『大乗愛』

「栄光」166号、昭和27(1952)年7月23日発行

単に愛といっても、小乗愛と大乗愛の区別のある事を、充分知らねばならない。そうして小乗愛の最も極端なのが、言うまでもなく自己愛で、次が血族愛、友 人愛、団体愛、階級愛、国家愛、民族愛という順序になるが、ここまでの愛はことごとく小乗愛で、これは何ほど熱烈な愛でも、結局において悪である。という のはそれが強ければ強い程、争いを生ずるからである。では大乗愛とは何かというと、これこそ人類愛であり、世界愛であり、神の愛である。以上の理によって 何ほど立派な理屈を唱えても、小乗愛は限られたる愛であるから危険である。何よりも戦争の原因もこれにあるのであるから、人類から戦争を絶無にするとした ら、この世界愛が全人類に行きわたり、一般的思想にならなければならないので、それ以外戦争絶滅の方法はあり得ないのである。

右の理によって、争いという争いは、ことごとくその根本は小乗愛からである事を知るべきである。ところが不可解な事には愛を唱える宗教にも必ずといいた いほど宗団内の争いがある。もっとも今日はそれほど大きな宗教的争いはないが、古くはヨーロッパにおける十字軍や、その他にも宗教戦争があった事や、日本 においても昔は僧兵などといって、僧侶が武器を執って戦った事も史実に明らかである。としたら争いのある宗教は、もはや宗教人としての資格を喪失した訳で ある。この意味においてもしその宗教が本当のものであるとすれば、世界愛を説かねばならないと共に、それが実行に移されていなくてはならないはずで、それ が大乗宗教のあり方である。我メシヤ教はこの大乗愛を建前として人類を救うのであるから、世界の名を冠してあるのである。