研鑽資料no.14(2019年5月)

6月に向けての学び  

 

はじめに

責任者:

来月には「地上天国祭」を迎えますので、今月は「地上天国祭」の意義と由来について、メシヤ講座特選集よりピックアップし資料を編集させていただきました。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋:

『夜昼転換』の神事が地上天国祭の原点

楳木先生:

メシヤ様は、昭和元年天啓を受けられ、昭和6年まで天啓内容に関する検証を重ねられ、ご決意を固められます。そして、同年6月15日に千葉県鋸山へ赴かれ『夜昼転換』の神事に臨まれました。昇り来る日輪に向かって天津祝詞を奏上し、天照皇大御神様をお迎えになられ、後日、日枝神社にご鎮座申し上げております。(御教え『昼夜転換の事象』全文へ

 

かつての教団(現・世界救世教)では、この日に『夜昼転換』の天啓がなされたように教えて来たために、かえって信仰を深めにくくしております。天啓は昭和元年からあったのですから、当日に天啓があったとするのでは意味合いが異なってまいります。また、主神様は、その年(昭和元年)から『夜昼転換』をなさる御意図で、メシヤ様に留まらず様々な分野の偉人にご啓示をされております。相対性理論しかり、合気道精神なども同様です。

 

もちろん、その中心的御神業の大任を受けられた岡田茂吉教祖へ、宇宙草創期から今日までの歴史の真相が啓示されました。御教え拝読により、その深奥さ、崇高さに触れることができます。

 

ところが、教祖は極めて慎重で、啓示内容を確かめずには任を受けられませんでした。ご性格がそうさせた、と拝察できます。また、新聞事業に手を染めようとされたご経験も関係していると思われます。様々な角度から検証する素養がおありになったのです。

 

これは、会社組織などで頂点に立つ人は様々な部署を転勤し、組織全体を見渡せるようになることと似たところがあります。政治家も二世は何かと批判を受けますが、親を通して政治の裏表や外交の駆け引き等を見て育つということは、検証しつつ成長するということになります。もちろんボ-ッとしていてはダメですが、強い意志で模索したならば、国を背負う素晴らしい政治家になります。

 

検証を重ねられ確信を持たれご決意されたことになりますが、それ故に、『夜昼転換』の時期は昭和6年までずれ込んだことになります。これは、どういう意味を有しているのでしょうか。

 

天啓なのに検証が何故6年にも及んだのだろう、という疑問が湧きますが、単なる霊憑りかもしれないし、確実性のないものでしたら、内容が大きいだけに深刻なことになります。曖昧なままでしたら、自己満足、自慰行為になってしまいかねません。それだけに、確認を積み重ねられたのだと拝察させていただいております。

 

私が「神界通信」を独自の活動開始後6年余を経て発信し始めたことも、レベルの差はあっても同様の意味合いを有しております。

 

それ位慎重でなければ、また「自分はその任は重すぎる」という謙虚さがなければ、「メシヤ」という大任は主神様から下されなかったことでしょう。しかし、一方で慎重なるが故に時期はずれます。二面性があるということです。

 

神様の方針は『自由』であるということ

楳木先生:

二面性が何事にもあり、答えは必ずしも一つではないということを私達に教えております。

 

それらのことから解釈できることは『神様という御方は、提示はするが強要はしない』ということです。また『選任はするが、選択は人間側の自由である』ということです。このことが、常々教えられている、本当の意味での『人間に与えられている自由』なのです。

 

私達にとっては、真理の教えは提示されていても、それを選択し実行するかしないかは、各人の自由であるということです。よく‘罰(ばち)が当る’ということが言われますが、それは低い神格のなすことで、そうしたところに神頼みをして御礼を怠るととんでもないことになる場合があります。

 

ただ、正しい道や救われる道を提示されたにもかかわらず、実行しない場合に『祖霊の警告』を受けることがあります。これは、子孫のことを思う余りに行うことですから、むしろ感謝して、道を改めるべきですね。

 

やはり実行力が大切です。教祖におかれても、検証期間は長かったが、一旦ご決意されたら『実行の人』と成り切られました。『誠が一等』と述べられております。誠とは『言ったことを成す』と書きます。メシヤ様は揺るぎない行動力を発揮されたということを、私達は学んでおかねばなりません。そして、何事も決意とそれに伴う実行力が大切なのです。」

 

責任者:

ここでは以下のように御教示を賜っています。

 

○何事にも二面性があり答えは一つではない。

○神様という御方は、提示はするが強要はされないし、選任はなさるが、選択は人間側の自由であるということ。

○以上2つのことをもって「本当の意味での『人間に与えられている自由』」なのだということ。

○私達にとってみれば、真理の教えは提示されていても、それを選択し実行するかしないかは、各人の自由であるということ。

○真理の教えを実行する事がやはり私達にとってみれば大切であるということ。

○何事も決意とそれに伴う実行力が大切なのだということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋つづき:

ご祈願と浄霊と自己教育で魂の輝きを

楳木先生:

何のために浄霊があるかということです。

 

浄霊は救いの業でありますが、前回触れたように天職使命、因縁使命を自覚し、それを果たして行くためにも浄霊はあるのです。胡坐(あぐら)をかくためにあるのではないのです。

 

よく引き合いに出すことですが、酒好きが酒を飲み過ぎ肝臓を悪くし、浄霊をいただくと良くなり、また大酒に浸るという、胡坐(あぐら)のかき方です。これでは、浄霊が便利屋になり、神様を道具に使っているようなものです。やはり、「浄霊で救われたが、これからは注意して生活をしよう」という自己変革に繋げて行かねばいけません。

 

それが『運命の転換』へということに繋がって行くのです。ここが信仰の神髄です。自己変革を発心することが、3月に触れた私達の『夜昼転換』なのです。

 

自己変革は、問題解決と同様で、最初のボタンの掛け違いを改めるようなところがありますが、習性化したものを変革して行かねばなりません。習性化したものはシミみたいなもので、中々取りにくいものです。掛け違いを発見したら、それを改めるように課題を設定し、行動を積み重ねなければなりません。これが自己教育に取り組むということです。

 

課題は自分の最も苦手なところですし、無意識の内に出る立ち居振る舞いですから、弱点がすぐに顔を覗かします。‘安き’に流れたくなります。そこにおいて力を下さるのが神様なのです。正しい願いは必ず叶えられる、とはそういうことです。

 

今月からお願いしております「祈願参拝」や「浄霊観のステップアップ」は、そうした本来の取り組みに向けて力強く歩を進めていただきたいために掲げたものです。地道に着実に取り組み、一層魂を輝かせていただきたい、と願っております。」

 

責任者:

ここでは以下のように御教示を賜っています。

 

○浄霊は「天職使命」と「因縁使命」を自覚し、それを果たして行くためにあるということ。

○浄霊で救われたら“これからは注意して生活をして行こう”という自己変革に繋げて行かなければならない。そしてそれが「運命の転換」に繋がるのであり、「メシヤ講座・特選集no.50(平成17年3月分)」に書かれてあるように私達の『夜昼転換』になるのだということ。

○自己変革は、問題解決(ボタンの掛け違いを改めるような)と同様であり、掛け違いを発見したら、それを改めるように課題を設定し行動を積み重ねなければならない(自己教育に取り組む)ということ。

○自己教育において力を下さるのが神様であり、「正しい願いは必ず叶えられる」とはそういうことだということ。

○「メシヤ講座・特選集no.51(平成17年4月分)」で学んだ「祈願参拝」や「浄霊観のステップアップ」は、私達が本来の取り組みに向けて力強く歩を進めていけるように掲げられたものなので、魂をより一層輝かせる為にも、学んだ事柄に対し地道に着実に取り組ませていただくということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.53(平成17年6月分)」より抜粋:

(前文割愛)

「地上天国祭」の由来

楳木先生:

「地上天国祭」の起源については、先月お話しております。それに加えて、「地上天国祭」という名称の由来をお話致します。昭和28年に「地上天国の雛形」である箱根神仙郷が完成し、その完成をお祝いする祭典が執り行われました。以来、毎年6月15日に「地上天国祭」を執り行わせていただくようになりました。

 

「地上天国の雛形」の第一号が箱根に完成したということは、大きな意味があります。御教えには『箱根の「神山」が霊的には世界の中心である』とされております。しかし、「神山」は火山ですので、神仙郷を通してお祈りするということで、「地上天国の雛形」づくりがなされたのです。御教え『神仙郷地上天国の大いなる意義』全文へ

 

そして、このことは御神体の意味するところと共通しております。そのことから、こうして御神体をご奉斎させていただき、毎月月次祭をさせていただいている所が、小さい「雛形」と言えるのです。つまり、現在「地上天国の雛形」は、御神体のご奉斎と共に拡がりを見ていることになります。」

 

責任者:

ここでは以下のように御教示を賜っています。

 

○「地上天国祭」の由来は、昭和28年に「地上天国の雛形」である箱根神仙郷が完成しされたことによる。以来、毎年6月15日に執り行わせていただくようになった。

○神仙郷を通してお祈りするということで、「地上天国の雛形」づくりがなされた。このことは御神体の意味するところと共通しており、御神体をご奉斎させていただき、毎月月次祭をさせていただいている所が、小さい「雛形」と言えるということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.53(平成17年6月分)」より抜粋のつづき:

「地上天国祭」を期して現界へ移写される神威とは

楳木先生:

メシヤ様は『立春祭を期して神様の揮われる神威は弥増す』と御教え下さっております。そして、その弥増す神威は地上天国祭から現界に移写される、とされております。この神様の揮われる神威というものが現界に移写されると、どういうことになるかと言いますと、三つの点でお話できると思われます。

 

<浄化力の強化となって>

まず、浄化力が強くなる、ということですね。神の本質である御光が絶対的なものとなり、「昼の時代」到来を促進させる火素が増量して、浄化力が強まって行きます。この祭典に際して、前もって浄化をいただかれた方もいらっしゃいますが、この方々は「神様から期待されている」と受け止めていただくといいですね。

 

浄化というものは、私達の霊に堆積する曇りや肉体に溜まった汚れが御光、火素によって洗われることです。大変有り難い、神様の大愛なのです。これは身体的なものに限らず、家庭や職場などで揉め事が起きることもあります。「どうしてこんなことが起きるのだろうか」と思うかもしれませんが、「夜の時代」の曇りの清算であり、地上天国建設のためには不可欠なのです。当然ながら、浄化力の強化に伴って、曇りや汚れに応じて生じやすくなります。神様の大愛が明らかなる形となるということですね。

 

<浄霊力の強化となって>

そして、私達が授かっています浄霊力も強まります。浄化作用が神様の大愛の現われ、と先ほど申しましたが、更に積極的な形が浄霊です。浄化は受動的な面がありますが、浄霊は能動的です。自らの意志により取り次ぎ、またいただくものです。

 

昼の時代の到来に伴って、天国天人に相応しい身魂へと浄まらせていただくための、積極的手段です。しかもこれまでお話してきたように、「火の洗霊」ですから、取り次げば取り次ぐほど強化され、勢いを増し、何者の影響も受けずに浄まりを許されてまいります。「なるほど強くなるのか」と感心するだけではなく、数多く実践していただきたいですね。

 

<智慧の一層の発露となって>

それから「地上天国」建設を推進して行く時に必要なことは、真の智慧ですね。生涯を通して懸命に勉強しても、脳の1/20位しか使わずに終ってしまうとよく言われます。ましてや、ボ-ッとしていたら、もっと使わないかもしれません。しかし肉体的には、日常的に電磁波や電波を浴びてていますし、オゾン層の破壊で多くの太陽光線も届いています。そして何より月が一年に4cmずつ地球から離れていて、引力は軽減しています。そうしたことから、脳自身は、進化する刺激をますます受けていることになります。

 

宇宙飛行士として宇宙へ行かれた人の中では‘神様のような存在に出会った’というコメントを残した人もいます。また、‘何かに導かれるように作業が巧くいった’とコメントする人もいました。その存在をサムシンググレ-トというような呼び方をする人もいます。

 

脳が無重力になった時に、バッと圧力が消えて、見えないものが見えたりする、ということは容易に想像できます。かつて、ドイツで右脳シルヴィウス裂部に電極を当てて幽体離脱実験を行ったことがあります。その記録がありますので、尚更なことです。

 

榎並さんも、祭典用のテ-ブル掛レ-スを編んでいる時に、茶色の点が次の編み目を指すように見えて、大変捗(はかど)ったそうです。まるで導いてくれるように茶色の点が浮かんで見えたのです。榎並さんの場合、「‘錯覚かもしれない’と思い、他のものを編んでみたが、その時は見えませんでした」と検証付です。これは、神様の世界から導かれたという貴重な体験なのです。

 

この体験はお一人のみのものではなく、本日ただ今心を同じくして祭典に臨んだ全ての人に共通して、体得を許される学びなのです。このように学びを許された私達が、本日を期して日常生活で更に心掛けて参りたいことを確認させていただきます。

 

本日から更に人格を磨き、体験を積み、学習を重ねる

楳木先生:

まず人格を磨く、ということに一層取り組んでいただきたいと思います。これは、度々触れてきたように、病気のところを救われて「浄霊によって救われた。有り難い」と言って、また無理をする。そうしたことではもったいないということです。救われたならば、以後注意深く生活をして行くように、自分を治めて行かねばならないのです。浄めていただきつつ新たに罪穢れを発生させない生活を送ることが肝心なのです。

 

それから日常的に口にする言葉ですね。ご自分の発する言葉が、その場を明るくしたり、暗くしたりすることが判り、日々言葉を練って行くことを心掛けることが大切です。

 

また、巷間‘人の不幸は蜜の味’などと言われますが、自分は何時までもそんな状態ではいけない訳です。自分がちょっと動いただけでその場が明るくなったり、物事がうまく運んだりするように心掛ければ、どれほど気持ちよいことでしょう。気配り、心配り、勘働きに努めながら、日常の心・言・行を高めて行く、その積み重ねが人格を磨くことに繋がります。

 

それから浄霊力が強まる訳ですので、とにかく浄霊を機会あるごとに取り次がせていただいて、未だ神様の御光に包まれたことの無い人に御光を届けていただきたいのです。そういう体験を数多く重ねて行く、ということが大切です。この体験を積むということが二つ目に来ます。

 

三つ目には、智慧をいただくためには私達は学習を重ねて行かねばなりません学んで行く姿勢は、メシヤ様を見習うとよいです。それが追体験を通して向上を図るということですね。

 

メシヤ様は、ご在世中到る所へラジオを置き、ニュ-スの時間になると必ず耳を傾けられておりました。散歩の時も側近奉仕者がラジオを携帯し、ニュ-スの時間になるとスイッチを入れられました。

 

また新聞は、朝見出しにチェックを入れられ、夜他のお仕事をされながら側近奉仕者に読み上げさせておられたようです。私達も経済的に許される限り多くの全国紙を読んで行きたいですね。そして、それプラスいろんな書籍を読むということを心掛けていただきたいものです。あるいは、ネット上の情報量たるやすさまじいものがありますから、その気があり、精査する注意力があれば幾らでも学んで行くことができます。

 

そうした現状なので、本日は、最初にお話したように、「地上天国祭」を期して人格を磨く、ことに取り組んでいただきたい。磨き方というのは、日常の心・言・行というものが大切で、自分が心・言・行を出す時に、必ず良い方向へ動くように、明るい方向へ動くように心掛けていくんだ、ということですね。

 

そして二つ目の浄霊というものは、幾度かに分けてお話して来ましたように、ステップアップさせながら浄霊実践を積み重ねて、メシヤ様が願われているような浄霊実践に自分達を近づけながら、回数を重ねていくということです。

 

人格を磨いて、体験を積み重ね、そして尚且つ、主神様によって時代は進んでいる訳ですから、時代の動きをしっかり見るために学習を積み重ねる、ということを心にしっかりと留めていただきたいと思います。そして新たな御神業へのスタ-トをしていただければ大変有り難いと思います。

(中略)

絶対的な自信や誇りを持って御神業へ臨んでいただけば、今まで以上に素晴らしい体験と学びを許されると確信しております。(後略)

 

編集後記

責任者:

「地上天国祭」の意義と由来についてはご理解いただけましたでしょうか。そして、「地上天国祭」を期して現界へ移写される神威に付いてもお分かりいただけたことと思います。

 

今回の学びは、今このときの絶妙なタイミングで、メシヤ様に真向かい自己変革をしていこうと気付き行動していくということが、私達の『夜昼転換』なのだということを学ばせていただくことに対し、メシヤ様そして楳木先生からのご神意を感じずにはいられませんでした。

しかし、そう感じたのであれば、先ず日常の行い(心・言・行)をしていく上に於いて周囲が必ず良い方向、明るい方向へむかうように心掛けていくことで人格を磨き、次に浄化力、浄霊力が強くなるのですから浄霊観をステップアップしてお取り次し、そしてメシヤ様を見習い自己研鑽に努めるということを実践させていただこうと思いました。

 

今日よりも明日、明日よりも明後日というように、皆様と共にメシヤ様を見つめ、一歩一歩メシヤ様に近づけるように進ませていただきたく思いますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)

メシヤ講座・特選集no.50(平成17年3月分)

メシヤ講座・特選集no.51(平成17年4月分)

メシヤ講座・特選集no.53(平成17年6月分)

 

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