7月に向けての学び
はじめに
責任者:
今回の学びは、毎日のように起きている精神病を因とした痛ましい事件や、事故をどう捉えたらいいのだろうか?という観点も含め、それらの原因を御教えとメシヤ講座に求めてみたいと思います。
(この場をお借りして、事件や事故でお亡くなりになられた方々、そしてその親族の方々に心からお悔やみを申しあげます。)
研鑽資料no.15(メシヤ講座・特選集no.91)の中で、メシヤ様は『精神病の要因は「薬毒だ」』と警鐘を鳴らされております。そして、「最後の審判の型は、薬毒による精神病に加えて、突然変異原性による疾患の蔓延です」と学ばせていただきました。
御教え『精神病と癲癇』
「文明の創造」昭和27(1952)年
『霊的病気のうち最も王座を占めているものとしては、精神病と癲癇(てんかん)であろう。まず精神病から書いてみるが、これこそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、この病気にかかるに見て明らかである。この病気は誰も知るごとく、普通人間としての精神状態を失い、意識がめちゃくちゃになってしまうが、その状態も人によって千差万別であり、一人でも色々に変化するどころか、一日の中でも、いや一時間の間でも、その変化は目まぐるしいほどである。
この病気に対しては、医学でも相当以前から研究に研究を重ねているが、今もって分からないので、治療効果においても、何ら進歩は見られない。ただ施設や 患者に対する諸種の対策が、相当進歩したに過ぎないのである。何しろ生命には別状ないとしても、家族的にはずいぶん人手が要るので、実に始末の悪い病気である以上、どうしても病院へ入れなければならない事になるが、現在公共的の方は収容力も足りないし、そうかといって私設病院では金がかかるという訳で、全く悲惨そのものである。近来精神病や癲癇を治すべく、頭脳の手術を行うが、これは全然無効果のようである。何しろ医学は唯物科学であるから、手術に目をつけるのも無理はないが、この病気は肉体との関係ははなはだ薄く、目に見えざる霊の作用が主であるから、霊的に治すより仕様がないのである。それをこれから 詳しく書いてみよう。
右のごとく霊的病気であり、これこそ憑霊が原因なのである。その場合憑霊の位置は前頭部に限られているもので、なぜ前頭部に霊が憑るかと言うと、その部 の霊が希薄になるからで、つまり局部的脳貧血である。この脳貧血の原因といえばさきに述べたごとく、首の周りに毒素が集留し易く、それが両延髄及び淋巴腺 付近に固結するので、その固結が血管を圧迫するため、頭脳へ送流される血液が減るからである。
ここで、なぜ霊が憑依するかの理由であるが、それを説く前に霊界なるものを充分知っておく必要がある。元来霊界とは現象界、空気界の外にある第三次元の世界であって、つまり空気よりも一層非物質的であるので、今日まで無とされていた世界である。従ってこの霊界は現在までは一部の人を除く外、一般人にはほとんど信じられていなかったのである。というのは唯物科学がそこまでを把握するほど、進歩していなかったからである。しかし事実は物象界空気界よりも、一層重要なる、いわば万有の根源的力の世界であって、地上一切はこの力によって生成化育されているのである。別言すればこの世界は表が物象界で、裏が霊界と 言ってもいいので、人間で言えば肉体は物象界に属し、心は霊界に属しているのである。この理によって人間も動物も、死と共に肉体は現界に遺棄され、霊は霊界に帰属する。つまり人間の死は体は滅して、霊だけが永遠に残されるのである。そうして霊界の生存者となったあらゆる動物の内、狐、狸、龍神(蛇)等が生きてる人間の霊に憑依する。というのは前述のごとく人間の霊の頭脳の一部分が希薄になっているからで、もし充実していれば、決して憑り得ないのである。これを詳しく言えば、例えば霊が充実して十であるところへ、一だけ欠ければ九となるから一だけ憑れる。それが二となり三となり、半数の五以上となると、それだけ憑霊の方が勝って、人霊の方が負けるから憑霊の自由になる。これが精神病の真の原因である。
とすれば精神病の原因は、全く脳貧血であって、その因は固結の圧迫にあるのである。しかし単に貧血だけならまだいいが、延髄部の圧迫による貧血は睡眠不足の原因となるのでこれが恐ろしいのである。何となれば精神病になる初めは、例外なく睡眠不足が何日も続くからである。その理由は本来脳貧血とは体的の症状であるが、霊的に言えばその部の霊が希薄になる事であって、いわば貧霊である。ところがその貧霊部、すなわち霊の量の不足に乗じて、その量だけ彼ら邪霊共は憑依ができるのである。憑依するや人間と異なった彼らの性格は、動物的意欲のまま露骨に振舞う、これがすなわち精神病の症状であって、その動物の割合を言えば、狐霊が八十パーセント、狸霊が十パーセント、残り十パーセントは種々の霊であろう。
右は純精神病を書いたのであるが、ここに誰も気付かない驚くべき事がある。それは現代の人間ことごとくと言いたいほど、軽い精神病にかかっている。もちろんその原因は一般人ことごとくと言いたいほど、頭脳に多少の欠陥があるからで、ごく上等の者でも十パーセントないし二十パーセントは冒されており、普通 人はまず三、四十パーセントくらいであろう。ところが四十パーセントまではまだいいが、五十パーセントを越えると大変である。真症の精神病者となるからである。だが憑霊というものは一定していないもので、絶えず動揺している。それは欠陥と相応するからで、その意味は霊の厚薄が絶えず増減しているからであ る。そうしてこの憑霊にも二種あって、生まれながらにその人に定住的に憑霊している動物霊と、後天的臨時に憑依する霊とがある。今これについて詳く説明してみるが、まず人間がこの世に生を受ける場合、さきに述べたごとく、初めポチすなわち魂が宿るが、この魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり、主人公である。これを本守護神といい、次は人間を一生涯不断に守護している霊がある。これを守護霊ともいい、正守護神とも言う。この霊は祖先の霊の中で霊界においての修行が済み、資格を得た者であって、この中から選抜されて、その人の一生涯の守護の役目を命ぜられる。次が副守護神と言って、これが動物霊である。この霊は動物ではあるが、実は人間生存上必要欠くべからざる役目をしているものである。そこでまず右の三つの守護神について説明してみよう。
以上は、大体人間誰でもが持っている正規の守護神であるが、第一の本守護神なるものは神の分霊である以上、その本質は良心そのもので、昔からよく言われる人の性は善なりとはこれを指したものである。第二の正守護神は人間が危険に遭遇する場合、それが霊界に先に起るので、それを知って危難をまぬがれしむるべく努力する。世間よく虫が知らせるとか、その時気が進まなかったなどというのは、正守護神の注意である。また人間が罪を犯そうとするのを犯させまいとする事や、常に悪に引込まれないよう警戒し、正しい人間にさせようとする。それには神仏を信仰させるのが最良の方法として導こうとする。ところが正守護神がどんなに頑張っても、邪神の強いのに遭うと負ける事があるので、そのため不幸を招く結果となるから仲々大変である。そこで正守護神は常に邪神に勝つ力を求めている。それには人間が立派な信仰に入らなければならないという訳で、本教へ導く事が日に月に増えつつあるのである。次の第三の副守護神は動物霊であるから、悪の本来として一刻の休みもなく人間に悪を考えさせ、悪をさせようとする。悪とは帰するところ体的欲望の本尊である。いかなる人間でも金が欲しい、女が欲しい、贅沢をしたい、名誉が欲しい、人に偉く見せたい、賭け事や競争に勝ちたい、出世をしたい、何事も思い通りになりたい、という限りない欲望 がそれからそれへと湧いてくる。そこで昔から信仰によって、この果てしない欲望すなわち煩悩を押えようとして修養する。それがともかく今日まで人類社会は 破滅を免れ得て来たのであるから、大いに感謝すべきである。しかしながら実際上人間がこれらの物質欲がないとしたら、これまた大変である。何となれば肝腎 な活動力がなくなってしまうからである。従って何としてもこの点が仲々難しいのである。ではどうすればいいかというと、これは別段困難な事はない。つまり人間は神から与えられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自ら限度がある。すなわち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。この意味は人という文字を解釈すると実によく分る。それはノは天から降った形で、神の分霊であり、\は地上にいる獣の形である。としたらノが上の方から押えており、\はノを支えている形である。であるから人とはノと\との間になるから、人間の文字もよく当てはまっている。すなわち人間は善と悪とを両有している。天性で幾分でも善が勝っていれば間違いないのである。従って人間は向上すれば神となり、下落すれば獣となるので、この理によって人間の限りなき欲望も、ある程度で制御する事ができるので、これが真理であるとしたら、限度を越えれば人ではなくなり、Xの形となる。すなわちバッテンであるから抹消の意味であり、亡びるのである。右の理によってどうしても人間本来のあり方は、悪を制御するだけの力をもたねば安心ができないのであるが、それには力がいる。その力こそ神から与えられるべきものであるから、信仰が必要となる。さすればいかなる世にあっても、何ら不安なく、永遠の幸福者となり得るのであ る。
以上説いたごとき真理を、霊界の修行中知った正守護神は、極力子孫を正善に導こうとする。ところが副守護神の方はその反対であるから、極力妨害し、悪に導こうとして、心の中で常に争闘している。これは誰でも経験するところであろうが、そればかりではない。こういう事も知る必要がある。それは人間一人一人 異った性格と技能をもっている。これは神が世界を構成する上においてそうされ給うのであって、これを補佐し、天性を充分発揮させるよう正守護神は、神の命を奉じて専心努力しているのである。この手段として正守護神は、まず第一にその人間の魂を磨くべく、非常な苦痛を与えるが、これは向上のための修行である。これもその人の使命によって、大中小それぞれちがう。例えば使命の大きい者ほど、苦難も大きいから、むしろ喜ぶべきで、私などもそうである。また運命の転換という事は、神から仕事を換える命が正守護神に下るからである。そうして神にも階級があり、人間界と同様御役の種別もあるので、人間に命ずる場合も、それ相応の神によるのである。この意味によって人間界の構成を書いてみるが、分り易くいえば人類を緯(よこ)にみれば千差万別、それぞれ能力が違うが、経(たて)にみれば上中下の差別だけである。その証拠には一民族を支配するとか、一国、一地方等の支配者は、それに相応する能力を与えられており、最高の地位に昇る人は、世界でも数人に過ぎないが、下に下るにしたがい段々数が多くなる。最下級になるほど多数である事実はそういう意味であって、神は経綸上一切過不足なく、適切巧妙に配置され按配される。その深遠微妙なる御神意は、到底人間の窺い知るを得ないのである。またこれを鉱物にたとえてみると一層 よく判る。最高のダイヤモンドからプラチナ、金、銀、銅、鉛、鉄というように、最高ほど産額が少なく、最低の鉄に至っては、最も多産であるにみても明らか である。この現実が分っただけでも人類社会の真相は認識されるであろう。この理によって階級闘争が、いかに間違っているかが分るはずである。
ここで前に戻って、再び精神病の説明に移るが、これは別な面であるから、そのつもりで読まれたいが、世間非常に偉い人でも時により迷ったり、間違った考えや、道に外れた行為をする事がよくある。アレ程の人が、こんな事をするとは腑に落ちないとか、あんな失敗するなどは意外だなどという事がある。また歴史上からみても、大英雄がつまらない一婦人の色香に迷い、千仞(せんじん)の功を一気に欠くような事も往々あるが、これはどういう訳かというと、前に述べたごとく、平常十か二十パーセント以内の欠陥なら無事だが、成功して思い通りになると慢心と我欲のため、頭脳の欠陥が増えるので、それに乗じて力のある動物霊が憑依したり、副守護神が頭へ上って、ノサバリ始めるので、三十以上にまで押し拡がり、智慧も暗くなるので、良いと思ってした事が反対になり、大失敗するので、英雄などによくある例で、右のごとくどんなに偉い人でも信仰がない場合、動物霊すなわち悪霊が憑依するや、それが最善の手段のように思わせるが、 実に巧妙な邪智は、到底看破できないのである。それがため遂に大失敗をするのであるから、実に恐るべきものである。そうして特に心得べき事は、その手段方法が私利私欲が目的であればあるほど、失敗は大きくなるに反し、天下公共のためというような利他愛のためとすれば、失敗してもある程度で喰い止り、ふたたび立上る事ができるのである。何となれば前者は神の御守護がないが、後者は御守護があるからである。
そうして霊界においては、無数の悪霊が百鬼夜行的に横行しているので、隙さえあればたちまち憑依し、瞞し、迷わせ、悪を行わせ、不幸に陥し入れるので、 これが彼らの本能であるから、少しの油断もできないのである。ところがこれに対抗して飽くまでそうさせまいとする擁護者が正守護神であるから、正守護神に は大いに力を得させなければならないのであって、それには立派な信仰へ入り、神の力を恵まれるべきである。
次は癲癇(てんかん)であるが、これは精神病と似て非なるものであって、この病気はことごとく死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表わす。例えば水死した霊が憑かると泡を吹き、もがき苦しむし、また水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、あやまって水へ落ちた り、突落されたりした霊でその刹那の恐怖が残っているからである。また火癲癇というのもあるが、これも火に焼かれた霊であり、その他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのはその物のために死んだのである。またこういうのがある。人込みへゆくと発作が起るが、これは人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。以前こういう変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて 我慢ができず、門の外へ出て人の帰るまでたたずんで待っているというので、これも前世一人で家にいた際、急病などで死んだその恐怖のためである。まだ色々 あるが、以上によって考えればだいたい判るであろう。
ここでついでだから、真症小児麻痺について書いてみるが、これは脳溢血で死んだ祖父母の霊がほとんどである。この原因は脳溢血で急死した霊で、生前無信 仰で霊界あるを信じていないため霊界へ往っても死を意識せず、生きていると思っているが、肝腎な肉体がないので、遮二無二に肉体を求めるが、その場合他人に憑く事はできない霊界の規則であるから、自分の霊統の者を求める。もちろん霊統は霊線で繋がれており、子供は憑依し易いので、多くは孫を目がけて憑依する。その場合数日間発熱があり、痴呆症や半身不随となる。ちょうど中風そのままであるのは、右の原因によるからである。』
「メシヤ講座・特選集no.164(平成26年9月分)」より抜粋:
楳木先生:
今月の御論文は非常に長文でありましたけれども、タイトルが『精神病と癲癇』という事でこのように書かれております。
私達にとって大切な事は人間の想念界・・・、生まれた時に、神様の分霊として「本守護神」が肉体に宿りますけれども、それを守護して正善に導こうと先祖の中で修業を経て資格を得た方が「正守護神」として絶えず守護して下さる。
その一方、人間の生命力を維持する為には、「副守護神」というものが動物霊で憑いて来るので、この三位一体で、人間の想念が絶えず動いているということであります。そういう意味では人間としての存在は何かということを、メシヤ様が細かく御示し下さっている部分であろうかと思います。
そして、もう一つは、この我々を絶えず守護している正守護神に力を付けさせなければ、より大きい邪神などに負けてしまうので、正守護神に力を付けさせることが、一方では信仰の意義なんだということであります。どの様な方でも信仰を持って行かないと、正守護神に力を付けて守護してくれることができない、ということがあるので・・・。
今迄はですね、霊の曇りを取るということと、それから血液が薬毒の為に汚れてくるので、それを浄めたり綺麗にして幸福になって行くということを学んできましたけども、ここで我々が危難に遭おうとする時には、正守護神がそれを察知して、そういうものから免れるように導いてくれるということを、御記述下さっておりますので『幸福になる為には信仰が不可欠である』ということの大いなる意義付けを、メシヤ様は、ここでして下さっていると思います。
(中略)
それからもう一つですね、ここに具体面としては精神病がどうして起きるかということにおいては、『前頭部の貧霊によって起きる』その原因は何かというと、この『両延髄と淋巴腺の所の固結が血液の送流を少なくしてしまう為に起きる』というふうに今日は御解説して下さっております。」
責任者:
ここまでのご教示のポイントを併記いたします。
○私達が生まれた時に、神様の分霊として「本守護神」が肉体に宿り、先祖の中で修業を経て資格を得た方が「正守護神」として私達を絶えず守護して下さっている。
○人間の生命力を維持する為には、「副守護神」というものが動物霊で憑いて来る。この「本守護神」「正守護神」「副守護神」の三位一体で、人間の想念が絶えず動いている。
○より大きい邪神などに負けてしまわないように、「正守護神」に力を付けさせることが、一方では信仰の意義である。
○この御論文で、メシヤ様は『幸福になる為には信仰が不可欠である』ということの大いなる意義付けをしてくださっている。
○精神病は、『前頭部の貧霊によって起きる』。その原因は『両延髄と淋巴腺の所の固結が血液の送流を少なくしてしまう為に起きる』。
※精神病の人へ浄霊をお取り次する際の急所は、両延髄と淋巴腺(首筋)、肩の所
「メシヤ講座・特選集no.164(平成26年9月分)」より抜粋つづき:
楳木先生:
ですから精神病の人を浄霊する時には、まずそこの浄霊が必要なんですけども、あるところでもうすぐ20歳になる女の子が知的障害児として生まれて来て、そして精神病も患っている為に・・・○○之光教団に入会しているんですけども、「参拝中に前に急に飛び出て行ったりとかですね、時には服を脱いでしまったり、という事が起きるのでどうしたら良いでしょうか」というふうに相談を受けたので“今迄どんな事をやって来たのか”を聞いたところですね、ここの今日御示しいただいた御教えの所を浄霊していないのです。どういう指導をしたのかなと思うんですけども・・・精神安定剤とそれから睡眠薬を飲んでいるので、「睡眠薬」というのは直ぐ止めてしまうと依存がついていて眠れなくなるので少しずつ減らして行って欲しい、と。
それから「精神安定剤」は、もう直ぐ止めてくれ、というふうに頼んだら実行してくれて・・・。
そして、この延髄と頸筋の所をよく浄霊をするようになったら、段々落ち着いてきて、2年おきに精神年齢を計っているらしいんですけども、今迄は、3歳半から成長していないので、そういう人達が就職する施設(会社など)がありますよね、これは「3歳半の壁」というのがあって、3歳半迄は採用して貰えない。
しかし、これが4歳になると採用してくれる、という事で・・・。
最近眠れるようになって、落ち着いたので、調べて貰ったら精神年齢が4歳迄いったらしい。
これで愈々社会人として出て行けると思ったら、医者が「精神病」というのを付けているので、それは受け入れられません、と言われたので、ガッカリして・・・。
それで、よくよく聞いてみると元々は「知的障害」だけだったらしいんで、そしたら○○之光教団に相談したら、「○院」に掛かりなさいと言われ「○院」に掛かったら、その医者が色々問診したりしている内に“この子は、眠れないという事と、少し気分の高下があるので”と、「安定剤」を飲ませ始めた所「精神病」になってしまった。
だから“救いを求めて来たにも拘らず○院が病人を作ってしまっている訳・・・薬によって”それでお世話をしている人が、折角良くなって精神年齢も上がったのに、社会人として世に出て行くことが未だできない状態を○院が作ってしまったと、憤っている。(以下割愛します。詳細は当支部のみにします。)
ですから、私もあまりボヤボヤしておられないなぁ、と思いました。
こんなことをですね・・・、メシヤ様は、この様に人を救う方法を説いて下さっているのに拘わらず、その逆の方向に行っている所を、何とか立て直していかないといけないなぁというふうに、強くその人の世話を通して思わせて頂きました。(詳細は後述)
それでメシヤ様が『どんな人間でも今は軽い精神病にかかっている』ということですから、教団人こそ狙われている訳ですので、絶えず首、肩の凝りを取ってですね、そして自分の本霊が、言わば九割位まで想念界をずーっと何時も維持しているような取り組みをして行かないと、副守護神がですね三、四迄ずーっと広がって来ると、考え方が暗い考え方になって行く、あるいは悪の想いの方が広がって来るというふうに説かれておりますので、正に精神病状態に皆追い込まれつつあるという事・・・。
実はメシヤ様は、最後の審判の時には、いわゆる『血液病と精神病という事が蔓延して来る』と仰っておりますので、血液病というと血液の病気だけではなくて、血液が汚れる為に全身に汚れた血を送って、取り分け曇りの多い所に癌を発生させて行きますので、癌も血液病と関連していると思いますがそういうものに現代人は覆われていっています。取り分け教団人がですね癌でお亡くなりになる人と、おかしな考え方を打ち出して行く人達が増えて行っておりますので、今回の『精神病と癲癇』というのは、非常にそういう意味ではですね、重要な「御教え」であろうかと思います。
それから、この御教えに関連してですね『狂ってない精神病患者』というふうに御指摘している個所が、他の「天国の礎」などには書かれておりますね。
挨拶をする時にメシヤ様に挨拶をしているのだけれども、少しずれて挨拶をするのは、もうそれは全部『軽い精神病だ(『日本人と精神病』全文へ)』というふうに御指摘なられておりますので、私達の日常生活も、自分が多少狂ってないかということを何時もチェックする時には、そうした自分の向き方が正しい方向に向いているかとか、こういう所では御三宝の位置とかですね、そうしたものが正中にキチッとお供えされているかとか、それから仏壇に御膳をあげたりする時に、真中にキチンとあがっているかどうかという様なことで、自分自身の動物霊の支配力というのが判って来ますので、そういうのを何時も私達はチェックしながら生活をして行った方が正しい御神業を進めて行くことができるかと思います。
しかし、メシヤ様はこの『善悪を決定付けてはいけない』というふうにかかれておりまして、動物霊が仮に我々の想念界の中でゼロになってしまったら、これは食べる事もしなくなりますので、死につながって来ます。
その時に仙人の様にですね霞を食べれるようになっておれば、もう動物霊がゼロになってもこれは生きていけますけども、霞を食べる修行というのは相当な年月が掛かりますので、今すぐできる訳ではないので、動物霊の支配力をゼロにすると命が無くなって、それから子孫も出来なくなって来るという訳ですので、メシヤ様は決定付けてはいけないと、勝負を決定付けてはいけないというふうに、この様にお説き下さっております。
こういうことをですね、教えて下さっている教祖というのは、他にいらっしゃいませんので、私達は何と素晴らしい教祖に出会えて、そしてこうして信仰をさせていただくということは、本当に幸せなことだな、というふうに思わせていただけます。本日の箇所を拝読させていただくと、今迄拝読をずーっと重ねてきたその上に、更に喜びが湧いてくるような、そういう箇所であろうかと思います。最初にそうしたことを確認させていただいて何時もの様に御守護報告やら質疑応答に入りたいと思います。よろしくお願いします。
メシヤ様は最高最貴の御存在となられた際に『これからは想念が・・・』と御垂示されています。この御言葉は9月に学んだ『精神病と癲癇』と併せて受け止めなければ、とんでもない取り違いをしてしまいます。そういう意味から今回引用しました。(以下割愛)」
責任者:
ここまでのご教示のポイントを併記いたします。
○「睡眠薬」というのは直ぐ止めてしまうと依存がついていて眠れなくなるので少しずつ減らして行くということ。
○メシヤ様は『どんな人間でも今は軽い精神病にかかっている』と仰っていますので私達は、前頭部が貧霊になら為にも、絶えず首、肩の凝りを取るように心掛けるということ。
○メシヤ様は、最後の審判の時には、いわゆる『血液病と精神病という事が蔓延して来る』と仰っているということ。
○挨拶をする時に相手に対して、少しずれて挨拶をするのは、もうそれは全部『軽い精神病だ』というふうにメシヤ様は御指摘なされているので、私達が正しい御神業を進めて行く為にも“自分は大丈夫だろうか”と常にチェックしながら生活をして行くということ。
○、動物霊の支配力をゼロにすると(食欲がなくなる為に)命が無くなって、それから子孫も出来なくなって来るので、『善悪を決定付けてはいけない』ということ。
編集後記
責任者:
メシヤ様は、最後の審判の時には、いわゆる『血液病と精神病という事が蔓延して来る』そして『精神病の要因は「薬毒だ」』と仰っています。今回は、そのお言葉を基に精神病に対する認識を深めさせていただきました。
以下に『最後の審判』の様子を書かれた「霊界通信」を抜粋致しましたので、拝読いただき参考にしていただきたく思います。
「霊界通信(二)「地上天国」61号、昭和29(1954)年8月15日発行」より抜粋:
(前文割愛)
◎ 右往左往する人々 明輪中教会 ウルソー・照子
翌朝、子供は来るべき大浄化時代のようすを夢に見させて戴きました。
(多)「僕はお友達と十人で山に登っておりました。突然三人のお友達がバタバタと倒れました。皆が驚いて三人をかつぎ上げようとすると又三人がバタバタと倒れまし た。残る四人は大急ぎでお母さん達に知らせに行きました。お母さん達はびっくりして息も絶え絶えに走って来ました。そしてその中には途中でバタバタと倒れるお母さんがおりました。一方精神病患者がふえて町をうろうろしています。崖から落ちたり人を傷害したりします。世の中の恐怖はつのって行きますけれど、 収容する病院は足りないのでどうしようもありません。狂暴性のものは殺すより外はない等と言い出す者もあります。又一方脳がぼんやりになってフラフラした運転手が沢山出て来て、衝突したり、人をひき殺したり崖から落ちたり、種々恐ろしい場面が展開されます。あるいはヘリコプターの墜落で機上の人と地上の人の惨死体がみえて来ます。その時大学病院か何かの大きな室の中で人々を御浄霊しているお母さんの姿がみえて来ます。室には病人が一杯寝ていてお医者さんなんかどこへ姿を消したか、影も形もありません。五人の人が一緒にお母さんの御浄霊を受けております。外にメシヤ教の信者さんが四、五人御浄霊している姿がみえて来ます。僕も子供のくせに大人の人を三人一緒に御浄霊しているところで目が覚めました」
翌朝の夢は昨日の引きつづきとも思えましたけれど、これは漁をする人々の社会に起きる大浄化のようで御座います。
(多)「暴風雨のために海は始終荒れて、沖に出る人々は毎日のように遭難して大量に死んで行きます。生きて流れ着く人々もやがて天然痘のようなブツブツの出る熱病にかかって、それは大変な事になって行きます。でもこの人達は沖に出なければ食べられないので、毎日出て行っては次々に遭難するのです。そんな場面を見ている内に僕はいつの間にか明主様のお近くで御用をさせて戴く身となっております。僕があるお室に坐っていると先生のような方が僕をお呼びになりました。何の御用かと立って行くとそこには新しい金色の箱が沢山重ねてあります。この中に一つ一つ白と紫の布で包んだお守様が幾十も入っております。この箱を御門の外に運び出すのが僕達の仕事なのです。外には出来たばかりの新しいトラックが横づけに待っています。箱はトラック一杯ありました。やがてそのトラックは横浜の波止場へ疾走します。波止場には白と青の美しい船が静かに浮かんでいます。やがて箱が船に収められ船は港を出帆するのです。僕はある小高い丘の上に立ってお船を見送りました。この日風はピッタリと凪いで波一つありません。空は青く晴れ渡り海は鏡のように静かで清澄な空気はあたりに充ち充ちております。いつか僕の周囲には大勢の人々が立ってお見送りしておりました。皆粛として声もなく身動きする者もありません。お船は売り出しやがて小さくなり水平線の彼方に没して行きます。マストの尖端がいよいよ見えなくなろうとする瞬間、突然燦然たる光が水平線上を大きく染めました。その神々しい光! 僕は大きく息をのんでみつめました。白光はキラキラと四海を照らし、宇宙を貫くようにいつまでも大空に照り映えて、たとえようもない荘厳さに神の栄光を世界の果てまでしめ しているようでありました」
次の朝、
(多)「昔のお城の中のような古い立派なお堂に、殿様のような高貴な姿の白髪のおじい様と僕は対座していました。“これまでの夢を大急ぎで書き上げなさい”と、その人は言いました。そのおじい様に僕は今までも時々会いました。いつも僕を守っていて下さる方なのです」と、子供はこのような不思議な事を申しました。
以上一言半句子供の表現を慎重に生かし、表現出来ない心を私の言葉で補い一歩々々ひまどりながら、二月五日を以て一応この御報告文をまとめさせて戴いた 次第で御座います。なお昨今子供の夢は、来るべきミロクの御世の素精しい文明と救世教信徒の華々しくも目覚しい活躍の中に微細に分け入ろうと致しておりま す。幽明境を異にしつつ霊界を経回り、霊界人に会い霊界人に応答し そして現界に覚めてはこの母に伝える。朝毎に繰返すこの霊妙不可思議な夢の旅によって、私共母子ははからずも無限無窮の人生を尋ね、深奥不可解な人生の奥義を探しあて、あまつさえ明主様の御救世が百千万億一切衆生の大念願、幽明等しくひたすら待望し奉る大偉業であらせられる事を、来る朝毎にこの身に知らしめられ、賤の女の冥加は尽きて、ただただ随喜に戻するはかりで御座いましたが、もしもこの子の幼い双肩がこのようなことによって大いなる御神業の一端をおあずかり申しているのだと致しますならは、その母なる私の使命はこれを明主様に御報 告申し上げ、これを世人にお伝えするにあると思い到り、御無礼をもかえりみず拙い筆をとらせて戴きました。ここに幼稚未熟の十二歳の子が霊界の人の念願に 答え、おそれ多き事ながら明主様の御事をおぼつかながらも誤りなく彼等に伝え、天国地獄の真理を滞りなく現界に明しするこの歎ずべき妙智真覚こそ、神の御守護のたまものと厚く御礼申し上げます。なお今後、人類待望のミロクの世界にこの子の足が踏み入ることになりますのならば、このいたいけな足どりを、何卒 明主様、夢まどらかに御加護あらせ給いますよう、ひたすら伏してお願い申し上げます。明主様この賤の女の言葉に尽くせぬ御礼の心を何卒お聞きとり下さいま せ。
明主様誠に誠に有難う御座いました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。