏鬼門の方に水と石を置いとくと非常にいゝんです。物質、金銭、財物なんてものは坤から来るんですからね。その反対に艮の方は浄めなくちゃいけませんね。霊的な病気は艮を浄めると健康になる事がよくありますよ。鬼門からは清浄ないゝ霊気が来るんで、悪霊が弱るんです。だから、私が今経営してるのは、鬼門に当る山に会館が出来るし、裏鬼門は水と石だからそういふものをこしらへてるんです。そこには素晴らしい渓流があってよく調べたら実に大したものなんで熱海耶馬渓って名前をつけましたがね。そりゃあ、何とも言へぬ素晴らしさですよ。ちゃんと神様がとっておいて下さったんですね。渓流の両側は岩だから水と石と兼ね備はってるんです。そういふ風に「惟神」によく出来てるんですよ。出来上れば大した名所になりますよ。

それから井戸を掘って水の出る出ないはその家の主人に大いに関係ありますよ。物質に恵まれる人は水が出るんで、こういふ人は徳を持ってる人ですね。徳のない人は出ないし物質も恵まれませんよ。之は相応の理で仕方がないんです。』

これは東北の隅に井戸を掘ったのが極く悪いですよ。変へた方がいゝですね。井戸ってものは西南がいゝんですよ。そしてこゝは土をかぶせて元通りにし、その上に松の木を植えるんですね。』

 

「栄光、92号 霊主体従の法則 昭和26年2月21日」

『私は常に万有は霊主体従の法則に支配されるという事を唱えているが、それが右の戦争にもよく現われている。というのは方角からいうと東と北が霊であり、西と南が体であるから、南西から北東に向って進む事は逆になり、風に向って船を進めるようなもので、非常に骨が折れるばかりか、どうしても一旦押返えされる危険がある。』

 

「御光話録11号、 昭和24年8月21日」

【お伺い】支那では野外に神様を祀る場合、南向きになって居りますが、之は根拠のある事でせうか。

【御教示】之は根拠がありますよ。南向きってのは北の方へ祀る事ですからね。之は本当ですよ、一番いゝ神様は北へ祀るべきです。北は霊で南は体ですからね。北の方の神様は霊的で日の神、天津神であり、南の方の神様は体的で月の神、国津神です。で、北の方は霊気が強いんですよ、磁石が北を向くっていふのはやっぱり霊気によるんです。北っていふのは言霊から言ふと「気(キ)が足(タ)りる」って事でね、気が満ちてるんです。だから北に向って拝むっていふ事は立派に意味があるんですよ。東西でも東が霊で西が体であって、東と北の間、東北、艮、鬼門、之が一番いゝんですよ。世間でよく鬼門を嫌ふでしょ?あれはね、今迄大いに邪神が働いてゐて悪い事をしてたので鬼門の方へ越すと浄い霊気を受けて御裁きを頂くもんだから、それで嫌ってゐたんですよ。ですからね、こっちが正しい事をしてゝ間違ひがなければ鬼門へ越すのなんかいゝ事で、何でもないんですよ。

 

『丑と寅の間』

(S24. 2. 9)

「鬼門は丑寅の中間の一線で御座いましょうか。それとも丑と寅の間を申すのでしょうか。御伺い申し上げます。」

『同じ事である。』