研鑽資料no.165(2025年9月)

9月の学び

はじめに

責任者:

残暑厳しく、まだ暑い日が続いています。 皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。クーラーがなくても心地よく眠れる夜を待ち遠しく思う今日この頃です。さて、今回は一か月振りの投稿となります。メシヤ講座を通して引き続き「文明の創造」を学んで参りますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月)

<今月の御教え>

『心臓』

「文明の創造、科学篇」 昭和27(1952)年

人体の機能中、最も重要であるのは、心臓であって、機能中の王者と言うべきものである。従って心臓機能の本体が根本的に判らない限り、真の病理は確立するはずはないのである。医学においても他の臓器は手術が出来ても心臓は出来ないに見ても肯れるのである。ところがこのように肝腎な心臓機能が、医学では適確に判っていない事である。ただ僅かに肺臓から酸素が送られ、浄血作用を行う機関くらいにしか思っていないようで、ほとんど取るに足らない考え方である。では心臓機能の真の働きとは何であるかを詳しく書いてみよう。

そもそもこの機能は、霊界と最も密接な関係のある点である。というのは左のごとき事を前もって知らねばならない。というのは地球の構成原素である。それはさきに説いたごとく三段階になっている。すなわち一、霊界、二、空気界、三、現象界であって、これを一言にして言えば、一は火素が本質であり、二は水素が本質であり、三は土素が本質である。もちろん一は日の精、二は月の精、三は土の精であって、この三原素の力によって、一切は生成化育されている以上、人間といえどもその三原素の力によって生命を保持されているのはもちろんである。

そこで三原素を吸収すべき主要機能としては心臓、肺臓、胃の腑である。すなわち心臓は霊界から火素を吸収し、肺臓は空気界から水素を吸収し、胃の腑は物質界から、土素を吸収するのである。だからこの理を基本として、人体の構成を見ればよく判る。しかるに今までは肺臓は空気を吸い、胃は食物を吸収する事だけしか判っていなかった。従って心臓が火素を吸収するなどは、全然判っていなかったのである。ではなぜそうであったかと言うと、それには理由がある。すなわち空気も、食物も科学で測定が出来るからであるが、ひとり心臓機能のみはそれが不可能であった。というのは霊界は無とされていた以上、機械的には把握不可能であったからで、これも無理はないのである。早く言えば三原素の中、二原素だけ判ったが、一原素だけが判らなかった訳である。ところがこの一原素こそ、実は二原素以上重要なものであってみれば、これが判らない以上、完全な医学は生まれない訳である。ゆえに今までの学理は、言わば不具的であった事は言うまでもない。以上のごとく最重要な火素を吸収すべき機関が心臓であって、水素を吸収するのが肺で、土素を吸収するのが胃であって、それによって人間は生きているのである。

ところが病気であるが、病気とは再三説いたごとく、毒素の排泄作用であるから、固結毒素を溶解する場合、熱が必要となる。その熱を心臓が吸収する役目であるから、平常よりも余分に熱を要するので、心臓はそれだけ活動をさかんにしなければならない。発熱の際鼓動が頻繁なのはそれがためであって、その際の悪寒は体温を心臓に補給するため不足となるからで、また呼吸頻繁なのは心臓の活動を助けるため、肺臓は水分を余分に供給しなければならないが、それには熱は水分を加える程力を増すからである。また発熱の際食欲不振なのは、消化に要する熱量を、心臓へ奪われるからである。このようにして毒結の溶解が終れば、熱の必要はなくなるから解熱するのである。これで心臓の実体は掴めたであろう。

 

「心臓停止」と「脳死」の違い

楳木先生:

今日は『心臓』という御論文を拝読させていただきました。

心臓という機能をメシヤ様はどのように解説してあるかというと、『そこで三原素を吸収すべき主要機能としては心臓、肺臓、胃の腑である。即ち心臓は霊界から火素を吸収し、肺臓は空気界から水素を吸収し、胃の腑は物質界から、土素を吸収するのである。だから此理を基本として、人体の構成を見ればよく判る。』ということですね。

心臓については、メシヤ様は霊界から火素を吸収するんだ、と。でも、私達は物質的には、肺臓によって空気中から酸素を吸収している。そして心臓から全身に送り込んで細胞で燃焼して二酸化炭素を排出する、というふうに、だいたい教えられております。

それから食物を吸収するのは胃で、腸から栄養素を吸収して肝臓を経るなどして、そして心臓からまた全身に栄養を送るというふうに、学校では習ってきたので、心臓の役割についてはポンプの働きだという、現界の現象面だけを理解している面があります。メシヤ様の今回お話されてる『火素を吸収する』ということが抜けてしまうので、このことを明確にしておきたいと思います。

昨日もですね、△○Aの・・、○○○光教団の分院さんばかりが集まっているので、「臓器移植の際の脳死というのを、△○Aではどのように説明していますか?」と聞いた時、・・△○Aでは脳死を認める認めないという話はしたことあるの?」

受講者:

ないです。

楳木先生:

あ~。」

受講者:

でも、専従者の方にお聞きした時は、まぁその専従者の方だけの考えかもしれないけれども、「亡くなっているということですよね」というふうに。

楳木先生:

脳死がですか?」

受講者:

はい。

楳木先生:

教団自体が、○○○光教団がそのことについてなんて説いてきたか?脳死を?○○真○会は?」

受講者:

いやぁそんなのはないですね。

楳木先生:

ないのかね。」

受講者:

全然ないです。

楳木先生:

う~ん、○○○光はあんまり説いてないのかね。」

受講者:

御教えがあるから、死ということでね。肉体から離脱して霊界に行くから、それに基づいていると思うんですけどね。

楳木先生:

いやいや。だから、脳死、は?」

受講者:

脳死は、だからもうすでに死んでると思っていると、

楳木先生:

死んでると思っているのね。だからこの今日の御教えを基本においておかないといけないのは、心臓停止が死だ、ということ。

受講者:

あっそうか。

楳木先生:

ね、脳死は死ではない。脳死というのは、脳というのは我々にとって何のためにあるのかというと、思考、・・まぁ一番、心の場合は、我々が考えたりいろいろ思ったりする時に使う臓器が脳であって、魂自体は心臓が止まるまでは抜けないのでね。脳死の段階で魂は抜けない。だから脳死というのは死ではない。このことを我々は明確に、今日の御論文を基にもっておかないと、世の中のそういうものに流されてしまうわけですよね。」

受講者:

だから苦しいということですよね。ずっとそのまま生きているからね。

楳木先生:

だからこれを明確にしておいて下さい。」

受講者:

酸素だけ送ってる場合も、結局心臓は動いてるから死んではないんですね。

楳木先生:

死、ではない。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達は心臓の機能について、

>「(物質的には)肺臓によって空気中から酸素を吸収し、そしてその酸素を心臓から全身に送り込んで細胞で燃焼して二酸化炭素を排出する。

>それから「食物を吸収するのは胃で、腸から栄養素を吸収して肝臓を経るなどして、又、心臓から全身に栄養を送るのだ。」というふうに、だいたい教えられているのだということ。

≫しかし、メシヤ様は、「心臓は、霊界から火素を吸収するのだ。」と仰っているのだということ。

≫私達は心臓の役割について、ポンプの働きだという、現界の現象面だけを理解している面があるので、メシヤ様が仰っている『心臓は霊界から火素を吸収するのだ。』ということを明確にしておくのだということ。

◎御教え『心臓』を基本において考えると、「心臓停止が死であり、脳死は死ではない。」ので、私達は世の中の間違った考えに流されないように、そのことを明確にしておくのだということ。

>「脳」というのは、私達が考えたりいろいろ思ったりする時に使う臓器であって、「魂」自体は心臓が止まるまでは抜けない(脳死の段階で魂は抜けない)ので、「脳死」というのは死ではないのだということ。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

霊界と現界の繋がるところが心臓

楳木先生:

それから、心臓は火素という最重要素を吸収する場所で、火素は霊界からいただくものですが、みなさん、お一人で真っ暗な部屋に閉じこもって、そこで心臓の音だけを響かせたら、どんな感じになりますか?真っ暗のところで心臓の音だけを「ドッドッ」という音を聞くとなると・・・。」

受講者:

安心する感じになるかな?

楳木先生:

安心するというのは、お母さんのお腹の中で聞いた音なので、安心するという面と、もう一つはそれだけを直接響いた音を聞くと、おそらくね、ちょっと不気味な音に聞こえてくると思います。

羊水というのを伝って聞こえてくる心臓の音は、お母さんの体内で聞く音なので心が安らぐんだけど、あの心臓の音を直接聞くと、少し気持ちが悪い感じがする、恐い感じがすると思う。

これは霊界から火素を送り込んでくる時の音なので、だから霊界に少し触れるという、いわば霊界の音が聞こえてくるわけだからね。それが今日メシヤ様が解説して下さっている『抑々此機能は、霊界と最も密接な関係である点である。』ということです。

「霊界(霊)と現界(体)の密接に繋がるところが心臓」ということになります。

だから心臓に対する概念を、この御論文に基づいてもっておかないと世の中で動いていることに流されていくので、とりわけ、しっかり今回の御論文を拝読しておいていただきたいと、そういうふうに思います。

それから私が救世専門学院にいる時に、生物学は京大の教授が教えに来てくれていましたが、最初、第一講目の挨拶直後にその教授に当てられて、「君、生命とは何ですか?」と聞かれた時があるのね。生命とは何かというと、さっき○○さんが言ったように、霊と体がありましてとか、話をしようと考えている時に「まぁこういう質問を急にしても分からないでしょうけれども、酸素を二酸化炭素に変える行為が生命なんだ」というような説明をして、まぁその教授が考えている生命というは、いわゆる「呼吸が生命だ」というようなことでずっと構築して、我々に教えてくれたんですね。

メシヤ様から今日の御論文で提示いただいたように、「霊界から火素を吸収して、そして水素と土素を肺と胃から吸収して、この三原素によって生成化育していくのが生命の実態だ」というふうに、もう少しその教授に説明すればよかったんですけれども、しかし、その時には、こうした御論文をまだ私の中にしっかり構築して持っていなかったので回答に窮したことがありました。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎心臓の音を直接聞くと、少し気持ちが悪い(恐い)感じがするのは、この音は霊界から火素を送り込んでくる(霊界に少し触れる)時の音なので、いわば霊界の音が聞こえてくるからなのだということ。

>それが、メシヤ様が解説して下さっている『抑々此機能は、霊界と最も密接な関係である点である(「霊界(霊)と現界(体)の密接に繋がるところが心臓」)。』ということなのだということ。

>だから、心臓に対する概念を、この御論文に基づいて持っておかないと世の中で動いていることに流されてしまうので、私達はしっかりと今回の御論文を拝読しておくのだということ。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

「三元素(霊気)」 と 「生命維持」

楳木先生:

女性の教授でしたけど、回答に窮したために、そのことがずっと私のテーマになって、生命というものを考え続け生涯勉強していくという姿勢が、その時にできたわけなんです。それまでは、高校までは模擬試験とか、生物だけは常時満点を取っていました。生物については充分把握していると思っていたけど、いきなり本質論を聞かれた時に答えることができなかったことが、苦い思い出とともに、それから“ずっと勉強し続けなければ御教えを世の中に広めていくということはできないなぁ”というふうに強く思わされた出来事です。

(後文割愛)

いくつもそういう人と学院の中で出会った。心の中では闘いながら授業を受けたような、そういう過去の思い出があるんですけれども、今拝読したところに、『肺臓は空気界から水素を吸収し』というこの場合の水素というのは、(現代科学で発見し得た物質のみの)H2ではなくて火素・水素・土素の水素ですよね。それから胃の腑は土素を吸収するということですね。

土素というのは、ここにある花にせよ、野菜にせよ、その霊気が充実している時には傷んでいかない、腐っていかない。しかし霊気がだんだん抜けてくると、腐っていく。まぁ腐蝕していくということです。(健全な生命維持上、)この霊気が充実していることが土素を吸収する場合の絶対的な条件になっていくわけです。

この霊気が充実していくためには無農薬無肥料でいかないと、化学肥料や農薬が入った場合この霊気の充実度が減少してしまうために、それが土素として吸収した時に不十分な形でしか取り組むことができない。だから自然農法というのは大変重要なものなんだということですね。

まぁ今日の御論文の中では、そういうことを心において、また今月1ヶ月間、次回の月次祭までに、必ず『心臓』という御論文を毎日1回は拝読して、それから他の御論文を拝読していただけるように、そのようにお願いをしておきたいと思います。それではいつものように質疑応答に入りたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「肺臓」は空気界から「水素」を吸収するのだ(この場合の「水素」というのは、(代科学で発見し得た物質のみの)H2ではなくて火素・水素・土素の水素なのだ)ということ。

>それから「胃の腑」は物質界から「土素」を吸収するのだということ。

>野菜や植物は、その霊気が充実している時には傷んでいかない、腐らないのだが、霊気がだんだん抜けてくると腐ってくるので、この霊気が充実していることが「土素」を吸収する場合の絶対的な条件になってくるのだということ。

≫この霊気が充実していくためには、(化学肥料や農薬が入った場合この霊気の充実度が減少してしまうために、それが土素として吸収した時に不十分な形でしか取り組むことができないので)無農薬無肥料で栽培するのだということ。

≫だから、「自然農法(無農薬無肥料栽培)」というのは大変重要なものなのだということ。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

脳死と霊魂

受講者:

さっきの脳死のことなんですけれども、脳死となると、あとほっといたら心臓も止まってしまうものを、人工的に強制的に心臓を動かしますよね。だから体が動いているわけだけれども、その時、“その霊界から火素が本当に来てるのかな?”というのと、それと脳死状態の時の現界にある霊ですよね、体の中にある霊と体がある、その“霊の部分はどうなっているのかな?”と思いまして。

楳木先生:

その一つは、心臓を生命維持装置で動かしている時には、火素はなかなか来てないと思うんですよね、充分には。だから人工的に、まぁ取り込んでいるという状況だと思うんですよね。だからまぁ尊厳死ということを我々はいつも望んでおかないと、生命を機械で維持されるということは、嫌な思い、っていうことになる。

しかし、脳が先に死んだ時、停止した時、心臓がやがて動かなくなるということは・・、生命維持装置を外した時にピタッと心臓が止まるかどうか。

えっーと最近の映画(ファミリー・ツリー)では、ある奥さんが水上スキーかなんかで事故をして、ハワイで、生命維持装置だけで生きている。しかしそういう事故があった時に、「尊厳死を望む」というそういう遺言みたいのを書いてたので、どうするかということを、その主人と子供達が悩みながら、財産の問題と、それからその奥さんにはいい人がいたとかいうようなことを絡めた映画があって、生命維持装置を外した時に、やっぱり数時間生きてる。心臓が動き続けているので、だから機械を外したからといって、すぐに止まるわけではない。じゃあ、なぜつけるのかというと、これは医者の考え方でつけてるわけなんで、まぁそういう問題も含めて考えておかないといけない。

もう一つ2番目の質問は。」

受講者:

その脳死してる時に、

楳木先生:

魂はどうなっているかと。」

受講者:

そうなんです。先程のお話でしたら、脳死は、心臓が動いているから火素が入っているから死ではないと、御教えからいくと死ではないという内容でしたけれども、でもその生命維持装置で、その維持装置を切ったとしても、強制的に動かしているだけであったとしたら、その時の霊ってどうなっているのかなぁと。

楳木先生:

それを取り扱っているのは、あの~え~「島課長」を書いた漫画家、あの人、誰でしたか?今、島社長になってる(笑)あの人(弘兼憲史氏)がいわゆる人間模様をずっとシリーズで描いてる中に、取材をして実際にそういう状況になった時の様子を描いてあるんですけど、おおよそ霊は抜けてる。それで抜けて上から見ていると、みんなが声をかけたりしているのが見えて、ただまだ心臓が動いているんですね。すっかり離脱できないけれども、だいだいあの時はこうだったという取材を、まぁ分かりやすいように、漫画に描いているんですけどね。だから半分抜けているけれども、霊界に行ききれない状態でいる人が多いみたいですね、取材によると。」

受講者:

そのお医者さん方も、ずっと調べて、あんまり病院で死なないで、家で死ぬことを希望する人達を扱っているお医者さんが注目しているのありますよね。(「人は死なない」矢作直樹著など)そうすると、その霊界にいくのをお迎え現象がある、全部あれしているんですね。それで家で亡くなった方がお迎え現象が多いということでした。亡くなる一週間前ぐらいに御先祖様が出てくるとかいうようなことがあるんでしょうかね。

受講者:

あれは、なんか懐かしい人が出てくるとか、亡くなった懐かしい方が出てくるというのじゃなかったですか?

受講者:

まぁ一週間くらい前に抜けて、懐かしい人に会いにいくということがあるみたいですね。

受講者:

けれど、実際にそれはありえない話ですよね。

楳木先生:

だから、それは医者達が今調べているというところ、で留めておけばいい。

受講者:

一週間くらい前には、霊が分かって、とかいうふうによく聞くけどね。

楳木先生:

だからそれは病院に入った人ではないから。」

受講者:

病院に入っていない場合にね。

楳木先生:

自然死の場合はそういうことが分かると。

受講者

だからちょっと一週間くらい前に、霊的には少し抜けているのかなぁと思ったり。

楳木先生:

抜けようとしても生命維持装置をつけられると、抜けようにも抜けられない。だから「止めてくれ」と、霊は叫び続けているという描写なのでね。

受講者:

あ~そうか。

(後文割愛)

受講者:

心臓の病気を持っている人が病気が治ったら、すごく愛情が深くなるという御教えがありますよね。ということは、それはその霊素、火素をいただくことで愛が増えるとか、どういうふうなことになるんですか。

楳木先生:

まぁ、一応医学的な「心臓を傷める精神状態は何か?」というと、敵対心が強いと心臓を傷めてしまうという、これは医者達が調べたデーターでね。敵対心を持ったり対抗意識が強いと心臓を悪くしていくという、データー的にはそういうのが、医学的には残っている。それをさっきの愛ということに比ぶれば、愛があれば、そんな敵対心なんかというのは、ないからね。」

受講者:

火素が十分に入ってきたら愛が強くなるから、敵対心があまり持たなくなる、強くなくなるということですか?

楳木先生:

いやそれは、火素が入ってくるから、ではなくて、そういう人の気持ちとか、想念の世界が変わって来ると、心臓にはいい、ということ。

受講者:

魂が浄まって、火素が入りやすい、ということ?

楳木先生:

う~ん、だから、火素が入りやすくなる、というよりも、それが入ったことによって魂が浄まってくる。愛が充実してくる、と。当然、愛のあるような人は、火素が霊界から十分入って来るから。そういうふうに充実してくるわけなんです。

支部長代理:

逆に、火素たる愛が少なければ、心臓の機能が弱まるので、敵対心が出てくる。両方ある。

受講者:

心臓機能が弱いから、火素が弱い、愛が少なくなるということを言われたんですか?

楳木先生:

だからそれを、こうだからこうということは、なかなかない。絶えず相互関係だからね。霊主体従の法則と霊体一致の法則で我々は成り立っているわけなので、一面からいくと火素が入ってこないので愛が少ないという言い方もできるし、愛が少ないから火素の取り入れが少し弱いという言い方ができると。

支部長代理:

それと、心と肉体ね。要は心が肉体にも影響するし、肉体が心にも影響していくということ、感情にね。

 

責任者:

ここでは、「脳死のときの霊魂の状態」と「心臓病の人の精神状態」について御教示いただきました。ポイントだと思うところにアンダーラインを引きました。各自拝読し、要点を掴んでいただきたく思います。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

「心臓移植」と「火素」

受講者:

その~臓器移植された方とかは、その方は火素が吸収されるんでしょうか?

楳木先生:

う~んと、それは「されるんですか」と言われても困るんだけど(笑)、今アメリカで心臓移植が非常に多いんだけど、心臓移植した人が2回目の、・・まぁお金が沢山あって、それで2回目の心臓移植をしようとした時に、一番悩む原因は何かということを以前もお話したことがあると思うけど、我々は、例えば100人いる前で「何か挨拶しなさい」とか言うとドキドキするよね、緊張するとドキドキするんだけど、しかし心臓移植された心臓はドキドキしない。好きな人の前に出て初めて告白しようかという時でも、ドキドキしない、反応しないという。

だから生きている実感が無い、ということ、移植された心臓では。だから2回目の時に、もう一度他の人の心臓をもらっても、人間としての、その生きているという実感が無くなってくるので、2回目を躊躇する人が非常に増えていると。と同時に、だからこそカウンセリングをしてあげないと、普通の人間生活ができないような状態になってくる。ということが報告としてはされていますのでね。

支部長代理:

だから、その分、火素が入っていかない。人工的に入れてますから火素が入っていけませんので、そういったことで、先程御教えにありましたように、火素・水素・土素が、やっぱりチャンとしたものがあって、人間の生命が活動するということですから、だから非常に人間らしくないことになってくるわけですね。

受講者:

火素が入らないということですか、心臓移植していたら?

楳木先生:

だから火素というのは、とにかくこれは『人間とは』というところに帰ってくるわけだけど、人間は神様の命を受けてこの世に生まれてくるわけでしょ。それで生まれてくる時には、そのいわゆる系統の命を受けて出てくるわけなので、心臓はその系統を通して火素が入ってくる時に、他の心臓がくると、その系統ごとに火素が入ってくるので、だから生きている実感が生まれないという、最大の理由はそういうところにあるわけです。自分ではないわけです。自分の系統の火素が入って来ないわけだからね。嫌でしょ、そういうのはね。」

受講者:

自分の系統から火素が入ってくるということは、移植して他人の心臓だから、他人の幽魂、幽体から流れてくる火素を使ってらっしゃるわけですか?

楳木先生:

そうそう、だから別ルートできちゃうもんで、他のルートで入ってくるもんでね。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここでは、「心臓移植した人の火素の吸収について」御教示いただきました。ポイントだと思うところにアンダーラインを引きました。各自拝読し、要点を掴んでいただきたく思います。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

「心臓」と無意識

支部長代理:

しかし、心臓というのは、ポンプ作用ということですけれど、ドラム缶40本分ぐらいの血液を毎日このポンプで流している。これを科学で「同じように電動ポンプを作れ」と言っても、まぁ何年かで故障するでしょうね。これがずっと何十年もと・・、本当に人体の素晴らしいことだと思いますね。

楳木先生:

うん、それとね、心臓について面白い本は、「ゾウの時間 ネズミの時間(本川達雄著)」という本があるんだけど、どんな生き物でも心臓が一生の内で動く回数がだいたい決まっている。それで、像は大きいけれども(強力ポンプが必要)、心臓がゆっくり動いているから長生きをするわけ。ネズミは速い。まぁ動きもチョロチョロしていて速いけど、心臓も物凄く速いので、だから寿命も早いというのを、医学的に調べながらまとめた本がある。薄い本ですけどね。ああいうのを見ていると、主神様が心臓というものをお創りになった時の、そこに込められているいろんな仕組というのがね、凄いということがわかる。ドラム缶40本を毎日送りつつ、しかも何回まで生涯動かせるというのを仕組んでいるわけなんでね。

支部長代理:

人間は確か1日10万回動くんですよね。その仕組みも素晴らしいですね。

あるどこかの本に書いてあったかと思うんですけど、心臓を動かす最初は何かというと、人間には意識するものと無意識というのがあって、意識する時は大脳にきて、大脳から電気信号を出して中枢神経ですね、そこを通って心臓を刺激し動かす。しかし面白いのは、無意識というものがあって、自分では意識してない。そういうXみたいな、そういう無意識というものがあって、大脳に作用しているんだと。だから電気信号が送られてきて、いわば自律神経ですよね、それによって勝手に動いているんだと。その始まりを考えると面白いなぁと思いますね。だから無意識という、そういう存在を認めているという・・。これは解剖学の方も言ってたんですけどね。

楳木先生:

なるほどね。まぁ臓器としては、メシヤ様はそういう意味で『延髄をよく浄霊しなさい』というところが、その無意識のうちの臓器的には一番大事なところなのでね。延髄がすべてを、無意識を動かしているんだから、みんな眠っている時に呼吸しているわけだし、心臓も動いているわけなのでね。

支部長代理:

(中枢神経としては)小脳も大事だと言われてますよね、大脳の中心は小脳だとおっしゃってますね。小脳と延髄はよくおっしゃいますよね。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

○「ゾウの時間 ネズミの時間(本川達雄著)」という医学的に調べながら纏めた本の中に、どんな生き物でも心臓が一生の内で動く回数はだいたい決まっていて、像は大きいけれども(強力ポンプが必要)、心臓がゆっくり動いているから長生きをするが、ネズミはチョロチョロしていて速く動き、心臓も物凄く速く動くので、寿命も短いということが書いてあるのだということ。

>そのような本を読むと(ドラム缶40本を毎日送りつつ、しかも何回まで生涯動かせるというのを仕組まれているわけなので)、主神様が心臓というものをお創りになった時の、そこに込められているいろんな仕組というのが凄いということがわかるのだということ。

◎臓器としては、延髄がすべてを(無意識を)動かしている(みんな眠っている時に呼吸しているし、心臓も動いている)のだから、そういう意味で『延髄をよく浄霊しなさい』とメシヤ様は仰っているのだということ。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

生命が萎える「人工摂取」

受講者:

食べていったものが、胃に入っていって土素を吸収するんですよね。点滴とか入れるじゃないですか?、あれはもう土素が全然吸収出来ないってことになるんですか?

楳木先生:

全然、ってことはない。」(後略)

受講者:

全然じゃない・・点滴でも?

楳木先生:

点滴は全然ってことはないでしょ?多少は入っているんだから。だけど、メシヤ様は点滴の場合は数回ならいいと、もう何ヶ月も前に勉強したでしょ?

受講者:

そうですか、あっスミマセン。

楳木先生:

うん。点滴の場合は、数回までならいい、と御論文(御教え『栄養』へ)に。

受講者:

『文明の創造』ですか・・・。

楳木先生:

そうそう、またちょっと読んでみてください。」

受講者:

はい。

支部長代理:

それくらいまでだったら、限度としていい、っていうことだね。

受講者:

それ超えると?

楳木先生:

超えると、自分に備わっている消化機能が退化していって、アンバラスになっていく。

受講者:

お年寄りの人とか寝たきりの人って、栄養とかいって胃に直接チューブを入れて流し込むっていう・・なんか背中が変なふうに曲がったりするんですよね?

楳木先生:

そう。それと、本来人間に備わっている口に食物を入れるときに、食べる満足感とか味わいとかあるでしょ?胃に直接入れるとそうしたものが無くなっていく。だから人間としては生きている喜びが無いでしょ?ただ生かされているという感じになっちゃうでしょ・・。

(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は「点滴(栄養注射)」は1.2回くらいであれば大した影響はないと仰っているのだということ。

>しかし、それを超えると、自分に備わっている消化機能が退化していって、アンバラスになっていくのだということ。

≫又、胃瘻では食べる満足感とか味わいとかが無くなっていき(人間として生きている喜びが無くなり)、ただ生かされているという感じになってしまうのだということ。

 

「メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)」より抜粋つづき:

「御教えで論じ課題を出して実践」が信仰

(後略)

受講者:

あの~浜松かどこかのメシヤ講座だったかと思うんですけれども、経と緯と合わせて、それに現界の起こっていることを合わせて、御教えが立体的になっていくんだという内容のお話を代表先生が最近どこかでされてましたが、

楳木先生:

だいぶ前、それは。」

受講者:

だいぶ前ですか、それがまぁ常識ということになっていくのかなぁとか思うんですが、そういう現界に起こっていることと御教えとをかみ合わせていくと、どれが常識になっていくのかというのがよく分からないんですけれども。

楳木先生:

それはね、「教・論・律」の方で考えていった方がわかりやすいと思います。」

受講者:

「教・論・律」?ちょっと全然よく分からないんですが。

楳木先生:

「教・論・律」で考えていくのは、メシヤ様の御教えというのは、昭和29年までにお書きになったものと、昭和30年に御昇天する前に御言葉を述べられたものは、御教えとしてあるので、これはもう根本的な「教」という教えというのがあって、それに基づいて現在の社会が動いている姿を見つめていくというのが「論」。

そうすると、さっき○○さんが報告してくれたように、今イギリスがこんなに大変な状況になっている、と。そうした場合、「どうしなければならないのか?生活上どういうことを気を付けないといけないのか?」ということで、「日本人であれば若い人はスマホばっかり弄っていると首肩が凝るので、これは時間を決めて見るとか、いろいろ工夫しながら生活していかないと、首肩のコリがより一層強まってしまうので良くない」ということを判断するのが「律」なわけです。

「生活をどのようにさせていただくのか?」

だからどこまでも、メシヤ様はずっーと御説きになったものがあって、それから57年経っているので、57年後の現代はその教えに基づいてみると、どういうふうになっている、というのを判断するのがいわば論理で、だからこそ(「教」「論」からの帰結として)「日常生活でこういうことを心がけて生活させていただかなければいけない」というのが「律」です。これが「信仰生活」ということ。」

支部長代理:

仏教とかでもありますよね。(「律」は正しく生きるための規則)

楳木先生:

仏教の「経論律」の「経」は御経の「経」になるわけです。それで私達が求めるのは、教えるという字の「教・論・律」ということでね、それで解釈していくといいと思います。

受講者:

ということは『文明の創造』に

楳木先生:

『文明の創造』では書いてない。」

受講者:

これから入れていくということ、書いてなかったでしょうか。

楳木先生:

「教・論・律」をずっと私が言い続けているということです。言葉では「教・論・律」は出さないけれども、「メシヤ講座」は、「教・論・律」なんだと。

受講者:

あ~

楳木先生:

「メシヤ講座」でね。分かっていただけましたでしょうか?」

(後文割愛)

 

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様の御教えに基づいて現代を見てみると、どういうふうになっているのか、というのを判断するのがいわば論理であり、だから「教」「論」からの帰結として「日常生活でこういうことを心がけて生活させていただかなければいけない。」というのが「律」であり、これが私達の「信仰生活」なのだということ。

>仏教の「経論律」の「経」は御経の「経」になる。私達が求めるのは、教えるという字の「教・論・律」ということで解釈するのだということ。

>「教・論・律」は言葉では出さないけれども、「メシヤ講座」は、「教・論・律」なのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回は、『心臓は霊界から火素を吸収するのだ。』ということと「心臓停止が死であり、脳死は死ではない。」のだということを、私達は明確にしておかなければならないのだということ。又、「霊界(霊)と現界(体)の密接に繋がるところが心臓なのだ。」という大変重要な事柄を御教示いただきました。そして私達の信仰の目指すところは、「教・論・律」であり、私達が学び続けている「メシヤ講座」こそ「教・論・律」そのものだということを御説明いただき、再認識することができ、日常生活が「教・論・律」に繋がったものとなるように努めていかなくてはならないのだと思いました。

9月に入りましたが予報では、まだまだ暑い日が続くということです。どうかご自愛ください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらから覧いただけます。

メシヤ講座no.143大阪(平成24年12月分)

 

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