12月に向けての学び
はじめに
責任者:
11月も中旬に入り、めっきり秋めき紅葉が見られる頃となりましたが、皆様におかれましては、お元気でお過ごしでしょうか。テレビやYouTubeでは、11月4日から始まった臨時国会の様子が連日報道されております。国民からの期待を集めている高市内閣には、是非とも国民の為の政治を遂行していただきたいものだと強く願っております。さてそれでは引き続き、「文明の創造」より学びを続けて参りたくます。どうぞよろしくお願い致します。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』
「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年
医診でよく言われる肝臓病というのは、実は誤りで、肝臓そのものには異常がないので、ただ肝臓の外部に薬毒が固結しておるのを間違えたものである。しかしもちろんその毒結が肝臓を圧迫しているので、苦痛であるのみか、これが黄疸の原因ともなるから、始末が悪いのである。
もちろん右のごとく毒結によって、肝臓を圧迫する以上、肝臓の裏にある胆嚢も圧迫されるから、胆嚢の中にある胆汁が滲出し全身に廻る。それが黄疸である。ところが黄疸は皮膚の変色ばかりの病ではなく、胃の活動をも阻害させる。というのは胆汁は胃の消化を助けるため、絶えず輸胆管を通じて、胃に送流しているにかかわらず、右によって胆汁の供給が減るからである。ゆえにこの病気を本当に治すには、原因である肝臓外部の毒結を溶解し、排除させるより外に方法はないが、医療ではそれが不可能であるから、一時的緩和法によって、小康を得るより手段はないのである。
ここで、結石についてかいてみるが、最も多いのは胆嚢結石であって、これは胆嚢の中へ石が出来るので、その石が胆汁と共に胃に向かって流入せんとする際、輸胆管通過が困難なのでそれが堪えられない激痛となるのである。従って医師も特に治療困難な病気としている。近来細い針金様の機械を作り、咽喉から胃を通して、捕捉し出すという事を聞いているが余り効果はないようである。ところが石の小さい場合、通過下降し、腎臓にまで流入するので、腎臓内の尿素が付着し、段々大きくなってゆき、ここに腎臓結石となるのである。そうして困る事には、結石は腎臓活動のため、腎臓壁に触れて疵が出来る。そこへ尿が沁みるから痛みと共に出血するので、これを医診は腎臓結核というのである。しかも結石は漸次育ってゆき、余り大きくなると致命的となり、医療は手術によって片一方の病腎を剔出(てきしゅつ)するのであるが、その時分は非常に固い石となっており、これを細工して指環やカフスボタン等に作られたものを見た事があるが、すこぶる光沢があって宝石に見紛うばかりである。また小さい内膀胱に流入し、腎臓におけると同様育ってゆく、これが膀胱結石である。ところが最も困る事には、その石が膀胱の入口へ痞(つか)える事がある。それをうまく通過しても今度は尿道口に痞える。両方とも尿の排泄を止めるから、尿は漸次下腹部に溜り腫れるので、医師はブージーを挿入するが、これも尿道口だけの閉塞なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、ついに生命に関わる事となるのである。
ここで、最初の胆嚢結石の原因を書いてみるが、これはさきに述べたごとく、腎臓から滲出する薬毒が、漸次上部に移行する際、胆嚢の裏面から胆嚢内へ滲透するので、その毒素と胆汁と化合して石となるのである。従って、これを治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発にさせ、余剰尿を作らないようにする事で、それより外に方法はないのである。従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂のごとくなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。
「肝臓と胆嚢」の働き
楳木先生:
本日は『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』ということでメシヤ様が御解説をして下さっております。
肝臓についてはですね、皆さん方、大枠、肝臓は何をやってくれているのか?というのは御存知ですよね?大枠で言うと・・、目があった○○さん。」
受講者:
解毒と…。
楳木先生:
解毒と…。」
受講者:
グリコーゲン?
楳木先生:
(笑)まぁ栄養素を貯蓄。あとは?」
受講者:
・・・。
楳木先生:
あとは? あともう一つは貯蓄したものをまた必要に応じて作り出すということ。だから我々の子供の頃、力仕事をする人たちというのは、弁当はご飯と漬物。まぁ沢庵と梅干ぐらいで、栄養素を作りだして、全身に栄養素を送って・・・、そして力仕事を根気よく続けることができたのは、そういう役割を担ってくれるところが非常に活発であったということですね。
それから、ここで酒を充分飲める人という人、手を挙げてみて下さい。(笑)」
受講者:
(笑)十分というか、普通に飲める程度です。
楳木代表
(笑)普通に飲めると・・・。(笑)お酒全く駄目という人は?もう全く、ちょっと飲んだだけでも真っ赤になって、目が舞いそうになるという人は?えーとそういう、今手を挙げた、酒がまぁま飲めるという人と、もう全く飲めないという人の、肝臓でアルコール分を分解する能力というのは、だいたい20倍違うと言われております。飲める人と飲めない人と。
それから薬を飲んでも、割とですね、薬毒が溜まらない人もいます。でもテキメンに溜まる人もいます。これはですね、その薬だけを分解できる能力が肝臓にたまたまあった人は、そういうことができるんですけれども、だいたいまぁ異物は、肝臓もいくら努力しても分解できないんですけれども、たまに分解できる力を持っている人がいますので、そういう人たちは割と薬に強いということがある。酒と一緒でね。酒も、アルコールというのは人間にとっては害毒なものなので、分解して外に出そうという働きがあるんですけど、活発に排泄できる、分解できる人と、分解できない人の差が、ここに二人並んでいても、20倍その能力が違う。人間にはそういう個体差が、お互いにあります。
しかし、その個体差がある中で、私達は健康を維持していこうという時に、幸いなことにこの浄霊というものに、私たちは出会っていますので、この浄霊のお蔭で健康を維持することができていますので、大変ありがたいということですね。
それからメシヤ様は、肝臓の回りに余剰尿が溜まって、そして圧迫していくので、肝臓が十分な働きができないと。
これは現代ですね、医学的に解明しているのは脂肪肝ですね。この肝臓の回りに、ものすごい脂肪がベッタリ溜まって、この脂肪が圧迫するために肝臓の働きが弱まっているとかいうことも、最近の医療は気付いてきたので、この脂肪肝の脂肪を取っていきましょうというふうに患者さん方に説明するところまできております。メシヤ様が今から60年前にこうして御指摘になったことを、今の医学会がだんだん気付き始めているということですね。」
受講者:
出たことがあるような、ないような・・・。
楳木先生:
まぁ灰色っぽい便、白かったり灰色の便が出たり、これはですね、胆汁が出ない時にそういう便の色になっていきます。胆汁が出れば、我々の便は黄色い便ですけれども、胆汁が出ない時には、そういう便が出るので、そういう時には、この胆嚢から胆管をよく浄霊してあげると、そういう不具合が無くなってくるということですね。肝臓を、胆嚢というところを、よく浄霊していけばいいということですね。(肝臓の働きとしては、胆汁を作り胆嚢へ送り濃縮するということがあります。胆汁は脂肪の分解や脂溶性ビタミンの消化のために必要です。)」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎肝臓は、解毒という働きと、食物からの栄養素を貯蓄し、その貯蓄した栄養素を再度必要に応じて作り出すという働きをしているのだということ。
◎お酒を飲める人と、全く飲めない人の、肝臓でのアルコール分を分解する能力というのは、だいたい20倍違うと言われているのだということ。
>アルコールというのは人間にとっては害毒なものなので、分解して活発に排泄できる人と、分解して排泄できない人の能力の差が20倍あり、人間にはそういう個体差があるのだということ。
◎薬を飲んでも割と薬毒が溜まらない人もいるのに反し、テキメンに溜まる人もいるのだということ。
>これはお酒(アルコール)を分解し排泄する能力と同じで、肝臓にその薬だけを分解できる能力がたまたまあった人は、分解し排泄することができるのだということ。
>だいたい異物は、肝臓がいくら努力しても分解できないのだが、たまに分解できる能力を持っている人がいるので、そういう人たちは割と薬に強いのだということ。
◎上記のような個体差がある中で、私達は浄霊に出会いそのお蔭で健康を維持することができているので、大変有難いのだということ。
◎メシヤ様は、「肝臓の回りに余剰尿が溜まって、そして圧迫していくので、肝臓が十分な働きができない。」のだと仰っているが、これは現代に於いて医学的に解明している「脂肪肝」のことなのだ(昭和27年当時メシヤ様がこうして御指摘されたことを、今の医学会が少しずつ気付き始めているのだ)ということ。
◎胆汁が出ない時に白かったり灰色の便が出たりするので、そういう時には、胆嚢から胆管をよく浄霊すると、そういう不具合が無くなってくるのだということ(肝臓をと胆嚢を、よく浄霊していけばよいのだということ)。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
「結石」について
楳木先生:
それから石ができるということについても、メシヤ様はこのように御説明してくださっています。
私も数年前に石ができて、御浄霊によって、ここに書かれた通りに、砂のようになって、3回ぐらい排泄してよくなりました。それから昨日の岡山支部の責任者も胆嚢に石ができたようなんですけれども、それも浄霊によって外に出たということを報告してくれました。
それから最近、医療ではですね、石にレーザー光線をあてて、そして物理的に石を破壊、木端微塵にして砂状にして外に出そうという治療に今挑戦しておりますけれども、まぁレーザー光線というのは、浄霊の光線がこれぐらいの高さだとすると、レーザー光線はこのレベルの光ですけれども、一応こういう硬いものを破壊することは、医学的にはできる医者も出てきているということが言えると思いますね。
このメシヤ様からいただく御浄霊に勝るものはないんですけれども、あのような硬い石が砂のようになって排泄を許されるというのは、大変ありがたいことであると思います。
そして何よりもですね、最後から5行目、『従而、之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活墢にさせ、余剰尿を作らないやうにする事で、それより外に方法はないのである。』
ということですので、『余剰尿』というのをいつも課題にして生活をさせていただければいいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎医療は、レーザー光線によって結石を砂状にして排出させるということに挑戦しているが、結石を排泄させる力(光)は、メシヤ様からいただく御浄霊に勝るものはないのだということ。
>そしてメシヤ様は、『従而、之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活墢にさせ、余剰尿を作らないやうにする事で、それより外に方法はないのである。』と仰っているので、私達はこの「余剰尿を作らない。」ということを課題にして生活するのだということ。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
御浄霊にたいする観念
楳木先生:
そうかといってですね、「毎日腎臓を浄霊をしないといけない」というふうに考えていくと、これはまた浄霊に対する観念が間違ってきます。メシヤ様は浄化を促進するために毎日浄霊をいただくように、という御指導はない訳ですね。具合が悪い時にこういう形で浄霊をしないさいということは書かれておりますけれども、普段にですね、浄霊をして、いつも毒素を溶解させなさいということではない訳ですね。
初めて松原の方に来て、「馬のおしっこのように尿がたくさん出た」と聞くと、羨ましくなります。そんな浄化を月次祭で許されて、そしてグゥーと細くなるというのは、“私もそんな浄化を許されたいわ”とかいう思いがこみ上げてきてですね、“そういう浄化を許されるために、浄霊をいただこう”というような想念が起きたりすると、これはまた間違ったことになります。
それはなぜかと言うと、それは私達の信仰によって「徳」を積ませていただく、あるいはメシヤ様から「お役」をいただくことによって、それに応じて、そういう浄化は許されてくるものなのです。浄化というのは許されないと起きてこない訳ですので、“浄化をほしい、ほしい”と思っても、浄化をなかなか許されない。
また逆にですね、浄化をいただくと、「また浄化しちゃったわ」という話になってきます。この辺が狂うと、浄化に対してですね、困ったということになってきます。「こんな重たい浄化をいただいて困ったわ」という話になります。
これはもう御教えから遥か離れた観念になりますので、このことを間違えないように私達は生活をさせていただかなければ、メシヤ様の信仰とは違ったところの信仰をやっている、いわゆる既成宗教の信仰をやっているというのと同じようなことになっていきますので、ひたすら、私たちは「救われた命」、あるいは、「真実を教えられたこと」に対して、そのことを大勢の方々に「お伝え」して、今日司会の方が読んで下さったように、メシヤ様から「地上天国建設の御力をいただけるように」ですね、日々念じて、そして御神業に臨ませていただくことによって、その「徳」によって自分が浄められて、あるいは徳が備わってきて、そのことによって「必要に応じて浄化が許される」ということです。
これが壊れていって、○△Aみたいにですね、毎日浄霊を探査しながら浄霊して、溶かすという浄霊をしていると、もう終戦前のですね、信教の自由が許されない時代の、メシヤ様が隠れ蓑としてやった浄化療法の時代に遡って、逆もどりをして、真の御神業にはならない訳です。
だから『御神業の本筋』というのは、メシヤ様が「世界救世(メシヤ)教」を開教されて進められようとする御神業に臨ませていただくことが、『御神業の本筋』に取り組ませていただくということになる訳ですね。「信教の自由が許されない時代」にメシヤ様が、過渡期としてですね、構成した浄化療法というところをやっていると、地上天国建設ということは実現しない訳です。「信教の自由」が許されて、本来メシヤ様が進めようとされた、その御神業を進めない限り、地上天国建設ということはいつまで経ってもですね、絵に描いた餅になる。
私達の「浄霊の取り次ぎ方、いただき方」というのは、間違ってはいけないところは、そこにあります。ですからメシヤ様は、浄化をいただいた時、あるいは具合の悪くなった時の浄霊の仕方を私たちに教えて下さってあるのであって、日頃何もないのに溶かそうという浄霊を、あまりやってると、溶けてしまうと動きができなくなります。動きができないと、御神業が進まなくなるので、もう浄霊の生活だけになっていってしまうということです。
私たちは御神業を進めるためにこうして信仰させていただいているので、そのことをですね、「あの方が非常にこんな素晴らしい浄化をいただいて体がすっかり良くなった」と、“私もそんな高熱が出てみたいわ”とか、そういうような気持ちになってしまうと、少しメシヤ様の信仰からズレていってしまうということですね。
私たちは、ただひたすら、こうして最高最貴の御神霊に真向かうことが許されて、そして真理の教えをメシヤ様からいただいている、その教えを一人でも多くの人達にお伝えして、この世の中を天国にしていくということに率先して取り組もうとしている訳なんで、その取り組む時に、もう少し頭が浄まらないと進めることができない場合は、神様から頭を浄めていただける浄化を許される訳なんです。必要に応じて起きてくる浄化が御神意のもとにいただく訳ですね。
そして、専門に・・、我々のように専従者として御神業している時に、3日以上・・例えば寝込んだりすると、もうそれは「御神意に適ってない」と、昔の専従者達はいつも厳しく言われておりました。「想念が間違っているから、それ以上長く浄化をしているんだ」ということで、資格者とか専従者というのは最も厳しい信仰をですね、メシヤ様から問われてた訳です。まぁそれは信者さんまでは問いませんけども、一応資格者という者は、そういうことを絶えず自分に課せられてですね、御神意に沿う生活ということを、日々心がけて生活をさせていただいていた訳ですね。
ですから、今日は、『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』ということを通してですね、浄霊のいただき方、浄化の許される、「浄化をどうやって許されていくか?」ということを、もう一度心にですね、とどめながら、これから1ヶ月間この御教えを拝読をしていただきたいというふうに思います。
どうしてもですね、未信者の方々が結石ができて浄霊する場合と、信者で長いこと信仰していて、私みたいに教団代表までしていて石ができるというのと、この石のでき方というのはまた違います。浄霊を知らない人ができる石のでき方と、浄霊というものを知ってて、そして御教えを知ってて石ができるということは、この石のでき方というのは、全く違ってきますので、我々のように御用を担っている人間に、そういうものができた時には、想念を相当正していかない限りですね、浄化を乗り越えていくことはできないということも併せて、今日のいい機会に、留めておいていただきたいというふうに思います。
そういうことを最初にお願いをさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、具合が悪い時にこういう形で浄霊をしないさいというふうに仰っているが、「浄化を促進するために毎日浄霊をいただくように。」いう御指導はされていないのだということ。
>常に浄霊をして、いつも毒素を溶解させなさいということではないのだということ。
◎「浄化」とは、私達が信仰によって「徳」を積ませていただいたり、メシヤ様から「お役」をいただいたりすることに応じて許されてくるものなのだということ。
>「浄化」というのは、神様(メシヤ様)に許されないと起きてこない訳なので、「浄化をほしい、ほしい。」と思ってもなかなか許されないのだということ。
≫私達は、メシヤ様から「地上天国建設の御力をいただけるように」日々念じ、そして御神業に臨ませていただくことによって、その「徳」によって、自分が浄められ、あるいは徳が備わったことによって「必要に応じて浄化が許される。」のだということ。
≫必要に応じて起きてくる浄化が御神意のもとにいただく浄化なのだということ。
◎メシヤ様が「世界救世(メシヤ)教」を開教されて進められようとしている御神業に私達が臨んでいくことが、『御神業の本筋』に取り組ませていただくということなのだということ。
◎私達は、浄霊のいただき方(取り次ぎ方)や、「浄化はどうやって許されていくか?」ということを心にとどめながら、繰り返し御教え『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』を拝読していくのだということ。
◎浄霊を知らない人ができる石のでき方と、浄霊を知り御教えを知っている人に石ができるということは、この石のでき方というのは、全く違ってくるのだということ。
>例えば御用を担っている人間に、そういうものができた時には「想念を相当正していかない限り浄化は乗り越えていくことはできないのだ。」ということを心に留めておくのだということ。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
今と昔の「報告指導」
楳木先生:
それからよく世界救世(きゅうせい)教の時代からですね、「報告指導ということを徹底しましょう」というふうにやってきましたけれども、世界救世(きゅうせい)教時代の報告指導はですね、どちらかというと数字の報告が多かったですね。それで指導をいただいても、その指導のいただき方は、指導をアドバイスというぐらいに受け止めていたので、「実はね、こういうことが大事なのでシッカリやって下さいよ。」というと「あ~そうですねぇ、大事ですね~。」と言って聞き流してしまうという指導の受け方を長年の間で染み付けてしまっている。しかし、報告指導というのは、報告していただいた指導というのは、「絶対的にやる」という姿勢がなければですね、報告指導というのは成り立たないのです。
指導する側というのは、メシヤ様の教えに基づいて「こうあるべきですよ。」というふうにお話するんですけど、「それは大事ですね。しかし、私の場合は、ちょっと、難しいですねぇ~」といった場合は、これは報告指導にならない訳です。「やりません!」と言っいてる訳です。
「難しい」というと、何か自分を卑下しているというか謙虚な言葉に聞こえてくるけど、「いや、私、それは、難しいんですよねぇ~」と言った場合は、実は「今、せっかくいいお話を聞きましたけど、私はやりませんよ」と言っているのと一緒になるんです。しかし、言葉が上手なもので、「私は難しいんですね」と言ってしまう。「私はそれはできません。」と言えばいいものをですね、「難しい」という言葉になってしまいます。ですから、これから報告指導ということをさせていただく時には、「信仰上の報告指導なんだ」と。だから信仰上はですね、「メシヤ様の教えに基づいて、精一杯させていただきます」という言葉を必ず重ねておいていただきたいと思います。そういうことをお願いをさせていただきたいというふうに思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎「報告指導(報告していただいた指導)」というのは、メシヤ様の教えに基づいて「こうあるべきですよ。」というふうにお話し(指導)するので、指導を受けた人に「絶対的にやる。」という姿勢がなければ成り立たないのだということ。
>「報告指導」をさせていただく時には、「信仰上の報告指導」なので、「メシヤ様の教えに基づいて、精一杯させていただきます。」という言葉を必ず重ねてからさせていただくのだということ。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
肝臓の「解毒」詳細
楳木先生:
そういうことをお願いいたしまして、質疑応答に移りたいと思います。えぇ~ちょっと厳しい話をしたので、質問はしにくいかと思いますけど、あっそれから、・・どこ行くの?」
受講者:
ちょっとトイレに・・・。
楳木先生:
じゃあトイレから戻ってきてから、話があるから。」
受講者:
じゃぁその間に、いまちょっといいですか?・・さきほど肝臓の、薬毒に強い人があるというお話が、なんか分かったような分からないような感じなんですけれども、薬毒を肝臓が分解してくれる、と。二つちょっとお伺いしますが、まず一つは、昔「お酒に強い人は麻酔がかかりにくい」というのを聞いたことがあったなぁというのと、それからもう一つは、薬毒を分解してくれるというのは、薬毒がなかったことになるというふうな意味になるんでしょうか?そうすると、ちょっとまた疑問がいっぱい湧いてくるんですけれども・・・。
楳木先生:
ちょっと言い方が悪かったんですけれども、薬毒を分解するんではなくて、薬を分解するということです。入ってきた薬を、意外と早く分解できる人がいる訳ですね。」
受講者:
すみません。その薬を分解するということが、また分からないんですが。
楳木先生:
排泄能力の強い人がいる訳・・・。」
受講者:
そうすると、それはさきほど言いました、薬が、麻酔が効かないというのと同じなわけですか?
楳木先生:
同じ。」
受講者:
はぁ~、はい。
支部長代理:
アンモニアという化学記号がありますよね~?これが、肝臓の方の分解酵素であるチトクロームP450というのがありますけど、酒を沢山飲めば飲むほど、肝臓が元気な人は、アルコールが入れば入るほど、今の酵素がどんどん作られていく。そして今言ったアルコールの記号をですね、分解してしまう。これはアルコールでしたらまぁまぁですけれども、薬ということになればですね、いくら分解しても人工物なので、毒素ですよね、それがまた腎臓の背面から、処理できずに出ていく。出ていくというか、溜まっていくということですね。
受講者:
はい。
楳木先生:
いいですか。」
受講者:
はい、ありがとうございます。
楳木先生:
だからといって、酒が強い人が、他の薬を分解する力があるかというと、これはまた違う。全部人間は一律ではないんだと。人間の体もですね、やっぱりいっぱい皆から遺伝子をもらっているので、我々も先祖を辿っていくと、皆さん一人一人軽く何億人も先祖がおりますよね?何億人も先祖がいるので、その人達のDNAをずっと受け継いでいますので、例えばね、我々は主神様の御経綸によって、この地球ができてですね、約45億年前に地球ができて、そして生命が38億年前に宿って、それからずっと進化してきて、人間はいつごろ生まれた、とだいたいなっているからね、・・前にも話したことがあるけど、覚えてないかな?人間、人類は?」
受講者:
38億年前。
楳木先生:
それは生命。肉体的な人間はだいたい600万年ぐらい前に・・、その要するに、葬式をした形跡が600万年前に残っているということなので、600万年前に精神活動がだいぶん高まった猿人から原人になったところが、そういうところだろうと言われております。
それからずっーと精神性が備わってきて、今○○さんが言ったように、一万年前ぐらいに石器(これは高度な石器のことで250万年前のものも発見されています。)とかいう道具を作り出してきておりますね。そして今はですね、これだけ非常に便利なものを作り出して、人間というのは生活をしております。
人間というのは一番最後に出てきた生き物なので、すべての生物の能力を、すべて持って生まれてきております、皆さんお一人お一人が。だから、神様は万能の存在ですけれども、私たちはいわゆる霊長類というふうに言われております。そしてすべての生物の能力を持って人間は生まれてきております。
しかしながら、ハチから刺された場合にですね、まぁミツバチぐらいなら少し腫れるぐらいですけれども、大きいハチに刺されると、たまにはショック状態になったりします。このショック状態になるということは、どういうことかといいますと、あまりにも毒が大量に入ってくるので、人間が防御するためにショック状態に出てくるということです。しかしその刺したハチの毒は、人間も持っているということなので、それは肝臓が作り出すことができるということです。
今日の肝臓の話と関係してくると、我々はその毒もすべて作り出して、消化することができるので、この春先になるとですね、アクの強いものを食べても大丈夫ですよね。エグいものを、そのアクをとって、その苦みとか、エグ味とかというのにも、味わいながら食べて消化することができるというのは、肝臓でですね、いろんな生き物の毒物的に感ずるものも抽出して、消化に使うことができるということです。だからこの能力は肝臓が持っているので、たまたま外で作られた異物としての薬が入ってきても、その薬によってはですね、鉱物から作ってない場合、植物由来の薬の場合は、分解して出す力が、たまたまある人がいるということです。そういうふうに捉えておいていただきたいと思います。
自分たちがそういう能力があるかというと、なかなかですね、薬毒をそんなスッーと排泄する力がないので、浄霊をいただきながら、しかし浄霊をいただくと自然治癒力というのは、そういうものが発揮されてきて、排泄していくということになる訳ですね。だから浄霊をいただかなくても排泄することのできる人も、たまにはいるということです、自然治癒力が物凄くある人はね。だけど我々凡人はそういう能力がないので、浄霊をいただいて、そういうものを乗り越えていくという姿勢をもっていただきたいと思いますね。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎体内に入ってきた薬を、意外と早く分解できる人(排泄能力の強い人)が(少数)いるのだということ。
>それは、「薬(麻酔)が効かない」というのと同じことなのだということ。
≫だからといって、酒が強い人が、他の薬を分解する力があるかというと、そうではない(人間は一律ではない)のだということ。
◎私達は、薬毒を簡単排泄する力がないので、浄霊をいただきながら(浄霊をいただくと自然治癒力というものが発揮されるので)排泄していくということになるのだということ。
>自然治癒力が物凄くあり、浄霊をいただかなくても薬毒を排泄することのできる人もたまにはいるのだが、私達のような凡人はそういう能力がないので、浄霊をいただいて、そういうものを乗り越えていくという姿勢をもつのだということ。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
浄霊に対する観念「因縁解消できる魂へ」
楳木先生:
それからさっきの『御神業の本筋』のなかではですね、我々の因縁というものも解消していかないといけない訳ですね。
先日5月5日の本部のですね、御神体御奉斎記念式典に臨まれて、帰りにですね、山口の毛利家の庭園を見てきた人の中にですね、毛利家の屋敷が山頂・・、小高いところにできているんですけれども、そこはもう毛利家の財を尽くし作った家ですので、立派な建物です。そこに8人ぐらいで行った人の中に、「物凄い懐かしくて、初めて行ったのに物凄く懐かしくて、そして屋敷から庭園を見ている時に、もう涙がこみ上げてきて、そしていつまでもここにいたいという気分になった」ということを報告をしてくれた人がいます。
これは毛利家に携わった人で、しかも屋敷の中まで上がることができたということだろうと思います。しかし、それはそういうある位の人だったんだろうということだけではなくて、その立場になったということは、毛利家はですね、三本の矢で有名なように一族をまとめて、そしてあの中国地方一帯を治めて、その敵方から守るための強固なものを作り上げました。この強固のものを作り上げる時には、言うことを聞く人間は優遇するけれども、少し異を唱える者はそうではないということですね。
そうすると、ある一定の立場に立った人間というのはそれを指揮しているということですね。そうすると、不条理な命の取られ方の指示をした人間でもあるということ。ということは、ある程度の立場をもって、その時代に生きたということは、そういう罪を背負っているということであります。
となると、そういう感情を持ったからには、相当な罪穢を前世で積み重ねているということを自覚して、それを祓い浄めていく、まぁ浄化してですね、清らかな魂に戻るために、御神業により一層臨まないといけないということなんですね、という話でご本人も納得してくれたので、より一層これから御神業に励んでいただけると思うんですけれども、実は我々の御神業というのは、そういうところを見ていかないと、この浄霊のレベルが上がっていかない訳です。
「ここの固結をとるために、ここを浄霊をしておかないといけない」というレベルの浄霊をしていたのでは、その因縁をとるというところまでの高い想念での浄霊になっていかない訳ですね。だからその因縁に係わることまで救っていくという姿勢で、御神業を進めて行かないといけないということですね。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは、因縁による罪穢を払拭し、高い想念での浄霊になっていくための御教示いただきました。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「掃除」と「上魂」
楳木先生:
(前略)それから、皆さん方は、家で掃除というのは・・・。掃除を好きな人もいれば、ちょっと苦手な人も・・・。まぁ、いろいろあるでしょうけども、これは、メシヤ様が御蒐集になられた美術品が何故素晴らしいか?ということに共通しております。
どういうことかと言うと、メシヤ様は、一流品しかお集めにならなかったので、作品自体も、その作家のですね、人格の高さによって素晴らしいものが出来上がってきております。しかし、それを尚且つ、メシヤ様が1点1点御手にお持ちになられてですね、『素晴らしい』というふうに観られたということは、1点1点に「御入霊」されている訳ですね。ですから、我々はMOA美術館に行くと、その美術品を観ることによって、更に清々しい思いになって、観ることができる訳ですね。
それと一緒でですね。私たちがこう柱を磨く時というのは、これは、掃除として磨くんですけども、実は、家というのに、入霊しているのと一緒な訳ですね、磨きをかけるというのは。ということは、家が建って、だいたい皆、家が建つまでが大変なんで、やれやれと思って、家が建ったと思うんですが、実は、建ってからが勝負な訳です。建ってから、住む人間が拭き掃除とか掃除をしてですね。そこに自分の想いというのを、この家を“誰が来ても、和むようなそういう家にしたい”とか、“皆が寄ってくるような家にしたい”とか、“来た人が落ち着くような家にしたい”とか、そういう想いで磨き込んでいくことによって、その家にですね。自分の想いが込められてくる訳です。そして、それが輝いてくる訳ですね。
だから、掃除というもの一つにしても、そういうふうに捉えていかないと、面倒くさくなってきます。私も忙しいから今日はちょっと手抜きしとこうとかいう気分になってきますけど、その一つ一つが、我が家をですね、いい家にしていく唯一の手だということですね。だから、「入霊」のような気持ちで掃除をしていただきたいと思いますね。
まぁ、前にも話したように、若い方々は、玄関の靴を揃える時には、自分の主人が、“今日、出掛けて行って仕事をする時に事故のないように”、あるいは“人々に迷惑をかけないように”、あるいは“人々に明るさとか元気さを与えられるように”、“そういう動きをしてもらいたい”という想いで靴を揃えていくとか、これが信仰なので、“あーほんとに、うちの主人たらしょうがないわね”っという気持ちで揃えていくのでは(笑)これは、信仰者が靴を揃えることではないのでね。
それから、まだ自分の子供が小さいときは、“怪我をしないように”とか、“交通事故に遭わないように”という想いで、小さい靴を揃えていくという、そういう想念をもって揃えていくことが、『霊主体従の法則』という教えを知った人間のやり方だということだね。
これは、洗濯物をたたむときでもそうですし、洗濯物を干すときもそうだし、お米を研ぐときもそうだし、炒め物をするときもそうだしね。もう何をする時でも、「心をどうやってもっていくか?」ということが、実はメシヤ様の信者の信者たるところですのでね。『霊主体従の法則』に沿って、健康を作り出すとか、安全な生活をしていくとか、ということを心がけていくことが、我々の信仰だということをですね、この機会に改めて確認させていだだきたいというふうに思います。」
支部長代理:
「心を天国に」って御教えをいただいたり、人から耳に入ってきたりと・・。本当にそう思います。というのは、「心を天国に」と想って、ずっと一日過ごしていけば、自分も、その霊主体従になり、家の方も、そうして入霊していくと、いわゆる霊的には、そういったそれ相応の霊層界の家ができていくことになっていくんですね。ですから、“汚い所の霊層界が嫌だ”と思ったら・・、埃が落ちていたら、やっぱりそういった『霊主体従』の霊を意識していくと、埃一つも見逃すことが出来なくなってしまいますね。非常に、落ちていると嫌な気持ちになりますものね。
楳木先生:
そういうことになるね。まぁ、これから掃除が楽しくなると思いますけども(笑)」
支部長代理:
反対に汚すとね、汚い所に住んでいるということになりますからね、霊的には。なかなかそういう所にいながら、「こうありたい」とか、都合のいいことを言ったり、願っても、そういう世界に自分で住んでいるんですからね。
楳木先生:
そうかといって、小さい子のいるところにね、子供に「汚さないでー」って言うようなことを言っちゃいけないので、そうすると、母原病の原因になっていくので、そのところはね、後ろからついてまわって掃除をするぐらいに、追いかけながら掃除するぐらいの気持ちでいかないとね。それだけに、若いうちに子供を産んでおかないと、年取って産むと、なかなかついていけないところがあるからね。若い人は、早く子供を産んで下さい。」
受講者:
そういう意味で、大袈裟に考えますと、人間というのは、もともと霊の(聞き取れず)っていうですか、ちょっと大袈裟な言い方ですけど、メシヤ様じゃないですけども、自由自在に自分の思う通りの人生っていうか、運命が獲得できるっていうんですか・・。
楳木先生:
そうだね。それから、御教えの言葉ではないけど、「現在の自分は、未来の預言者だ」という言葉があるでしょ?自分の生きている通りに未来が生まれてくる訳なんで、その未来を築くためには、今、努力していかないと、いい未来はできない訳だから、予言者は、自分な訳ね。自分の思ってやっている通りに未来は築かれていく訳なのでね。」
受講者:
日頃、そういう思いで、入霊ってことですね。
楳木先生:
まぁ、建物とかはね。それから、メシヤ様は、さっき読んでいただいた「祈りの栞に寄せて」の中にですね。信者さん方の課題というものを書いてくれています。『信者たるもの』というところね。」
受講者:
御教えですか?
楳木先生:
うん。二行に渡って書いてあるでしょ?太字で。あれは、毎日唱和するぐらい読んでもらいたい。
『信者たるもの、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべきである。』と、そういうことを心がけるのが信者さんなんですよということでね。
だから、言葉を練れない人は、信者にはなれない。まぁ、信者とは言えない、ということ。絶えず『上魂の人間』を目指していかない限りはね、「信仰している」ということにはならないのでね。どうか魂を高めていくような生活をしていただきたいと思います。」
受講者:
やっぱりまず、想念を正す、訓練というんですかね・・・常に・・・。
楳木先生:
だから、メシヤ様は、心がけなさいと仰っている。訓練というより、心がけることが大事なんだと。これが信仰するということの一つなんだというふうにお説き下さっているので、そのメシヤ様の御言葉通り生活させていただくのがいいということだね。
それで、メシヤ様御自身も、掃除とかね、片付けとかは凄く上手だったらしいので・・、我々が足元に及ばないくらい、タンスの中、引き出しの中まで、整理整頓されていたね。どこに何を置いているかっていうところまで、お分かりになっていた。私のデスクの中もできるだけ、それを目指しているんだけども、やっぱり、時々は、乱雑になってしまうのでね・・。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは、メシヤ様の信者が掃除をする時などに心掛ける想念の持ち方に付いて御教示いただきました。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
「結石」詳細
受講者:
いいですか?、胆石のことなんですけども、先ほど何か、信者さんと信者さんでない方と全然治り方が違うと仰られたんですけどもぉ、
楳木先生:
治り方が違う、という話じゃなくて、胆石ができる理由が違う、と。」
(後文割愛)
受講者:
同じ胆石が出たとしても、信仰している場合には、結局、信仰姿勢とかを省みないと、因縁とかも考え合わせて、と。
楳木先生:
だから、その時、に考えてね。・・自分に石が出きた時、にね。まぁ、○○さんの性格では、出来ないから。」
受講者:
まぁ、そうかもしれないですけど(笑)
楳木先生:
大丈夫!
受講者:
どういう性格に出来るんですかね。
楳木先生:
よく牧師さんとかに出来やすい。牧師さんは、人の悩みを他へ絶対言ったらダメだから。人の懺悔を受けるでしょ?懺悔とか反省を、言ってもらう。これは絶対に他人にしゃべれない。家族にもしゃべれないから、自分に留めとかないといけない。これは、精神的にそういうモノを作り出してしまう。ペラペラしゃべる人にはできない訳・・・(笑)。」
支部長代理:
それでは、(○○さんは)絶対出来ません(笑)
楳木先生:
だから、ほぼ出来ない。秘密を漏らしたり、とかね。そういうことを、自分の中に、幾つも作っていかないといけない職業とか、その一番が牧師さんであるし、それと弁護士とかね。そういう人たちも・・、まぁ、よくしゃべる弁護士もいるんだけども、大体、やっぱり、職業柄しゃべってはいけないことなんでね。」
受講者:
中に内向するというか、溜めるということ、・・溜めて、それが石になるということですか?
楳木先生:
だから意思の強いとかいうでしょ? 意思の強さとか、意思の堅さとか・・。」
受講者:
はい。
楳木先生:
だから言葉にも似ているわけ、石とか意思(意志)とか。」
受講者:
その、腎臓が悪いだけではない?
楳木先生:
うん。だから腎臓が悪いだけで出来る人もいるんだけども、職業柄で出来る人もいるということです。ほとんどの場合、腎臓が悪くて出来るんだけども、職業的に、特殊な職業の場合は出来易い。私もそういうことが重なったんで、出来た訳です。」
支部長代理:
固まる力、ということですね。凝固していく力なんで、医学的には、肝臓があって、肝臓のなかで胆汁を一日一リットルぐらい作っているそうですけどね、その胆汁とそこの肝臓が作り出していくコレステロールというのがありますけども、一部のコレステロールは肝臓内で胆汁によってドロドロの溶液になって、普通はそれが肝臓から出ていくんですけども、その時に「何らかの原因(動物性タンパク過剰摂取などが考えられている)」でバランスの崩れが起きて、コレステロールの方が勝っちゃうわけですね。コレステロールが勝っちゃった時に、コレステロール同士がくっ付き合ってコレステロール結晶となり、それは結石という石までいかないんですけども、もっと非常に細かいものですが、その結晶が、胆汁同様に胆のうの中にも入っていって、そこで胆のうの膜から分泌されるタンパク質と結びついて胆石が出来ていったり・・。御教えに小さい石と表現が2箇所ありますけども、もしかすると、下降する、というのはこの結晶じゃないかなと思うんですね。
楳木代表:
だから、コレステロールが何故、勝っちゃうかという問題が、そこが、精神と関係してくる。」
支部長代理:
そうなんです。
楳木先生:
要するに、人の秘密を聞いて、しゃべれないというのはストレスが溜まる。このストレスを緩和するために、コレステロールが多めに分泌していく。それによってストレスを抑える、コレステロールはストレスを抑えるための物質でもあるのでね。だから、どうしても多量に出てくるので、そういう作用をしてくる訳です。だから、職業病の中に、コレステロールが大きく関係してくるということです。口の固い人は、やっぱり(結石よりストレス起因の病気のほうが怖いので)コレステロールを多分にとっておかないといかんからね。だから、メシヤ様は、箱根でね、奥様とケンカしたりとか、それから、いろいろあった時に、すぐに長生教会に行って、縁側にバーっと座られると、教会長婦人がエビとかカニをすぐに焼いて出していたでしょ。あれは、コレステロールを食べておられた訳。そして、メシヤ様も、それを食べて気持ちを落ち着かせていたところがある訳。だから人の好きな食べ物を見ていると、その人の性格とかが、大体分かってくるけども、それを言っちゃうと、私の前で物を食べなくなっちゃうと困るから(笑)。それで言わないところもあるんだけどね(笑)。」
支部長代理:
普通の人で結石が長引いたりするのも、薬を沢山飲んでいる人とかは、腎臓から尿素、つまり毒素が出て、それが毒性の多いコレステロールになって・・、と。
精神的なもので、好きなカニとかエビとか天然のいいものを食べるならば、いいコレステロールになっていきますからね、それは短期間に自然と出やすいでしょうが、固まりが大きくて出にくくても御浄霊がありますからね。
受講者:
あのー、石ができる、結石とかいうのは、再発しやすいというんですけども、やっぱり、御浄霊は、腎臓は毎日した方がいいんじゃないかな?とは思うんですけども。
楳木先生:
そりゃあまぁ、疲れた時とかね。夜、寝る時とか、疲れるから腎臓を浄霊して、それが毎日であって寝るというのは、それはいいことだよ。石、石というんだけど、皆さんのおしっこの中にも石は皆入っているからね。」
受講者:
入っているんですか?
楳木先生:
そう。男の人が洋便器でおしっこをすると、おしっこ飛び散るでしょ。」
受講者:
はい。
楳木先生:
それ落ちないでしょ。あれ石だから落ちない。尿石が少し入ってる。あれが、汚れを作っている訳なんで、だから、男性は、飛び散らしたら必ず拭いて出るようにね、しとかんといけない。それをそのままにしていくと、固まりになっちゃうから。」
支部長代理:
さっきの小さい結晶が尿に入っていくと、尿素(尿たんぱく)と結びついて、尿石になっていくんですね。あれはこびりついたら取れませんもんね。
楳木先生:
うん。だから、尿石はみんな出ているんだと。それが、固まりを作るのが、さっきの説明のようにね、薬毒の異物とかがそういうものに化合させていくところが多分にあるのでね。だからそういう意味では、腎臓をしっかり浄霊しておくっていうのは大事なんでね。」
(後略)
責任者:
ここでは、胆石ができる際の理由の違いに付いて御教示いただきました。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月分)」より抜粋つづき:
「使命」と「上魂の世界へ」
楳木先生:
要は、「人間が何のために生きているか?」ということの方が大事なんで、神様からいただいた「使命」を遂行するために生きている訳なんで、自分のできる場所で精一杯させていただくということを中心にしていかないと。そのために健康であらねばならないんだと。その健康を維持するために、どういうふうにしておかないといけないのか?というふうに、論理の組み立てをしておかないと。
こっちが一番先になっちゃうと、浄霊だけの生活になっちゃうのでね。その点を切り替えて、いつも整理しながら生活させていただくことが大事だと思いますね。」
支部長代理:
とりあえず、地上天国できるまでは、ドンドンと人間の使命は地上天国建設が使命になっていきますので・・、天国になってしまえば、楽しみだけですけども、まぁ、それまではね。
楳木先生:
まぁ、天国になってからの楽しみとは、どんな楽しみがあるのか、未知な楽しみがある(笑)。というのは、残りの我々の脳の10分の9が動き出すということですからね。今10分の1も使ってないので、残りの10分の9をすべて使えるようになったら、どうなるかという・・、その楽しみをもって、生きていかないとね。」
支部長代理:
もう神と人の区別が無いかもとまで仰っておられますから、水晶天国になっていくと。
楳木先生:
うん。」
受講者:
「どこでもドア」みたいな、瞬間移動とかできたりできるんですかね?
楳木先生:
まぁ、物質的には水晶世界にもうほぼいっているでしょ。もう機具的には素晴らしいものが出来ている。あとは、魂とか、霊(想念など)の世界が水晶世界になっていかないといけないので、これが宗教が担う役割なので、それをみんな世界救世(きゅうせい)教を中心に怠慢になっているので、なかなか理想世界になっていかない訳です。それをもう一度、霊の世界の水晶世界を作るというのが、我々の役目なのでね。そういう意義付けをもって、これから『御神業の本筋』ということで取り組んでいただきたいと思います。
そういうことをお願いして終わらせていただきます。ありがとうございました。」
(後略)
責任者:
ここでは、私達の使命を遂行する為の生き方に対する想念の持ち方に付いて御教示いただきました。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
編集後記
責任者:
今回の学びでは、御教え『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』を通して浄霊をいただく(取り次ぐ)際の心の持ち方について細かく御教示いただいております。又、私達が掃除をする時に重要な心掛けや、私達の(天職)使命を遂行する為の生き方に対する想念の持ち方に付いて御教示いただきました。
今回は、メシヤ様の御教えを信仰していく上でつい疎かになりがちな心の持ちよう(想念)について、振り返りなさいと仰って下さっているのだと強く感じ、大変有難く思いながら纏めさせていただきました。あざやかな紅葉の季節です。どうぞお健やかにお過ごし下さい。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらから覧いただけます。
