御教え『御守から出る光波』

「栄光」223号、昭和28(1953)年8月26日発行

「世界救世教奇蹟集」昭和29(1954)年2月10日発行

今までに二回御守の光に遮断され、レントゲンの光が透過しない実例を本紙に載せたが、今回で三回目の右と同様な事があったので、科学的にいえば三回の実験を経て最早確定したといってもいいので、新しい言葉でいえば霊科学上の定説となった訳である。人も知るごとくレントゲンはほとんどの物質を透過する強力な素晴しい光線として礼賛(らいさん)しているが、それ程の強力な光を御守から放射される光で阻止するのであるから、全くレントゲン以上の強力な光線である。ではこの驚異的光線は何によって生み出すかというと、これこそいかに説明しても到底信ずる事は不可能である。すなわち私が半紙一枚へ墨と筆とで光の一字を大書した文字から、右の光線が放射されるのであるから、神秘以上の神秘である。

この事は信者には分っているが、第三者としては恐らく理解出来ないであろうから、出来るだけ分り易くかいてみよう。ところで右の光の文字を書く場合、私の手と指を透(とお)し、次に筆墨をも透して紙に印せられるのであるから、形式では普通人と同様のかき方である。それだけで前記のごとき強力な光が文字中に含まれるのであるからこの神秘こそ恐らく人類肇(はじま)って以来ない事であり、しかもこれを書く時間は、一枚精々七秒くらいであって、一時間に五百ないし六百枚は楽である。しかも別に祈ったり精神を籠(こ)めたりするような事は全然なく、平々坦々たるもので、煙草の喫(の)みたい時は、左手の指にシガーを挟みながら右手でかく、その上退屈を紛らすため、必ずラジオを聴きながら書くのである。

夏の暑い時など、腰から上だけ裸になって書く事もある。衆知のごとく昔から教祖などが御守を作る場合、斎戒沐浴(さいかいもくよく)、神に祈り、謹厳犯し難き態度で臨むのに比べたら、私のやり方は、余りにお粗末であるから、普通の人が見たら唖然とするだろう。それというのは私の腹の中には、最高神霊が在(おわ)しますので、ただ私はからだを貸している訳である。つまり神が私を一種の道具として、自由自在に使われるのであるから、私としては敢(あえ)て神に祈る必要などはない。祈るのは神と人間とが分離しているからである。その点私はまことに気楽なもので、実に有難いと感謝している。恐らく世界肇って以来私のような飛び抜けて変った宗教家はあるまい。

ついでに他の事を少しかいてみるが、これも信者はよく知っているが、地上天国の模型である神苑にしても、建物にしても、美術館やその中のケースにしても、考える事はほとんどない。その都度(つど)そう思うだけで間髪を容れず頭に浮ぶので、そのまま指図するだけである。という訳で人から見て難しいと思うような事でも、私には何でもないのである。ゆえに医学に関した事でも農業に関した事でも、その他何事でも同様であるのは、私が現在行っている仕事振りをみてもよく分るはずである。まだまだ色々言いたい事があるが、限りがないからこの辺で筆を止めるとする。

 

「レントゲンにこの奇蹟 結核もかくして救われ人生の喜びを知る」

広島県呉市下山手町 瑞雲中教会 大野 豊(22)

明主様御守護誠に有難うございます。限りなく尊き御恵みに対し、いかにして感謝致し、何と言って御礼申し上げてよろしいやら、その言葉を見出す事が出来ません。拙文ではございますが、ここに謹んで御礼と御報告を申させて頂きます。

昭和二十七年三月の事でございました。「右鎖骨下に母指頭大の浸潤像が出来ている」ということを工場医師より知らされたのは一カ月程前の事でございましたが、幼少より病気らしい病気はしたことはなく、中学、高専とサッカーのレギュラーをつとめ、体力には自信を持っておりましたのと、丁度決算期の事とて体の不調は感じながらも当り前だと打過ごしておりました。ところが三月二十八日の事、勤務を終えて部屋に帰った途端、軽い咳と共に突然の喀血を見ました。少量ではございましたが血を見て肺結核の恐ろしさを今更痛感致し、私は前途を思う時悲痛の涙に暮れました。早速入院致し医師の言葉通り絶対安静を二カ月余り続けました。唯物教育の中に育ち神の実在に無感覚であった私には医師の言葉は絶対でございました。ようやく一人歩きも出来、血痰も止り、熱も平熱に下りました時、医師と相談の上、この際徹底的にと別に効き目も感じなかったストレプトマイシン二十本、そして又二十本を加えました。薬毒の恐ろしさを思う時、現在泣いても泣き切れない気持でございます。罪深き自己でございます。七月故郷呉に帰り安静に全力を傾け進行状態を見守っておりましたが、以前と変らず固く消えそうもありません。「気胸を三年しなさい、半年もすれば胸の蔭は消えはしないが働けるようにはなるだろう」との医師の言葉に、いやな気胸も承諾致しました。そして後二日で気胸を実行するという日の事でありました。妹の知人岡田さんという方より、「救世教という宗教があるんだが、とにかく病気が良く治るんだ。まあ気胸をする位なら瞞されたと思って行ってみないか」という親切なお話をして下さいました。しかし生まれてこの方神に手を合わせた事もなく、宗教を信ずる人間は皆性格破綻者なんだという不遜な考えを持っておりました私には、手をかざして病気が治る等、いかにも馬鹿げた事だと思われました。又それについて行く人に対してはむしろ憎悪さえ感じましたが、ただ何となくまあ行ってみようという気持で呉支部をお訪ねしたのは十月二十八日の事でございました。明主様どうか私の愚かな心をお許し下さいませ。意外な方向で真の幸福への道を知り真理を見出す事が出来ました。暗黒より光明へ、生涯の転換でございました。呉支部の山内先生の御浄霊を何が何だか判らない変な気持で御受け致しましたところ、部屋が異常に暖かく、それに自然に体の中から暑さがにじみ出て、びっしょり汗を流しました。帰宅後の眠い事は又格別で、七時だというのにもう床の中に入り朝までぐっすり眠りました。こんな事が四、五日も続きました。そして山根会長先生、荻野先生、山内先生より色々お道のお話をして戴きましたが、余りにもお話が大き過ぎて夢想としか思われませんでした。しかしただ、今迄とは別の世界が存在するのだという事、純粋な考え方の通用する世界があるという事に大きな喜びを感じました。毎日支部にお参りして来る人々を観察致しましたが、皆日々快方に向う事実の前には頭を下げざるを得ませんでした。そうしている内に以前コリを訴えておりました私の肩もいつとはなく消えてしまっておりました。ひたすらに医学を最高のものと信じ、病を救うものは医学より外にないと思い込んでいた私も事実の前にはどうすることも出来ませんでした。かくも神秘的なものの存在を知り得て、この時医学というものに対して根本的に疑いの眼でもって眺め始めました。そうした気持で拝読させて頂く明主様の御論文は一つ一つ私の誤れる考えをくつがえし、今更医学の大きな矛盾に気づかせて頂きました。

今迄正しいと思った事がひっくり返ったのでございますから、もう夢中でありました。十二月五日早速御守様を拝受致し、自ら体得させて頂くべく手をかざしたのでありました。私の従姉で同じ肺を病む者がおりましたが、その主人も彼女も共に熱心な生長の家の信者で、十数年来信仰生活を続けておりましたが、信仰の進展と反比例して肺の病巣は拡大するばかりで、そうしている内に四十度の高熱を出して倒れてしまいました。医療にも最早頼れず、生長の家の教えをただ一つの救いとの信念の下に、熱心な信仰を致しましたが効なく、心配になった主人は藁をも掴む気持で浄霊を頼みに来ましたので早速させて頂き、内山先生に御足労をお願い致しまして、結核はもとより病気というものは霊的因縁である事、そして薬毒であること等色々お話して戴き、又荻野先生にもお願い致して御屏風観音様を御奉斎して戴きましたところ、その翌日、私に憑霊現象が現われ、霊界の実在と、眼に見えぬある者によって吾々は左右されている事等を身を以て体験させて戴きました。その後、祖霊がしばしば憑依致しておりましたが、十二月二十日の事、五代前の男という者憑依致しまして申しますには、「救いを求めて憑っていたが、尊いお道により救われたから、私は体を離れる。だからお前の肺の蔭はもう無い。疑うなら翌日にでもレントゲンを」との事で、私は二日置いて医師の許に赴き透視を頼みました。暗黒の透視室の中で私は上半身裸となり、お守様を左手にしっかり握り、明主様に御守護をお願い致しました。スイッチが入りましたが、それと共に起るべき筈のジーッというX線の放射青も無くX線も出て来ません。二度三度繰返されましたが同じことでありました。医師は驚愕の態で婦長を呼べと看護婦をうながしました。婦長と三人が色々と調べておりましたが「今朝使ったのにおかしいなあ、故障の筈は無いんだが」と大変な騒ぎでございました。その時、ハッと胸にひらめいたのはお守様の事でありました。人の手に渡すのが勿体なくて手に持っていたのですが、以前『栄光』新聞でお守様の形が映らなかった事を拝読致しておりましたので、その事がツーッと頭をかすめました。そこで外に待っている母親にお守様を預け再度台の上に立ち「今度は大丈夫です。スイッチを入れて下さい」と言うや、スイッチと共に前部の透視板がパッと明るくなりました。X線が初めて私の体を透したのでした。ああこの奇蹟、この御守護、心中密かに私は驚きの声を発せずにはいられませんでした。後で医師は、「もう治っている。働いてよろしい」と。一カ月前、あれ程気胸を勧めた同じ医師の口から、こうした言葉が出たのでございます。この奇蹟、医学とはこんなもの、霊光線とはかように偉大なものと、両者の差をはっきり見せて戴きました。大神の御神徳の偉大さにただ頭が下るばかりでございます。唯物医学は跛行的なもの、本源を誤れるもの、そして真理はかくも簡単な所にありという事は、この一事にても明確でございます。地上天国建設というこの革命的な未曾有の大聖業も主神ならばこそと、物質を動かすものは人間に非ずして神であったということを覚らせて頂きました。そして邪神邪霊の存在も地上天国建設の過程として必要であると悪も肯定され、又生きるという事、人間の使命等、はっきりと指示下されました明主様、哲学書の中に身を埋めても、あらゆる書物を読んでも知り得なかった生死の意義というものをもお示し下されたこの教え、今迄のすべては唯一の目的たる地上の天国化にあるということを知り得ました私は誠に幸福者でございます。御教えの中に浸り、ただ嬉しさに踊りたい様な衝動にかられます。医学に身を任せていた過去を思う時、あのまま気胸や薬を続けていたならば、今はもう生ける屍か、はた又己に霊界の根底の国にて喘いでいるやも知れません。こうして霊肉共にお救い頂きましたこの私は何と御礼申し上げてよいか判りません。

明主様誠に有難うございました。この尊い御教えを知り得たのも病気を機縁としたと思えば、病気に感謝したい気持でございます。そして又祖霊の告白にも、仏滅、世の終り、霊界は想像もつかない大騒ぎであり、それが現界に移写して大変な世になる事、そしてこのお道は吾々が考えることが出来ない程の尊い御力であること等知らせてくれました。この喜びを一人でも多くの人々にお伝えしたい気持で一杯でございます。

明主様本当に有難うございました。謹んで御礼申し上げます。なお前述の従姉も主人と共に入信させて頂き、信仰の道を進ませて戴いております。あわせて御報告させて頂きます。

有難うございました。この上ともよろしく御守護の程をお願い申し上げます。

(昭和二十八年六月一日)