『狂信』

自観叢書第5篇、昭和24(1949)年8月30日発行

私が大本教へ入信後聞いた話であるが、大本教発祥の頃例のお筆先が信仰の中心であったため、お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。その結果実に笑うにも笑えない喜劇が生まれたのである。

その頃大本教の本元綾部の町の出来事で、こういうおもしろい事があった。それは真っ昼間提灯をつけて、往来の真中を大手をふって威風堂々と数人が練り歩いたのである。車や自動車が来ても決して除(よ)けない。そこで町民も非常に困って勧告をしたが、いっかな言う事をきかない。彼等に言わせると、「お筆先通りをやっているのだ。神様の思召(おぼしめ)しや」と頑としている、という嘘のような本当の事があった。そのお筆先というのはこう書いてある。「今の世は闇の世であるから、提灯がなければ危うて歩けんぞよ」とあり、また「大本の道は真中の道であるから、端を通るようの事では、神のきかいに叶わんぞよ」という事を文字通り実行した訳である。