研鑽資料no.102(2023年1月)

令和5年1月に向けての学び

はじめに

責任者:

師走も半ばを過ぎ、なにかと気ぜわしくなってまいりましたが、皆様にはお変わりありませんでしょうか。先日(12月12日)、一年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」は『戦』に決まり、京都・清水寺で発表されました。ロシアのウクライナ侵攻により、「戦」争の恐ろしさを目の当たりにした一年で、円安・物価高による生活上での「戦」い、スポーツでの熱「戦」・挑「戦」も注目されたからだそうです。来年は、ウクライナ戦争も納まり、世界中の人々が安定した日々の生活を送れる年になることを願いながら、今年最後の学びをさせていただきたく思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『栄養』

「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年

私は前項までに、薬剤の恐るべきものである事を詳説したから、最早判ったであろうが、ここに見逃す事の出来ないのは、栄養に関する一大誤謬である。まず結核の項に動物性蛋白の不可である事を述べたが、こればかりではない、全般にわたってはなはだしい錯誤に陥っているのが、近代栄養学である。

その最もはなはだしい点は、栄養学は食物のみを対象としていて、肝腎な人体の機能の方を閑却されている事である。例えばビタミンにしろ、ABCなどと種類まで分けて、栄養の不足を補おうとしているが、これこそ実に馬鹿馬鹿しい話である。それは前述のごとく体内機能が有している本然の性能を無視しているからである。というのはその機能なるものを全然認めていないのである。すなわち機能の働きとは人体を養うに足るだけのビタミンでも、含水炭素でも、蛋白でも、アミノ酸でも、グリコーゲンでも、脂肪でも、いかなる栄養でも、その活動によって充分生産されるのである。もちろん全然ビタミンのない食物からでも、栄養機能という魔法使いの活力によって、必要なだけは必ず造り出されるのである。

この理によって、人体は栄養を摂る程衰弱するという逆結果となる。すなわちビタミンを摂る程ビタミンは不足する事になる。これは不思議でも何でもない。それは栄養を体内に入れるほど栄養生産機能は活動の余地がなくなるから自然退化する。これは言うまでもなく栄養の大部分は完成したものであるからで、本来人間の生活力とは、機能の活動によって生まれるその過程なのであって、特に消化機能の活動こそ生活力の主体であると言ってもいい。言わば生活力即機能の活動である。この理によって未完成な食物を完成にすべき機能の労作過程こそ生活力の発生源である。何よりも空腹になると弱るというのは、食物を処理すべき労作が終ったからであり、早速食物を摂るや、身体が確(しっ)かりするのにみて明らかである。しかも人体すべての機能は、相互関係にある以上、根本の消化機能が弱れば他の機能も弱るのは当然である。

そうして人間に運動が健康上必要である事は言うまでもないが、それは外部的に新陳代謝を旺盛にするのが主で、内部的には相当好影響はあるが、それは補助的である。どうしても消化機能自体の活動を強化する事こそ、健康増進の根本条件である。ゆえに消化のいいもの程機能が弱るから、普通一般の食物がちょうどいいのである。ところが医学は消化の良いものを可とするが、これはいかに間違っているかが分るであろう。しかもその上よく噛む事を奨励するが、これも右と同様胃を弱らせるからもちろん不可である。この例として彼の胃下垂であるが、これは胃が弛緩する病気で、全く人間が造ったものである。というのは消化のいい物をよく噛んで食い、消化薬を常用するとすれば、胃は益々弱り、弛緩するに決まっている。何と愚かな話ではないか。これについて私の経験をかいてみるが、今から三十数年前、アメリカで当時流行したフレッチャー〔リ〕ズム喫食法というのがあった。これは出来るだけよく噛めという健康法で、私は実行してみたところ、初めはちょっとよかったが、約一ケ月くらい続けると段々弱り、力がなくなって来たので、これはいかんと普通の食べ方に還元したところ、元通りに快復したのである。

以上によってみても判るごとく、栄養学はほとんど逆であるから、健康に好いはずがないのである。また他の例としてこういう事もある。乳の足りない母親に向かって牛乳を奨めるが、これもおかしな話である。人間は子を産めば育つだけの乳は必ず出るに決まっている。足りないという事はどこかに間違った点があるからで、その点を発見し是正すればいいのである。ところが医学ではそれに気が付かないか、気が付いてもどうする事も出来ないのか、右のようにする。これでは呑んだ牛乳は口から乳首まで筒抜けになるように思っているとしか思えない。実に馬鹿馬鹿しいにも程がある。従って牛乳を呑むと反って乳の出が悪くなる。何となれば外部から乳を供給する以上、乳生産の機能は退化するからである。そればかりではない、病人が栄養として動物の生血を呑む事があるが、これも呆れたものである。なるほど一時は多少の効果はあるかも知れないが、実は体内の血液生産機能を弱らせ、却って貧血する事になる。考えても見るがいい、人間は白い米やパンを食い、青い菜や黄色い豆を食って赤い血が出来るのである。としたら何と素晴らしい生産技術者ではなかろうか。血液の一耗だもない物を食っても、血液が出来るとしたら、血液を呑んだら一体どういう事になろうか。言うまでもなく逆に血液は出来ない事になろう。そこに気が付かない栄養学の蒙昧(もうまい)は、何と評していいか言葉はあるまい。彼の牛という獣でさえ、藁を食って結構な牛乳が出来るではないか。いわんや人間においてをやである。これらによってみても、栄養学の誤謬発生の原因は、全く自然を無視し、学理のみに偏したところに原因があるのである。

そうして人間になくてはならない栄養は、植物に多く含まれている。何よりも菜食者は例外なく健康で長生きである。彼の粗食主義の禅僧などには長寿者が最も多い事実や、先頃九十四才で物故した、英国のバーナードショウ翁のごときは有名な菜食主義者であった。以前こういう事があった。ある時私は東北線の汽車に乗ったところ、隣にいた五十才くらいの、顔色のいい健康そうな田舎紳士風の人がいた。彼は時々洋服のポケットから青松葉を出しては、美味(うま)そうにムシャムシャ食っている。私は変った人だと思い訊ねたところ、彼は誇らし気に、自分は十数年前から青松葉を常食にしていて、外には何も食わない。以前は弱かったが、松葉がいい事を知り、それを食い始めたところ、最初は随分不味(まず)かったが、段々美味(おい)しくなるにつれて、素晴しい健康となったと言い、この通りだと釦(ボタン)を外し、腕を捲って見せた事があった。また最近の新聞に、茶殼ばかり食って健康である一青年の事が出ていた。これは本人の直話であるから間違いはない。以前私は日本アルプスの槍ヶ嶽へ登山した折の事、案内人の弁当を見て驚いた。それは飯ばかりで菜がない。訊いてみると非常に美味いという。私が缶詰めをやろうとしたら、彼は断ってどうしても受けなかった。それでいて十貫以上の荷物を背負っては、十里くらいの山道を毎日登り下りするのであるから驚くべきである。これは古い話だが、彼の幕末(中期)の有名な儒者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)は豆腐屋の二階に厄介になり、二年間豆腐殼ばかり食って、勉強したという事がある本に出ていた。また私はさきに述べたごとく、結核を治すべく、三ケ月間絶対菜食で、鰹節さえ使わず、薬も廃めてしまったところ、それで完全に治ったのである。このような訳で私は九十才過ぎたら、大いに若返り法を行おうと思っている。それはどうするのかというと菜食を主とした出来るだけの粗食にする事である。粗食はなぜいいかというと、栄養が乏しいため、消化機能は栄養を造るべく大いに活動しなければならないから、それがため消化機能は活溌となり、若返る訳である。とすれば健康で長生きするのは当然であろう。また満州の苦力(クーリー)の健康は世界一とされて西洋の学者で研究している人もあると聞いている。ところが苦力の食物と来たら大変だ。何しろ大型な高梁(こうりゃん)パンを一食に一個、一日三個というのであるから、栄養学から見たら何と言うであろうか。これらの例によっても判るごとく、今日の栄養学で唱える色々混ぜるのをよいとするのは、大いに間違っており、出来るだけ単食がいいのである。なぜなれば栄養生産機能の活動は、同一の物を持続すればする程、その力が強化されるからで、ちょうど人間が一つ仕事をすれば、熟練するのと同様の理である。それから誰しも意外に思う事がある。それは菜食をすると実に温かい。なるほど肉食は一時は暖かいが、ある時間を過ぎると、反って寒くなるものである。これで判った事だが、欧米にストーブが発達したのは、全く肉食のため寒気に耐えないからであろう。これに反し日本人は肉食でないため、寒気に耐え易かったので、住居等も余り防寒に意を用いていなかったのである。また服装にしても足軽や下郎が、寒中でも毛脛(けずね)を出して平気でいたり、女でも晒(さらし)の腰巻一、二枚くらいで、足袋(たび)もあまり履かなかったようだ。それに引換え今の女のように毛糸の腰巻き何枚も重ねて、なお冷えると言うような事など考え合わすと、なるほどと思われるであろう。

今一つここに注意しなければならない重要事は、近来農村人に栄養が足りないとして、魚鳥獣肉を奨励しているが、これも間違っているというのは前述のごとく菜食による栄養は根本的に耐久力が増すから、労働の場合持続性があって疲れない。だから昔から日本の農民は男女共朝早くから暗くなるまで労働する。もし農民が動物性のものを多く食ったら、労働は減殺されるのである。何よりも米国の農業は機械化が発達したというのは、体力が続かないから頭脳で補おうとしたのが原因であろう。ゆえに日本の農民も動物性食餌を多く摂るとすれば、機械力が伴わなければならない理屈で、この点深く考究の要があろう。

右によってみても判るごとく、身体のみを養うとしたら菜食に限るが、そうもゆかない事情がある。というのはなるほど農村人ならそれでいいが、都会人は肉体よりも頭脳労働の方が勝っているから、それに相応する栄養が必要となる。すなわち日本人としては魚鳥を第一とし、獣肉を第二にする事である。その訳は日本は周囲海というにみてもそれが自然である。元来魚鳥肉は頭脳の栄養をよくし、元気と智慧が出る効果がある。また獣肉は競争意欲をさかんにし、果ては闘争意識にまで発展するのは、白人文明がよく物語っている。白色民族が競争意識のため今日のごとく文化の発達を見たが、闘争意識のため戦争が絶えないに見て、文明国と言われながら、東洋とは比較にならない程、戦争が多いにみても明らかである。

以上、長々と述べて来たが、要約すればこういう事になる。人間は食物に関しては栄養などを余り考えないで、ただ食いたい物を食うという自然がいいのである。その場合植物性と動物性を都会人は半々くらいがよく、農村人と病人は植物性七、八割、動物性二、三割が最も適している。食餌を右のようにし、薬を服まないとしたら、人間は決して病気などに罹るはずはないのである。ゆえに衛生や、健康法が実際と喰違っている以上、反って余計な手数をかけて悪い結果を生んでいるのであるから、哀れなるものよ汝の名は文化人といいたいくらいである。

今一つ栄養学中最も間違っている一事は彼の栄養注射である。元来人間は口から食物を嚥下(えんか)し、それぞれの消化器〔機〕能によって栄養素が作られるように出来ているのに、これをどう間違えたものか、皮膚から注射によって、体内へ入れようとする。恐らくこれ程馬鹿馬鹿しい話はあるまい。何となればそのような間違った事をすると、消化器能は不要物となるから、退化するに決まっている。すなわち栄養吸収機能が転移する事になるからである。まず一、二回くらいなら大した影響はないが、これを続けるにおいては非常な悪影響を及ぼすのは事実がよく証明している。

 

(後略)

 

栄養に関する現代人の間違い

楳木先生:

だいたい今拝読をしていただいて、声をだして約18分くらいですので、黙読をすれば10分くらいで読めると思いますので、この『栄養』の部分は是非繰り返し拝読をしていただいて、栄養に関する現代人の間違いをよく掌握しておいていただきたいと思います。

とりわけ『一大誤謬』ととらえて、メシヤ様が御示しくださっているところがありますが、年配の方々は昔の食生活と今の食生活を比べれば、歴然としていると思います。

例えば、今年はロンドンオリンピックがもうじき始まりますが、東京オリンピックを思い出していただきたいと思います。東京オリンピックは1964年です。そのときに、日本で行われたオリンピックではミスが一つもなかったと言われております。しかし、そのあとの札幌オリンピックの時にはミスがかなりあった、と。このミスというのは何かと言いますと、優勝者、金メダリストを称えるために国旗と国歌を流しますね。それが東京オリンピックのときには一回も間違えることがなかったけれど、札幌オリンピックのときにはもう間違いがあったということです。その後の世界大会などではミスが目立ったと言われております。このほとんどが、食生活と子供のときからのしつけの問題と、テレビのコマーシャルの影響で、集中力が日本人からなくなったためにそういうミスが頻発しているというふうに指摘されています。

(中文割愛)

例えば、○○さんの家の近くだったら、昔雪が1メートルくらい降っていたでしょ。子供の頃はどんな格好をしていましたか?

私は学校に入るまで着物でした。パンツをはいて、下着を一枚着て、その上に着物だけでした。1メートルくらい雪が降っても、足袋を履かずに下駄を履くだけで外に出ていました。それでも1時間2時間遊びまわっても何ともなかったけれど、今、そんなことをしたら大変だよね。靴下は2枚くらい履いて、それから長靴を履いて、手袋をして、スキー用の手袋をして、ダウンのジャケットを着てそれから頭にかぶってというくらいにしないと、なかなか雪遊びもできません。それぐらいになってきております。それから女性の方は非常に冷え性の方が増えています。この冷え性の人は菜食に切り替えるとほぼ冷え性はなくなるとメシヤ様はおっしゃっていますので、冷え性の人は是非試してみていただきたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎この『栄養』の御教えは繰り返し拝読し、栄養に関する現代人の間違いをよく掌握しておくのだということ。

>メシヤ様が『一大誤謬』ととらえて御示してくださっているところは、昔の食生活と今の食生活を比べてみれば、(栄養に関する現代人の間違いは)歴然としているのだということ

○東京オリンピック以降の日本人は、食生活や子供のときからのしつけの問題、又テレビのコマーシャルなどの影響により集中力がなくなっていると指摘されているのだということ。

◎昨今、冷え性の女性が増えているが、メシヤ様は「菜食に切り替えると、ほぼ冷え性はなくなる」と仰っているのだということ。

>冷え性の人には、是非「菜食」を試してみていただきたいのだということ。

 

「メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)」より抜粋つづき:

大腸がんと食生活

楳木先生:

それから先般発表された日本のガンの死因の第1位はご存知ですか?

参加者:

大腸がんですか?

楳木先生:

そう、大腸がんです。ではなぜ大腸がんになるかと言うと、日本人の小腸の長さと西洋人の小腸の長さを比較したのを聞いたことがあるでしょ。日本人のほうがはるかに長いのです。それはずっと菜食できたので、小腸が長いのです。野菜を消化するために小腸を長くして、消化活動をしていかないと、栄養素を全部摂ることができないわけですね。しかし、肉食の場合は小腸が短くて良いので、日本人の場合早くカスができてしまうので、それが大腸まで影響を及ぼしていくために、大腸がんが非常に増えていってしまって、しかも大腸がんの場合には自覚症状がないので、遅れ気味になってから発見されるということから、大腸がんで亡くなる方が非常に増えています。このように食生活が、我々が思い込んでいる栄養という考え方と違った方向に導かれているために、健康を害するようになっております。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達の食生活が(私達が思い込んでいる栄養という考え方によって)、メシヤ様の御示し下さっている『栄養』という考えと違った方向に導かれているために、(例えば大腸がんのような)健康を害するようになっているのだということ。

 

「メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)」より抜粋つづき:

限界集落での取り組みによってわかったこと・・・

楳木先生:

それとですね、さっき『牛といふ獣でさへ、藁(わら)を食って結構な牛乳が出来るではないか』というところがありましたが、実は6月の場合は一回出張を終えてから、島根県と広島県のほうへ出かけていたのですが、そのときにちょうど良い具合にそのあたりのことの報道がされていたので、非常によくわかったのですけれども・・・。

今、問題になっている限界集落というのは、私は今まで東北が一番多いと思っていたのですね。限界集落というのは。それが実は、中国地方に一番多いという報道をしておりまして、“そんなもんかな”と思って、聞いてみると、なるほど人口と集落の数からすると中国地方のほうが多いので、そしてその時点で限界集落になっているというところが増えているということですね。で、その中国地方の中で進んだ自治体が取り組んでいるのは、耕作放棄地というのがあります。それを何とか活性化しようということで、実はその耕作放棄をしているところに、放牧をし、草を牛に食べてもらおうと。そして牛乳は人間がもらおうという取り組みをしていて、その中で何がおきたと思います?

実は牛乳の味に大変興味深いことが起きているということです。何だと思います?ちょっと想像してみて。こっちではテレビでやっていないよね。まあ浜松の人は鮎を思い出してもらいたい。鮎の楽しみ方がありますよね。」

参加者:

川の苔の香り・・・。

楳木先生:

どこの川のどの辺で釣った鮎の香りはこんな感じというのを楽しみながら鮎を食べていますね。浜松の人たちはおおよそ。それが一番贅沢な楽しみ方です。それを牛乳に当てはめていくと・・・。」

参加者:

味が濃い?

楳木先生:

濃いのではなくて、実は四季折々に味が違ってくるのです。生えてくる草によって。「これが本当の牛乳の味なのだ」と。それが今、スーパーで買うと、味は年間一定ですね。それはどうして一定ですか?」

参加者:

えさが一緒?

楳木先生:

そうなのです。海外から穀物を輸入して、配合飼料を作って、それをずっと管理して食べさせているために、一定の牛乳の味になってくる。これが経済至上主義からすると、「非常に進んだ牛乳の生産の仕方だ」と言っているけれど、実は人間にとっては管理されたものしか飲んでいないという、実に残念なことになっているわけですね。

だから一定の牛乳の味しか知らされていないのです。日本人は。だから日本人たるや、何と哀れな食生活をしているのかということを、御指摘されている昭和27年から今日まで、だんだん経済至上主義の中で、とりわけ東京オリンピック以後、経済成長期に入ってきたために、すべてその考え方のものに、コスト重視でずっときたために、我々は管理されたものしか食べられないような状況になってきているということは言えると思います。食を楽しむということには程遠い状態にさせられていると。

そのことがその耕作放棄したところに、牛を放つことによって、もう一回思い出すことができたということが一つ。(後略)」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

○牛を放牧し、草を食べている牛の牛乳は生えてくる草によって四季折々に味が違ってくるのだ(これが本当の牛乳の味なのだ)ということ。

>スーパーなどで買う牛乳は、海外からの穀物で配合飼料を作り、それを管理して牛に食べさせているために、一定の牛乳の味になってくるのだということ。

◎この御論文で、メシヤ様が『ここに見逃す事の出来ないのは、栄養に関する一大誤謬である』と御指摘されている昭和27年から今日まで(とりわけ東京オリンピック以後、経済成長期に入り、総て経済至上主義という考え方のもとに、コスト重視できたため)我々は管理されたものしか食べられないような状況になってきているのだということ。

>日本人は、食を楽しむということから、程遠い状態にさせられているのだということ。

>前記のようなことを、牛を放牧したことによって思い出す(気が付く)ことが出来たのだということ。

 

「メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)」より抜粋つづき:

御教えを自分の生活に取り入れて

楳木先生:

で、御教えでは長い御教えですが、繰り返し拝読しながら、自分の生活の場合は、ここのところを取り入れていったほうがいいのではないのかというところをみて、自分に取り入れていただきたいと思います。

例えばソフトをやっていると、結構敵対心がないとソフトができないので、その分肉が必要であると。しかし、どこを守っているのかね?」

参加者:

ファーストです。

楳木先生:

ファーストか。ファーストは何が要求される?監督から何を言われる?「どこを見てるんだ」とか「何だ!その動きは」とか言われる?「腰を下げろ」とか言われる?」

参加者:

・・・。

楳木先生:

だから、俊敏さとか集中力とかを養うためには、野菜もしっかり食べないといけない。それか俊敏になるためには小魚も食べないといけないので、そして集中力も維持しないといけないし、体力も維持しないといけないから、そういうことをお母さんは考えてこの子に食べさせるというふうにして、今日の『栄養』のところから、どういう食生活をさせたら良いのかというのに気をつけながら、ソフトが上手になっていって、勝ち続けるようなチームになってもらうようにしていく、と。いうようなことを心掛けていったら良いと思いますね。まあ、そういうことを、自分に取り入れていってもらいたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『栄養』は長い御教えだが繰り返し拝読し、(ここのところを取り入れていったほうがいいのではないのかというところを各自が判断し)自分に取り入れていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)」より抜粋つづき:

地上天国祭での体験発表後の追加報告

(前文割愛)

楳木先生:

それから地上天国祭のときに皆さんに報告してなかったのが、奥津城でブラジルの硬貨の10セントというのをメシヤ様からいただきました。これはちょうど2000年の硬貨です。2000年の硬貨で10セントというのは一体どういうことかというと、2000年が御光なしの浄霊力伝授を開始したときです。宗教、宗派、どんな宗教に入っておられても、メシヤ様に祈りさえすれば浄霊ができるようになるということの御許しがでて、始めた年が2000年ですね。そして10ですので、そういった御神業が結ばれたのだという意味で、みんな回してみてください。表、裏見て。それで、結ばれたというそんなことがありましたので、まわしながら、いつものように時間が少なくなりましたけれども、質疑応答に入りたいと思います。

○○さん、さっき聞こうとしたことは何だった?」

薬毒が溶けるときに痛みがでる

参加者:

金曜日の昼間からこの辺がだんだん痛くなってきて、夜浄霊を一通り寝ながらしたんですけど、しばらくしたらすごく目が痛くなってきて・・・。たまにそういうことあるんです、めったに無いんですけど、どうしようこんな痛くなってと思って。その日はあまり寝ないで浄霊したんですけど。土曜日に△△さんがみえた時は頭も痛くて明日行けないかしらと思うぐらいズーッと調子悪かったのが、ズーッと寝て浄霊したら夕方になったら良くなって、散歩に行こうっていう気分になって行ったんです。そうして帰ってきたらすごく調子良くなって、今日はすごい調子いいもんだから、良かったなお蔭様で今日は自分で運転してこようと思ってたから、自分で運転してこれて良かったな~と思ってね。すごく感謝してます。

それから、さっきの洗剤の話なんですけど、私病気になるまでは普通の洗剤を使ってたんですよね。○○さんから普通の洗剤じゃなくてという話を聞いてわかってたんですけど…すごく体が痒かったです。それで今は洗剤を替えて一年になりますが、冬も痒くなかったし今も痒くないから、やっぱりああいう合成洗剤は良くないんだな~と思って、今日楳木代表がおっしゃったから余計に思ったんですけど。だからやっぱり1年ぐらいはかかりますよね、良くなってきました体も。普通だったら凄く痒いんですよ、今頃。だけど、ほとんど痒みが無くなってきたから。やっぱり一年ぐらい使ってよかったな~っと思って。全部それ使ってるもんですから。それで一度だけならいいかな~と思って、普通の洗剤でシーツを洗ったんですよね。残ってたから勿体ないと思って。そうしたらもうこの辺りが痒くて痒くて。だからまた次の日に水でゆすいで洗ったら良くなったから、やっぱり良くないんだな~あの合成洗剤はって今つくづく…

楳木先生:

いやそれね、良くないんだな~じゃなくて、大変恐ろしい。恐ろしい、合成洗剤は。あんなの使っていたらね、良くなる病気も良くならない。毎日皮膚に触るものだからね、取り分け洗剤はね。食器洗いもみんな一緒。食器洗いのも口に入れるものだから余計に恐ろしいわけですね。

だから日常生活の中でそういう化学物質が入っているものを極力排除していくようにやっていかないと健康を維持することはできない。で、痛みとかいうのが出るのはちょうど薬毒が溶けている時なので、その時には“静かに溶け終わるまで待ちましょう”という気持ちを持ってね、大体性格から少しイライラする方なので、そこを落ち着かせて、そして、浄霊をズーッとしてください。そしたら溶け終わるともうスーッと嘘みたいに楽になってくるからね。痛みというのはほぼ薬毒だというふうに思って取り組んでいったらいいと思います。

参加者:

こっちの悪い方の目が痛いんですよね。良い方の目が痛いなら使いすぎかな~って思うけど、悪い方も大きく目を開いて見てるのかしらと思って、見えない時に。

楳木先生:

だから違うんだよね。薬毒が溶けているから痛いわけ。しかもその薬毒が邪魔して見えないわけだからね。そこをよく浄霊して薬毒を取って下さい。(御教え『三毒』へ)」

参加者:

はい、わかりました。ありがとうございました。

(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎洗剤は(毎日皮膚に触るものだから)合成洗剤を使うと、良くなる病気も良くならないのだということ。

>食器を洗う洗剤は(口に入れる物を洗うのだから)、合成洗剤を使うと余計に恐ろしいのだということ。

>私達は日常生活の中で、合成洗剤のように化学物質が入っているものを極力排除していかないと、健康を維持することはできないのだということ。

◎痛みが出ている時は、ちょうど薬毒が溶けている時なので、‶静かに薬毒が溶け終わるまで待ちましょう”という気持ちを持ちながら浄霊を続けるのだということ。

>薬毒が溶け終わると、スーッと嘘みたいに楽になってくるのだということ。

>痛みというのは、「ほぼ薬毒だ」というふうに思って取り組んでいったら良いのだということ。

 

「メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)」より抜粋つづき:

前立腺がんと尿意

参加者:

主人の父が、おしっこが出たい気がするけど出ないっていう辛い状態なんですけど、どうすればいいでしょうか?

楳木先生:

えーと、手術したのはいつ頃ですか?」

参加者:

手術はしてないです。

楳木先生:

してないんですか。治療を受けて…。」

参加者:

治療も受けてないんです。

楳木先生:

受けてないのですか。」

参加者:

あの~前立腺ガンなんです。で、初期だから数値もまだ低いし初期だから3ヶ月毎の検査を見ながら対処しますということなんですけど。最近ちょっと尿の出が悪くて、何かその他に尿の…。

楳木先生:

出が悪いですか?」

参加者:

ええ。

楳木先生:

ああ~。あの~、浄霊いただくと出るでしょ?」

参加者:

ええ。あのねぇ・・・。

楳木先生:

お嫁さんから浄霊してもらったりすると。」

参加者:

ええ、そう!

楳木先生:

ねえ。ですから今日こういうふうに「浄霊力拝受お願い書」に書いていただいて御神前に御供えしましたので、自分で浄霊してください、その時には。」

参加者:

ああ、そうですか。

楳木先生:

ええ。で、少し前立腺の場合ですね過敏になりやすいので、だから、おしっこ行きたいな~と思ってもおしっこは出ない場合があります。だからこれは過敏症ですので、その敏感に感じるところをまず自分でこう手を下げて浄霊をしてください。それと医者は腎臓が悪くはないと言うでしょうけど、多少腎臓が疲れているので、自分でする場合はお臍の両側をこういうふうに30センチぐらい離して浄霊してください。で、人から浄霊いただく時は背中の腎臓の部分をよく浄霊をしていけば排尿がきちんとできるようになると思います。

参加者:

ああ、そうですか。」

楳木先生:

ええ。で、医者もよく精神的なもんだって言うでしょ?」

参加者:

ええ。その…。

楳木先生:

これ精神的なものっていうよりね、そこに少しシコリができているので過敏になっているんです。例えば腎臓結石ができたりした場合、腎臓が痛いけれども、実は人間の体っていうのは他所が痛く感じるのですよね。神経の繋がりがあるから。それで腎臓結石の場合、石が動き出すと胃が痛いように感じるのです。私も何回か石ができたので。で、胃ばっかり浄霊してもこれ治らないのですよね。だから腎臓のところを浄霊していくと石が動き始めて尿管を通って膀胱までいって、そして膀胱から尿となって出るとスッキリするけれど、その痛いところを追っかけていって管に下りてくると胃の痛みが治まって、その管が痛いというところがわかってくるのですよね。で、腎臓というのは痛みを感じないです。血液をろ過する働きばっかりですのであまり感じないようになっているので、人間の中には勘違いが多いのだと。神経の勘違いが。よく夏に冷たいものを、かき氷をガーッと食べたら頭痛くなりますよね?あれは頭が痛いのではなくて、「冷たいっ!」というのを脳に伝える時に勘違いして痛いと脳が感じて痛いというふうに医学上は言っておりますので、我々の体の中には病気を抱えていると感じ方が違う感じ方をする場合が多いので、だから、おしっこに行きたいんだけども尿が出なかったりした時に、あんまりそれに過敏にならないように。」

参加者:

ああ、そうですね。

楳木先生:

ですから、そういう時はおしっこ行きたくなったら本当に出るかどうかっちゅうのは、浄霊しながら治まれば、今はおしっこに行くときではないんだと。それでも出そうだと思ったら行っておしっこをするというふうに、勘違いかどうかというのを確認しながら行っていただきたいと思います。そうしないと、少し神経質になりすぎるとそういうことが起きてきますのでね。」

参加者:

そうですね。そういう面もまあ、あると思いますね。

楳木先生:

ええ。だからそういうことを是非浄霊を自分で活用しながら、今日から取り組んでいただきたいと思います。」

参加者:

ありがとうございます。すいません。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎前立腺(ガン)の場合は、尿意をもようしても尿が出ないというような(過敏性になる)場合があるのだということ。

>医者は、その尿意を精神的なものだというが、(そうではなく)そこに少しシコリができているので過敏になっているのだということ。

>そのような場合は、その敏感に感じるところをまず自分で浄霊するのだということ。

>又、(医者は腎臓が悪くはないと言うだろうが)多少腎臓が疲れているので、自分で浄霊をする場合はお臍の両側を30センチぐらい手を離して浄霊をし、人から浄霊をいただく場合は、背中の腎臓の部分をよく浄霊をして貰えば、排尿がきちんとできるようになるのだということ。

 

編集後記

責任者:

この御教え(『栄養』)を学んだことによって、私達(現代人)の「栄養」に関する考え方は、全く間違っていたのだということに気が付くことが出来ました。「栄養」に関する正しい考えを持てるようにこの御教えは繰り返し拝読させていただかねばならないなあと思いました。

これから年末にかけて何かと気忙しい時期になりますが、皆様がよい年をお迎えくださいますよう、心からお祈り申し上げ、本年度の学び修めと致します。有難うございました。

 

追記:

「天国の福音書(重要御論文の再録)」は全文アップ致しました。私達が必要とする貴重な御教えばかりだと思います。どうぞ拝読されて下さい。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.138浜松(平成24年7月分)

 

 

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