御教え『浄霊と胃癌』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

胃癌という病気は、医学でも絶対治らないとしており、強いて医療を施すとしたら、手術以外にない事も、誰も知る通りである。併し手術で旨く成功しても、その後の食生活の面倒な事と、大抵は数年の生命しか保てない事もよく知られているが、左記の実例は胃癌に対する浄霊の効果が、如何に絶大であるかを示している。ところが若し医学にょる効果としたら、世界的大問題となり、画期的発見として一大センセーションを起すであろうが、宗教なるが故に簡単に闇に葬り去られるのであるから、不思議な世の中である。併し神様の救いである以上、何れは世界人類全体が平伏して拝むようになるのも、絶対間違いないのである。

 

御蔭話 佐賀県N.N. (昭和二七年二月五日)

但し、発表者:Y・N、S様→H様、発表日:1日

昭和二五年三月二六日突然の来客に応対して色々話を聞いて居りましたところ、杵島郡K町、S(58)様が実は胃癌との事「是非来て頂きたい」と申されましたので行って見ましたが、大分重態の様でした。それに一回の浄霊でこんな事で良くなるものかと本人は思われたのか、断られた為入信者でも無い人だから、若し万一の事があったら面白くないと思って居た折の事、ホッとした気持で帰りました。

それから四日後の三〇日の晩に再びS様の子供様二人連れにて、支部(当時の教導所)に参られ、「全く申し兼ねますが二七日以来お医者に御願いして居りますが、四日間での衰弱が急速な為医師も驚いたのか家族の者に「一度立会いをさして呉れ」との事で「それは立会いされてもよいが、立会いしたらどうなりますか」と尋ねたら「当然入院して切開手術を致さねばなるまい」との事に「手術をしたら大丈夫ですか」と問えば「手術しても保証は出来ない」との言に「それでは手術してもせずにもどうせ助かる見込がない様でしたら、手術は見合せます」と言って医師を断りましたので、

死んでも思い残しはないから、今度だけは是非神様にお縦りすると本人から申しますので、誠に我が侭ですけれど御願い申します」と言って来ましたので、三一日に行き「三日間だけ来て上げますから、その後も是非と思われる様でしたら申して下さい。それでないと三日間で後は参りません」と言って居りましたら、三日目に「後も来て下さい」との事に又三日間の日切りして行きましたが、その二日間は一日に牛乳五勺も咽喉を通らず、冷汗は絶間なく出るのに今日は忌中の紙を戸口に貼ってあるのではなかろうか、又翌日も今日は貼ってないだろうかと家に行くまでは気になって三日間行きましたが、三日目計六日目には大変楽になって居りましたのでどうやら安心致しまして、この様子では命を取り止め出来るのではないかと思いました。

と同時に明主様の御霊徳と言い、御浄霊の偉大さには全く人智では計り知れない処がある事を痛感致しました。尚日増に元気が出て来られましたので、後は又四日間続けて合計一〇日間行ってやり、一〇日目に私は「明日から別府にお参りして来ますから、三日間は参られないけれど、今度別府より帰って御宅へ来る頃は寝て居たくはない位の気持になって居られる事と思います」と申してその日は帰りました。

そして四月一三日再び行って見ましたところ丁度私が家の前に近づいた時、本人は奥様にすがって小便に立って居られましたので、想像通り大分良くなったなあと自分の事の様に喜びまして(略:本人に会って見ますと)、本人は固より家族の者の喜びは筆舌に現わされませんでした。又丁度その日は隣家のJと言う人が同じ胃癌で、近所の噂ではSさんとJ様とどちらが先に死ぬかとまで話に出て居たその人は病院に行き、手術受けて居られたのが、その日(一三日)朝病院で死亡され、戸板に乗せられて自宅に帰られたとの事、

誠に人間の一生というのはどこで差がつくか分りません。その後は時々浄霊に行って居りましたが、その年の秋の農繁期より発病前と変らぬ働きをして居られ、全快後は、一年八カ月の今日に至るも何事なく元気で働いて居られる事を見ましても、御浄霊に依り快復したのは再発の心配皆無の事が分ります。尚全快後に御報告申し上げるべき筈のところ、果して一年後にも何事もないかを確めてと本人の意志に依り、約二〇ヵ月後の今日まで御報告を廷した事につきましては重々御詫び申し上げますと共に、入信日浅きお方の御参考にもなる事と思いここに御報告さして頂きます。明主様有難うございました。