『結論』  

「世界救世教奇蹟集」昭和28 (1953)年9月10日発行

私は以上の如く百二十に上る色々な奇蹟の実例〔略〕を載せたが、これを見たら如何なる人でも驚異の眼を瞠(みは)らない訳にはゆくまい。一言にしていえば、これこそ最高神威の表現であり、空前の救世的福音である。成程小奇蹟は昔からその時代時代の宗教によって示されている事は文献等によっても明らかであるが、これ程超奇蹟が数多く、然も普通人でも短時日の修得によってその力を与えらるるとしたら、この事自体が己(すで)に大なる奇蹟である。即ち凡人であり乍らキリストと同様の奇蹟を顕わし得たり、何等医学の素養のない者でも、医学博士以上の治病力を発揮出来るとしたら、到底真実とは思えないであろう。只私が憂慮する点は私という人間を通じて行われる以上、余りの不可解さに反って一種の疑問が起り、躊躇逡巡する人もなきにしも非ずと思うからである。

次にこの著を読んだ人々が、最も知りたいと思う事は私という人間の本体であろう。私と難もこれを詳しく知らしたいのは山々だが、時期尚早の為今暫くは発表出来ないのが遺憾である。そうして特に言わねばならない事は、客観的にみてこれ程偉大な神力を発揮されるとしたら、救世主以外にない事は推察されるであろう。これに就いては昔から俺は救世主也と自分自身そう思うのかも知れないが、堂々と名乗りを挙げた者も幾人かはあったが、何れも一時的でいつしか消えてしまったのは知る人は知っているであろう。然もキリストの予言にもある通り、後世偽キリストが現われるから注意せよとの警告さえあった程で、今日では最早それに惑わされる者は一人もあるまいから今更自分は救世主などと言ったところで仕方がないであろう。

然も文化の進歩した今日智性の発達した現代人に向っては、只嘲笑を買うのみに過ぎまい。併し乍ら厳乎たる事実を見せられるとしたら、何人と雖も信じない訳にはゆくまいし、私が現わす奇蹟そのものは、如何に冷静に見てもメシヤ的価値は充分認め得る筈である。この意味に於て私を以て救世主又は再臨のキリスト、下生〔の〕弥勒としても敢えて不思議はないと思うが、それはその人の自由に委せるとしても、最後に至れば万人に分る筈である。それは世界人類は私の救いによって真の幸福を得られ欣喜雀躍は勿論、既成文明は百八十度の転換となり、病貧争絶無の地上天国は愈々出現の順序となるからである。

(世界救世教教主岡田茂吉)

(『世界救世教奇蹟集』了)