10月に向けての学び
はじめに
責任者:
9月に入りニュースでは、記録的大雨や集中豪雨、台風による被害の様子が取り上げられております(災害にあわれた方々には、心よりのお見舞いを申し上げます)。直、台風15号の被害による停電の、一日も速い復旧を願ってやみません。皆様には、防災に対する意識を高めての生活を心がけて下さいますよう、お願い申し上げます。
さて「9月の学び」では、「メシヤ様の御心」を求めた学びをさせていただきました。今回はそのことをもう少し掘り下げ「私達は一体どのようにしたら、メシヤ様の御心を体現できるのだろうか?」ということについて、楳木先生の御教示の内容から具体的に学ばせていただきたいと思います。
「メシヤ講座・特選集no.68(平成18年9月分)」より抜粋:
(前文割愛)
Q&A
メシヤ様の御心を受けての御神業
Q. 前回、前々回のメシヤ講座・特選集において、メシヤ様が私達に大いなる示唆をお与えくださっていたことが判らせていただきました。具体的にはどのような想念を持って御神業に臨めばよいのでしょうか。
楳木先生:
A. 御神業に臨む意義は、『メシヤ様のご悲願達成にお尽くしする』ということです。
ご悲願とは、『可能な限り全人類をお救いする』ということがまずあります。お救いする行為とは、心身の病気の快癒に寄与したり、問題や悩みの解決を計るなど多種多様な取り組みです。そのことにお尽くしさせていただきます。
そして、健康を許された人が健康を維持し、問題解決を許された人が同じ問題を繰り返さないように、お世話に取り組むということが次にあります。それらを総じて『救われた人を天国天人となるように教え導く』ということです。そのことにお尽くしさせていただきます。
また、そうしたことを累進的に積み重ねて何を目指すのかと言いますと、『この地上に天国を樹立する』ということです。そのことにお尽くしさせていただきます。
それ故に、『地上天国を建設するために、神様の命によって生まれた』というご自覚をそれぞれ持っていただきたいですね(御教え『悪と守護霊』全文へ)。しかも『天国天人となるように教え導く』というからには、自らの「座」に対する努力を怠らないことが求められます。
究極的な想念としては、『自分の生命は自分だけのものではなく、メシヤ様と共にあって、メシヤ様のためにある生命なのである』ということになります。このことを信じる人が放つ意念、このことを信じる人が放射する光、このことを信じる人が発する言動が一人ひとりの魂を浄め、一人ひとりの問題を解決し、一人ひとりの存在に自信を与えます。」
責任者:
ここでの要点を併記いたします(私達信徒にとって、大変貴重な御教示だと思います。特に重要と思ったところは◎にしました。)
○御神業に臨む意義は、「メシヤ様の(可能な限り全人類をお救いするという)ご悲願達成にお尽くしする」ということ。
○お救いする行為とは、「心身の病気の快癒に寄与したり、問題や悩みの解決を計るなど多種多様な取り組み」にお尽くしさせていただくということ。
○次に、「救われた方々(健康を許された人が健康を維持し、問題解決を許された人)が同じ問題を繰り返さないように、お世話に取り組む」ということ。
◎「これらを総じて『救われた人を天国天人となるように教え導く』ということ」であり、私達は、そのことにお尽くしさせていただくということ。
◎私達は、『この地上に天国を樹立する』ことを目指し、上記のような経験を累進的に積み重ねることにお尽くしさせていただくということ。
○私達は、「地上天国を建設するために、神様の命によって生まれた」という自覚を持ち、可能な限り全人類を『天国天人となるように教え導く』そうなる為にも、自らの「座」に対する努力を怠らないことが求められているということ。
◎私達は(究極的な想念として)、「自分の生命は自分だけのものではなく、メシヤ様と共にあって、メシヤ様のためにある生命なのである」ということを信じ、そのように信じることが出来た私達が放つ意念や放射する光、発する言動が一人ひとりの魂を浄め、一人ひとりの問題を解決し、一人ひとりの存在に自信を与えることが出来るのだということ。
「メシヤ講座・特選集no.68(平成18年9月分)」より抜粋つづき:
衆生済度の在り方
Q. 御神業の中心は、人様をお救いする、ということであると考えますが、どのように取り組ませていただいたらよろしいのでしょうか。
楳木先生:
A. 問題を起こす、悩みを抱える、ということは『霊の曇りが原因である』と御教えいただいておりますから、そこにどう取り組むかが『救い』である訳です。
私達は浄霊という絶対的救済力を授かっていますので、まずそれを行使すればよいのです。現代は非常に取り組みやすい社会になっておりますので、気軽に実践させていただけば良いと思います。(御教え『浄霊と幸福』全文へ)
取り分け、最先端の学究に精通していればいる程、浄霊力の存在を認めざるを得ないようになるものです。現在、そのような人が増えている時代になっております。草創期よりも数段容易に取り組めるのではないでしょうか。
ところが、気を付けねばならないこともありまして、時代苦が複雑化しているということを念頭に置かねばなりません。
草創期と異なり、時代の精神が大きく変容しております。よく取り沙汰されますのは、自己犠牲よりも自己充足を美化する風潮です。たとえば‘癒し系○○’という言葉が氾濫していますが、癒されることばかりが求められて、人を癒してあげる実践というものが論じられていません。
また、現代人は、物質偏重の社会に生きて、きちんとした躾や教育を受け辛い環境で成長してきたために、霊の曇りが発生しやすい生活状況にあります。たとえば、嘘をつかない、人に迷惑を掛けない、自分のことができたら人の手伝いをする、という成長過程を辿るように躾を受けてない人が多くなっています。そのため、霊は浄霊をいただくことによって浄めていただけるが、生活の中でまた霊が曇るということが生じてまいります。
浄霊で霊の曇りを解消しつつ、再び霊の曇りを発生させないような生活を送るようにお世話してゆかねばなりません。曇りの発生源に対処して、根本的に生活の在り方を修正していかねばなりません。そしてより良い生活を送れるようにお世話いたします。そうしなければ真の救済とはなりません。」
責任者:
ここでは御救いに取り組む上で私達が「気を付けねばならないこと」を御教示いただいております。
○『救い』とは、「問題を起こす、悩みを抱える」その原因である『霊の曇り』にどう取り組んでゆくかということだということ。
○私達は浄霊という絶対的救済力を授かっているので、まずそれを行使し、気軽に実践させていただけば良いということ。
◎御救いに取り組む上で、現代は(草創期と異なり)自己犠牲よりも自己充足を美化する風潮にあるということと、現代人は、物質偏重の社会に生きて(きちんとした躾や教育を受け辛い環境で)成長してきたために、霊の曇りが発生しやすい生活状況にあるのだということを理解した上で、「浄霊で霊の曇りを解消しつつ(曇りの発生源に対処して)、再び霊の曇りを発生させないような(根本的に生活の在り方を修正して)生活を送るように」お世話(より良い生活を送れるように)をさせていただかねばならないということ。そうさせていただくことが、「真の救済」になるのだということ。
「メシヤ講座・特選集no.68(平成18年9月分)」より抜粋つづき:
『精神』を求め、実行に移す
Q. 「精神」の重要性を痛感させられます。以前「明主様(メシヤ様)のご精神を現代に求める」という先生のご本で、‘なるほど’と思わされました。
楳木先生:
A. 御神業に取り組ませていただこうと思えば思うほど、「メシヤ様のご精神を現代に求める」という姿勢が不可欠なのです。
ご精神は、何時もお話いたしますように「利他愛」、「合理性」、「即時性」です。「利他愛」は説明の必要はありませんね。
「合理性」は、『神様というのは、理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりませんよ』というお言葉で判らせていただけます。質疑応答の随所に「理屈に合う」ことの重要性を滲(にじ)ませておられることからも、物事の判断基準を「合理性」に置かれていたことが拝察できます。
「即時性」は、‘今日、ただ今、やるべきことをすぐやる’というご姿勢をメシヤ様は一貫されていたことから拝察できます。メシヤ様は、青年期に小間物屋を開業された時、毎日お店の掃除から一日の業務をスタ-トされていました。そして、教祖となられてからも、深夜の終業時の「火の始末」はご自身でされていました。
日本人には、「精神」というものを重く受け止めることができない癖のようなものがあります。
たとえば、今「親王殿下ご誕生」の祝賀に沸いております。大変清々しい気分にしていただいております。しかし、今になっても「後世のため」との理由で、「皇室典範」の改正を真顔で訴える専門家や評論家がいます。この改正というものは、「法の精神」からすると大変な問題を孕んでいるのです。
新宮様はご誕生と共に皇位継承第三位になられました。それに対して女系天皇を認めるなどとする改正論は、この第三位を剥奪する論議なのです。個人の権利を剥奪する論議というものは「法の精神」に著しく悖(もと)ることなのです。そのことを真顔で論ずる人がいて、それに賛同する人がいるのですから、驚かされます。
話は戻りますが、「メシヤ様のご精神」を重く受け止めてこなかったために、関連(岡田茂吉教祖を仰ぐ)教団は迷走しているのです。この迷走は、夜の時代の「摩り替え」とも通ずるところがあります。ちょっとした嘘も、人から指摘されて嘘の上塗りをしてゆけば、最初は小さいものでも時間の経過と共に大きなズレとなってしまいます。
「迷走の歴史」とも見えてしまう原因は、「メシヤ様のご精神」を求める姿勢の希薄さにあると思われます。当然、メシヤ様の願われる信仰姿勢にはなり得ていません。
昭和25年のご法難もそうした姿勢に端を発したことは言うまでもありません。しかも前回お話いたしましたように、メシヤ様という存在に対して、その御神業を阻止しようとする働きがあり続けています。それは関連教団にも覆いかぶさっており、そのために各教団の志を曇らせ、御神業指針を鈍らせています。
私達は「メシヤ様のご精神」を現代に求め続けると共に、「メシヤ様のご悲願達成」を祈りつつ実践に努め、しかも「曲(まが)の障(さや)り」を防いでゆかねばならない、と強く思います。」
責任者:
ここではメシヤ様の精神を求め、実行に移す上での御教示をいただいておりますので要点を併記いたします。
○私達は、御神業に取り組ませていただこうと思えば思うほど、「メシヤ様のご精神(「利他愛」、「合理性」、「即時性」)を現代に求める」という姿勢が不可欠なのだということ。
◎私達日本人には、「精神」というものを重く受け止めることができない癖のようなものがあるのだということ。
◎私達は、「メシヤ様のご精神」を現代に求め続けると共に、「メシヤ様のご悲願達成」を祈りつつ実践に努め、しかも「曲の障り(メシヤ様という存在に対して、その御神業を阻止しようとする働きがあり続けているので)」を防いでゆかねばならないのだということ。
編集後記
責任者:
今回の学びでは、「御神業に臨む意義」と「御救い(現代にあった)に取り組む上で気を付けねばならないこと」そして「メシヤ様のご精神を現代に求め続けることの重要性」について御教示いただいております。(13年前のメシヤ講座からの抜粋ですが、今の私達に必要な内容ではなかったでしょうか…。そして当時より、今の方が理解しやすいように感じているのは私だけ?でしょうか…。)
このように一つ一つを深く学ぶ(認識する)ことによって、私達の日常生活に於ける意識も変わってゆくのだと強く思わされました。皆さんはどう感じておられますか?
今回は以上です。
有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。