御教え『此事実を考えて見よ』

「栄」115号、昭和26(1951)年8月1日発行

去る七月八日の夕刊読売紙上に「注射ばやり」の題の下に、正宗白鳥(まさむねはくちょう)氏の文が載っていたが、それはこうである。

「注射治療は益々流行しているようである、私は保健のための注射も病気治療の注射もやった事はない、先頃腸チフスの予防注射が施行されるので町役場から通知書が配布されたが、それには何年生まれから何年生まれまでと制限されていて、六十歳以上の者は除外されていた、老人には病の危険がないのか、注射の効果がないのか、あるいは老人その者は存在価値がないので無視しているのか、その理由は分らなかった。

その通知書には、注射を受けに行かない者は三千円の罰金に処すと記されてあった、老人無視は気にならなかったが、この罰金の事は、私の頭脳のわだかまりとなった、チフスの予防注射は的確に効能のあるものとされ、自分自身のためばかりではなく、社会公共のためにも罹病を防ぐための法を講ずるのは当然で、それを怠る不心得者は罰すべきだとされているが、それにかかわらず、その強圧的態度は人をして不愉快を感ぜしめるのである、電車内の喫煙、往来での放尿など禁止するのが当然でありそれを犯す者を処罰するのは当然であると思っている程に公共道徳観強い私が、罰金でおどかしてまでチフス予防注射を強行するのを変に感じたのはなぜか。

それは私の心の底に、暗々裏に予防注射なんか効くかどうだか判るものかと思っているためではあるまいか、効くかどうだか分りもしないものを強制していいかと暗々裏に疑っているためではあるまいか、それは私の無知のせいであろうか、しかしこれは無知のせいであるとしても、世の中には判りもしないくせに人に強制して当人の好まざる事を行わせる事が極めて多いのである。古今東西すべてかくのごとくして、人世は経営されたのである、そうでなければ社会の秩序は保たれないのであろう、強権者出て弾圧的に人間の行動や思想を統一しなければ、人の世は成立たないのであろう、封建的強権者、民主的強権者、民衆のかたまりが他を強圧する事もはなはだしいのである。

新しい注射的治療法が発達したため、色々な病気が喰止められて、死亡率は著しく減ったそうだが、しかし今まで不治の病とされていたものが、完全に回復するのではなくって、生きもせず死にもせずといった有様で生命が持続するものの殖えるのが、日本の現状であるそうだ、秦の始皇帝の求めていたような不死の薬は、いくら医術が進歩しても、出現しようとは思われない。もしそういう「不死注射」でも出来て、働けない老朽者で、世界が一杯になったら、人類生活は成立たないのであるが、新薬注射で、死にもせず、生きもせずの人間が多数になり過ぎても人類生活の成立たなくなる事は不死の薬発明と似通(にかよ)ったものとなるであろう」(芸術院会員)

右を読んでみて、私は実に驚いたのである、というのは私の唱える説を裏付したようなものであるからで、それについて少しかいてみるが、信者はよく知らるる通り、病気とは体内に溜っている毒素を排除させる浄化作用であって、この浄化作用は体力が旺盛であればある程起るものであるから、単に病気を起さないようにするだけなら、体力を弱らせばいい訳である、その方法としては、薬を体へ入れる事で、いつもいう通り薬とは実は毒であるから、体へ入れる程弱るのは当然であるから、その原理を応用したものが現代医学の注射であるから、正宗氏の言うごとく、近頃の人間は、病気は起らないだけの死にもせず、そうかといって溌剌(はつらつ)たる元気のない者が段々増えてゆくのは事実である、そうして近来日本人の寿命が延びたという報告があるが、全くこのためであろう、ところがこれは独り日本人ばかりではない、英国人もフランス人もそういう傾向がある、両国民が近来非常に戦争を嫌い、何事も妥協主義で安易を好む結果は、中共へ対する態度にみても分るし、イラン問題にしてもそうである、もっとも人口増加率の低下も一因であるが、何しろ両国民の元気のない事は盛りが過ぎた下り坂の運命を見るようだ。

このような病気の起らない弱体人を、私は擬健康というのであるが、日本人も今の内に覚醒しないと前途は思いやられるのである、これに反し吾々の方は、薬毒を入れないで、無病者を作るのであるから、これが本当の健康法である事を知るであろう。