御教え『罪障消滅』

「光明世界」2号、昭和10(1935)年3月4日発行

『罪障消滅』

今晩はここが観音会の仮本部になりましての第一回の講話会であります。

昨日は、大変雨が降りましたが、今日は大変に好いお天気で、ちょうど祝詞にもありますごとく五六七の世、それは五風十雨であります。五風十雨とは五日目に風が吹き、十日目に雨が降ると言う事であり、天候が全く順調になるという事でありますが、ちょうどここへ観音様をお鎮めしたのが、昨年の大晦日の晩でありましたが、大晦日は一日雨で正月はカラリと好晴で、それから後はお天気が続き、十日目の昨日が雨で、五日の日に風が吹きました。

それでこの十日間は、五風十雨、になったのは不思議であります。よほど「天候掛り」の龍神様も(こういう雨や風は龍神様がするんであります)気を利かしたものと見えます。これはいつまでも続くものではないが、ともかくこの元旦から東方の光に依って五六七の世が実現すると言う型を十日間で、お示しになったものと思うのであります。このたび皆さんが観音会へお入りになって、観音様を日々拝んで居られるし、観音様の方では会則にもある通り、大光明世界を出現せられる目的になっております。それにはどうすればいいかと言いますと、それはちっとも難しい事はないのであります。神様の御経綸などと言えばはなはだ矢釜(やかま)しいようでありますが決してそうではない。なぜかと言うと、それは小さくは一個人又は一軒の家庭、それが倖せになればいい。ただそれだけの事なんであります。今まであらゆる宗教が出ましたが本当に倖せにしてくれるというものは未だ一つも無かった。それは何割かは倖せにしてくれた事はたしかにありましょう。まるっきり御利益が無くはなかったんでありますが、絶対に不倖せを無くしてくれ、皆が喜び勇んで暮せるという境遇には、してくれなかった。でありますからいつまで経っても世の中は不倖せが絶えない。否不倖せが充満しているんであります。個人的にも家庭的にも世界的にも不倖せ難渋が増えても減る事がないのであります。

つまりこれはどこかに間違っている点が有るに違いないのであります。ところが、今度「東方の光」即ち観音力に依って、そういう一切の不倖せの原因が判り、随って不倖せのない世界が出来るのであります。病貧争のない世の中、病貧争、これが完全に無くなってしまうのである。これ程偉大な力がありましょうか。人類史上未だ曾(かつ)て無いのであります。しかし今まではこの不倖せを無くする為に非常な努力をして来たのであります。不倖せを無くする、その事の為に悩んで来たのであります。例えば信仰に依って不倖せを無くする為には財産を上げたり、あるいは朝から晩まで拍子木を叩くとか、あるいは余計に称える程よいと言うので沢山のお経を称える、そういう事に一生涯掛っていたのであります。否その事自身が一つの悩みであり、不倖せであります。しかし中にはこの悩みを感謝し、反って幸福を感ずる様な人も有りますが、それは一種の変態心理になってしまったんであります。こういう人を第三者から見ますと、気違いの様に観られるのであります。勿論不倖せがあるという事は、罪障に因るには違いありませんが、それを無くする為に非常な努力を払う、いくら努力をしてもなかなか罪障は減らないで、消滅実行中にバタバタ滅んでしまうような事がある。これは全く笑えない事実なんであります。世間をみればそういう事は有過ぎる位沢山あります。そしてそれを教える宗教家や取次人が罪障消滅を非常に吹込むのであります。それも至極結構ではありますが、その罪障の消滅しない裡(うち)に種々の不倖せが湧いて来る。非常に熱心に信仰をしてる家でも、罪障がすっかり無くなった家というものは見た事がない。

どこの家を見ても罪障消滅中なんで、反ってますます罪障が出て来て、いよいよ消滅しなければならないという、実に悲惨な状態であります。しかも某宗等は管長なる人が親子争いをしたり、莫大な借金で首が廻らなかったりして苦しんでいるのは皆様も御存知でありましょう。しかもこの宗なぞは七百年も前から法灯(ほうとう)連綿と続いているのでありますから、御本尊様が七百年掛っても未だ罪障が消滅しない位でありますから、況(いわ)んやその在家信者さん達がこの先何百年経ったとて到底罪障消滅なんか出来る見込はないと言うべきでありましょう。これらの現状を見てはこのまま済してはおれぬ。人類がこういう事で満足してる様ではいかにも可愛そうなものである。これをちゃんと解決しなければならない。ところがいよいよその解決の時期が来たのであります。