『大本信者時代の私』

自観叢書第5篇、昭和24(1949)年8月30日発行

私が大本教に入信してから数年の間は、実に信仰は小乗的で、困苦しい極端な程禁欲的であった。何しろ衣服などは絹物はいけない、木綿でなくては着るべからずというのであるがら推して知るべきである。言霊学上絹物とは着ぬ物であり、木綿は気がモメン、家庭がモメンというのであるから実に滑稽(こっけい)である。故に信者の会合などに行く時など、私はわざわざ木綿の着物を作って着て行ったものである。そのくせ平常は、絹物を着ていたのであるから止むを得ない虚偽である。もちろん食物もその通りで肉食も厳禁されている。彼等にいわせると四足を食うと血が穢れるとの事である。そうして大本教の重要行事として一年に一度、丹後の高砂沖に冠島沓島という二つの小島があり、それは大本教の根本神国常立尊(くにとこたちのみこと)という神様が修行された行場であるというので、多勢の信者が船に乗って参拝するのであるが、その際も皮製の鞄は厳禁している。というのは四つ足の皮は海の神様がお嫌いになり海が荒れるからというのである。

ところが私はどうも理屈に合わないような気がする。なぜなれば、肉食もその皮もいけないとしたら、外国人を救う事は出来ないではないか。大本は世界人類を救うという建前と矛盾しているという訳で、私は入信前と変りなく、肉食もし、特に大本へ行く時は洋服を着たものである。その頃洋服を着るのは多くの信徒中私一人であったので、それがため洋服の岡田さんとして有名になったものである。また本部へ参拝に行く時、数人で汽車へ乗った時など食堂へ行くと、決まって私はサンドウィッチを食べる。外の者は驚いて種々忠告するが、私はただ笑うのみであった。しかしそれから数年くらい経た頃から信者も漸次変って来て、私が脱退した頃は、肉食も洋服も世間一般と同様になった事はもちろんである。

以上の訳を説明してみるが、教祖出口直子刀自は、経(たて)の教えで小乗的であるに反し、出口王仁三郎師は大乗的緯(よこ)の教えであったからである。しかし、王仁三郎師は緯になり過ぎ経を閑却されたため、あのような法難を受ける事になったのであろう。