『強盗の訴え』

自観叢書第5篇、昭和24(1949)年8月30日発行

私は強盗の訴えをされた事があった――と聞いたら吃驚しない者はあるまい。ところが事実であって、忘れもしない大正八年の暮のある日、私は検事局へ喚び出されたがそれはこういう訳だ。

私が小間物屋で成功した絶頂の時であった。その頃私は旭ダイヤという名称の装身具を発明し、専売特許を得た。しかも全世界の特許法の制定されてる国、その頃(大正八年)世界に十ケ国あった。その十ケ国全部の特許権を獲得したのである。ところがそれを売出すや非常に好評を拍し、素晴しくよく売れた。それがために発生したのが、標題のごとき強盗事件であった。右の旭ダイヤを発明するについて私は職人ではないから、林某という職人に一々指図をしては拵え直したりして、ついに完成したものである。そのため林某を工場主として、相当大きい家を借受け、工場となし彼に経営させたのである。一時は女工数十人を使用し相当繁盛したので林もかなりの資産を造ったので、本来なれば私のおかげでそうなったのであるから、大いに感謝しなければならないに拘わらず、彼は欲のため眼がくらみ不届きにも私に対し、特許権の名義書替えを提訴したのである。その理由は「旭ダイヤは自分が発明したのであって、それを岡田が自分の承諾なく、勝手に岡田の名義にしたのであるから不当である」というのである。しかしもしそれが事実とすれば私の名義になって間もなく提訴すべきであるに拘わらず、二年くらい経てから突如として提訴したのだから、欲のために不当利得を目的とした事は明らかである。そこで私は工場倉庫に多額の資材を預けてあったから、そういう悪い奴は横領の危険があるばかりか、そういう奴に一日として製造を委任する事は出来ないという訳で告訴状が来た日のその晩、自動車をもって工場から店員数人で在庫中の資材全部を運んだのである(その時私は不在であった)。

すると林は翌日その管轄の警察へ告訴し私は喚び出されたので、今までの経緯を話したところ、主任は諒解し大笑いとなって済んだのである。そこで彼は警察では駄目だからというので、検事局へ向かって強盗の告訴を提起したという訳である。早速喚出されたので逐一訳を話したところ、検事もよく諒解したが、検事が云うには「無論強盗などにはならないがあるいは家宅侵入にはなるかもしれない。しかしその裁判が決定するまでには度々公判を開き、その都度喚び出されるからはなはだ迷惑と思う。よって、今謝罪状をかきなさい、そうすればそれで解決するよう取計うから」というので私は共通りにして済んだが、その時つくづく思った事は法律とは変なものだ、自分名義で借り、自分経営の工場へ自分の品物をとりに行って家宅侵入になるというのだがら、実に訳が判らないものだと思った。

その後ある人に右の話をしたところ、その人は「自分は殺人の嫌疑で喚出された事がある、それはある殺害された者をその数時間前訪問し、名刺を置いてあったため嫌疑がかかった」との事である。