研鑽資料no.132(2024年4月)

4月の学び

はじめに

責任者:

桜の花も咲きそろい心躍る頃となり、過ごし易くなりました。日本気象株式会社の2024年桜の開花、満開予想によりますと、「東日本、西日本の開花時期は、平年並みか平年より遅く、満開時期は平年並みか平年より早いでしょう。「北日本」の開花時期は、平年より早いかかなり早いでしょう。」ということです。今週に入り強く雨が降る日があるようです。雨で花が散ってしまう前に花見を楽しみたく思います。さて、それでは引き続き「文明の創造」より学びを続けて参りましょう。

 

「メシヤ講座no.168浜松(平成27年1月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『仏教の起源』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

観世音菩薩の御本尊は、伊都能売神(いづのめのかみ)である事は、以前から私は度々知らしてあるところであるが、これについて分らねばならない事は、元来仏身なるものの根本である。

単に仏といっても実は二通りあって、本来の仏身と神の化身との両方ある。そうして本来仏とは約二千六百年以前、釈尊の時から生れたものであって、その頃までは今日のインドは、当時月氏(げっし)国とも言われたので、同国においては余程以前から彼のバラモン教が隆盛を極めていたのであって、このバラモン教なるものは、教義のようなものは更になく、ただ肉体的難行苦行によって、宇宙の真理をつかもうとしたのである。今日でも絵画彫刻等に残っている羅漢(らかん)などは、その苦行の姿であって、この姿を見ても分るごとく、樹上に登って鳥の巣のごときものをこしらえ、それに何年も静坐をした。当時の高僧鳥栖禅師などもそうであり、また掌の上に塔の模型のごときものを載せたまま、何年もジットしていたりする等いずれも一種異様な形をしながら、合掌坐禅をしており、一々見る者をして、奇異の感に打たれるのである。酷いのになると、板の上に沢山の釘を打ちつけ、その上で坐禅を組むので、釘の尖で臀部に穴が穿き、出血と共にその苦痛は名状すべからざるものがあろう。しかしこの我慢が修行なのであるから、到底今日では想像も出来ないのである。

彼の達磨大師にしても、面壁九年という長い歳月坐禅のまま壁に対(むか)って、瞑想を続けていたのであるから、その苦行は並大抵ではあるまい。ここでちょっと達磨についての説であるが、右のインドの達磨大師とは別に今から千二、三百年前、支那にも同名異人の達磨が現れたので、これがよく混同され易いようである。支那の達磨は聖徳太子の時代日本へも渡来し、太子に面謁(めんえつ)されたという相当確かな記録を、私は見た事がある。

話は戻るが、バラモンの行者達は、なぜそれ程の難行苦行をするかというに、これについてはその頃多くの求道者達は、競って宇宙の真理を知ろうとして、その方法を難行苦行に求めたのである。ちょうど今日学問の修業によって、博士号や、名誉、地位を得ようとするようなものであろう。そうして達磨についての今一つの面白い話は、彼は面壁九年目のある夜、フト満月を仰ぎ見た時、月光が胸の奥深く照らすと思う一刹那(せつな)、豁然(かつぜん)として大悟徹底したので、その喜びは絶頂に達したという事で、それからの達磨は見真実のごとくにいかなる難問にも明答を与え、当時抜群の行者として、多くの者の尊信を集めたという伝説がある。

そうして当時のインドにおいては、日本でいう天照大御神と同様、人民の最も畏敬の中心となっていたのは彼の大自在天神であった。その外大広目天、帝釈天等々、色々な御名があるが、これは日蓮宗の曼陀羅(まんだら)に大体出ているから見れば分るが、とにかくバラモン教が圧倒的に社会を風靡していた事は間違いない。ところがその頃突如として現れたのが、言うまでもなく釈迦牟尼如来であった。この経緯は後に書くがともかく皇太子であられた悉達(しった)太子が、修行終って大覚者となり出山したのである。太子は幽現界の真相を会得し、燃ゆるがごとき大慈悲心をもって、一切衆生を済度せんとする本願を立てた。そうしてその手段としてまず天下に開示されたのが、経文を読む事によって覚りを得るという方法で、これを大衆に向って大いに説諭されたのだから、当時の社会に一大センセーションを捲き起したのはもちろんである。何しろ当時バラモン式難行苦行を、唯一無二のものとしていた事とて、喜んだのも無理はない。何しろこれに代るべきものとしての読経という安易な修行であるから、ここに大衆は釈尊の徳を慕い、日に月に仏門に帰依する者続出するので、ついに釈尊をしてインドの救世主のごとく信奉の的となったのは無理もない。そのような訳で、ついに全インドを仏法化してしまったので、これが仏教の起源である。それからのインドは、さしものバラモンの勢力も、漸次萎靡(いび)不振となったのはもちろんであるが、といって全然消滅した訳でなく、今日も一部にはなお残っており、同宗行者は、仲々の奇跡を現しているという事で、英国の学者中にも、研究のためインドに渡り熱心に研究する者もあるとみえ、私は先年その記録を読んだ事があるが、素晴しい奇跡の数々が、掲載されていた事を今でも憶えている。

 

(後文割愛)

 

インドと仏教…道法礼節

楳木先生:

(前略)

『仏教の起源』を拝読させていただいたときに、メシヤ様が、このバラモン教の・・・、約2700年前までのインドの実態をこのように詳説してくださって、そして、当時仏教ができたことによってインドの難行苦行によって真理を会得するという、そうしたところから大勢の方々を救ったということがここに書かれています。

何度もお話をさせていただいていますように、三千年前に朝鮮半島から素盞嗚尊が押し寄せてきて武力をもって押し寄せてきました。当時統治をされていた伊都能売神皇様は絶対平和主義を貫いて、皇位を天照天皇にお譲りになって、御自身は二十八部衆を従えて密かに日本抜けられまして、ずっと移動してインドまでたどり着いておられます。

そのときに随行したて二十八部衆がどういう方々かというのは、京都の三十三間堂に行けば二十八部衆の像を拝することができますので、京都の方に行ったときには三十三間堂に行ってみていただきたいと思います。

ついでながら、その二十八部衆を拝んだあと、周り廊下がありますので後ろの方に回っていくと、左甚五郎が彫った大黒様があります。あまり大きな大黒様ではありませんが、左甚五郎作の大黒様がありますので、その大黒様にも挨拶をしておいたほうが、御利益があるのではないかと思います。左甚五郎の弟子達作の大黒様がメシヤ教の支部などにありますが、なかなか見事な大黒様であります。そういう大黒様にも接していただけると、より一層豊かになっていくのではないかなと思います。

話が余談になりましたが、伊都能売神皇様が歩いて行かれたので、安住の地を求めて中国大陸から降って行かれておりますので、相当な期間がかかって、インドの補陀洛山に最終的に落ちつかれました。

そこにお釈迦様がまだ皇太子であり悉達太子と呼ばれていたころに伊都能売神皇様のところを訪ねて行かれております。そのとき伊都能売神皇様はどういうことをお釈迦様に説いてあげたかという、日本でずっと、いわゆる大和民族がずっと心掛けていることを教えてあげたのです。

日本はその頃までは徳によって治めておりましたので、徳によって治めるためにはいかにあるべきかということを教えてあげたのです。

その内容でわかりやすいものは観音講座に出ている内容がありますので、観音講座で読んだ人は…。◇◇さんは観音講座を持っていますか?」

参加者:

いいえ。

楳木先生:

では△△さんくらいかな?観音講座に道法禮節(御教えへ)というものが出ていますね。」

参加者:

字は見たことがあります。

楳木先生:

字は見たことがあるって…。道とはどういうことが書いてある?・・・。道法禮節です。道法禮節というのは、道法は道と法律の法、禮節は禮を尽くすというのと節という字で書きます。この4つが大切だということです。こういうものは日本の大和民族がずっと心掛けてきた中身の一例として、メシヤ様は御説きになってくださっています。

道というのは、何にでも道があるということです。例えばお花を習うとき、生け花教室で習うか、華道教室で習うかの違いです。生け花教室ではテクニックは習うのですが、華道教室で習うと道を習うということになります。

例えば生け花教室はアレンジメントも含めて「このように生けるのですよ」ということを教えてくれるのですが、華道教室になると花とはいったいどういうものなのか教えてくれます。それから季節の花を中心に生けていきます。それから山月流になると天地人ということを教えて調和ということを教えていきます。それぞれの華道によって、創始者が心掛けたことを少しずつ教えていきます。

それから茶道の場合、襖を開けるときにどのようにしなさいと教わりましたか?茶道教室に入るとき、どうでしたか?」

参加者:

右手で開けて、左手を添えて開けると。

楳木先生:

手を添える時に他に何を添えると教わりましたか?」

参加者:

その辺は…。

楳木先生:

茶道の場合、その教える人の精神性の高さによって違うのですが、少し襖を開いて、それから手を添えて開けるときに「心も添えて開けなさい」と。こういうふうに茶道では教えるので、心を添えるとはどういうことかということから深みが出てくるのです。

ですから、〈道〉がつくと、どんなことにもそういう道があるのだということから、道とはいったい何か、先程の心を添えるということは何か、ということで非常に深みを、深いものを習うことができるというようなことで、道ということが何にでもあるのだということが、最初です。

それから道法禮節の法は何かというと、氵に去と書きます。これは水が去るということなのだ、と。水が去ることによって炎になります。炎は熱くて触れることができません。

ですから触れてはならないものがこの世の中にはあるのだ、と。そういう天理ともいえる、そういう決まりごとがあるのだ、と。絶対侵してはいけない決まりごとがあるのだということがわかっていかないといけないのだ、と。

これは目に見える世界では、太陽が東から昇って西へ沈むとか。そのような絶対侵しがたいものがあるのだということを心得て生活をしないといけないということが、法ということに対する考え方にはあります。

それから禮節の禮というものは、今日も善言讃詞の最後の方に『跪伏禮拝願ぎ申す』というふうに。このときの『禮』は古い字で書いてあります。ですから礼を尽くすという場合は、古い字で書いてみてください。画数の多い方の禮を。これは示偏に豊かと書きます。だから禮というのは豊かさを示すということなのだ、と。

ではこの場合豊かさというのは一体何かというと、ものだけではなく心の豊かさを示すということです。ですから心が豊かなときには、いかに嫌なことを言われても腹が立ちませんが、少しイライラしていたり忙しくてバタバタしていたりするときに何か言われると、カッーとなって、「後にして!!」とか、つい言ってしまいます。

しかし、心が豊かなときには「どうしたの?」と返していけますね。だからが豊かなときにはいかなることにも礼儀をもって接することができるので、そうしたものが本来人間には必要なことで、人間が高まっていくというのは心の豊かさということなのだということがあります。

それから最後に節ですが、節(せつ)というのは節(ふし)ですので、メシヤ様も『竹には節があるから強いのだ』と引用されて説かれています。

今年の1月17日は淡路・阪神大震災からちょうど20年になりますので、朝、NHKではいろいろな人に淡路・阪神大震災に対することを語ってもらっています。

先週は藤原紀香が出ていました。私は個人的にはそんなに好きな女優ではなかったのですが。ちょっと醜聞も聞いていたので。朝のニュースの報道が終わったあとだいたい7時25分くらいからでした。藤原紀香が出てきたのは。藤原紀香はその頃モデルの仕事をしていたそうですが、大地震があったということで仕事場から帰ったのですが、途中から交通機関は全然動かないので何時間もかけて線路を歩いて自分の家に辿り着いたそうです。辿り着いたときにはもう大変な状態で、幸い自分の家族は大丈夫だったそうですが、友達の親が亡くなったり、自分の知っている人も大勢亡くなっていたりしたので、どうしたら良いかわからなくなるようなそんな感じがしたと述べておりました。

その中からそれでも何とか生きていかなくてはいけないということで周囲が立ち上がる中、自分は女優になったのですが、女優になっても芸能界の厳しさの中にいると、やはり壁にぶつかってしまうこともあったそうです。しかし、地元であの悲惨なところから何とかして元の生活を取り戻そうとしている友達や先輩がその節目節目で、私達もこの大変な中から何とか立ち上がろうとしているのだから頑張りなさいと、励ましてくれたと。そのことによって少しずつ仕事ができるようになったと言っていました。わかりやすい話だと思いますね。

そして、今や紀香と言われると誰でも知っているくらい有名な女優になっています。東日本大震災のときには節目節目でそういう方々が自分を支えてくれたので、今度は自分が、今、現実に苦しんでいる人たちを励ましたいということで、何回も被災地を訪ねていっているとういうことを紹介していました。それで私も見直しました。見かけと違うんだなと。やはり人はその人その人の話を聞かないとわからないものだなと思ったのですが。そういう節というものが人生にはあるのだ、と。その節目節目を大事にしていくことによって人間というものは立派になっていくのだ、と。

中国の中に残っている教えでは、十五にして学を志し三十にして立つ。四十にして惑わず…とかそういうような、事の節目を大事にしていけば、人間はきちんと成長していけるのだというような代表例を悉達太子にしてあげて、そして、そういうものを聞きつつ、今のインドをどのようにしたら救えるかということでお釈迦様が伊都能売神皇様から教えられたことを話していったのです。それがお経のもとになっているのです。

そしてその話した内容をいつも口ずさんでいけば、人間は悟りが啓ける。今の道法礼節だけでも心掛けてみたならば、相当な人格者になっていきます。ですから難行苦行をせずとも、そういう心掛けで悟りが啓けるのだ立派な人間になれるのだということで、インドの方で一大センセーションが巻き起こって仏教国のようになっていきます。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎御教え『仏教の起源』でメシヤ様は、約2700年前までのインドの実態を詳説して下さっているのだということ。

>又、当時バラモン教の難行苦行によって真理を会得していたのだが、仏教ができたことによって難行苦行から大勢の方々が救われたのだということも書かれているのだということ。

◎三千年前に朝鮮半島から素盞嗚尊が武力をもって押し寄せて来たので、その当時日本を統治されていた伊都能売神皇様は、絶対平和主義を貫かれ皇位を天照天皇にお譲りになり、御自身は二十八部衆を従えて密かに日本抜けられ、長距離を移動なさりインドまでたどり着かれたのだということ。

>伊都能売神皇様は、安住の地を求めて徒歩で中国大陸から降って行かれたので相当長い期間がかかったのだが、最終的にはインドの補陀洛山に落ちつかれたのだということ。

≫その補陀洛山に、まだ皇太子であり悉達太子と呼ばれていたころのお釈迦様が伊都能売神皇様を訪ねて行かれ、お釈迦様は日本の大和民族がずっと心掛けている「徳によって治めるためにはいかにあるべきか(道法禮節)」ということを伊都能売神皇様から教えていただかれたのだということ。

◎お釈迦様が伊都能売神皇様から教えられた(今のインドをどのようにしたら救えるかを説教して回った)内容がお経のもとになっているのだということ。

>そして「お釈迦様が話された内容(お経)をいつも口ずさんでいけば、人間は難行苦行をせずとも悟りが啓け立派な人間になれるのだ」ということで一大センセーションが巻き起こり、インドは仏教国になって行ったのだということ。

 

「メシヤ講座no.168浜松(平成27年1月分)」より抜粋つづき:

メシヤ様と健康保険制度・生活保護制度の確立

楳木先生:

それではメシヤ様が出現されたことによって、日本にも一大センセーションが巻き起こったのですが、それはどういう一大センセーションが巻き起こったか。」

参加者:

病貧争をなくすということですか?

楳木先生:

いや、日本に巻き起こったこと。(外で雷が鳴る)あっ、雷だ。怒っているよ。(笑い)年配の方はその当時メシヤ様が出てこられたので、話題になったことがあると思うけれど。おばあちゃんは知っている?おひかりさまと言っていたこと。おひかりさまのことを何と言っていた?」

参加者:

…。

楳木先生:

〇〇さんは知っている?おひかりさまについて何か聞きましたか?」

参加者:

おひかりさまが何をしているとかいう話は聞いたことがあります。

楳木先生:

メシヤ様が御昇天されたときには、新聞の一面で報道されたくらいですから、おひかりさまとし病気が治っていくということは実は大変日本に知れ渡ったのです。

そのことに対してさっき〇〇〇〇の秘書の話をしましたが、その人は「もうここしかないので入会させてください」と言ったのですが、お断りしました。初対面ですし、メシヤ教のやっていることもまだわからないだろうし、御教えの理解力がどこまであるか、たとえよそで支部長をやっていたとしてもどこまでわかっているのかというのは、私が充分話し合いをしていかない限り、入会というものは簡単に許可できませんということで、保留しているのですが、そのやりとりをしているときに、ふと、若いときに自民党本部の事務局長に会う機会があって話をしたとき、6億円疑惑の弁護士をしていた人と話をしたときのことを思い出しました。自民党本部の事務局長と会ったときに話をした中で一番強烈に覚えていることは、岡田茂吉教祖が出現したおかげで、現在の健康保険制度が確立できたのだ、ということです。

これは以前どこかで話したことがあると思うのですが、岡田茂吉教祖のおかげで国民健康保険制度が確立できたのだと。それはなぜかというと、医師会がおひかりさまに患者を全部とられてしまうという危機感によって、医者にかかってもお金がかからないように。その当時医者にかかると財産がなくなるようなお金をとられていたので、医者にかかってもお金がかからないように国民県保健制度を確立したわけです。

それと同時に病気になった人が生活に困らないように生活保護制度ができました。

今、テレビで話題になっている、スナック菓子に楊枝を入れたりとかしている人が逃亡するのに、生活保護手当で逃亡しますということをアップしているでしょ。実はこういう問題が、今、現代の一番の問題だと考えなくてはならないのです。

メシヤ様が出現されたことによって、当時の結核患者が随分救われて、全く逆の作用なのですが健康保険制度が確立されて、生活保護制度ができました。

そしたら、その後を継ぐメシヤ様の弟子は何を注視しておかなくてはならないかというと、消費税は8%に上がって、2年後には10%に上がることが決まっていますが、この消費税は一体何に使われるかというと、これは福祉に使われるということになっています。

福祉の主体は医療とそれから不健康のために生活ができない方々に手当を与えていくのと・・・。それから認知症になったら介護が必要になっていくので、介護費用に充てていくということが主体です。

ところがメシヤ様に対抗して健康保険制度を作ったのは、病気になっても不幸にならないということが、その法律の根底にあるのです。精神としては。

しかし、今、健康保険制度を悪用している人がいるのです。どういう連中かというと、主体は医者です。不必要な薬をどんどん出して。本来、医療的には2つか3つはその人の症状にとって必要なものかもしれませんが、不必要なたくさんの種類の薬をずっと出していきます。あるいは、必要ないような手術までしていきます。

これはどういうことかというと、開業医が病院を建てるために銀行からお金を借ります。そうすると月々の、まあ何十億という建物の場合・・・何十億でできないかもしれないですね、百億単位の建物と設備をした場合に月々の支払いたるや大変な額になってきます。ですから銀行からお金の管理の事務長が入ってきます。そして毎月、今月の薬の売り上げの目標を設定していきます。それから手術の目標の設定をしていきます。ですからそれに応じて医者達は薬を処方していかないといけないというのと、手術をやっていかないといけないわけです。目標を達成しないとお金を返せませんので・・・。

そういう体制に今なっているということなので、健康保険制度がそのようにいわば機能している部分もあるのですが、悪用されている部分があります。

そのために薬がいっぱい出るのでその薬を飲んだ人達が認知症になっていくわけです。そして認知症になるがゆえに介護が必要になってきます。

今また介護の法律が変わって給料は上がるけれども、施設に対するお金の落ち方が少なくなっているので、そういうことを主体にしている所の運営が次は困っていくという問題が出ておりますけれども、大体、精神を違えているためにそういうふざけたことが起きているわけです。

メシヤ様の弟子はそこへ絶えず、意見を本来言っていかないといけないのですが、〇〇教団は逆に医者の言いなりになって薬を併用しつつ浄霊というような、そういう体制を敷いております。もし〇〇教団が今、世界救世教の中で第一人者であると仮に言うのであれば、“我が教祖の御蔭で国民健康保険制度ができて、生活保護制度ができあがったのならば、それが正しく運用されているか”っていうことを絶えず意見していかないと、本来いけないわけで、「こういう患者の場合、本来三つでいい薬が七つも八つも出ていますよ、そんな医者に対して健康保険のお金を使うのですか」というようなことで、やり合っていかないといけないのですが、そうした本来の役割も担っていかないような人達が先生と呼ばれながら上に立っております。

そうしたことが、今の、メシヤ様の弟子とはなかなか言えない状態になっておりますから、こうしたものもこれから順次、まあ自民党と世の中に向かって私も発信していかないといけないので、今までのホームページをリニューアルしつつそうしたことの発信の場をさらに拡大して行きたいと今、考えているところであります。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様が出現されたことによって、日本にも(現在の健康保険制度が確立できたという)一大センセーションが巻き起こったのだということ。

>又、それと同時に病気になった人が生活に困らないように生活保護制度ができたのだということ。

※ここで楳木先生がお話し下さっている事柄は、私達が認識しておかなくてはならない重要な内容だと思いますので、各自確認をされて下さい。

 

「メシヤ講座no.168浜松(平成27年1月分)」より抜粋つづき:

布教とは

楳木先生:

ですから、まずはこの『仏教の起源』を拝読した我々が絶えずそうした心を持っておかないといけない。メシヤ様の御力と教えを現代の中に生かして、そしてメシヤ様の救いの恩恵に与(あずか)る人達を増やしていくかということが課題にあるということですね。それと同時にこの薬毒だけではなくて…。

今朝は、たまたま「マッサン」に出演している堤真一が出て演技の話ばっかりしていたので…。ウイスキーについてもうちょっと何で深く聞かんのかなあ、と思って私も最終的にはイライラして見ていたけれど。演技の仕方はどうですかとか、そんなことばっかり言っていて、根本的にはウイスキーをテーマにしているわけだから。「どんなウイスキーが好きですか」とかその程度で。あの中に流れている今のウイスキー作りについて何故聞かんのかなあと思ったけれど。(中略)

日本酒の中に入っている醸造アルコールで人間の体は壊れるし、ウイスキーの中には添加物があるから体を壊していくし、ビールも添加物だらけなので体を壊していく。

そして、みんな酒によって病気になったと思っているけれど、実は酒は百薬の長ですから本来病気にはならない。あの中に入った添加物が病気を作ってきたわけなのでね。

タバコだってそうでしょ。昔からタバコ吸っているけれど肺癌とかなってないのですよ。現在の大半のものは、おおよそ2,000種類の化学物質がタバコを吸うことによって空中に発散して、それを吸い込むからみんな肺癌になっていくわけなので、添加物が悪いわけです。

その添加物プラス、まあこれはいつも話すように生活上の化学物質、そうしたものを、気をつけていくように我々の周囲の人達、知人とか親戚の人に話していくというのが、実は布教だというふうに思ってください。

病気にならない人を作っていくためには、「添加物の入ってない食べ物を食べてください」、「薬は出来るだけ使わないでいい生活をしてください」、あるいは「住んでいるところとか、自動車の新車などは化学物質が真夏などは揮発してくるので十分気をつけて換気をしながら車を運転してください」というようなことを話していくことが、実はメシヤ様の教えに基づいた啓蒙活動ですので、これが布教活動なのだ、と。

そしてメシヤ様と御縁がある人だけが入会してくればいいですので、そういう取り組みを今後一層させていただきたいと思います。

○○支部でこうやって新年祭を執り行っている時、とにかく隣がうるさかったのです。ドンドン、ドンドンという音が。「どうしたの?」って聞いたら、「隣は一人住まいだったけれどもその人が施設に入ったんで家族が家を売ってしまったのだと。そして新しく買った人が家を崩して、それで今、新築している」そうです。

「昨日の場合だともう機材を積んだ車とかクレーン車とかが取り囲んでいて私の車を停める場所が無かったので、一日で終わってくれればいいなあと思っていたら、一日で終わったので今日は良かったです」というような話をしてくれたので、一日で終わるということはよっぽどの建て方だなあと思って隣へ行ってみたら、何と圧縮した板と圧縮した柱で作っていました。

いわば化学物質だらけの建材で作っているので、まあお気の毒だなあと思ったんですけどね。家主がいるわけではなくて工事をしている人達だけしかいないので、大丈夫ですかとかいうことは声を掛けるわけにはいかなかったのですが、ああいう中で生活していると恐らく化学物質に包まれた状態になるので、敏感な人はすぐシックハウス症候群になるだろうなあと思いながら見ておりました。

だから、まあそうしたことも目に付いたら「気をつけた方がいいですよ」というようなことを言えるような、そういうことを心掛けて今年一層、メシヤ様からこうして教えられたものを大勢の方々に教えてあげながら生活をしていただきたいと思います。

今日は『仏教の起源』を拝読させていただいたところからそうしたことを感じましたので、そのことを最初にお話ししていつものように質疑応答に入りたいというふうに思います。よろしくお願いします。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『仏教の起源』を拝読した私達は、メシヤ様の御力と教えを現代に生かし、そしてメシヤ様の救いの恩恵に与(あずか)る人達をどのようにして増やしていくかという課題があるのだという気持ちをいつも持っておかないといけないのだということ。

◎例えば日本酒やビールの中に入っている醸造アルコール等の添加物、又タバコに入っているおおよそ2,000種類の化学物質や生活上の化学物質、そうしたものに気をつけて生活していくように私達の周囲の人達に話していくというのが、実は布教なのだということ。

>「添加物の入ってない食べ物を食べてください」、「薬は出来るだけ使わないでいい生活をしてください」、あるいは「住んでいるところとか、自動車の新車などは化学物質が真夏などは揮発してくるので十分気をつけて換気をしながら車を運転してください」というようなことを話していくことが病気にならない人を作っていくためであり、実はメシヤ様の教えに基づいた啓蒙活動(これが布教活動)なのだということ。

◎私達は「メシヤ様と御縁のある人だけが入会してくればいいのだ」というような気持ちで取り組みをさせていただくのだということ。

 

「メシヤ講座no.168浜松(平成27年1月分)」より抜粋つづき:

神経の勘違い

参加者:

○○さん、聞かなくてもいい?この前言っていたこと、楳木代表にお聞きしなくていい?

参加者:

あっ、ありがとうございます。(笑)お伺いさせていただきます。

ここ2、3ヵ月、温かいものやちょっと冷たいものを飲んだ時に食道を下がっていった後に脇腹にずーっと感じるんです。冷たいものは冷たい、温かいものは温かい、この横にこう流れていってこの辺に感じて今度上にずーっと温かい冷たいと感じるのが何かわからないんです。何処かで飲んだものが漏れているのかなと家族に言ったら、それならとっくに命は無いから心配ないよと。ちょっと不快で痛かったり冷たかったり、最初の頃は肺とか心臓の辺りに感じたんですが、それが今は無くなって、今度はお腹で横に移動した時に上の方に感じるという、これはどういうことなのでしょうか?

楳木先生:

それはですね、アイスクリームを食べた時に・・・まあアイスクリームよりアイスキャンディ、アイスキャンディをこう噛んだ時にここ痛いでしょ?」

参加者:

あの、アイスは食べないので・・・

楳木先生:

いやいや、例え話。」

参加者:

ごめんなさい。

楳木先生:

冷たいけれども、こういうところ、痛んだりしますよね?」

参加者:

はい。

楳木先生:

あれ神経の勘違いなのですよ。」

参加者:

ああー。

楳木先生:

だから漏れているのではなくて、こういうふうに…。今年の冬はとりわけ、秋ぐらいから気候が変動していて、暖かい日もあれば寒い日もあるので、人間はいつも自分を守ろうとするので過剰反応を起こすのです。ですから、そういう時はあまり急激に冷たいものを飲み込んだり、熱すぎるものを飲み込んだりしないように心掛けてもらいたいです。

そしてこう飲んだとき、本来はここに熱いのが入ってきたなーと感じるのですが、自分の体が防御していこうと思うとあちこちに過剰反応を起こしてこの辺が冷たくなったり、とか・・・。これは神経が自分を守るために起こしていることなので、まあよく動いているということです、体が。

参加者:

ああ、そうですか。じゃあ、ありがたいことですね。

楳木先生:

そうなんです。しかし、飲むときに、こういうときにはぬるくして飲むように心掛けていった方がいいわけですね。」

参加者:

だから口の中に含んで、しばらくしてから飲んでいくんですね。少しずつ。

楳木先生:

ああ、まあそういうふうにすれば随分変わってくると思うのですが。ただ口の中に含んでも、液体というのは表面張力を持っているので表面は冷えたようになるんですけれども、熱いものの中はまだ熱い、冷たいものはまだ中は冷たいですので、だから飲み込んだ時に冷たいものがピューっと出るので、過剰反応を起こします。」

参加者:

ああ、そうですか。じゃあ、少し元気になってきたかと思えばいいですね。だから家族が神経伝達があるんではないかということはちょっとね。

楳木先生:

悪いのではなくて過剰反応している。」

参加者:

ああ、過剰反応ですか。

楳木先生:

例えば脳梗塞を起こして片方の腕が不自由になったときに、6ヶ月間はもの凄くリハビリがうまく行くのですが、6ヶ月目に今度は腕から入ってくる電気信号は本来脳まで行って、また戻っていかないといけないのが、やっているうちに肩で戻るようになってくるわけです、神経が。頭と繋がらないというように肩にこう神経上の壁みたいのができるので、それでそこからリハビリがなかなかいかなくなってくる。その時もう一回、体の仕組みを考えてリハビリをやらないと完璧に元に戻らないということが最近の医学では分かり始めているので、神経が、今までやっぱり弱っているところからだんだん元気になってきている時に反応の示し方が変わってきているというふうに思って、刺激物はできるだけ避けるように今の所はしておきながら、日々の、運動というか、まあ寒いので家の中でやる運動を、少し量を増やしていってもらいたいというふうに思います。まあ私も折角、筋肉痛が起きたので、この機会に絞ろうと思って今絞っているのですが、食べるのは普通に食べて腹筋とかそういうことをやっておこうかなあと思って今(笑)…何で笑ったの?(笑)」

参加者:

視線を感じて…(笑)

参加者:

でもそれは大切なことですね。自分がそれをとてもよく分かるので、今日はちょっと体調がと思って一日休むと次の日にやはり少ししんどくなるので、少しずつでも自分がきついなあと思っても軽く動かした方がいいなあというのが非常によく分かるようになりましたので。

楳木先生:

そうですね。ただ、しんどい時には無理をしないで、その時こそ家族に手を持ってもらうとか少し手助けしてもらいながら、やってもらいたいと思います。」

参加者:

そうですね。ありがとうございました。

(後文割愛)

責任者:

ここで御教示いただいた事は各自確認されて下さい。

 

編集後記

責任者:

御教えを拝読している私達には「メシヤ様の御力と教えを現代に生かし、そしてメシヤ様の救いの恩恵に与(あずか)る人達をどのようにして増やしていくのかという課題があるのだ。」ということを今回の学びの中で確認することができました。更に、病気にならない人を作っていくためには、メシヤ様の教えに基づいた啓蒙活動(薬、食品添加物、生活上の化学物質に付いての危険性などを話していくこと)をコツコツと継続していくことが布教活動なのだということも再認識できました。これらのことを念頭において今月は過ごさせていただこうと思います。花冷えの日もありますので、皆様どうぞご自愛ください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.168浜松支部 2015(平成27年1月分)

 

 

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