研鑽資料no.9(2018年12月)

12月の学び 1  

はじめに

責任者:

早いものであっという間に11月も後半になり、やがて2019年を迎えようとしています。

 

今年を振り返ってみますと私達は、「節分、立春祭」「メシヤ降誕本祝典」「新紀元祭」「伊都能売大御神様御出世奉祝記念大祭」と大きな祭典を執り行い、神様をお迎えさせていただきました。そのような祭典をとおした中で日々を過ごしてこられたことかと思いますが、皆さんにとって平成30年はどのような年だったのたでしょうか。

 

さて、今回の学びは、平成17年2月に楳木代表よりいただいた「教祖祭に寄せて」という御教示を基にした学びになります。

 

この資料を基に、今年1年の御神業と祭典に伴ってお捧げしてきた祈りを、皆さんと共に振り返らせていただきたいと思います。

 

そして来る12月23日の「御降臨祭」に向けて「どのような祈りをメシヤ様にお捧げすれば良いのだろうか」ということと、そしてメシヤ様をお迎えさせていただいた私達のこれからの御神業は、「どのような想いを持って臨ませていただけばいいのか」ということを(新たな気持ちになって)考えていただき、そのことが皆さん其々の“覚り”に繋がればと思いますので、よろしくお願い致します。

 

それでは先ず、「教祖祭に寄せて」全文を読んでいただきたく思います。

 

 

「メシヤ講座・特選集no.49(平成17年2月分)「教祖祭」に寄せて」より抜粋:

教祖祭に寄せて  

メシヤ教 楳木和麿

 

素晴らしい御神業とは

楳木代表

本日(2/10)を期して『御教え』を広く万人へ誰でも公示できるようになる、という慶事を迎えました。今後大々的に取り扱えるようになりました。誠におめでたいことであります。

 

これによって、いよいよ「第二の開教」に向って邁進(まいしん)することができます。しかし、これは信者を増やすとか、組織を拡大するとか、そうした次元のことばかりではありません。本当の意味での「開教」なのです

 

メシヤ様(教祖)は、昭和25年2月4日に「開教」に踏み切りました。それは、組織上は「日本観音教団」と「日本五六七教会」との統合でありました。ところが、その深き神の御旨を弟子達は充分理解しておらず、同年5月の「ご法難」を引き起こしてしまいます。

 

「ご法難」以後、外部者の関与が強くなり、メシヤ様が願う本来のあり方を各種阻害されました。そして、何より「ご法難」時の後遺症で、御命を縮められ、御志半ばのまま昭和30年2月10日にご昇天されたのです。ご昇天後の、教団の変貌は周知の通りであり、やがて「メシヤ」の呼称も消されてしまいました。

 

私は、この一連の出来事が残念でなりません。人類にとっても大きな損失です。これほど素晴らしい御力と御教えを備えている宗教が、他にあるでしょうか。何としてでも、更に御力が発揮され、御教えが宣布されるようにしなくてはなりません

 

求心的働き

 

では、「第二の開教」とは具体的にはどういう取り組みなのでしょうか。

 

これは人類の歴史とも関わっております。もともと古代の人間社会は、宗教そのものでした。現代の文化形態というものは、宗教のもつ要素が遠心分離的に分化し発展してきたもの、と解釈されます。

 

例えば、リ-ダ-の下に集落の運営や交易がなされていたものが、政治・経済という形で発展しています。また、祭りの神楽が芸能という形に、祭りそのものはレジャ-やスポーツという形に、というように化学や医学、芸術、哲学等々に細分化し発展してきました。

 

ところが、発展した反面で、肝腎の宗教そのものを現代社会は忘れているのです。そのために、本来の人間生活を営むことができず、現代社会は数々の問題を抱えています。(「信仰読本」宗教について・参照)

 

メシヤ様は、これまで世界をリ-ドしてきた西洋の文化は‘遠心的’であり、『日本の文化は求心的である』との述べられ、文明の総仕上げをする旨を立教時から力説されています。そして、そのことを成し得るためには、『真の日本精神は大調和の精神である』ことを自覚し、実践することにあります。

 

つまりは「求心的」な取り組みなのです。メシヤ教の御神体がそのことをよく表わしています。御神名が教義と合致していることは当然ながら、その形が「求心的」なお働きそのものなのです。私達は、更にその意味を認識し、日々御力をいただいてまいりたいと思います。

 

また、「第二の開教」を志す私が「楳木」の姓を持ち、「和麿」を名乗る理由を古い指導者なら理解できると思います。解かる人は解かるし、解からない人は解からない、ことです。手前味噌的になるといけないので、これ位にしておきますが、今後‘求心のリズム’つまり‘左進右退の神律’の勢いが増して行きます。

 

霊的に意義深い出会い

 

私は、世界救世教の組織を離れた後、今日まで様々な団体及び個人の方々とお会いして、情報交換を重ねてきました。霊的に意義深い出会いでした。日本には国家のため、国民のため、世界のためにを願って、神様に奉仕されている方がいらして、その数の多さに驚きました。そして、その方々との交流で随分と学びも重ねました。

 

取り分けて感得したことは、「夜の時代」となって三千年来、‘すり替え’が横行してきた、ということです。様々なことが‘すり替え’られてきたのです。節分の「豆まき」がいい例です。「お経」も同じです。梵語だから、解からない筈なのに有難く感じ、中には「解からないから、有難い」などと変なことを言う人がいます。神社の「祝詞」にしても、解かりにくく奏上します。

 

政治家の答弁も似たところがあります。そうしたことの積み重ねのために、国民は苦労の連続を強いられ、国土は穢れて行くばかりです。霊的な浄めの御神業を担っている方々が努力していますので、現実社会では「真の構造改革」を推進して行かねばなりません。

 

思いもよらない出会いがある

 

御教えには『ここに神は、真の力の発動によって霊体完備の文明世界を樹立され給うのである。即ち偽は真に、邪は正に、仮は実に、争は和に、醜は美にというように、一切の革新、一切の統合である。』とあります。(『新宗教と世界の年齢』全文へ

 

何と明確なお言葉でしょう。今月の『世界共和会趣旨及宣言-梗概』も58年前の文面とは思えないような高い視座からのものです。広く万人と共有したい、と願います。そこで、神様に御力をいただきながら、御神業に臨ませていただいて行きますと、「地上天国建設」を進められる神様から思いもよらない「出会い」を許されます。

 

動機は様々ですが、魂が神様を求めており、吸い寄せられるように出会うのです。私は、御神業を進めるに当り「活動方針」というものを示しませんでした。それは固い信念があったからです。次の御教えを拠り所として、時期を待っていたのです。

 

『いよいよの時、初めて諸々(もろもろ)、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』

 

この教えに沿って「御用」を申しつけられた人のお世話をさせていただくのです。ですから、教団運営などとは違うのです。

 

手を携えて共に歩みを

 

お世話の中心は、諸問題を解決する力と方法をお伝えする、ということです。また、真理の教えがありますが、宗教も進歩向上をせねばなりません。「宗教改革」と「医学革命」を進める私達は、その具体的あり方を示して行かねばなりません

 

現在、薬禍薬害は現代人の精神に暗い影を落としています。メシヤ様が『最後の審判』の型の一つとしてお示しになった具体的症状そのものです。精神障害は、更に事件をも引き起こして、現代社会を恐怖の淵に起たせております。

 

また、再生医療の技術革新は目覚しいものがありますが、そのことを御教えに照らしてどういう「判釈(はんじゃく)」をもつのか、ということも重要な課題となりました。ご承知のように、再生医療の鍵はES細胞にあり、近年更にDNAのテロメアにより細胞分裂は回数的に制限されていることも判明してきています。今後テロメアへの働きかけにより、寿命を延ばすことができる、という研究者も出てきています。

 

そして、臓器移植が進む中で、新たに起っている問題も多くあります。術例を重ねれば重ねる程、肉体を精神と切り離した‘ただのもの’として考えることはできなくなっております。デカルト以来の二元論的な考え方は、最早終焉を迎えております。ここに来て、物心両面の調和が非常に求められております。

 

私は、実体験を通して’薬禍薬害’の真相を知りましたが、それと共に根底から「人間の存在」についての真相を知り得ました。今こそ、御教えを広く宣べ伝えて行かねばなりません。

 

強力なスタッフも更に必要です。メシヤ様から引き寄せられた人々と、共に手を携えて御神業を推進して行きたい、と願います。」

 

責任者:

ここまでの受け取り方は皆それぞれだと思いますので、勝手ながら重要だなと感じた部分に下線を引かせていただきました。

 

ここからは「素晴らしい御神業とは」というタイトルで御教示をいただいております。12月の学びはこのタイトルの御教示を数回に分けてさせていただきます。

 

「メシヤ講座・特選集no.50(平成17年3月分)」より抜粋:

 

素晴らしい御神業とは

 

メシヤ教 楳木和麿

 

個人における『夜昼転換』

 

楳木代表

 

前回お話致しました「教祖祭に寄せて」の内容の中から順次ご説明致します。

 

おおよそのことを賢者は気付きつつあるのです、既成概念を拭い去ることに躊躇(ちゅうちょ)し、それを打破することの勇気を持ち得ていません高き信仰は、本来そこに力をいただけるのです。

 

『薬禍薬害』をはじめ、『癌発症のメカニズム』『因縁によって起る疾患』等々は医療が進めば進むほど御教えの確かさを裏付ける形で解明されております。また、縄文時代の高度な文明と神代文字の存在は、様々な遺跡発掘により否定し難くなっております。それに合わせて『言霊学』と深く関わりがあることは徐々に明らかになりつつあります

 

最先端の分野を進んでおれば、偉大なる存在、偉大なる力を体感する筈です。しかし、それぞれの分野に携わる人、あるいはその権威者の中には、都合悪く映じている人もいるのかもしれません。権威が崩壊した、と言われて数十年経つのに残念なことです。

 

万人にとっては、それらは『天国の福音』なのです。

 

御教えではこの一大福音を、『夜昼転換』という一語に集約されて説かれています

 

ところが、この教えを説かれ、やがてメシヤ様となられる御方でも、ご啓示より約5年間の検証が必要であったことが伺えます。検証を終え、ご決意を固められたのが昭和6年です。そして、同年6月15日に鋸山々頂において『夜昼転換』のご神事に臨まれております。ただお一人のご決意により『夜昼転換』がなされたのです。神律というものがありますが、実行者はどこまでも人間なのです。

 

それ故に、私達の『夜昼転換』も、私達自身の決意によって実現するところがあります。しかし、我々がすぐさま理解し、行動を起こすことができるかというと、それは至難な業であるとも言えるでしょう。それ故に、決心し行動することができたならば、それ自体奇蹟に等しいのです。

 

これからの御神業は、その奇蹟を一つひとつ許されて行くことなのです。素晴らしい御神業と表現したのは、まずこのことです。

 

この『夜昼転換』は、『三千年来の・・・』という表現で理解できるように3000年のサイクルの転換期です。もっと大きなものは、ユダヤ暦の5766年や稽暦(縄文時代)の6061年ということから6000年のサイクルの転換期があります。

 

それから、その倍のサイクルを説く人もいます。(紹介を受けた書籍がまだ届いていませんので、詳しくは述べられません。)この大きなサイクルの中で、私達は生まれ合わせています。ですから、人と人の出会いそのものが奇蹟的なのです。ましてや関わり合いが深まり、親密になるということは、奇蹟中の奇蹟と言えるのです。

 

それでは、私達個人の上での『夜昼転換』というものはどういうものなのでしょうか。人生において様々な寄り道をしたとしても、浄霊に出会い、御教えに辿り着いた瞬間が『夜昼転換』なのです。『転換』を許された後は、日がどんどん差し込むように変化してまいります。そして、「本来の人間生活」に向って行くのです。

 

その過程は『破壊』と『建設』の同時進行ですので、快く受け止めることができることばかりではありません。火素の増量に伴って『浄化』をいただく最中は大変です。しかし同時に進む『建設』を実感することができた時に湧き出る感謝は例えようもありません。その一歩一歩をしっかりと歩んでいただきたい、と願っております。」

 

責任者:

楳木代表はここのところでは、以下のように御教示下さっています。

 

○高き信仰は、本来既成概念(広く社会で認められ、通用している概念)を拭い去るという勇気を持つというところに力をいただける。(ここでは、メシヤ様が願われた本来の宗教のあり方に戻っていくということを仰っているのだと思います。)

 

○私達にとっての『天国の福音』とは、医療の発展による御教えの裏付けと、縄文時代の高度な文明と神代文字の存在によって「言霊学」と深く関わりがあることが明らかになりつつあるということである。

 

○最先端の分野を進んでいれば、偉大なる存在、偉大なる力を体感することが出来る。

 

○御教えではこの一大福音を『夜昼転換』という一語に集約されて説かれている。

 

○『夜昼転換』の実行者は人間であり、私達の『夜昼転換』も、私達自身の決意によって実現する。しかしそれを決心し行動することができたならば、それ自体奇蹟に等しい。

 

○これからの「素晴らしい御神業」とは、私達の『夜昼転換』によって、奇蹟を一つひとつ許されて行くということ。

 

○大きなサイクルの中での人と人との出会いそのものが奇蹟である。

 

○私達個人の『夜昼転換』とは、浄霊に出会い、御教えに辿り着いた瞬間であって、『転換』を許された後は、「本来の人間生活」に向って変化して行く。

 

そして最後に、「本来の人間生活」に向って変化して行く過程は『破壊』と『建設』の同時進行なので、浄化を乗り越えながらその一歩一歩をしっかりと歩んでいって欲しいと願われています。

 

「メシヤ講座・特選集no.50(平成17年3月分)」より抜粋つづき:

『入信』手続きについて

楳木代表

今年に入ってから「入信」手続きについての問い合わせが相次いでいますので、確認の意味で触れておきます。

 

そもそも「入信」とは何か、ということであります。入信の第一義としては「浄霊力を授けていただく」ということがあります。メシヤ様は、最終的(昭和29年)に『「おひかり(お守り」はなくてもいい』と仰り、『氏名、年齢、職業を私に報告するだけでよい』と、お言葉を下さっています。

 

現在では、浄霊の取り次ぎ方の学びや御教えの研鑽などのために住所、電話番号を添えていただくことにしております。以上を記入していただけばそれで良い訳です。御神前にその内容をお供えし、奉告申し上げます。「入信献金」はありません。

 

また、会費(教費)等は設けておりません。どこまでも自発的な「御玉串料」「感謝献金」を捧げていただく、という姿勢です。会費を設けると、やがてそれは集金ということになり、自発性をなくすことに繋がりかねないからです。レベル低下を招くことは避けたい訳です。

 

今回の御教え(『宗教は一つもない』全文へ)でご指摘されているように『教化事業のみ』に陥ってしまうのです。それでは本来の宗教から遠ざかってしまいます制限を持って、枠を設けて管理するようなことでは「本来のあり方」である『霊性の向上』へ繋がりにくいのです。ただし、その他の「奉納金(御神体やお写真など)」は別に設定しております。

 

毎月の祭典やメシヤ講座は、前述の『破壊』と『建設』が同時進行する中での「神様のご意図」、「身辺の事象の捉え方」、「生活のあり方」などを学ぶ機会です。これが第二義と言えます。ご自身の「運命」を好転させるために、お役立ていただきたいと願っております。

 

そして、自分だけが幸運に転じるだけでなく、多くの人々を教導させていただけるように、知恵と力を賜わってまいりたいと願っております。その方法を学ぶことが三義的になりますが、どちらが先ということはありません。取り組みを通して学ぶことが多いからです。その中心的取り組みは、何といっても「浄霊のお取次ぎ」と「御教えの実践」です

 

また、その取り組みが順調に進むためには、霊性の向上を許されたいので、「積徳」、「感謝の生活」、「学びと体験」を積み重ねていただきたいと願っております。」

 

責任者:

ここでは入会(入信)の意義を以下のように御教示いただきました。

 

○先ず最初の意義としては、メシヤ様から「浄霊力を授けていただく」ということ。

 

○次に私達は、毎月の祭典及びメシヤ講座から入会後の自分達の「運命」を好転させるために、「神様のご意図」、「身辺の事象の捉え方」、「生活のあり方」などを学びそれを役立てていくということ。そして、それと同時に自分達だけが幸運に転じるだけではなく、多くの人々を教導させていただけるように、「知恵と力」を賜わる方法を学んでいくということ。

 

○その中心的取り組みは、「浄霊のお取次ぎ」と「御教えの実践」だということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.50(平成17年3月分)」より抜粋つづき:

浄霊法の成り立ち

楳木代表

入信の眼目である「浄霊法の伝授」については、この場でご説明するよりも「メシヤ講座・1」や「信仰読本」を読んでいただきたいと思います。ここでは、浄霊の成り立ちを見つめて、『力の顕現』の発露を知り得ていただきたいのです。

 

メシヤ様がご啓示を受けられてから、決意を固められるまで約5年を要したことを先程触れましたが、それから約4年を掛けられて「浄霊法」を確立されています。

 

メシヤ様は、大本時代に「鎮魂帰神法」や「おひねり」によって、顕著な奇蹟を現わされました。しかし、その修行法は難しいところがあり、万人が身に付けるには困難なところがあります。そこで、手の平から御光を放射する方法を編み出されたのです。

 

メシヤ様以外で、初めて浄霊を取り次ぐことができた方は、どのようにしてできたのでしょうか。それは、メシヤ様の『浄霊を許す』というお言葉をいただいて、初めて浄霊を取り次ぐことができたのです。『力の顕現』は、『浄霊を許す』というお言葉にあったのです。この『許す』というお言葉を形にされたものが「おひかり(お守り)」です。そして、様々な変遷の末、ご昇天直前に『なくてもいい』ということになったのです。

 

『許す』というお言葉は、形を必要としなくなったのです。前述のように氏名、年齢、職業の報告で許されるようになったのです。そして、今や万人がメシヤ様を意識することにより浄霊の御力を授かるようになったのです。有難いことです。

 

有難いだけではなく、求めれば無限大の力を賜わるという時代を迎えたのです。このような慶事に遭遇できたことは幸せなことです。ただただ感謝です。

 

この感謝の輪が益々広がりを見れば、素晴らしいことです。

(以下は次回)」

 

責任者:

まとめ

「自分の中における『夜昼転換』」、「入信の意義」と「浄霊法の成り立ち」をこうやって一つ一つ確認することによって、御教示の内容と自分の中で理解したつもりでいたことにずれが生じていたことが判りました。

 

ありがたい事ですが、そのずれを改める(修正する)作業をする時間をいただているような、そんな感じの中での資料作成になりました。皆さんはいかがでしたでしょうか。

 

この資料の中でいただいた御教示は、今後の御神業に繋げていく(臨んでいく)上で基礎(土台)となっていくものだと改めて感じています。

 

有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文(掲載順)はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座・特選集no.49(平成17年2月分)「教祖祭」に寄せて

メシヤ講座・特選集no.50(平成17年3月分)

 

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