御教え『病気の真因』

「明日の医術 第一篇」昭和17年9月28日

凡(およ)そ人間が此世に生を受けるや、遺伝毒素即ち最初に述べた天然痘毒素を主なるものとして種々の毒素を保有している事は前項に述べた通りである。そうして之等の毒素の支障によって健康が完全に保持出来得ないから、体外に排泄せらるべく絶えず自然浄化作用が行われるように造られているのが人体である。そうして自然浄化作用が行われる場合或程度の苦痛が伴うので、その苦痛を称して、“病気”と名づけられたのである。此例を説明するのに一般的に最も多い病気――即ち感冒をとりあげてみよう。感冒だけは如何なる人と雖も経験しない人はないであろうからである。そうして此病気は今以て医学上原因不明とされているが、私の発見した所によると之は最も単純なる浄化作用の一種である。それは先ず感冒に罹るとすると発熱・頭痛・咳嗽・鼻汁・喀痰・食欲不振・全身の倦怠感・四肢の痛苦――其他である。之はどういう訳かというと不断に行われつつある第一の浄化作用によって、全身の各局所に溜結せる毒素が第二の浄化作用によって排除せられんとする活動が起ったのである。

茲で、浄化作用なるものを説明する必要があろう。抑々(そもそも)浄化作用なるものは、体内の不純物質ともいうべき然毒、尿毒、薬毒等が不断の浄化作用によって漸次的に或一定の局所に集溜し、凝結するのである。そうして集溜する局所は如何なる所かというにそれは特に神経を使う個所であって、その個所は後段に詳説する事とするが兎も角右(上記)の毒結の排除作用が発生する――それが病気の初めである。故に浄化作用を二種に大別されるので、一は―― 体内一定の局所へ毒素が集溜凝結する作用、二は―― 一旦凝結した毒素を体外へ排除する作用である。故に前者の場合では未だ大した苦痛はないから病気とは思わない。併し肩とか首とかが凝るという事はそれであって、次に後者である其凝りの溶解作用が起るので、それが感冒的症状である。即ち其苦痛が病気である。世間よく肩が凝ると風邪を引くというのは右(上記)の理によるのである。

以上説いた如く熱は毒結を排除し易からしめんが為の溶解作用であって、其溶解されて液体化した毒素が即ち鼻汁であり喀痰である。又発汗・尿・下痢等にもなるのである。然し液体毒素と雖も尚濃度である場合、排除に困難なる為それの吸引作用が起る。それが嚏(くさめ)及び咳嗽である。嚏は鼻汁を吸出せんが為、咳嗽は喀痰を吸出せんが為の喞筒(ポンプ)作用ともいうべきでものである。ゆえに嚏の痕は鼻汁が出て咳嗽の後は吐痰するにみても明かである。

そうして食欲不振は発熱と吐痰と服薬の為である。また痛苦は、その局所に溜結せる毒素が溶解し液体毒素となって排除されようとして運動を刺戟するからである。咽喉部の痛みは、喀痰中に含まれたる毒素が粘膜に触れる為粘膜を刺戟して加答児(カタル)を起すからで声が嗄(しわが)れるのは右(上記)の理によって声帯や弁膜が加答児を起し発声弁の運転に支障を来す為である。頭痛は頸部又は頭部の毒素の発熱によって溶解した液体毒素の排除作用の刺戟である。

右(上記)の如きものが感冒であるから何等の手当も服薬もせず放置しておけば、浄化作用が順調に行われて短時日に完全に治癒するのである。故に感冒程容易に浄化作用が行われるという事は全く天恵的ともいうべきである。此理に由って感冒に罹るだけは毒素は軽減するのであるから、感冒を自然治癒で治せば次の感冒は必ず前よりも軽減し且つ感冒と感冒との間の期間も漸次延長し、 終には感冒に罹らなくなるのである。それは、無毒になるから感冒の必要が無くなるという訳である。此時期に到ると稀には感冒に罹る事があっても、それは微毒であるから発熱は殆んどなく少量の鼻汁・喀痰位のもので其他の苦痛はないといっても可(よ)い位であるから、日常通り業務に携わっていて殆んど知らぬ間に治ってしもうものである。

然るに今日迄の凡ゆる医学上の理論は之の反対であって、感冒は重病の前奏曲かのように恐れられるのであって昔から“風邪は万病の基”などと謂い、今日では結核の門のように恐れられているのである。然し右(上記)の理に由って、感冒は“万病を免れる因”結核に罹らぬ方法であるというべきである。故に、感冒に罹る事は寧ろ喜ぶ事で“感冒に罹るようにする”事こそ何よりも健康増進の第一条件である。

右(上記)の理に不明であった今日迄の凡ゆる療法は感冒を恐れ感冒による苦痛を悪化作用と誤認し抑圧すべきであるとして研究されたのであるから、感冒という折角の浄化作用を停止しようとするのである。その方法として第一に薬剤を用いる。元来薬剤なるものは全部毒素であって、昔漢方の某大家は「薬は悉(ことごとく)毒である。故に薬を用いて病気を治すのは毒を以て毒を制すのである」と言ったが洵(まこと)に至言である。

即ち薬という薬物を用いるから体内の機能を弱らす、機能が弱るから浄化作用が停止されるのである。又氷冷法も浄化作用を停止させるのであるから発熱や苦痛を軽減させる。湿布も同様である。元来人体は、鼻孔の外(ほか)皮膚の毛細管を通じて呼吸作用が行われているので、湿布はその呼吸を停止させるのであるから、其部の浄化作用が弱まり、苦痛が軽減するのである。此様な種々の方法は悉く浄化作用を抑圧停止させるのであるから、苦痛は軽減し病的症状が軽減して一旦は治癒の状態を呈するのであるが、それは毒素が排除された真の治癒でなく折角浄化作用の起った毒素を再び凝結せしめるのであって、いわば浄化作用発生以前の状態に還元せしめた迄である。従而(したがって)時を経れば再び浄化作用が発生するから又風邪を引く又停止させる復(また)風邪を引くというように繰返すのである。事実そういう人が世の中には沢山あるのは誰も知る通りである。そうして厄介な事には毒素がその都度加わる事になるから浄化すべき毒素が倍々(ますます)増加する事になる。従而漸次悪性の感冒となるのは当然である。其結果として肺炎が起るのである。

元来肺炎という病気は浄化作用の強烈なものである。それは感冒の重症であると言っても可(よ)いのである。前述の如く小浄化作用である感冒を抑圧するから其都度毒素が蓄積増大され、それが一時に反動的に大浄化作用となって現われるのである。