秋季大祭御講話(昭和27年9月26日)

「御教え集」14号、昭和27(1952)年10月15日発行

昭和27年9月26日(4日目)

神仙郷もほぼ完成しました。ここが完成したということは、非常に大きな意味があるのです。大きいというと、つまり世界的の意味があるのです。神様は、地 球の経綸――これは地球が始まって以来なのです。ちょうど○にヽ(ポチ)みたいなものです。あるいは池に石を投げるようなものです。それによって波紋が起るようなもので、最初は小さい所にやられる。それがだんだん拡がっていろんな変化が起るのです。それで私はそういう意味のことを神様から教えられて、始終それをみていると良く分かるのです。で、今から二十年くらい前に――昭和六、七年ごろにいろいろ世界のそういった小さい型を見せられました。そのために、今に世界はこういうふうになる。自分の仕事はこういう仕事だ。ということがはっきり分かって、それで見当がついたのです。その時分に日本の大変化――天皇の地位が変わるということも良く分かったのですが、その時分にそんなことを言ったらたいへんなことになるから言わずにいなければならなかったが、どういう形式でそうなるかということは知らされてなかったから分からなかったが、この終戦でなるほどと分かったのです。そんなような意味で、神仙郷ができたということは、やはり世界の最初の――いつも言う通り、地上天国の模型ができたのです。これがだんだん拡がっていって世界的になった時が、つまり地上天国になるわけです。そうするとここが拡がるに従って、今度は体的に――ここは霊の中心になるのですから、これが熱海に写るのです。ここが霊界の経綸で、熱海は現界の経綸になるのです。ですから熱海ができて、それからだんだん拡がるのに、現界的に拡がっていくわけです。

今度京都の方にちょうど適当な土地が手に入ったのです。で、ここが「五」で、熱海が「六」で京都が「七」になるわけです。ちょうどミロクの形になるわけです。日本の国にミロクの形ができたわけなのです。で、京都はどこまでも日本的に造るつもりです。大体土地は一万八千坪ですから充分とも言えるし、まあ神様がどうなさるか分かりませんが、大体それで理想的なものができるわけです。つまり、箱根が山で経で火です。熱海は水で緯になって、それから京都が土で平らです。ですから神様は、ちゃんと日本の国の良い所に、こういった所を造られたわけです。日本で、箱根に熱海、京都としたら、まず天国的の条件はすっかり備わっているのです。ですから、そうなってからが日本の地上天国というのができるわけですが、まだまだそのごく初めです。初めですけれども、休みなくドンドン拡がっていきます。天国が拡がると地獄はなくなるのです。今いろんな汚いものや悪いものは、みんな地獄のものですから――地獄を造っているものだからして、どうしてもそういうものはなくならなければならない。これから創造と破壊――創造されるほど破壊が始まる。まあ汚い、まるでゴミ溜めのような娑婆だったのですが、そこにきれいなものを入れる。そうしてだんだんいくと、汚いものは片づけられなければならない。あるいは焼いて壊してしまうか、そういったような大掃除をしながら、良いものがだんだんできてくるわけです。壊し、焼かれ、片づけられますが、そういう大掃除がたいへんなのです。つまり世の終わりです。それは一切がそうなるのです。だから第三次戦争も起りましょうし、原子爆弾の撃ち合いもありましょうし、それから病気で片っ端からドンドン死ぬこともありましょうし、それで初めてきれいな世界になって、そうして地上天国ができるわけです。品物は壊せば後でできますが、一番困るのは人間です。しかし汚い者は取り片づけられなければならないのですが、人間が一番肝腎ですから、一人でもよけい助けなければならないというのが、メシヤ教の仕事なのです。そればかりではありませんが、それが一番肝腎なことです。それが救いです。メシヤ教―救世教――世を救う教え――という、ですからメシヤ教は宗教ではない、 救いの業だということは、そういうことです。

そんなわけで、これからドンドン時の進むに従って、いろんな面に現われてきます。それで京都の今度の場所は嵯峨ですが、ちょうど釈迦堂――有名なお釈迦さんの所、それから去年講演をした法然院という所がありますが、あそこのちょうど間になる。法然院というのは、法然上人があそこに住んでおられた所です。 立派な阿弥陀さんがあります。見た人はたくさんあるでしょうが、あれはすばらしいものです。大体法然上人という人は、阿弥陀教の開祖といっても良いのです。法然上人の弟子が親鸞です。親鸞から六代目のが蓮如上人です。今の本願寺の開祖といっても良いくらいのものです。そんなわけで法然院は阿弥陀さんのおられる所です。それから釈迦堂はお釈迦さんです。で、その真ん中が、私の方がいることになると、観音様になるわけです。で、観音様が真ん中で、観音様の左が阿弥陀で右が釈迦となり、これが本当の三尊の弥陀とか、三尊仏です。本当言えば三弥勒です。で、阿弥陀は法身の弥勒です。ですから法然上人と、「法」の字を使うのもおもしろいです。そういう意味で、とにかく仏界のミロクの形ができるのです。それで、これは仏教の方でも言ってありますが、弥勒三会――三人の弥勒が会うということです。「弥勒三会の暁」ということが、今度京都の嵯峨に私がいるようになると、弥勒三会ということになる。ですから仏界が非常に変わるわけです。今仏界の霊界はドンドン変わっているのです。だからそれが現界に写るわけです。仏界が変わるということについて、今度京都に――弥勒三会になりますと、そうすると今までのいろんな仏教の開祖、教祖という、そういう人たちが霊界で非常に働き出すのです。今もちょいちょい信者さんのなかにそういった仏教の開祖が憑って、明主様にお詫びしてもらいたいということを、随分頼みに出てくるのですが、それというのは、今まで仏というものは、非常に良いことをした代わりに、また神様を押し込めたという罪があるのです。あの五男三女といって、伊都能売の神様の家来があるのです。八人の家来ですが、それはお釈迦さんが押し込めたのです。で、押し込められたために龍になって、ミロクの世を待っていたのです。それが八大龍王です。ですからそういう押し込めた罪もそうとうあるのです。けれども罪の中でも、意識的に行なう罪と、無意識に知らず知らず行なう罪と両方ある。それで意識的に行なう罪は非常に重いのです。それは現界の法律と同じです。知らず知らず行なう罪は、悔悟してお詫びをすれば許されるものです。それで今仏教の方の偉い人の罪は、知らず知らず良いと思ってやった罪だから非常に軽いのです。それと同じような意味において、医学――お医者さんも、気持ちは善ですから――動機善だからして、そう深い罪ではないのです。気がついてお詫びして、今度は別の本当の働きをすれば許されるのです。けれども罪は罪ですから、やはりそうとうの代償がなくては許されないのです。これは別の話ですが、お医者さんの子孫というものは、まことに不運です。これは良く見ると分かりますが、こういうこともそういう現われです。そんなようなわけで、つまりこれからいろんなことも、そんなような現われが非常にあるのです。そこで仏界の偉い人たちが今度お詫びするとともに、その代償として大いに働かなければならない。すると、今にいずれ京都に美術館も造りますから、そんなような意味で非常に働いて、具合良くいくわけです。

京都は無論、こしらえる物は日本的の物です。熱海は徹頭徹尾西洋風の物です。これは、会館でも展望台でも美術館でも、全部西洋風です。京都は徹頭徹尾日本風にするつもりです。箱根は両方です。ここは中心ですから、西洋と日本と両方になってます。今度美術館の別館を造りますが、それから休憩室と、みんな西洋風にする。そうしてここ(日光殿)は日本的の建物です。それで「日光殿」という名前がついたのです。日の光は、やはり日本です。ですから京都のは、あそこは「平安郷」という名前をつけましたが、平らな所ですから、どうしても「平」という字が入らなければおもしろくない。昔から平安の都といっているのは、 そういう意味です。大体、京都といっても、日本美術の中心であり日本の文化都市としては京都が元ですから、大いに日本的にはなってますが、今までの京都のいろんなものは、はなはだ統一がないのです。バラバラです。それはしかたがないのです。京都における太平というものは続かなかったのですから――。絶えず戦争だとか紛争だとか、そういうことが多かった。で、江戸に来て徳川三百年――そこに来て初めて平和が続いた。江戸の文化はそうとうでした。京都、奈良は 長い間ほとんど平和は続かなかったのです。そのために日本文化というものに統一がなく、寄せ集めです。古い美術というと奈良朝時代の仏教美術です。そうか というと平安朝の貴族文化です。それからその次に飛んで鎌倉に行きましたが、これは多少は鎌倉に残ってますが、その間京都は振るわなかった。その次は足利の東山文化、室町です。それから桃山というような、その時分の文化は、つまり貴族文化あるいはその時代の主権者の文化です。だから庶民的、大衆的の文化というものはなかったのです。大衆はほとんど下積みにされて、ただ命令によって生きているだけで、後は、今でも残っているような物は、その当時の主権者が、贅沢あるいは権力を見せるというような必要から生まれたものです。それから徳川時代に入って、今度は大名文化です。大名が、欲しいままにいろんな物を作ったのです。ようやく元禄に至って庶民の文化ができ始めたのです。町家の金持ちが贅沢と競争――競う楽しみです。そんなようでいろいろ良い物ができましたが、これはわずかの間です。じきに幕府から禁止令が出て萎靡してしまったのです。ただ、桃山文化は非常に絢爛たる豪華な、秀吉の性格を表わしたのができたと同時に、反対の侘の文化の茶の湯ができたのは良いことです。今日でも茶の趣味が残っているばかりでなく、近来非常にさかんになって、米国辺りでも非常にそういった趣味が理解されてきたのです。この間ここに来たメトロポリタン博物館の東洋美術部長のプリーストという人も、そういった侘の茶趣味が非常に強いのです。で、茶席を見せた時が一番褒めてました。そういったわけですから、また竹を非常に好んで、自分は竹が一番好きだと言い、竹林や三階に竹を植えてありますが、そういうのを喜んでいたが、私は意外に思った。米国でそういった侘を好むのは珍しいと思った。とにかく日本の茶の趣味というのは、たいへんな功績です。これは京都にもよく出てますが、統一された日本文化――それが京都にはないのです。それから大衆的に楽しめるというものもないのです。ですから私 は、将来どうしてもそういった意味の地上天国を造りたいと思ってます。つまり今までの日本文化の良いというものをみんな採り入れて、現代人の感覚に合うようにして、総合し統一されたそういうものを造ろうと思ってます。そういった土地の環境から状態が良いです。それは、神様がちゃんと仕度してあるのですか ら、良いはずです。

それから最近日蓮宗が非常に活動しているのです。メシヤ教は別で、これはナンバーワンということになってますが、新宗教のなかでとにかくさかんなのは、日蓮宗です。日蓮宗の霊友会一派です。そんなような具合です。それも近来に至って急激に日蓮宗が活動し始めたのです。それはなにかわけがなくてはならないが、ところがわけは大ありなのです。仏教のなかで日蓮宗だけは変わっているのです。他の仏教は全部月の系統です。大体仏教は月の教え――夜の教えです。ところが日蓮宗だけが昼の教え――昼の仏教になるのです。それで日蓮と名前をつけたのです。それで日蓮宗は非常に陽気です。だから仏教のうちでは昼の仏教に入る。ところで、仏教の方でいうと、法華経――法の華です。法華経二十八品のうち二十五番目の観音普門品――これが実になるわけです。そうすると、実が生る前に――実ができる前には華を咲かせなければならない。というわけで、今華やかに活動しているのは、華を咲かせているのです。そうして大体メシヤ教は元は観音さんだったのです。そこで現界的に観音さんを生むという、一つの経綸になっているのです。だから今非常に骨折って華を咲かせているわけです。大体日蓮上人という人は、非常に観音信仰なのです。これは法華経の行者ですからしかたがないです。この間、江ノ島の竜の口に竜口寺というのがありますが、あそこで竜の口の御難の記念祭で、今年がちょうど日蓮上人の開教七百年祭にあたる。それは安房の清澄山で日の出に向かって妙法蓮華経を唱えたその時から七百年になるのです。そこで日蓮上人は自分は天照大御神の生まれ変わりだということを言っておられたのです。徹頭徹尾日の方の人なのです。そこで法華経――つまり仏の華を咲かせるというわけで、非常に観音信仰が強かった。それで竜の口の御難で刀で切ろうとした時に雷が落雷して、刀の刃が雷火があたって折れたのです。それで助かったという謂によってできたのが竜口寺ですが、そこに立正佼成会という、近ごろ有名になった会の信徒が三万二千人お参りしたのです。バスが 五十何台とかいうので、こんなことは初めてだそうです。で、今年が七百年祭で、身延なんかもたいへんな準備をして随分お参りがあったようです。日蓮宗が急にそういった活動を始めたというのは、現界的に観音様が生まれられる、要するに現界的にメシヤ教が生まれるという意味になるのです。ですから非常に御苦労なわけなのです。華ですから、咲けばやっぱり散りますから――。それはどういう点で散るか、どういうふうに実が生るか、それは言えないが、そういったようなことが今後出るわけなのです。そんなわけでそういう点を見ただけでも、これからメシヤ教はどういうふうに発展していくかということはだいぶ見当がつくわけです。それで、神様の方はちゃんとプログラムはできているので、ただ時節によってそれが現われてくるのですから、結局コツコツやっていれば良いわけで す。神様の為さることは、ちょっと見ると遅いようでまだるっこいが、それでいて非常に早いのです。というのは、やり損ないがないからです。やり直しがない からです。ちゃんと予定通りにいくからです。そこであんがい早いのです。

美術館はなにしろ狭いし、それから特別展覧会をやりたいと思ってますから、今あるのをいちいち片づけてやるというのも厄介ですから、どうしても別館を造ろうと思っている。それで今の萩の家の後ろ手――女の人の宿舎を移築して、その跡に――ちょうど四、五十坪の別館を造ろうと思っている。そうして特別展覧会の会場にしようと思っている。来年は最初、浮世絵展覧会をやろうと思ってます。今度私は来月京都に行きますが、それは京都の美術館で浮世絵展覧会をやるのですが、そこは今まで接収されていたのが解除になったので、それを記念して浮世絵展覧会をやるので、なかなか大仕掛けにやるそうです。それに四、五点出品したので、ぜひ来てくれと言いますし、私もぜひ行ってみたいと思ってます。随分あらゆる物を集めて並べるらしいです。で、そんなわけで行こうと決めると、ちょうどさっきの土地も手に入ることになったので、それでどうしても見なければならないというようなわけで、行くことになったのです。つまり私が行こうと思うことは、めったにないですが、今年は行くまいと思ったが、やっぱり神様の方で行く事情を作られるわけで行くのです。ですから人間心でいろいろ計画 しなくても良いのです。そういうふうな事情になってくると、うまく行くのです。そういったことがなくてやろうとすると、失敗したり無駄をしたりするのです。だから私は、骨折ってやることはいけないと言うのです。楽に、楽しみにやることでなければいけない。ところが今までの世の中はあべこべで、苦しまなくてはいけなかった。よく苦心惨憺ということを言いますが、本当は苦心惨憺をしたもので、ろくなものはないのです。だからよく絵だとか品物を作るにしても、よく苦心惨憺して作りましたというのは、私は駄目だというのです。苦心惨憺して作ると、作品に苦心が表われますから、そういうものが表われては美術品は駄目なのです。楽しみ楽しみやったものでなければ駄目です。そうすると見た人が、それから受ける感じが良いのです。そこでいつも言う通り、その点が今までのことと反対ですから、ちょっと分かりにくいのです。なんでも苦しみさえすれば良いと思う一つの習慣です。ですから一番苦しんでやったことは失敗している。ですから日本のこの間の戦争ですが、あのくらい苦しんだ戦争はないです。昨夜も「黎明八月十五日」という映画を見ましたが、実にあの当時の大臣や偉い人たちが、軍人とのいろんなややこしい悶着で、一人近衛師団長ですか殺されましたが、そんなような場面を見ました。やっぱり苦しむことはいけないなと、つくづく思われましたが、やはり苦しみというのは地獄になります。よく難行苦行をして苦しんでますが、あれは自分から好んで地獄に落ちるのです。ですからやっぱり天国や極楽はできるわけはないのです。その点をよほど考えなければいけないのです。というのは今までの宗教で天国を造る宗教はなかったのです。つまり地獄のままで、地獄はしようがないのだから、せめて苦しみを、つらい思いをしないで、つらくないようにしようというのが目的です。ですから苦しみを楽しもうというのが、今までのいろんな宗教です。苦しみを楽しもうということになると、ほとんど人間の頭脳は錯覚しているのです。ですから苦しみは苦しみ、楽しみは楽しみですから、その結果メシヤ教は非常に現当利益がある。ところがそんなのは駄目だ、信仰すれば病気が治るとか金が儲かるというのは、そんなのはごく 浅薄と言わなければならない。そんなことは度外視して精神的に救わなければならないと言って、額に八の字を寄せて理屈を言う人がありますが、それは今まではそういうふうに、すべてがそうなっていた。楽しんで物事をやるということはできなかったのです。そこでそういうような変態的になっていた。だからそういう思想――考え方を直すのは、なかなか骨が折れるのです。私なんかも以前はそういうことで随分失敗しました。わざわざ好んで苦しむのです。そういうことのないようにということは、今のメシヤ教の「神様にお任せしておけばうまくいく」ということです。今まではお任せしてうまくやってくれる神様がなかったのです。力がないのです。かえってお任せするととんでもないことになる。それでよほど自力を出さなければならない。と、こういうわけです。