研鑽資料no.178(2026年4月)

4月に向けての学び

はじめに

責任者:

日ごとに春らしい陽気になり、桜の花が咲く頃となりました。そのような季節の中、イラン対アメリカとイスラエルの戦争の影響によるホルムズ海峡の閉鎖により、原油価格の高騰、ガソリン価格や電気代、物流費の上昇を引き起こされるだろうことが懸念されております。原油輸入の9割以上を中東に依存している日本に於いて、新しい輸入先を検討する絶好の機会を与えられたように感じております。何はともあれ、一日も早い終結を望むばかりです。

それでは引き続き、「文明の創造」より学んで参りたく思います。

 

「メシヤ講座no.156大阪(平成26年1月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『手術』

「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年

近来、医学は大いに進歩したといい、取り分け手術の進歩を誇称しているが、私から見れば之程の間違いはあるまい。考える迄もなく、手術が進歩したという事は、実は医学が進歩しないという事になる。というと不思議に思うであろうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。判り易く言えば、病気と其機能とは密接な関係はあるが本質は異っている。従って真の医術とは病だけを除って、機能は元の侭でなくてはならない筈である。

処が医学が如何に進歩したといっても、病のみを除り去る事が不可能であるから、止むを得ず二義的手段として、機能をも併せて除去して了うのであるから、此事を考えただけでも、手術の進歩とは、医学の無力を表白する以外の何物でもない事が分るであろう。斯んな分り切った理屈でさえ気がつかないとしたら、今日迄の医学者は驚くべき迷蒙に陥っていたのである。従って何としても大いに覚醒して、初めから行り直すより外あるまい。即ち医学の再出発である。処が今日迄其意味を発見した者がなかったが為、盲目的に邪道を驀進して来たのであるから、何年経っても人類は、病気の苦痛から解放されないにみて明かであろう。

以上の意味に於て考えてみる時、手術の進歩とは、医術の進歩ではなく、技術の進歩でしかない事が分るであろう。そうして尚深く考えて賞いたい事は、造物主即ち神が造られた万物中最高傑作品としての人間であるとしたら、仮にも神として人体を創造する場合、五臓六腑も、胃も、筋肉も、皮膚も、何も彼も無駄なものは一つも造られていない筈である。之は常識で考えても分るであろう。

処が驚くべし、二十世紀に入るや、人間の形はしているが、神以上の生物が現われた。其生物は曰く、人体内には種々な不要物がある。盲腸も、片方の腎臓も、卵巣も、扁桃腺もそうであるから、そんな物は切って除って了う方がいい。そうすればそれに関した病気は無くなるから安心ではないか、と言って得々として、メスを振っては切り除って了うのである。何と素晴しい超人的、否超神的存在ではなかろうか。

処が不思議なる哉、此大胆極まる暴力に対し、現代人は無批判処か、随喜の涙を雫している。而も、人民は疎か、各国の政府迄も有難がって、之こそ文化の偉大なる進歩であると心酔し、援助し奨励迄しているのであるから、其無智蒙昧さは何と言っていいか言葉はないのである。としたら此現実を見らるる流石の造物主も、呆れて唖然とされ給うと察せらるるのである。そうして右の超神的生物こそ、誰あろう近代医学者という人間である。としたら全く彼等の人間を見る眼が強度の近視眼にかかっており、近くの唯物科学だけが見えて、其先にある黄金の宝物が見えないのであろう。

然し私は、唯物科学を敢えて非難する者ではない。人類は之によって、如何に大なる恩恵を蒙り、今後と難も蒙るかは、最大級の讃辞を捧げても足りない位である。といって何も彼もそう考える事が早計であって、唯物科学にも自ら分野があり、越えてはならない境界線がある。ではそれは何かというと、有機物も無機物も同一視する単純な考え方では、駄目であるという事である。つまり唯物科学は、生物である人間も他の動物も、無生物である鉱物や植物と混同している錯覚である。

というのは本来動物なるものは無生物ではないから、唯物科学の分野に入れてはならないに拘わらず、どう間違えたものか、入れて了った事である。之が根本的誤謬で、それによって進歩して来た医学であってみれば、手術といふ人体を無生物扱いにする行り方も当然であろう。又斯ういう点も見逃す事が出来ない。それは唯物科学の進歩が、余りに素晴しかった為、何も彼も之によって解決出来るものと信じて了った科学至上主義である。処が実際上動物はそうはゆかない。成程医学によって、一時的には効果はあるようだが、根本が誤っている以上、真の効果が挙らないにも拘わらず、それに気付かず、相変らず邪道を進みつつあるのである。

そうして右の如く私は生物と無生物の関係を大体かいて来たが、今一層掘下げてみれば生物の中でも人間と他の動物とを同一視してはならない事である。といっても之は根本的ではないが、相当の異いさがある。例えば人間に対って、結核といえば直に神経を起し、悪化したり、死を早めるが、牛の結核を牛に言っても、何等の影響もないのである。従ってモルモットや二十日鼠を研究して、人間に応用しても、決して良い結果は得られないのである。

茲で前に戻って、再び手術に就て筆を進めるが、成程一時手術によって、治ったとしても、それで本当に治ったのではないから、暫くすると必ず何等かの病気が発生するが、医学は其原因に気が付かないのである。そんな訳で手術後の先には余り関心を持たないのである。然し考えても見るがいい。体内の重要機能を除去したとすれば、言わば体内的不具者となるのであるから、全然影響のない筈はない。

例えば外的不具者で足一本、手一本処か、指一本、否指の頭だけ欠損しても、其不自由さは一生涯の悩みの種である。況んや内的不具者に於てをやである。而も外的不具者なら、生命に関係はないが、内的のそれは生命に至大の関係があるのは当然である。例えば盲腸の手術で、虫様突起を失うとすればどうなるであろうか、元来盲腸なるものは、重要な役目をもっている。

それは人間の背部一面に溜った毒素が、一旦右側背面腎臓部に溜って固結し、少しずつ盲腸部に移行固結するが、或程度に達するや急激な浄化が起り、発熱、痛み等が発生し、溶解された毒素は下痢となって排除され、それで治るのであるから、実に結構に出来ている。処が可笑しいのは、此際医師は手遅れになると大変だから、一刻も早く手術せよというが、此様な事は絶対ないので、手遅れになる程反って治る可能性が多くなる。之は理屈ではない。私は何人も其様にしたが、一人の間違いもなかったのである。寧ろ手術の為不幸になった例は時偶聞くのである。

又盲腸炎潜伏を知るのは訳はない。医学でもいう通り、臍から右側斜に一、二寸位の辺を指で押すと痛みがあるから直ぐ判る。然し原因は其奥にあるので、盲腸部だけの浄霊では全部の痛みは除れない。盲腸炎の場合、右側腎臓部を指で探ると必ず固結があり、押すと痛むからそこを浄霊するや、忽ち無痛となり全治するのである。治る迄に早ければ十数分遅くとも三、 四十分位であって、間もなく下痢があり、それで済んで了うので、再発などは決してない。としたら何と素晴しい治病法ではなかろうか。

処が医学では手術の苦痛も費用も、並大抵ではない。其上不具とされ、運の悪い人は手術の跡の傷が容易に治らず、数年かかる者さえある。稀には手術の為生命を失う者さえあるのだから、我浄霊と比較したら、其異いさは野蛮と文明よりも甚だしいと言えよう。処が手術によって盲腸炎は治ったとしても、それだけでは済まない。

前述の如く盲腸なる機能は、背部一面の毒素の排泄機関であるから、それが失くなった以上、毒素は出口がないから、大部分は腹膜に溜ると共に、腎臓部の固結も大きさを増すから、それが又腎臓を圧迫し、腹膜炎に拍車をかける事になる。之が主なる悪影響であるが、其他の個所にも溜るのみか、手術後腹力や握力が弱り、持久力や粘り強さ等も薄くなり、性欲も減退する。之等は体験者の知る処であろう。

次は腎臓剔出であるが、此手術は腎臓結核の場合であって、痛みや血尿があるので、そう決められ剔出するが、此成績も面白くない。大抵は何かしら故障が起る。その中で一番困るのは、残っている一つの腎臓は二つの負担を負わされるから、病気が起り易いと共に、剔出する事も出来ず、どうしていいか判らないという惨めな人もよくある。というのは誰しも保有毒素が相当あるから、残った腎臓へ溜結するのである。その外全身的には弱体化し、歩行にも困難があり、腰を捻ったり、正坐すら出来ない人もあって、先ず半分廃人である。処が最初から浄霊によれば、手も触れずして簡単に全治するのである。

次は胃癌の手術であるが、之も仲々厄介である。之に就て遺憾に思う事は、切開してみると、癌が見当らないという過失をよく聞くが、患者は全く災難である。幸い予定通り切り除つても、大抵は時日が経つと僅かでも残った癌が広がってゆき、再度の手術をするようになるが、三度目になると不可能で、最早致命的である。そうして手術が成功しても、縮小した胃と腸と繋ぎ合すので、食物も少しずつ何回も摂らねばならず、而も医学の統計によれば、手術後の寿命は平均二年半とされている。

それに就て医学は斯ういうのである。どうせ半年か一年で死ぬべきものを、手術によって一年でも二年でも延びるとしたら、それだけ有利ではないかと。成程其通りにゆけばいいが、事実は放って置けば三年も五年も生きられるものを、手術の為に縮められる例を、私は幾人となく経験したのである。又医学は癌の治療にラジウムの放射をするが、之は反って悪化する。というのはラジウムは癌を破壊すると共に、組織迄も破壊して了うからである。

右の解説は真症胃癌に就てであるが、実は真症は少なく、大部分は擬似胃癌であり、擬似は勿論薬毒が原因である。それは薬の性質にもよるが、一旦吸収された薬は、時を経て毒に変化し胃へ還元し固まる。それが癌とされるのであるから、之は浄霊によれば非常に衰弱していない限り、必ず治るのである。

右の外卵巣除去、乳癌の手術、中耳炎、瘍疔(ようちょう)、眼科、肋膜炎の穿孔、痔疾、横疲(よこね)、睾丸炎、瘭疽(ひょうそ)、脱疽、整形外科手術等々種々あるが、之等も大同小異であるから略すが、茲に二、三の書き残しをかいてみよう。それは各種の腫物であるが、之は手術をせず放っておけば、腫れるだけ腫れて自然に穴が穿き、そこから血膿が出て完全に治って了うものである。処が患者は痛みに堪え兼ねるので、医療は早く治そうとして手術するが、之が大変な誤りである。というのは手術にも時期がある。充分腫れてからなら左程の事もないが、そうならない内に行うと、今迄一ヶ所に集中していた膿は、其運動を止めて了い、他の近接部へ腫れ出すのである。之は手術処か、一寸針で穴を穿けた位でも、ヤハリ集溜が停止されるので、之は知っておくべき重要事である。

之に就て斯ういう例があった。以前私は頼まれて某外科病院へ行った事がある。患者は四十歳位の男子で、よく訊いてみると、初め頚部淋巴腺に鶉の卵位の腫物が出来た。早速医者へ往って穴を穿け、膿を出して貰うと、間もなくお隣へ同じような腫物が出来た、それを切ると又お隣へ出来る、という具合で、遂には反対側の方にも出来、それも次々切ったり出たりする内、遂には腫物の数珠繋ぎとなって、私を招んだのである。そんな訳で外部には腫れる場所がなくなったので、今度は内側へ腫れ出した。恰度其時であったので、私と難もどうする事も出来ず、断って辞したが、其後数日を経て、咽喉が腫れ塞がり、窒息で死んだとの知らせがあった。之等は全く手術の為の犠牲者である。というのは最初腫物が出来た時、放っておけば段々腫れて、恐らく赤子の頭位に大きくなったであろうが、それでも放っておけば、終には真ッ赤にブョフョになって穴が穿き、多量の血膿が出て、完全に治って了い、痕跡も残らないのである。

次は、近来一部の医師で、脳の手術をするが、之等は勿論癲癇とか、脳疾患等の場合行うのであるが、之は何等の効果もない。何故なれば頭脳の機質性病患でなく、精神的のものであるからで、つまり霊的原因である。之に就ては霊の項目に詳記するから、茲では略す事とする。次は近頃流行の結核に関する手術療法で、之は肋骨を切り除ったり、空洞のある患者には、合成樹脂の玉を入れたり、横隔膜を手術したりするが、之等は一時的効果で、反って後は悪いのである。要するに再三言う通り、手術なるものは、如何に有害無益なものであるかは、医学が一層進歩すれば分る筈であるから、最初に述べた如く手術の如き、野蛮的方法は、是非全廃して貰いたいのである。

 

※『文明の創造』英語版はこちらをクリックしてください。

Creation of Civilisation: Translated Edition

 

浄霊と医学の癌事例

楳木先生:

それでは・・・今月も非常に長い御論文でしたが、冒頭に『近来、医学は大いに進歩したといひ、取り分け手術の進歩を誇称してゐるが、私から見れば之程の間違ひはあるまい。考へる迄もなく、手術が進歩したといふ事は、実は医学が進歩しないといふ事になる。といふと不思議に思ふであらうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。判り易く言えば、病気と其機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。従って真の医術とは病だけを除って、機能は元の侭でなくてはならない筈である。』と、こういうふうにメシヤ様が昭和27年に御指摘されております。

それから約60年経った今日、その手術はですね、さらに技術的には進歩しておりますけれども、根本的に肉体の機能を残しつつ病だけを除去するという手術は未だに出来ておりませんので、メシヤ様が医学者にもっと研究を重ねてもらいたいというのは、こういうことであろうかと思います。

年末年始もですね、各地から様々な電話とかメールが来ているんですけれども、まぁ一番驚くべきことはですね、昨年の秋に医者から肝臓癌を宣告されて、来年の4月まで(今年の4月のこと)の余命宣告をされたご婦人なんですけれども、もう年も年なので浄霊に縋って手術は止めようということで浄霊をずっとしておりましたら、年末に血液検査をしたら、癌症状が消えていると…。

そして、その時にその御婦人は医者に「来年の4月までと言ってたのに良くなるってどういうことなんですか?」と聞くと、医者は「稀にはそういうことがある」と。これはどういうことかということです。

医者ではもう来年の4月まで、たとえ手術をしてもそこまで命がもつか分からないと言っているのにですね、だんだん改善してきているので、「稀にはそういうこともある」というような説明をしたので、もう怒って仕方がなかったというような報告がありました。

それからもう一人の方からはですね、この方は70代前半の方ですけれども、乳癌を患って、そしてメシヤ教に繋がる前に、さまざまな治療を受けてきて、そして薬の恐ろしさとかを知ったので…。

医者が「最後にもう一つ抗癌剤を試させてもらいたい」ということで、子供さんたちは「もう止めてほしい」と言ったんですけど、そのお母さんは「医者が非常に親切にしてくれているので、なんとか最後の提案を受け入れたい」ということで、私は「止めたほうがいいよ」と言ったんですけれども・・・、結果的に体調が悪化し腕がパンパンになってしまって、この脇の下からリンパ液が出始めたわけですね。そしたら、医者が何と言ったかと言うと、「抗がん剤が合いませんでした。もうこれ以上の治療はできないので緩和ケアに移って下さい。緩和ケアの病院を紹介しますので、早急にそちらへ移って下さい」ということです。(新薬臨床実験は結果どうなるか不明なので)「こんなに腕を張らせたのはおまえじゃないか」という、そういうやりとりができないわけですよね。医者が「こういうことになるかもしれませんよ、それでもよければさせてもらいます」という話が無い。

「今いい新薬が出たので、これにかけてみたい」ということで、治療を向こうから提案してきて、手がパンパンに腫れて、そしてそこからリンパ液がどんどん出始めたら、スーッと医者は手を引いてしまう。これが医療の中の現実として起きているわけですね。

ですからメシヤ様が冒頭にお述べになっていることは、現代に至ってますます酷くなっているということを私たちはよく腹に入れておかないといけないと思うんですね。」

迷信錯覚

楳木先生:

そして医者はこのことに『何故気付かないのか』というふうに御指摘をされております。このことを総体的にみると、メシヤ様は“真実に何故気付かないのか”ということを私たちに御提示しているわけです。世の中の流れに流されていくと、様々なことが気付かない状態に陥らされているので、しっかり気付くような人間になって下さい、ということで、医者に対する批判ではあるわけですけれども、勿論われわれメシヤ様の弟子にもよく気付くようにしていってもらいたいということが、この中の願いとしてはあります。

それから、もう一つはメシヤ様は『錯覚だ』と仰っていますから、今この世の中は錯覚に陥らされているということです。メシヤ様御在世中から今日まで、みんな錯覚させられてるんですね。だから私たちはこの世の中に生きているなかで錯覚状態に陥らされているので、”自分が錯覚を起こしていないか”ということを絶えず自分に問いかけておかないと、生活をキチンとしていく上においては、様々なことが生じて来るということですので、今回は手術に対する批判ではあるんですけれども、絶えず気付いていくような人間になっていかないといけないということで・・・、日常生活で錯覚を起こしている場合があるので、この錯覚に絶えず気付いていかないといけないことがいっぱいあるということが、メシヤ様の御心の中にはずっと流れているということです。

御論文を拝読するだけでなく、メシヤ様の御心を受け止めていくという姿勢で拝読をしていっていただきたいというふうに思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は昭和27年に御執筆なさったこの御論文の冒頭で、 『近来、医学は大いに進歩したといひ、取り分け手術の進歩を誇称してゐるが、私から見れば之程の間違ひはあるまい。考へる迄もなく、手術が進歩したといふ事は、実は医学が進歩しないといふ事になる。といふと不思議に思ふであらうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。判り易く言えば、病気と其機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。従って真の医術とは病だけを除って、機能は元の侭でなくてはならない筈である。』と御指摘されているのだということ。

>それから約60年経った今日(平成26年当時)、その手術はさらに技術的には進歩しているけれども、根本的に肉体の機能を残しつつ病だけを除去するという手術は未だに出来ていない(メシヤ様が医学者にもっと研究を重ねてもらいたいというのは、こういうことであろうかと思われる)のだということ。

≫メシヤ様が上記のように冒頭でお述べになっていることは、現代に至って「ますます酷くなっている。」ということを私たちはよく腹に入れておかないといけないのだということ。

◎そして医者は、上記のことに『何故気付かないのか』というふうに御指摘をされているのだが、このことを総体的にみると、メシヤ様は私達に「真実に何故気付かないのか。」ということを提示されているのだということ。

>これは、医者に対する批判なのだが、私達メシヤ様信徒に対しても「世の中の流れに流されていくと、様々なことが気付かない状態に陥らされるので、しっかり気付くような人間になって下さい。」という願いがこの中にはあるのだということ。

◎それからもう一つとしては、メシヤ様は『錯覚だ』と仰っているのだということ。

>今この世の中は錯覚に陥らされているのだということ。

>メシヤ様御在世中から今日まで私達は、この世の中に生きている中で錯覚状態に陥らされているので、「自分が錯覚を起こしていないか。」ということを絶えず自分に問いかけておかないと、キチンと生活をしていく上において様々なこと(問題)が生じて来るのだということ。

>今回は手術に対する批判だが、メシヤ様の御心の中には「(私達は)日常生活の中で錯覚を起こしている場合があるので、絶えずこの錯覚に気付いていかないといけないことが沢山あるのだ。」という思いがずっと流れているので、そのメシヤ様の御心を受け止めていくという姿勢で私達は、拝読をしていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.156大阪(平成26年1月分)」より抜粋つづき:

霊主体従

楳木先生:

それから、科学至上主義というのは今から400年以上前からデカルトをスタートにして心と肉体を分離して考えるという思想が生まれて、その肉体だけを研究していくというところで医学が進んできております。実はここに気付かないといけないということで、モルモットで研究したことを人間に当てはめているというのは、食い違いが起きてしまうということです。だから牛に「胃癌だ」と言ってもそれはどこも悪くならないけど、人間に「あなたひょっとすると胃癌かもしれないよ」というと、もう心配が膨らんで本当に病になっていくということが、人間の精神性の上において起きてくるわけなんですけども、医学というのはそういうところに気付き始めた人はいらっしゃるんだけれども、まだまだ気付かないこともあります。

それでですね、若い方で「ゴルゴ13」という漫画を読んでる人います?今年、新年の「ゴルゴ13」は読みましたか?」

受講者:

まだ読んでないです。

楳木先生:

あ~まだ読んでないね。ビックコミックという漫画雑誌があります。そこで私は「ゴルゴ13」だけは必ず一作も逃さないように読んでいっているんですけれども、それは何故かというと、さいとう・たかをという作者を中心としてプロジェクトを組んで様々な世界で起きている出来事を分析して、それを「ゴルゴ13」という暗殺者を中心にしてこの世の中の問題を浮き彫りにするということをテーマにしてですね、大変なプロジェクトで、複数の脚本家の協力の基ずっと作品を作っているわけですね。

それが一番最新作はなんだったと思いますか?これは「奇蹟を呼んだ少年」というタイトルなんですね。それはどういうことかというと、その少年は脳の中心、脳幹の近くに腫瘍ができて、そして医者が「もう現代医療では施しようがないので、一つ可能性があるのはイメージだ。今この世の中にはイメージをいい方向に持っていくことによって、その病的状態が改善するという症例がいくつも報告されている。だからもう君には最後イメージをいい方向に持つしかないんだ」ということを医者がその少年に宣告しているわけですね。そうするともう僕は死ぬということが分かっているのに、どうして良いイメージを持つことができるのかということで、バードウォッチィングが趣味なので、双眼鏡でこうやって見ていたら、ゴルゴ13が練習しているところを目撃してしまうのね(笑)。

何百メートルも山の向こう側にコインを置いて、そのコインを打ちぬく練習をずっとしている。そのゴルゴ13というのは、谷で風が吹くとその風の速度に合わせて弾丸がどれだけ流れて行くのかそれを計算して打つので必ず相手に当たって行くという、そういう計算をしているから、非常に悪の世界ではあるんだけれども、非常に緻密な計算の元にそういうストーリーが流れていくわけですね。それを見てしまったので、ゴルゴ13が自分が目撃したことを知っているかもしれないということで、それから恐怖心が湧いてくるわけですね。

それから数日後にですね、その入院している病院に、ある疑惑ありの政治家が入院してくるわけですね。その病院の玄関に立って、車からおりて病院に歩いているところをゴルゴ13に打ち抜かれてしまう。その話を聞いた瞬間に「あっ!自分は目撃者として殺されるかもしれない」ということで、夢の中でゴルゴ13にこの脳の腫瘍の部分を打ちぬかれるという夢ばっかり見て、そして怖いという、そっちの方に心が奪われていったために、脳腫瘍のことをすっかり忘れていったわけですね。

脳腫瘍のことを忘れていって、そして医者が脳腫瘍が縮んでいっているということで、やがてそれが消えてく。だからゴルゴ13のその射撃の練習風景を見たところから物語が展開していく中で、これは『霊主体従の法則』によって脳腫瘍が治ったということを、「ゴルゴ13」の漫画の中で書いてある。これは『霊主体従の法則』に沿ったいわば物語のように仕立てあげているので、これを私はガソリンスタンドで読んだんですけどね、こういう悪の世界にこんな話を取り入れるというのは凄い時代に変わったなというふうに思ったんですけどね。

「我々の想念が切り替わることによって病気症状というのは随分改善する症例が今世界には非常に報告されている」というように注釈が入っているんです。「こういう報告がされている」ということですから、やはりああいう研究情報をキャッチしてそれを分析しているプロジェクトというのは、凄い人たちが集まっているなということを感じましたね。

支部長代理:

脳を打ちぬかれるというふうに思い込んでしまうと、不安で不安で、癌が悪化しそうですけれども。都合のいいことに、腫瘍を打ち抜いてくれるであろうと思い込むという、そこが面白いですね。それで安心したんでしょうね。

楳木先生:

うん、だからやっぱり腫瘍のことを忘れたということと、そして銃で撃たれるということのほうに恐怖心が移ったのでね。

支部長代理:

でも普通考えれば、(ガンの疑いを宣告され死を恐れ本当に癌化するように)殺されるという不安感があれば、相当腫瘍が悪化しそうなもんですけど…。よっぽど腫瘍に執着してたわけですね(笑)

楳木先生:

そうね(笑)医者から現代医療では治らないと徹底的に言われたことが、実はこの子の御守護ではないかと考えたほうがいいから、メシヤ教としてはそういう解説をそこに(笑)加えた方がいいと思うぐらいなんですけどね。

(後文割愛)

責任者:

ここでは、『霊主体従の法則』に沿った病気の受け止め方を「ゴルゴ13」の物語を例に御教示いただいております。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読して下さい。

 

「メシヤ講座no.156大阪(平成26年1月分)」より抜粋つづき:

合成化学物質と病

楳木先生:

さて、メシヤ様が御指摘になった機能とそれから病については、機能を除去せずに病だけを除去する方法というのは実は医者たちは分かっているわけですね。

癌ということで考えていけば、今のほとんどの癌というのは化学物質、いわゆる食物の添加物と、それから日常用品の中に含まれている化学物質と、それからこの住環境にある化学物質と、それから外では、排気ガス等をはじめとして中国のスモッグを見れば分かるように、ああいう化学物質が体内に入り込んでくる。そして私たちの正常な細胞を突然変異させて、通常の細胞分裂というのは、細胞分裂すると細胞が二つになって片方は必ず死ぬことになっているんですけども、突然変異を起こした細胞分裂は二つに割れたらどちらも死なないために倍々で増えていって、そしてその増えていった塊が機能を圧迫するために、命に係わってくるというのが、現在の癌の主流であります。

ですから、この細胞の突然変異を起こさないような生活をしていけば癌になることはないわけなんですけれども、そういうことを医者は説明をしません。切って取る、切って取るということしか話をしていきません。「どうしたら治りますか」という時には、「手術をしましょう」「抗がん治療をしましょう」ということになっていきます。

本来癌というのは、そういう化学物質で細胞分裂の突然変異を起こさせてしまうので、その突然変異を起こさせる主たる原因を生活の中から除去すれば治ります、という説明をすればいいわけなんですけれども、そういうことをすると、製薬会社とかから入ってくる様々な研究費を受け取れなくなるので、そういうことは明らかにしていかないという、そういうような世の中になってしまっているので、こういう世の中にどっぷり浸かってしまっている現状をよく認識して、人々に、「錯覚に陥らないようにもっと気付いて下さい」ということを語りかけて行くことが、私たちの布教ではないかなと思います。

今回メシヤ様が細かく御指摘されている『手術』についての御論文を、そうした課題をもって繰り返し繰り返し拝読をしていただければ大変ありがたいと思いますので、最初にそういうことをお願いさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様が御指摘になった病気と機能について医者は、機能を除去せずに病だけを除去する方法を分かっているのだということ。

>医者は患者に、「本来癌というのは、食品添加物や日常用品の中に含まれている化学物質、住環境にある化学物質、排気ガス等、それらの突然変異を起こさせる主たる原因を生活の中から除去すれば治ります。」というような説明をすればいいわけなのだが、そういう説明をすると製薬会社等から入ってくる様々な研究費を受け取れなくなるので明らかにしていかないという、そういうような世の中になってしまっているのだということ。

>私達は、こういう世の中にどっぷり浸かってしまっているという現状をよく認識した上で、「錯覚に陥らないようにもっと気付いて下さい。」ということを人々に語りかけて行くことが私達の布教なのだということ。

≫今回の『手術』についての御論文は、そうした(上記のような)課題をもって繰り返し拝読をしていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.156大阪(平成26年1月分)」より抜粋つづき:

自然治癒の肝要点

受講者:

変な質問になりますが、御浄霊を知らない人が癌になって大きくなったとしますでしょう?その人に、放って置けば治るという…「熱が高いんですよ」と説明した場合どんどん大きくなっているんですよ。「だからもう手遅れになるから、もう手術をするんです」と言われると思うんですけども、そしたらどう説明したらいいのか分からないんです。

楳木先生:

これは『放って置けば良い』というのは昭和27年当時の放って置けばいい訳でね。環境が全く違ったので、この家にしてもですね、30年前に建てられた家はほぼ化学物質が無いんだけれども、今から30年遡ったところから後に建てられた家というのは化学物質が非常に使われているので、そういう所にいれば、放って置いても癌は治っていかないというところがある。

それからシャンプーにしても歯磨きにしても、化学物質の入っているものを使っていると、放って置いても良くなるという言葉は、これは当てはまらないところがあるので、メシヤ様の昭和27年当時の環境としては放って置いてもいいという部分があるんだけども、現代は教えに基づいて、環境整備をして放って置いていく、ということを付け足していかないといけないね。食べ物にしても、今、ぬか床を家に置いている人はいないけど、『ごちそうさん』は毎日ぬか床を置くけど、ぬか床も喋ってくれるんで(笑)まぁー昭和初期のころは、非常に羨ましいなというぬか床があったんですけど、あのぬか床を何故かき混ぜるか?というのは、現代では科学的に解ってきてる部分があるんですね。ぬか床で空気を好む菌を空気のないところに押し込んで、空気を好まない菌を空気に触れさせることによって中が維持される、そのためにかき回さないといけないという…。しかもぬか床に漬けた漬物を食べていると、腸の中に乳酸菌がいつも維持されているために消化が非常に順調に進んでい る。

そういう時代の人と比べると、現在、腸の中もめちゃくちゃになって、しかも日本人の腸が西洋人より長いにも関わらず肉を中心に食事をしてしまうために、様々な問題が起きていると…。だから野菜を中心に日本人は食事をしていかないといけないという…。そういうような環境的なもの…生活習慣、そういうものが全く変わって来ているので、放って置いてもいいということの付け足しとして、そういう環境問題とか生活様式というのをね。「昭和20年代はこういうことがあったので放って置いてもいいということが言えたんですよ。だから、現代で放って置くためにはそういうものをキチンと切り替えていかないといけませんね。」というのを付け足しといていただきたいですね。」

支部長代理:

放って置いても、3年から5年の「寿命」だから…。それまでに大きくなっていっている過程がわからないので、だから放置療法というのは全員が全員治る(消失)というわけでもない、また良くなる(縮小)というわけでもなくって…。まぁ、その後の内の半分が更に「生存率が高まっていく」というふうな実験事例もあるし、色々なパターンがありますので、しかし放って置けばいつか必ず「治る」(医学常識では縮小を指す)というのではない訳ですね。

受講者:

はい。

楳木先生:

ですから、私たちはこうしてメシヤ様から教えられているので、少なくとも食べ物に気をつけていこうと。それから身に着けるもの、肌に触れるものは気をつけていこうと。それから住まいを気をつけていこうと。それから車の場合は新車は買わないようにしようと。そういう様々なことを今気をつけないといけないことがあるので、まぁ、そうしたことも併せて教えてあげるのが言わば布教活動であろうかなと思いますね。

(後文割愛)

 

責任者:

ここでは、『放って置けば良い』という昭和27年当時のメシヤ様のお言葉に付いて、その当時と現在の生活環境の違いを考えた上での御教示をいただいております。要点だと思うところに下線を引きましたので各自確認の程よろしくお願いします。

 

編集後記

責任者:

今回は、メシヤ様が『真の医術とは病だけを除って、機能は元の侭でなくてはならない筈である。』と御指摘されている事に対し掘り下げて御教示いただきました。令和の時代に生きている私達は、しっかりと世の中の動きを見据え、キチンとした生活をしていく為には「可笑しなことには気付き、間違っていることに対し正しいと思うような錯覚を起こしていないか。」ということを絶えず問いかけていかなければならないのだということを強く思わせていただきました。更に、私達は昭和27年当時に比べ、様々な化学物質に囲まれた生活をしており、メシヤ様の仰っているように、病気になった時に何もせず放って置く為には、住環境等を整えていくという事が重要になるのだと御教示いただいきました。この機会に、自分の住環境等を再度確認し整えながら4月を迎えたく思います。

日増しに暖かさを感じる今日このごろですが、寒暖差に気をつけてお過ごし下さい。有難うございました。

 

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらから覧いただけます。

メシヤ講座no.156大阪(平成26年1月分)

 

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