5月向けての学び
はじめに
責任者:
うららかな春から初夏の気配も感じる過ごし易い季節になりました。皆様におかれましては、お元気にお過ごしでしょうか。ところで気象庁の発表によりますと、日本の広い範囲に黄砂が飛来する時期でもあるようです。例えば黄砂が洗濯物に付着したりするなどの影響が予想されますので、そういうことも気に掛けながら過ごさなければと思っています。
さて、それでは引き続き「文明の創造」より学びを続けて参りましょう。
「メシヤ講座no.170浜松(平成27年3月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『伊都能売神』
「文明の創造」昭和27(1952)年
前項に述べたところは、大自在天なる言わば婆羅門(バラモン)宗盛んであった頃の、主宰者を表わしたのであるが、その当時先に述べたごとく、日本古来の神々は印度(インド)へ渡航し、化身仏となられたので、その化身仏の総領が伊都能売神(いづのめのかみ)であって、当時日本における最高の地位であられたのである。
ところがその頃素盞嗚尊(すさのをのみこと)を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯そうとしたが、容易に応諾されないため威圧や迫害等から進んで、ついに生命にまでも及んで来たので、急遽御位(みくらい)を棄てられ、変身によって眼を外らし、ひそかに日本を脱出し、支那を通って印度へ落ち延び給うたのである。そうして観自在菩薩の御名によって、当時インドの南方海岸にある補陀洛(ふだらく)という名の、余り高からざる山の上に安住せらるべく、新たなる清き館を建てられた。この事は華厳経(発表時は悲華経)の中にある。いわく「観自在菩薩は補陀洛山上柔かき草地の上に金剛精座を出来(しゅつらい)、二十八部衆を随え結跏趺坐(けっかふざ)して説教をされた云々」とある。当時まだ善財童子という御名であった若き釈尊は、この説教を聴聞して、その卓抜せる教えに感激すると共に心機一転してそれまでの悉達(しった)太子という皇太子の御位を放棄し、一大決意の下に、当時紊(みだ)れていた俗界を離脱し、直ちに檀特(だんとく)の山深く別け入り、菩提樹(一名橄欖樹(かんらんじゅ))の下(もと)石上に安坐し一意専心悟道に入るべく、修行三昧に耽ったのである。この修行の期間について、諸説紛々としているが、私は七ケ年と示された。
そうして業成り出山するや、いよいよ釈迦牟尼如来として仏法開示に、取りかかられたのであるから、実際上仏法の本当の祖は、日本の伊都能売神であった事は確かである。そうして今一つ日本から仏法が出たという証拠として見逃し得ない一事がある。それは仏教でよく称える本地垂跡〔迹〕(ほんじすいじゃく)の言葉である。これは私の考察によれば、本地とは本元の国すなわち日本であり、垂跡とはもちろん巡跡教えを垂れる事である。すなわち最後に至って、故郷である日本全土に、一度仏の教えを垂れると共に、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという密意である。また今一つは観世音の御姿である。その最も特異の点は、漆黒の素直な頭髪で、これは日本人特有のものである。それに引換え釈迦、阿弥陀は全然異った赭色(しゃしょく)、縮毛であるにみても、両如来がインド人であった事は明らかである。また観世音の王冠や、首飾り等も、高貴な地位を物語っており、頭巾(ときん)を被られているのは御忍びの姿である。
そうしてまた釈尊の弟子に、法蔵菩薩という傑出した一人がいた。彼は一時釈尊から離れて他の方面で修行し、業成ってから一日釈尊を訪れていうには「私は今度インドの西方に一の聖地を選びて祗園精舎を作り、これを極楽浄土と名付けた。その目的は今後世尊の御教えによって、覚者すなわち仏の資格を得た者を寄こしてもらいたい。さすれば右の極楽浄土、別名寂光(じゃっこう)の浄土へ安住させ、一生歓喜法悦の境遇にあらしめるであろう」といって約束をされたのである。寂光とは寂しい光であるからもちろん月の光である。ところがこの法蔵菩薩が他界するや、阿弥陀如来の法名となって、霊界において一切衆生を救われたのである。つまり現界は釈迦、霊界は阿弥陀が救うという意味である。
そうして観自在菩薩は、終りには観世音菩薩と御名を変えられたのである。これは梵語(ぼんご)ではアバロキティシュバラの御名であったが、後支那における鳩摩羅什(くまらじゅう)なる学者が訳され、観世音と名付けられたという事になっている。ところがこの観世音の御名については、一つの深い神秘があるから、それを書いてみよう。
仏教の中には日本の神様の精神が流れている
楳木先生:
本日は『伊都能売神』をただ今拝読させていただきました。
日本人がインドからきた宗教をこれほど日本全土に受け入れることがどうしてできたのだろうか、ということが、私の子供のころからの疑問でした。
仏教というものは、聞いてみると日本の宗教ではない、と。インドでできた宗教だ、と。そして、お経の原本はインド語だと。それを何故日本人が唱えてありがたがるのだろうか、と。お年寄りの人たちがなぜあんなにお経をありがたがるのか、ということが、大変不思議でもあり、疑問でもありました。
しかし、本日拝読させていただいたように、伊都能売神皇様がインドに降られていって、まだお釈迦様がまだ悉達太子と言われていたころに教えを垂れて、それが仏教のもとになっているのだ、と。そのまた仏教が日本に入ってきたので、“仏教の中に流れている精神は日本の神様の精神が流れているために、容易に日本人が受け入れることができたのだ”ということが、この御教えを拝読することによってやっとそうした疑問が氷解したのであります。
それでは、その悉達太子時代に伊都能売神皇様は何を教えられたのか、というと・・・、先月少し触れましたが、その触れた内容が、今回のメシヤ講座・特選集の、皆さん方は何枚目になっているかわかりませんが、こちらでは8分の5となっていますが、名前が『御教え・観音講座・第2講座内 道法禮節』というものが書いてありますので、先月もお話ししましたが、確認のために読んでおいていただきたいと思います。
それから〇〇さんは大分県の玖珠町のしかも玖珠町の奥地の宇佐へ向かう方に住んでいましたので、宇佐の方に行くと何が残っているのかというのは、子供の頃からよく見ていたでしょう。」
参加者:
全然行かないです先生:
楳木代表
行ったことがない?」
参加者:
はい。このごろになってから行ってみました。
楳木先生:
それから宇佐を通り越していくと国東半島に行くといろいろな磨崖仏や仏様のいろいろな遺跡があるので、今度行ったときには国東半島に行ってください。もう、仏教をやっている方々が涙がでるほどありがたい場所がいっぱいあるのでね。そこに統一してある、こちらでもお墓を作るときに高貴な人のお墓を作るときの形があるでしょ?」
参加者:
メシヤ様のような…。
楳木先生:
奥津城ではなくて…。高貴といっても天皇陛下とかは前方後円墳というように大きなものですが、庶民クラスで高貴な人たちが建てる墓。
五輪塔の形をした、あれが仏教の中で形として残っているものが、一番根本的なものを教えているのです。
それは一番上から空(くう)風(ふう)火(ひ)水(すい)地(ち)というふうな、これは「あいうえお」という母音の表す意味だということですね。
日本の根本的な「あいうえお」の意味をまず根本的なこととしては悉達太子に教えたわけです。
それから〈あかさたなはまやらわ〉という子音の中ではメシヤ様の教えではカ行のつく人は非常に几帳面になる、というふうに。
これは御光話録という御教えの中に載っているのですが、ア行がカになりますからカは〇を書いて真っ二つに割ったものをカと言います。それから洞窟の形をしたものを真っ二つに割るとキになります。そし火の形の三角を割るとクになり、川が流れるように書いたものを真っ二つに割るとケなり、四角、土地というものを表したものを真っ二つに割るとコになるのです。
ですから几帳面に真っ二つに割るということがこの言葉の中に含まれているので、女性は〇〇子と付けた方が几帳面になってくるのです。子のついた人は良かったです。
だから整理整頓ができるとか、掃除がきちっとできるようになるとか、そういうことができる子供が大人になっていくということが言えるわけなので、女性には子を付けるということが昔からあったのです。ですから子のついた人はおめでとうございます。(大笑い)
そうした根本的なことと丸く書いたフトマニ図を上で離して広げていくと周期表になるというはなしをしたことがあると思いますが、これは神界で〈あいうえお〉とかの七十五声を響かせていくと響かせていく言葉の一つ一つが物質化したときに我々の肉体もできてきたということになっていますので、何回唱えたかわからないくらい響いていって飽和状態となった際に物質化してくる、と。あのような周期表の一つひとつのものができあがってくるということになっています。
そうした根本的なことを教えて、次に日本は徳によって治めることができていた、その徳によって治めるためにはこの道法禮節を守っていかないといけないということです。
先月は藤原紀香の話をして節目の話をしましたが、今、静岡では非常に繋がりある、東海地方としては繋がりがある、5月29日に三菱航空が初めてMRJを飛ばして、おおよそ飛行機が半世紀ですかね、YS11から作ったことのない飛行機を完成させて日本で半世紀ぶりの飛行機ができます。5月29日に初飛行すると。これをアナウンサーたちは「大きな節目になると」。「量産化に向かう大きな節目になる、だから大事に初飛行をやらなくてはいけない」と昨日あたりからNHKをはじめニュースで紹介しています。
やはり節目を大事にするとか、そこに携わった人が集中的にやるという取り組みが、本来日本人が取り組んできたことでありますので、そうしたことを大事にするということがうまくいけばいいなというように、このようなニュースが流れたときには心でお祈りしてあげると失敗なく試験飛行が続いていくのではないのかな、と。そういうことを大事にしていくと徳によって治めることができるということを悉達太子に教えています。
それから、子育てをするときには、挨拶ができるように、嘘をつかない人間にするように、そして自分のことは自分ですることができるように、人に迷惑を掛けないようにということで、日本の場合は取り分け布団を敷いたり上げたりという風習が昔はあったので布団を敷いたり上げたりしながら自分のことは自分でできるようにというようになったのですが、最近のお子さんたちはベッドに寝ているので、しつけの仕方が難しくなるのです。いわばベッドメイキングというものを親が知らないので、子供に朝起きたときにシーツの端と端を持ってシーツを伸ばすのだとか、掛けている布団の四隅をこのように引っ張って、できればベッドカバーを掛けて部屋を美しく見せる在り方を作り上げていくのだということを子供に教えていけば自分のことは自分でするということができるようになっていきます。そういうしつけ方をしていけば、人に迷惑をかけるような人にはならない、と。そうしたこまごましたことを悉達太子に伊都能神皇様は教えられています。
そして、この悉達太子がそれを聞いてここの323ページの真ん中のあたりに『一意専心悟道に入るべく、修行三昧に耽ったのである』ということですが、この華厳経を調べていくと先日三重支部から華厳経についていろいろ調べたことを送ってきてくれたのですが、28人の覚者という人たちにも会って、様々悉達太子は修行を求めていったと。それからつごう53人に会って伊都能売神皇様から教えられたことを裏付けるようなそういうことをずっと積み重ねたのがおよそ7年間ではないかと推測できる内容を送ってきてくれました。
そうした修行に励んでいよいよ業なってインド人の人たちに伊都能売神皇様から教えられたことを説いていった、これが仏教なのです。説いていったことが仏教ということですので、そうして仏教ができあがったのだということを、本日御教えを拝読しながら確認していっていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎仏教は、伊都能売神皇様がインドに降られて行き、まだ悉達太子と言われていたころのお釈迦様に教えを垂れられ、その垂れられた内容が仏教のもとになっているのだということ。
>その日本の神様の精神が流れている仏教が日本に入ってきたので、日本人は容易に仏教を受け入れることができたのだということ。
◎伊都能売神皇様はお釈迦様に日本の根本的な「あいうえお」の意味をまず悉達太子に教えられたのだということ。
・仏教の中で形として残っている高貴な人たちが建てる墓(五輪塔)の形が、一番根本的なものを教えているのだということ。
>五輪塔は、一番上から空(くう)風(ふう)火(ひ)水(すい)地(ち)というふうな、これは「あいうえお」という母音の表す意味だということ。
◎伊都能売神皇様は上記のような根本的なことを悉達太子に教えられ、次に日本は徳によって治めることができていたので、その徳によって治めるためには『道法禮節(御教えへ)』を守っていかければならないのだということをお教えになられたのだということ。
◎お釈迦様は修行に励まれ、いよいよ業なってインドの人たちに伊都能売神皇様から教えられたことを説いて行かれたのだということ。
>それ(伊都能売神皇様から教えられたことを説いて行かれたこと)が仏教であり、そうして仏教はできあがったのだということ。
「メシヤ講座no.170浜松(平成27年3月分)」より抜粋つづき:
三千年来の罪穢れ
楳木先生:
一方、多くの宗教、とりわけ大本教を根っこにしてつくってきた宗教は「三千年来の罪穢れ」ということをずっと言ってきました。
それでは、三千年来の罪穢れということは一体どういうことかというと、神話では正しい神様を天岩戸に押し込めたということになっていますが、それは国常立尊様を押し込めたのは3000年前ではなくもっと昔の話ですので、おおよそ9000年前、6000年前のサイクルでそういうことがあって、3000年前の話は現実的な話です。
また、もう一回最初のページに戻って(書籍「文明の創造」)322ページの5行目に『処其頃素戔嗚を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯さうとしたが、容易に応諾されない為威圧や迫害等から進んで、遂に生命に迄も及んで来たので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼を外(そ)らし、窃(ひそ)かに日本を脱出し、支那を通って印度(インド)落ち延び給ふたのである』ということであります。
素戔嗚尊が3000年前に押し寄せてきたときに伊都能売神皇様は最初頑として受け付けなかったわけです。しかし、その後『威圧や迫害等が進んで生命迄にも及んできたので』とありますが、生命迄も及んできたということはどういうことかというと、「あなたが応諾されなければ人民を殺していきますよ」と。一人ずつではなく百人単位とかで殺していきますよ、とかいうようなことを迫ってきたであろうということが推測できます。
そうすると日本本来の人民を守るためにということが一つ出てきますので、天照天皇に皇位を譲られて日本を脱出されたということであろうかと思います。
その後日本人が、この素戔嗚尊のやり方の威圧や迫害、それから命を脅かすような手段で政治を動かすようなやり方になってしまうということが、実は「三千年来の罪穢れ」ということになります。
だから夫婦や親せき、家庭の中でも威圧や迫害的な言動がないか、例えば男の人が「おまえ、誰から飯を食わせてもらっているんだ!!」とかいうことは、威圧ということですね。それから「俺の言うことが聞けないなら、出ていけ!!」という言い方も威圧や迫害になるわけです。
それから会社でいうと上司が「私の言うことが聞けないなら、会社を辞めてもらうよ!会社を辞めたら家の者がどうやって生活できるんだ。野垂死ぬではないか」という言い方をするのは、生命迄も及んできた言い方です。
この癖がついたのが、素戔嗚尊が入ってきたことによって、日本人にそういう性格の癖がついてしまったということです。
素戔嗚尊が入ってくるまでは日本人は『道法禮節』を重んじていたわけなので、徳によって治められていたのです。しかし、素戔嗚尊を日本人が受け入れてしまったために三千年来の罪穢れが発生してきたということであります。このことを自らに向けていかなければ、“私の中にも威圧的に人と話すところがないだろうか”、あるいは“迫害を与えるようなことはないだろうか”ということを自分に問いかけてながら生活をしていかないと、「三千年来の罪穢れ」をとるということについては…。
子育てしているときにはよく「誰にご飯を作ってもらっているの!!」とか言ってしまうことがよくありますよね。「自分ひとりで生きているような気でいて!!」とか。ついつい怒るときにはそういう言い方をしてしまいます。ところがこういう怒り方は素戔嗚尊のやり方なのだということになります。だから怒るときにどうしたら良いかということになりますが、さっきのように伊都能売神皇様のようになっていかないといけないのです。
「この世の中には人に迷惑をかけてはいけないという決まりごとがあるのです。それを守っていきなさい。それを守れないのは人間ではなく動物なのだ」という言い方で教えていく。
直情的に「誰がご飯作ってあげているの!!」という言い方をすると、威圧をしてしまっているということになってしまいます。こういうやり方では本当の日本人を育てることができないということになってきます。
それでは皆さん方は素戔嗚尊が日本を治めたら酒食に溺れて世は乱れてきたという話を聞かれておりますね。そしてそこをみてとった中国から九州の高千穂に神話では降臨したということになっていますが、瓊瓊杵尊という中国の神様が入ってきて高千穂に移り住んで、そこで孫として生まれてきた神武天皇に即位した、そういう方が乱れた世に対して打って出て、統治に出ていきます。
高千穂からどのような道を通っていったのかということになりますが、ルートとしては出方が阿蘇山のどっち周りで出てきたのかということになりますが、出てきて中国地方を通り、関西の方に出ていきますが、このときの神話の裏付けをどういうふうにしていくかということを研究している学者たちがいて、大変有意義な報告をしてくれています。
どういう報告かというと伊都能売神皇様の時代は縄文時代でありますね。それから3000年前は縄文時代であります。それから弥生時代になりますが、縄文時代と弥生時代の大きな違いは何ですか?」
参加者:
稲作?
楳木先生:
それでは稲作はどうしてできるようになったのですか?稲作がどうして日本に入ってきたのかということをご存じの方は?これは実は神武天皇が広めた、というのが最近の研究の報告の一つです。
中国から入ってきたのですが、神武天皇が討伐しつつ、その土地土地に米の作り方を教えていったということが最近分かってきたというのです。米を作るためには水が必要なので灌漑工事、いわば治水工事を教えていったのです。そして、しかも木や石で土を掘っていたのではらちがあかないので、鉄の作り方、製鉄の仕方を…。この3つをもって神武天皇が統治に出ていったということが最近の学者が発表している内容です。
ですから、中国からきた瓊瓊杵尊のお孫さんが一挙に統制にでたときに米の作り方を教えていって日本に米が定着したということです。
だから日本人は一度心がすさんでしまいましたが、この神武天皇のおかげで、食べ物を、美味しい米を取得すると共に、もともと日本では伊都能売神皇様の時代から大事にしてきたことがあるではないか、それを守っていかなくてはいけないということを言ったのが神武天皇ですので、今の皇室の姿を見れば、今上天皇を始めとして自分を非常に律して偏ったことを言わない、そういうことを守りぬいて生活をされています。いわば日本人の鑑のような生活をされておるのは、そうしたことを乱れた世を立て直すためにしたことなのです。
しかし、残念なことに討伐をするときにどうしても武力をもってやったので、この武力だけは日本に残ってしまったということが、一つは残念なことでありますが、しかし素戔嗚尊が入ってきて世の中が乱れたときに神武天皇が出てこられて統治して即位したのが2月で、今年の2月で2675年になります。
今、皇紀、紀元節の2月11日にお祝いしたでしょ、皆さん。あまりお祝いしていない?今は建国記念日と言っているので、訳がわからないようになっていますが、昔の人は紀元節と言って神武天皇が天皇に即位した日であるということであります。
そうして日本中に稲作が行きわたって、もう一度秩序を取り戻そうという動きが少しずつ起こってきたというふうに歴史を見ておくと、メシヤ様の教えと連動して歴史を見ていくと、少し日本の2000年前から3000年前の歴史がわかってくるのではないかなと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎多くの宗教、とりわけ大本教を根っこにしてつくってきた宗教は「三千年来の罪穢れ」ということをずっと言ってきている。
>「三千年来の罪穢れ」ということは一体どういうことかというと、
・神話では正しい神様(国常立尊様)を天岩戸に押し込めたということになっているが、それは3000年前ではなくもっと昔の(おおよそ9000年前、6000年前のサイクルであった)話であり、3000年前の話は現実的な話なのだということ。
・素戔嗚尊が3000年前に伊都能売神皇様の地位を狙って日本に押し寄せてきたときと同じようなやり方(威圧や迫害、それから命を脅かすような手段で政治を動かすこと)になってしまうということが、実はこれが「三千年来の罪穢れ」ということになるのだということ。
◎素戔嗚尊が入ってきたことによって、日本人に威圧や迫害をするという性格の癖がついてしまったのだということ。
>素戔嗚尊が入ってくるまでの日本人は『道法禮節』を重んじ徳によって治められていたのだが、素戔嗚尊(のやり方)を日本人が受け入れてしまったために「三千年来の罪穢れ」が発生してきたのだということ。
≫「三千年来の罪穢れ」をとる為に私達は、「自分の中にも威圧的に人と話すところがないだろうか?」あるいは「迫害を与えるようなことはないだろうか?」ということを問いかけながら生活をしていくのだということ。
・例えば子育てしているとき、子供に対してついつい直情的な言い方や怒り方をしてしまうことがあるが、それは素戔嗚尊のやり方になってしまいよくないのだということ。
>だとしたら(直情的なやり方では本当の日本人を育てることができないので)、怒るときにはどうしたら良いかというと伊都能売神皇様のようになって「この世の中には人に迷惑をかけてはいけないという決まりごとがあるのです。それを守っていきなさい。それを守れないのは人間ではなく動物なのだ」という言い方で教えていくのだということ。
「メシヤ講座no.170浜松(平成27年3月分)」より抜粋つづき:
実を生らせるということ
楳木先生:
それでは次は(書籍「文明の創造」の)323ページの最後の行に本地垂跡という言葉がでていますが、本地垂跡は日本史でいろいろ説明を受けたと思いますが、メシヤ様の教えでは 『本地とは本元の国即ち日本であり、垂迹とはもちろん巡跡教を垂れる事である。即ち最後に至って、故郷である日本全土に、一度仏の教を垂れると共に、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという蜜意である』ということです。
今、仏華が開ききっています。この仏華が開ききっているということは何かというと法華経から進んだ学会が日本全土に拡がって、それを母体とする公明党が今、自民党とともに法律を変えようというところにまで勢力を伸ばしております。これが、仏華が開ききったということになります。
これから実を生らせるということをするために3月3日にメシヤ降誕本祝典を執り行うということに、そういう意味になります。これから実を生らせるという取り組みを、メシヤ教を中心にしてやっていきます。
これが3月3日のメシヤ降誕本祝典記念式典の意義でありますので、ここを読んだときにその意義をしっかり受け止めて3月3日を迎えていただければ大変ありがたいというふうに思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様の御教えで「本地垂跡」とは、 『本地とは本元の国即ち日本であり、垂迹とはもちろん巡跡教を垂れる事である。即ち最後に至って、故郷である日本全土に、一度仏の教を垂れると共に、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという蜜意である』ということなのだということ。
>メシヤ教を中心としたこの「実を生らせる」という取り組みが3月3日のメシヤ降誕本祝典記念式典の意義なのだということ。
「メシヤ講座no.170浜松(平成27年3月分)」より抜粋つづき:
阿弥陀様やお釈迦様との違い
楳木先生:
そしてその後には伊都能売神皇様と阿弥陀様やお釈迦様の違いというものが書かれています。
ここに小さい阿弥陀様が掛かっております。この阿弥陀様を見ると、頭が2段になっています。その頭は全部こぶのようになっていますが、これは縮れ毛ということになります。天然パーマということです。日本人の天然パーマでは及ばないようなインド人の天然パーマはすごいから、あのようにこぶのようにつけているのですね。それから中にあるこんもりしたところは頭部隆起したということであり、悟りを開いたという証です。お尻のところにあるチャクラを上に引き上げる修行をしていくと、赤ちゃんの時にピコピコしているところから血膿が吹き出るということになります。吹き出てこぶができた状態が阿弥陀様の頭のかたちになります。いわば悟りを開いた証が頭のこぶです。そういう形になっています。その縮れ毛と。
そして観音様は何処で見ても直毛ですので、結い上げています。ですから日本人という証です。
阿弥陀様はインド人という証であのような頭になっているということを、ここを拝読することによって覚えておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎阿弥陀様はインド人で縮れ毛で、頭が隆起しているのは悟りを開いたという証(いわば悟りを開いた証が頭のこぶ)なのだということ。
>お尻のところにあるチャクラを上に引き上げる修行をしていくと、赤ちゃんの時にピコピコしているところ(大泉門)から血膿が吹き出るということになり、吹き出てこぶができた状態が阿弥陀様の頭のかたちになるのだということ。
◎観音様は何処で見ても直毛で結い上げていて、それが日本人という証なのだということ。
「メシヤ講座no.170浜松(平成27年3月分)」より抜粋つづき:
仏の資格を得るということ
楳木先生:
それからその324ページの後ろから5行目に 『そうして又釈尊の弟子に、法蔵菩薩といふ傑出した一人がゐた。彼は一時釈尊から離れて他の方面で修行し、業成ってから一日釈尊を訪れていふには「私は今度印度の西方に一の聖地を選びて祇園精舎を作り、之を極楽浄土と名付けた。」』。
之が仏壇を作るときに西を向けた方が良いという理由です。仏壇はどちらの方向に向けたら良いでしょうかというときに、西を向けた方が良いですよというのはそういう理由です。
『印度の西方に一の聖地を選びて祇園精舎を作り、之を極楽浄土と名付けた』というところから仏壇は西を向けた方が良いということの根拠はここにあります。
ですからメシヤ様はそういうことを教えてくださっているというふうに読んでおいていただきたいと思います。
そして 『其目的はは今度世尊の御教によって、覚者即ち仏の資格を得たものを寄こして貰ひたい。さすれば右の極楽浄土、別名寂光の浄土へ安住させ、一生歓喜法悦の境遇にあらしめるであらう』
と言われた、ということでありますので、現在の仏教のダメなところは仏壇の向きとは別に、覚者即ち仏の資格を得たものということになっているので、お寺でみんなを覚者にしていかないといけないのです。仏という資格をえるために、そういう生き方を教えていかないといけないところが、本来お寺なのですが、今はどうしても葬式を中心にしたお寺にどうしてもなってしまっているので、やはり生き方を教えていかないといけない。
そして生き方の根本が先程の道法禮節とかいう内容になってくるので、そういうものをずっと取得していって覚者になっていくわけなので、仏の資格を得るということを修行してもらうということです。
お経をいくら写経しても悟りは啓けないのです。生き方の中に道法禮節を守るということをしていかないとその資格を得ることはできないので、そういうことをもこれからお坊さんと話しがあるときにはそういうことを教えて「お坊さん、あなたはそういう資格を得るところまでいっていませんよ。もう少ししっかりしてください」ということぐらいをもうおばあちゃんくらいだったら説教しても良いから・・・。
お坊さんにそういう説教をしてあげてください。「あなた道法禮節を守っていますか?」と。こういうふうに。おばあちゃんくらいの歳になったらそのくらいは言っても良い年になるので。そのかわり自分も道法禮節を守らないといけないので、守りつつそういうことをお坊さんと話し合いができるような人間になっていかないといけないのです。メシヤ教としてメシヤ様の御教えを学ぶことを通して多くの方々に感化を与えるような、そんな生活をするのが実は御神業なのだというふうに受け止めていただきたいと思います。
メシヤ教は浄霊力という絶対的な救済力があるので、この浄霊をしておけば良いということでずっときましたが、しかし日本全体を地上天国にしていくためにはみんなの心の拠り所にしているお坊さん方をさらに向上させてあげないといけないので、そういうことを取り組んでいきたいと思いますので。年をとるほどそういうことができるわけですので。若い人が言うと生意気になるけれど、お年を召した人たちが言うと「ありがとうございます」という話になるわけですので、そういうことに取り組んでいただければありがたいと思います。
本日はそういうことをお願い、確認をさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎御教えの中の 『印度の西方に一の聖地を選びて祇園精舎を作り、之を極楽浄土と名付けた』というところが、仏壇は西を向けた方が良いということの根拠になるのだということ(メシヤ様はそういうことを教えてくださっているというふうに思って拝読するのだということ)。
◎本来のお寺は、人々に仏という資格をえるための生き方を教えていくところなのだということ。
>そしてその生き方の教えの根本が『道法禮節』という内容になってくるので、それを取得していき覚者になり仏の資格を得るということの修行をしてもらわなければならないのだということ。
◎メシヤ教としては、メシヤ様の御教えを学ぶことを通して多くの方々に感化を与えるような、そんな生活をするのが実は御神業なのだというふうに受け止めていくのだということ。
編集後記
責任者:
今回は主に仏教の成り立ちと、大本教の教えを根底としてつくられてきた宗教が唱えている「三千年来の罪穢れ」について御教示をいただきました。とりわけ「三千年来の罪穢れ」については、その罪を取り、又増やさないようにする為には、「自分の中にも威圧的に人と話すところがないだろうか?」あるいは「迫害を与えるようなことはないだろうか?」ということを自分に返して考えながら5月を迎えようと思います。過ごしやすい季節ではありますが、体調をくずさないようご自愛ください。どうも有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。
「メシヤ講座no.170浜松支部 2015(平成27年3月分)」