10月の学び (2)
はじめに
責任者:
大きな勢力の台風19号が日本に近づいております。皆様には防災に対する心掛けを、今一度お願いいたします。
さて今回の学びは、「伊都能売観音」様の謂れと、「伊都能売観音様御奉斎」の意味するものを振り返り、そのご存在に対する認識を再確認させていただき、『伊都能売思想』の構築に繋げてまいりたいと思います。
そして、どのような御意図のもと、楳木先生が御神名を『伊都能売大御神様(平成18年当時)』から『主之大御神様(平成28年10月当時)』になさったのか?を確認させていただきたく思います。
「メシヤ講座・特選集no.69(平成18年10月分)」より抜粋:
(前文割愛)
「伊都能売観音」様 入仏記念式典 挨拶
楳木先生:
(前文割愛)
さて、初めてお目にかかる方もいらっしゃいますので、まず観音様の謂れに触れておきたいと思います。ただ今は、「伊都能売観音」様とお呼び申し上げましたが、ここの木札には「日之出観音」と表記されています。「違うではないか」と思われて当然であります。
ところが「御遺作集」で調べると、「伊都能売観音」様なのです。それではどうしてこうした違いが生じたのか、それが本日のテ-マの一つです。
「大日本観音会」発会七日目の申し込み
楳木先生:
このお堂を造られた地崎宇三郎氏は、当時これから先の峠の道路工事を進めていましたが、厳しい自然の前に犠牲者が続出し、心を痛めておられました。そんな折に「大日本観音会」発会を聞きつけ、観音様を申し込まれたのです。その日は、発会して七日目であったとされております。
発会したときの御神体が「日之出観音」様であったので氏がそのように思い込まれたのか、観音堂改築時の関係でこのようなことになったのか、それは不明です。しかし、話の主眼は違いの指摘ではなく、何故「伊都能売観音」様を揮毫し下付したのか、ということです。
当時観音会へ入会するには七回講習を受けなければなりませんでした。現在その内容は「観音講座」として残っております。『主神の御目的と天地経綸の真相』に始まり、歴史観、世界観、人間観等を網羅する真理の教えです。私共の活動の原典でもあります。
それ故、宗教団体の御神体である「日之出観音」様を下付するためには、手順として講習を受けてもらい入会してもらわなければならなかったのです。
当時の状況からはその手順を踏むことはできず、しかし地崎氏の願いを叶えたい、しかもお堂で礼拝する方々のこともあるので「伊都能売観音」様とされたのだと拝察されます。現在本教でご下付させていただいている「ご腹帯」にも本日の御神名を詠み込まれた御歌が揮毫されています(御講話,昭和10(1935)年5月11日全文へ)。普遍的にご下付させていただくからです。
「ご腹帯」で思い出されますが、地崎氏が観音会を訪ね観音様を申し込まれたのが昭和十年一月七日で、ご下付されたのが同十月十七日です。ちょうど「十月十日」なのです。まことに不思議な数字で、お目出度い日数です。そして東京から北海道までお供されて、同二十六日に御鎮座いただいたわけです。」
責任者:
ここで御教示いただいた要点を以下に併記いたします。(特に重要だと思われる御教示は◎にしました)
◎「観音講座」は、私達の活動の原典なのだということ。
ここまでの内容から、地崎宇三郎氏に「日之出観音」様ではなく「伊都能売観音」様を御下付なさった事情は拝察できるかと思います。しかし何故メシヤ様が「伊都能売観音」様を揮毫し御下付されたのでしょうか?真理の御教えである「観音講座」を基に、各々考え答えを求めてみていただきたいと思います。
「メシヤ講座・特選集no.69(平成18年10月分)」より抜粋つづき:
「伊都能売観音」様ご奉斎の意味するもの
楳木先生:
さて、入会はせずとも観音様をご下付されたということに重大な意味を見い出します。
今年4月26日にこの場で起きました神秘(「メシヤ講座・特選集no64」・「神界通信」参照)に思いを致す時に、また、それを契機にこうして宗教宗派を超えてご参列いただいた皆様のお姿を目の当たりにして、ボ-ダレスになったことを実感いたします。(御教え『万教帰一』全文へ)
組織に帰属せねば神様の恩恵に与(あずか)れないという時代は終焉したと思われます。もちろん神様の御経綸を知らしめ、真理を宣べ伝える組織は必要ですので、それを支え共に活動を担いたいと願う人は入会すればよいが、まず恩恵に浴したいと願う人は入会する必要をこちらは求めない、ということです。
それが本日この場で認識するべき内容であろうと考えます。新しい時代に突入した、ということですね。(中略)
このように、この場で起こりました神秘的なことが各地で許されております。平成13年から15年まで霊界の浄めが行なわれ、16年から神界に移り、17年で一つの完成を見て、18年から一挙に形となって現界に表われ始める、と知らされていました。全くその通りになってまいりましたので、驚愕の極みで胸が熱くなるばかりです。
ただ今は帰属せずとも神様の恩恵に浴することができる、と申しましたが、誰でも真理を学びたいものですので、これから入会ということなどはさて置きお互いに学び合いを重ねてまいりましょう。」
責任者:
重要な御教示ですので、併記いたします。
○平成18年10月26日の「伊都能売観音」様、入仏記念式典(平成18年10月26日)で楳木先生は、私達に「組織に帰属せねば神様の恩恵に与(あずか)れないという時代は終焉し、新しい時代に突入したのだ」という認識を促されていらっしゃったのだということ。
「メシヤ講座・特選集no.69(平成18年10月分)」より抜粋つづき:
「観音講座」にみる「伊都能売観音」様というご存在
楳木先生:
学びの一つとして、「伊都能売観音」様というご存在について触れてまいりたいと思います。これからお話しする内容は先ほど申しました「観音講座」で説かれているものです。
「伊都能売観音」様は、「夜の時代」に化仏された「伊都能売神皇」様です。(「御講話、昭和26(1951)年9月21日」全文へ)『三千年来の罪穢れ』の真相でもありますが、朝鮮半島から素盞鳴尊が侵攻してきた際に『絶対平和主義』を貫かれ、皇位を天照天皇にお譲りになり日本を脱出されました。そして、インドへ降られ布咀落迦山(補陀落・ふだらく)にお宮を建てて二十八部衆と共に落ち着かれ、後にお釈迦様となられた善財童子に仏教を伝えられました。
また、天照天皇は毒殺され天照皇后が皇位を継承されましたが、お命に危険を感じられ身を隠されます。これが神話の「天岩戸隠れ」です。この時、国常立尊が左守、素盞鳴尊が右守となられました。
ところが、国常立尊は厳格な神様ゆえ人民が窮屈になったと言われます。そこを見て取った天之若彦命が盤古神王を後ろ盾にして排斥運動を起こし御引退に追い込んだことになっております。天之若彦命が「天邪鬼(あまのじゃく)」の語源になった所以です。これが皇紀と関連していることはもちろんです。
このようなことは三千年単位で繰り返されたようですが、伊都能売神皇は観音になられた一方、兄の花姫尊(梅の花)となられ富士山に御鎮りになられ、また一方は金龍となられ琵琶湖へ御鎮りになられました。この二箇所は日本の表の臍と裏の臍に当たり最も大切な所であるために、ここを邪神に占領されると日本が危険であることから護りに着かれた、とされています。
また、国常立尊は一方で艮金神となられ芦別岳に御鎮りになられ鬼門の方角から聖なる霊気を送り、人々の聖なる生活を護り続けられました。また一方幽界では閻魔大王となられて人間の善性の根源を維持されてこられました。
そして時期を待たれたのであります。時期とは今です。正確には日蓮上人の出現により黎明期を向え、昭和6年6月15日に大転換(夜昼転換)したのです。(御教え『昼夜転換の事象』全文へ)しかしその後も執拗なる曲の手は差し伸べられ続けましたが、平成11年より一挙に動き、先ほどの話のように17年で仕上げられました。北海道では4月26日から急展開しました。その動きの中に皆様はいらっしゃるということです。
「本地垂迹」と古えから言われてまいりましたが、真意は伊都能売神皇がインドで仏教を説き、それを故郷の日本へ伝えたという意味です。(御教え『本地垂迹説』全文へ)
そして時期の推移と共に、本日お唱え申し上げましたように観音様から神様にお戻りになられたのであります。神様にお戻りになって進められることを御神業と申します。仏教の仏とは「ブツ」であり、物質偏重を意味します。御神業は物質偏重を是正し物心相俟った真文明を創造いたします。また、仏は「ホトケ」であり、ほどけるということで、まとまりがなくなり秩序が失われて混乱を招きます。御神業は秩序を取り戻し統一へと導きます。
それは社会の諸問題の解決を意味します。」
責任者:
ここで御教示いただいた要点を以下に併記いたします。
○古えから言われてきた「本地垂迹」の真意は、伊都能売神皇がインドで仏教を説き、それを故郷の日本へ伝えたという意味だということ。
○「御神業」とは、「夜の時代」に化仏された神様方が、「昼の時代」には入り神様にお戻りになって進めていかれることを指すのだということ。
○仏教の仏とは「ブツ」であり、物質偏重を意味するということ。又、仏は「ホトケ」であり、ほどけるということで、まとまりがなくなり秩序が失われて混乱を招くということ。○「昼の時代」の御神業は、物質偏重を是正し物心相俟った真文明を創造し、まとまりがなくなり失われた秩序を取り戻し(社会の諸問題の解決を意味する)統一へと導いてゆくということ。
「メシヤ講座・特選集no.69(平成18年10月分)」より抜粋つづき:
今後の私達の取り組みが社会を善導する
楳木先生:
現代は間違った宗教観のために宗教が使命を果たしきれていません。また、経済至上主義、拝金主義によって現代人は本来のものを見失っています。
北海道のごく身近なところで例を引けば、日本人の中で本当のウイスキ-の味を知っている人は少ないと言われております。余市のニッカにまつわる逸話に触れればよく判ります。竹鶴初代社長は「京都の山崎では本物のウイスキ-は造れない」と意見具申したが聞き入れられず、気候の適した余市を選んだとするものです。
本物ではないために日本人の口にあった味付けがされていますが、中身がでたらめだということです。そのために本物を知らないという悲劇が起こっています。これはビ-ルでも同じです。昨日は前夜祭を執り行なった後に若い方と少々ビ-ルをいただきましたが、北海道の気候の中で飲むビ-ルは美味いものです。特に北海道限定のものがありますから、それは本物の味です。
昨今地ビ-ルが各地で造られていますので喜ばしいことですが、まだまだ本物は少ないですね。コスト削減のために本来の原料以外のものが混入されており、本物の味ではなくなっています。実にけしからぬことです。日本で一番の販売量とされているものは、日本人の口には合っているようですが本物ではありません。まして税対策のために次々と開発されているものについては、語るに値しません。
日本人の舌がある食品メ-カ-の策略の下に壊されている、ということは有名な話ですね。特に若年層を中心に味覚破壊が進んでいると言われております。そしてそのことは、人格形成に暗い影を落としている、と危惧されております。
私共の周辺で生活破壊が進み、それが深刻な問題を発生させています。本日の式典を新たな契機として生活全般の改善を図るように働きかけていただきたい、と願っております。一人一人の取り組みは小さなものに感じられますが、霊線を通じて共時性を生み社会全体を善導いたします。」
責任者:
ここで御教示いただいた要点を以下に併記いたします(特に重要だと思われる御教示は◎)。
○現代は間違った宗教観のために宗教が使命を果たしきれず、また、経済至上主義、拝金主義によって現代人は本来のものを見失っているということ。
○日本人の舌は(ある食品メ-カ-の策略の下)、特に若年層を中心に味覚破壊が進んでいると言われており、「人格形成に暗い影を落としている」と危惧されているのだということ。
○私共の周辺では、諸々(上記)の問題によって生活破壊が進み、それが深刻な問題を発生させているのだということ。
◎私達、一人一人の取り組みは小さなものに感じられるが、霊線を通じて共時性を生み社会全体を善導するのだということ。
「メシヤ講座・特選集no.69(平成18年10月分)」より抜粋つづき:
高く広い視座と身近な実践
楳木先生:
今東京オリンピック誘致で再認識されているのは古神道です。「全てのものに生命がある」という考えですね。これに対して西洋は「全てのものは利用するためにある」という考え方です。「利用するためにある」という考え方が自然破壊を生み、本来の人間生活を歪めてまいりました。そこで都市計画なども抜本的にやり直そうという議論もされております。真夏の気温上昇が続いておりますが、皇居と市街地では平均2~5℃の温度差があるそうで、そうしたところなどへ着目しています。
また、誘致運動の中で、一見当たり前のような「礼儀」「お招きの心」など日本人本来の美しい姿勢を見直す動きも起こっております。これは例え誘致が実現されなくとも、見直し取り戻したい内容です。
求められているのは本質論なのです。極当たり前と思われることが行なわれ、本来の人間生活ができれば諸問題は解決へと向かうのです。それを阻害するものには夜の時代の価値観と薬毒があります。価値観は平成の世に入りましてより幾分軌道修正されつつありますが、先ほどからの話の影響が残存されていますので、容易にはゆかないところがあります。それだけに共に手を携えてまいりたいわけです。
視座は高く広くしていただき、実践は身近なところから進めていただければ大変ありがたく思います。
この場で大御力をいただいた私達の行動によって、人々は『真理に目覚め、日常生活は改善され、心中明朗となり、確固たる信念の下未来に渉ってまでも見透かされるので、真の安心立命を得る(『世界救世教早わかり』全文へ)』とメシヤ様は説かれています。自他共にそうした境地を目指していただきたい、と強く願っております。ありがとうございました。(以下割愛)」
責任者:
ここで御教示いただいた要点を以下に併記いたします(特に重要だと思われる御教示は◎)。
○「全てのものは、利用するためにある」という考え方が自然破壊を生み、本来の人間生活を歪めてきたのだということ。
○一見当たり前のような「礼儀」「お招きの心」など、日本人本来の美しい姿勢を見直す動きが起こっているということ。
◎私達に求められているのは「極当たり前だと思われることを行ない、本来の人間生活ができれば諸問題は解決へと向かう」という「本質論」なのだということ。
○「夜の時代の価値観と薬毒など」によって、「本質論」が阻害されているということ。
◎メシヤ様は、大御力をいただいている私達の行動によって、人々が『真理に目覚め、日常生活は改善され、心中明朗となり、確固たる信念の下未来に渉ってまでも見透かされるので、真の安心立命を得る』と説かれているので、私達はそうした境地を目指せるようにならなければならないということ。
「伊都能売観音様入仏記念大祭、代表挨拶(平成28年10月)」より抜粋:
神界の願い
楳木先生:
メシヤ様御描画の観音様に当初は『伊都能売大御神』様という御神名で参拝をさせて頂いておりました。しかし、ある時主神様の御神名が口を衝いて出て、主神様に直接お祈りするという形になりました。主神様に直接お祈りするのですけれども、この観音画像に向って主神様の御神名を御唱えするということは“果たしてどういう御意図があるのだろうか”ということをその時は随分考えたのです。
三重支部長代理が先般「仏教基礎講座」に参加した時の内容に、仏像というのは、色々な考え方や説があるけども「本来光背に向ってお祈りするのだ」とあったそうです。当観音堂の観音様には二重の円光が描かれております。この光背に向ってお祈りするのが本来の参拝のあり方なのだということです。そして、宗派によって様々な像が前に御鎮座されているのだ、と講座で聞いた話を報告してくださいましたので、非常に理解が深まったところであります。(三重支部遷座祭挨拶参照)
しかも、観音様の額には『●』が入っておりますので、光背にチョンが入りますと『⦿』という御文字が浮かび上がって来ます。全ての宗教が最高最貴の御存在に御祈りしている筈なのですけども、『夜の時代』からは、主神様の御存在が少し薄められた感じで御啓示が下ります。それがキリスト教では「天の父」という形になりますし、イスラム教では「アラーの神」という形になっていきます。しかし『昼の時代』になるということは、本来の主神様というところに信仰の対象が高まって来る、ということになると思います。(以下割愛)」
責任者:
「伊都能売観音様入仏記念大祭、代表挨拶(平成28年10月)」の上記の内容は、御神名に関する重要な御教示です。なぜ、ある時から「主神様の御神名」が楳木先生の口を衝いて出たのでしょうか?この部分も前述と同様に、各々で答えを求め深めていただきたく思います。
編集後記
責任者:
今私達は、“御教えを基に学び考え覚り、高く広い視座を持ち、そのことを身近な実践へと繋げていく”ということをメシヤ様から求められているのだと、今回の学びを通し感じさせていただきました。
なお、今回の資料は(『伊都能売思想』を構築する為の)思考を立体化し体系化しやすいようにとの思いのもと、いつもより多くのリンクをさせていただきました。「読書の秋」とも申します。御教えの拝読に勉めさせていただて、身近な実践へと繋げてまいりたいと思います。
有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。
「伊都能売観音様入仏記念大祭、代表挨拶(平成28年10月)」
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