研鑽資料no.79(2022年1月)

1月の学び

はじめに

責任者:

皆様、明けましておめでとうございます。元旦の零時の参拝におきまして、主神様メシヤ様に前年度にいただいた御守護に対する感謝と共に、本年度の御守護を御祈願させていただきました。又新年祭では、改めて「地上天国建設」の御力を賜ることができますように念じ奉らせていただきました。本年も皆様と共にコツコツと学びを進めて行きたく思います。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、本年の学びも「文明の創造」より始めて参りたいと思います。

 

「メシヤ講座no.174三重(平成27年7月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『善悪発生とキリスト教』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

この標題の意味を説くに当って、予(あらかじ)め知っておかねばならない事は、再三言っているごとく、仏教の真髄は霊が主であり、キリスト教のそれは体が主である事である。とすれば今これを仮に善と悪とに別けてみると、霊は善に属し体は悪に属するといってもいいが、しかしこの場合の善悪は決定的のものではなく、ただ強いて別けるとすればそうなるのである。

換言すれば霊を主とすれば霊主体従となり、体を主とすれば体主霊従となるからである。今それらについて順次解説してみるが、善と悪とについて、徹底的解釈をするとなると、これは仲々難しい問題であって、今日までこの問題を真に説き得た者は、ほとんどないといってもいいくらいである。何となればこの事は大宇宙の主宰者である主の神の権限に属するからで、すなわち哲学的に言えば宇宙意志である。従って主の神以外のあらゆる神でも分り得ないのは当然で、いわんや人間においてをやである。もしこの問題を説く人があるとすれば、それは人智から生まれた想像の範囲内であって、それ以外一歩も出ないのである。ところがそれを私はここに解説しようとするのであるから仲々大変ではあるが、といって私の想像的所産ではなく、神示によるものであるから別段難くはないのである。というのは時期来たって地上天国建設の大任を負わされた私としては、ある程度主神の真意が感得されるからで、読者はこの点よく心に止めて読んで貰いたいのである。

そうして今ここに説明するところの理論は、私が常に説くところの大乗よりも、一層大乗ともいうべきもので、もちろん前人未踏の説であって、文字や言葉での表現はまことに困難である。従ってともかく現代人の頭脳で解し得る程度と共に、神から許されたる枠内だけの事を説くのである。

そもそも、主神の御目的なるものは、これも私が常にいうごとく、真善美完(まった)き理想世界を造るにあるのであるから、その御目的に必要な程度にまで物質文化を進歩発達させればいいのであって、それが今日までの世界の歴史であると思えばいい。その意味をもって現在の文化形態をつぶさに検討する時、最早時期の来ている事に気付くであろう。

以上のごとく、物質文化がこの程度にまで進歩発達したについての、古代からの過程を凝視する時、そこに何を見出すであろう。といっても人間の頭脳での発見は困難であるが、私は今それを解説しようと思うのである。それは世界の一切は神意による経綸である事を充分知らせたいからである。そこでまず人類の最大苦悩であるところの善と悪との摩擦すなわち闘争であるが、この闘争なるものの原因は、言うまでもなく悪であるから愛の権化ともいうべき神は、なぜ悪を造られたかという事である。この事は昔から何人も知ろうとして知り得なかった謎であったが、それを今私は解こうとするのである。それについてはまず心を潜めて歴史とそうして文化の進歩の跡を顧り視る事である。としたらそこに何を発見するであろうか。ところがそれは意外にも人類の闘争によって、いかに文化の進歩を促進したかという事である。もしも人類が最初から闘争を好まず、平和を愛していたとしたら、物質文化がたとえ生れたとしても、その発達は遅々たるもので、到底今日見るがごとき目覚しい発達は遂げ得られなかったに違いない。この事をよく考えてみたら、悪なるものがいかに必要であったかが分るであろう。

ところでここに問題がある。それはこの善悪の摩擦が文化の進歩に必要であったとしても、悪は無限に許されたものではない。いつかは停止される運命が来るに決っている事であって、今日その時が来たのである。何となれば現在の文化形態をみればよく肯ける。すなわち戦争手段としての驚くべき武器の進歩である。言うまでもなく彼の原子破壊の発見であって、この発見こそ人類の破局的運命を示唆しているもので、最早戦争不可能の時期の来た事の表われでなくて何であろう。これによってみても闘争の根本である悪なるものの終焉(しゅうえん)が、最早寸前に迫っている事に気付かなければならない。もちろん常に私の唱える昼夜の転換の如実の現れでもある。これを歴史的に見てもよく分る、もし悪を無制限に許されたとしたら、社会はどうなったであろう。人間は安心して業務に従事し、平和な生活を営む事は出来ないで、遂には魔の世界となってしまい、一切は崩壊するに決まっている。としたらある時期までの統制も調節も必要となるので、その役目として生れたものが宗教であり、その主役を荷った者が彼のキリストである。同教の教義の根本が人類愛であるのもよくそれを物語っている。それによってともかく白色民族の社会が、魔の世界とならずに、今日見るごとき素晴しい発展を遂げたのも、全くキリスト的愛の賜(たまもの)でなくて何であろう。以上によってキリスト教発生の根本義が分ったであろう。

そうして今一つ忘れてならない事は、無神論と有神論である。これも実をいえば経綸上の深い意味のある事であって、それはもしも人類が最初から有神論のみであったとしたら、悪は発生せず闘争も起らないから、それに満足し立派な平和郷となり、よしんば唯物科学が生れたとしても、発展性はないから、到底地上天国の要素たる文化的準備は出来なかったに違いない。ところが無神的思想がはびこった結果、形のみを主とする以上、今日見るがごとき、絢爛たる物質文化が完成したのであるから、全く深遠微妙なる神の意図でなくて何であろう。しかし表面だけしか見えない唯物主義者などは、それらの真意を汲みとる事は出来まいが、右のごとくいよいよ悪の発生源である無神論は、最早有害無用の存在となったのである。としたら世の多くの無神論者よ、一日も早く覚醒されるべきで、もし相変らず今まで通りの謬論を棄て切れないとすれば、気の毒ながら滅亡の運命は、君らを待ち構えているのである。何となれば善悪切替えの時機は決定的に接近しており、その場合神業の妨害者は絶対的力によって生存を拒否されるからである。そうして神は無神論者を救う手段として採られたのが、神の実在を認識させる事であって、その方法こそ本教浄霊である。見よ本教に救いを求めに来る数多(あまた)の重難病患者等がたちまち全快の恩恵に浴して、この世に神は確かに存在する事を知って、飜然と目醒め、今までの無神論の誤りを悔い、たちまちにして有神論に転向するのは、百人が百人皆そうである。何よりもこの実例は、お蔭話として数え切れない程本教刊行の新聞雑誌に掲載されてあるにみて一点の疑いを差挿み得ないであろう。

以上のごとく今日までは、悪なるものも大いに必要であった事と、今日以後は二義的存在として、制約される事が分ったであろうが、これについて別の例を挙げてみようと思う。それは原始時代における彼のマンモスや恐竜のごとき巨大動物である。それは今世界の各地に時折発見される骨であるが、これによってみても実在したものであったに違いない。その他にも大蜥蜴(おおとかげ)やそれに類した奇怪な動物が、さかんに横行していた事は想像に難からないが、今は影も見えないという事は、全く自然淘汰によるためであろう。その理由は不必要となったからであるのは言うまでもない。必要というのは何しろ地球が形成され、相当期間地殻が脆弱であったがため、それを踏み固めしむるべく多くの巨大動物を作り、その役に当らせたのであって、大方固まったので淘汰された事と、自然硬化作用と相まって、ようやく立派な土壌となったので、神は植物の種子を造り蒔いたところ、漸次植物は地上に繁茂し、生物の生活条件が完備したので、ここに人間初めあらゆる生物を造られたのである。しかしながら最初の内は至るところ、猛獣毒蛇等々が棲息し人間を悩ました事であろう。そこでその時の原始人は、これら動物との戦闘こそ生活の大部分であったであろう。これら動物の幾種かは時々発見される骨や、その他部分品等によっても大体は想像がつくのである。もちろんこれら大部分の動物も自然淘汰されたものであろう。それらについて想われる事は、日本においてさえ彼の日本武尊(やまとたけるのみこと)が、その毒気にあてられ生命を失ったという説にみても、それ程獰猛(どうもう)な奴が到るところに棲んでおり、人畜に被害を与えたに違いあるまい。ところがそのような有害無益の生物も、歳を経るに従い消滅または減少しつつあるのである。従って、最早今日では人畜に危険を及ぼすような動物も、種類によってはほとんど死滅したものもすくなくないようである。このような訳で遂には動物といえば、家畜動物のみとなろう事も想像されるのである。

以上説いたごとく、文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰されるとしたら、最後に至って人間といえども自然の法則から免れる事は出来ないのはもちろんである。としたら人間に対するそれは何かというと、もちろん人間に内在する悪である。さきに述べたごとく今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されてしまうのは当然な帰結である。これを一言にしていえば、進化の道程として動物と同様の人類が進化し、半人半獣であった人間が、すなわち外表は人間、内容は獣であった、その獣性を除去して全人間にするのが今や来らんとする神意の発動であって、それに服従出来ない者が、自然淘汰によって滅亡の運命となるのである。

以上のごとく善悪の人間が清算され、善の人間が大多数となった世界こそ、本教で言うところの地上天国の実相である。右によっても分るごとく、滅亡の一歩手前にまで来ている悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくするその救いこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である。

 

世界史、日本史を網羅した形で拝読させていただく

楳木先生:

拝読をさせていただいて、本教の『大神命』をご理解いただけましたでしょうか。」

受講者:

今までは『使命』というお言葉をお使いになられましたが、今回は『大神命』ですね、初めてではないでしょうか。

楳木先生:

キリスト教の御論文に入って今回は2回目ですが、仏教についての御解説はおよそ3000年来の話でありました。今日触れたところは〝半人半獣の人間を全人間にしていくのだ″ということで、この過程はおよそ5~600万年の歴史です。恐竜が出てきましたが(御教え『天地創造記』へ)、恐竜が絶滅するのは6500万年くらい前です。踏み固める地盤のことを考えると何億という歴史を総括して、その上に我がメシヤ教の『大神命』があるとお説きくださっておられますので、世界史、日本史を網羅した形で今回は拝読させていただかないと、今日の御論文を理解するということに中々ならないのではないかなと思います。

恐竜が淘汰されるということが“本当に御神意なのか”ということを疑問に思っていろいろ調べておりましたら、昨夜、千葉工業大学の大野研究員をはじめとするチームの論文を読むことができまして、御神意であるということがよくわかったのです。

白亜紀の6500万年前に生物の約66%が絶滅したのは隕石が原因だったというのはご存じだと思います。その隕石で恐竜たちが本当に絶滅したのかということを実験しているのです。同じような状態を作って同じ速度で衝突させたのです。

それでメキシコのユカタン半島に隕石は衝突したわけですが、その場所でしか海に硫酸を作ることはできなかったのです。ですから他の場所へ隕石がぶつかっても絶滅することはなかったわけです。ユカタン半島が海に硫酸を撒いてプランクトンを死滅させて食物連鎖を狂わせて巨大動物を死滅させたのです。去年の3月10日に発表をしているということを見つけまして“ああその場所しかだめ”で、ピンポイントで神様が直径10kmの隕石をぶつけておりますので、〝これはもう御神意の発動しかないなあ″と思ったわけです。

海にぶつかった場合は水蒸気で雲になりますが消えてしまいます。

しかし、その場所にぶつけると土埃があってその中に硫酸を作る土壌があったわけです。

それを発表してくれていたのでわかったので、昨夜は感動して中々眠れませんでした。

そういうことも踏まえまして、キリスト教と絡めて拝読させていただきますと、仏教は霊という存在なので霊というのは善に属します。キリスト教というのは体なので悪に属します。

強いて分けるならばそれが善悪になっていきます。

『霊主体従の法則』で行きますと善が主になっていきますが、体主霊従でいきますと悪が主になっていきます。昭和6年6月15日(御教え『昼夜転換の事象』へ)までは悪主善従の謂わば『夜の時代』がズーッと続いてきたわけですが、その『夜の時代』は戦争が主体となってリードしてきたわけです。

戦争による物質文化の発展のおかげで私たちは大変な便利さを享受することができております。

ここ何日かは「ひまわり8号」の報道が続いておりますが、画期的なことが3つほどあるのですがご存じですか?」

受講者:

鮮明に見えること。

楳木先生:

そうです。鮮明に見える。それから?」

受講者:

分析できる。

楳木先生:

なぜ分析できるのでしょう。」

楳木先生:

細かく画像が撮れるようになった。解析度ですが、500m間隔で雲の発生を写し取っていけるようになりました。それから観測時間が短縮されました。それで、なめらかに雲の流れを提供できるようになったのです。そしてカラーで撮影できるようになりましたので雲の流れと黄沙の流れがわかるようになりました。ですからPM2.5の流れもわかるので、より確実に情報を提供できるようになったということです。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『滅亡の一歩手前にまで来ている悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくするその救いこそ、神の大愛である事を知らせるのが〝本教の大神命である″』のだということ。

◎メシヤ様は〝何億という歴史を総括して、その上に我がメシヤ教の『大神命』がある″とお説きくださっておられるので、世界史、日本史を網羅した形で拝読させていただかないと、今回の御論文を理解するということにはならないのだということ。

◎楳木先生は、(恐竜が淘汰されるということが“本当に御神意なのか”ということを疑問に思っていろいろ調べておられたところ)千葉工業大学の大野研究員をはじめとするチームの論文を読み、恐竜が淘汰されるということが〝御神意である”ということがわかられたのだということ。

◎上記のようなことも踏まえた上で、キリスト教と絡めてこの御論文を拝読させていただくと、仏教は霊という存在で「善」に属し、キリスト教は体なので「悪」に属すのだということ。強いて分けるならば、それが善悪になるのだということ。『霊主体従の法則』では善が主になり、「体主霊従」では悪が主になるのだということ。

◎昭和6年6月15日(千葉県鋸山での『夜昼転換』の神事)までは、悪主善従の謂わば『夜の時代』がズーッと続いてきたのだということ(御教え『昼夜転換の事象』へ)。

◎『夜の時代』は戦争が主体となってリードしてきたのだが、戦争による物質文化の発展のおかげで私たちは大変な便利さを享受することができているのだということ。

 

「メシヤ講座no.174三重(平成27年7月分)」より抜粋つづき:

〝物質文化を使って水晶世界を造り上げていく″という神様の御意図

楳木先生:

しかし、この「ひまわり8号」の技術は何からできているかというと、イラン・イラク戦争の時にピンポイントでアメリカ軍がミサイルを落としていきました。それからビン・ラディンを中心とするアルカイダを潰すために、もっと精度の高いピンポイント攻撃をしておりました。我々はテレビで見ていてゲームを見ているような感覚だったかも知れませんが、あっと思った瞬間には兵士が何人も死んでいるわけです。衛星からの映像だけで私たちは見ていたわけです。そういう殺人兵器の技術が一方では「ひまわり8号」などの平和的技術の向上に寄与しているわけです。

ですから『戦争によって物質文明が発展してきている』という今回の御解説が、今日私たちにわかるのは「ひまわり8号」ではないかなと思います。

3・11の大津波があったり、去年は広島で土砂災害があったり、今年の梅雨もおかしな梅雨が続いていますね。善の世界では、これ以上天災の犠牲者を出してはいけないということで、その技術を「ひまわり」に集約して人々に危機が押し寄せた時には逸早く知らせよう、というシステムが練られて行っているわけです。天国を作っていくときには水晶世界になっていくわけですが、その水晶世界とは〝物質文化を使って水晶世界を造り上げていく″という、神様の御意図がそういうところから分かっていくのではないかなと思います。

本日拝読させていただいた『善悪発生とキリスト教』というのは主神様の御意図の一端を知ることが出来る、そういう御論文であろうかと思います。

そして、善悪の判断は主神様の権限でありますので、主神様以外が論じたとしてもそれは的確だとは言えないわけですので・・・、そうしたこともよくよく認識しておかなければいけないということです。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎〝物質文化を使って水晶世界を造り上げていく″という神様の御意図が「ひまわり8号」の技術などから分かってくるのだということ。

◎『善悪発生とキリスト教』は、主神様の御意図の一端を知ることが出来る、そういう御論文なのだということ。

◎〝善悪の判断は主神様の権限ですので、主神様以外が論じたとしてもそれは的確だとは言えない″ということを、私達はよくよく認識しておかなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.174三重(平成27年7月分)」より抜粋つづき:

浄霊の意義

楳木先生:

それから、今回は浄霊の意義についても御説明してくださっております。

『神の実在を認識させる事であって、其(その)方法こそ本教浄霊である。』ということですので、結果的に病気が治ったり問題が解決していくのですが、この浄霊というのは神様の実在を知らしめるためにありますので、翻然と目覚めた者が、今の○○Aで行きますとどうなるかと言うと、逆戻りしてしまうということです。

この考え方が入っていないと浄霊というのは元の施術になってしまうということになっていきますので、時代がこれだけ進んでいるにもかかわらず本日の御教えをしっかり腹に入れておかないと現状の○○○光教団が生まれてしまうということです。現在の○○○光教団を作り出してきたのは、指導者がこの御教えを拝読していないためか、拝読していても知っている程度で、時代と照らし合わせて考えて、“今我々が何をやるべきか”を考えて、そして、教団をどのようにしていくべきかと考えていないために〝このようなことが起きているのだ″と、そのように捉えていただて、もう一度メシヤ様の御教えを拝読し直していくという姿勢を○○○光教団の人たちは持っていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎〝神の実在を認識させる方法″が、浄霊なのだということ。

◎浄霊は〝神の実在を認識させる方法なのだ″という考え方が私達の中に入っていないと、元の施術になってしまうのだということ。

 

「メシヤ講座no.174三重(平成27年7月分)」より抜粋つづき:

『文化形態を見よ』

楳木先生:

今日はキリスト教の発生の根本義まで御説明くださっておりますので、こうしたことをトータルで考えていきますと、主神様は様々な形で布石を打たれながら時代を今日まで導いてくださっておられる、ということが大変良くわかるのではないかなと思います。

今回は文化形態ということが2回出てきております。

メシヤ様の御指摘くださっておられる『文化形態を見よ』ということから「祈りの栞に寄せて」の「宗教について」で文化形態について触れているわけです。

メシヤ様は『文化形態をみればよく肯(うなず)ける』と仰っておられますので、それで皆様方に宗教というものをよく理解していただくために、冒頭の「宗教について」というところに文化形態の話を入れているわけです。

現在はこれほど素晴らしい文化が花開いていますので、私たちはその素晴らしい文化を享受することができるのですが、この文化形態はどこから進化してきたかと言いますと元々宗教の要素が遠心分離的に発展してきたわけです。

元々3000年前の人間生活が宗教であったわけなのです。日本では3000年前に素戔嗚尊が日本に押し寄せて来て伊都能売神皇様の皇位を狙った時に、宗教というものが消え初めた出発点であったのですこの場合の宗教というのは『人間生活が宗教である』という考え方の宗教です。宗教団体とか宗教宗派の宗教ではありません。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎主神様は様々な形で布石を打たれながら時代を今日まで導いてくださっておられる、ということが(「文明の創造」を拝読しトータルで考えると)大変良くわかるのだということ。

◎私たちが享受することができるこの素晴らしい文化形態は、元々の宗教の要素が遠心分離的に進化し発展してきたのだということ。

◎元々3000年前の『人間生活が宗教』であったのだということ。

◎宗教というものが消え初めた出発点とは、3000年前に素戔嗚尊が日本に押し寄せて来て伊都能売神皇様の皇位を狙った時からなのだということ。

◎3000年前の宗教というのは『人間生活が宗教である』という考え方の宗教であり、宗教団体とか宗教宗派の宗教ではないのだということ。

 

「メシヤ講座no.174三重(平成27年7月分)」より抜粋つづき:

『人間生活こそ宗教である』

楳木先生:

『人間生活こそ宗教である』というのはどういうことかといいますと、近いところで奈良の平城京で言いますと出仕する人たちは日の出とともに出仕して、日没までに家に帰り着いていたわけです。

昔は今より暗かったわけですので、例えば、縄文時代に集落の人が狩りに行く場合には日没までに戻らないといけませんので、「どこどこより先は行ってはいけない」というような決まりを作ったわけです。それを運営していくのが首長の役割だったのです。例えば「あの山は猛獣や毒蛇がいるので立ち入ってはいけない」という決まりを作ったとしても、冒険心の強い若者は立ち入ってしまったりします。そして、毒蛇にやられたりしますが、担ぎ込まれても直ぐには治療をしてはいけないわけです。首長は村人全員を集めて、「若者はなぜ毒蛇に噛まれたか?自らの心に問うてみよ」ということを言って「立ち入り禁止の山に入ったからです。あの山に入らないことを固く誓います」ということを皆で話し合ってから治療を始めたのです。こういうことをやっていかないと集落の人たちを守っていくことが出来ないのです。

こういうことが、現代に近づいてきますと〝政治″ということになってきます。

そして毒蛇に対して毒を皆で吸ったり、血清というのを仮につくったとしますと、それが現代の医療ということに発展していきます。そして、その時に皆で集会をやったということが今の国会議事堂になってきているわけです。また、皆で祈念して誓いをたてようということが〝祭″に発展してきたわけです。

現代人はそういった根本を忘れているために、人との付き合い方とか規則を守ろうとかいう規範となることが段々と薄れてきて、諸問題が山積してくるわけです。

宗教をするということは、根本の3000年前の生活のあり方を思い出すことでもあります。そのようにしさえすれば、今私たちは“何をすべきか”ということが段々わかってきますので、問題を解決に導くことができるのです。そういうことを大まかに書いたのが「宗教について」という内容なのですが

『現在の文化形態を審(つぶ)さに検討する時、最早(もはや)時期の来てゐる事に気付くであろう。』

というメシヤ様のお言葉に沿って現在の文化形態を研究しなければいけないわけですが、ほとんどの教団の指導者たちは研究が疎かなので信者さんたちを正しく導くことができないという現状を迎えています。そういう意味で、この『善悪発生とキリスト教』という御論文は、宗教者に対しては大変な有難い御論文であるとともに、大きな課題をいただいている御論文であると受け止めていかなければいけないものです。

初めにそうしたことを確認させていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。」

 

壮大なご論文の内容をより一層理解させていただこう

受講者:

深い御教えですね。

楳木先生:

うん、深いですね。昨日いろんな宗教を巡っている人が偶々こられたのですが、「他所の宗教は物凄く人が集まっているのにメシヤ教はなぜこんなに少ないのかなと思ったのですが、今日の話を聞いてよくわかりました。高度な話の内容で理解が出来ないのではないでしょうか。」と言っておられましたけども、月次祭でこれだけの御論文を勉強するというのは中々ないのではないかなと思います。

それほどメシヤ様の御執筆になられた御教えが素晴らしいということです。(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『現在の文化形態を審(つぶ)さに検討する時、最早(もはや)時期の来てゐる事に気付くであろう。』というメシヤ様のお言葉に沿って、私達も現在の文化形態を研究しなければならないのだということ。

◎メシヤ様信徒である私達にとっても、『善悪発生とキリスト教』という御論文は、大変有難い御論文であるとともに、大きな課題をいただいている御論文であると受け止めなければならないものなのだということ。

 

編集後記

責任者:

年頭に相応しく今回の学びでは、〝本教の大神命(『滅亡の一歩手前にまで来ている悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくするその救いこそ、神の大愛である事を知らせる』こと)″ということと、〝神の実在を認識させる方法″が、〝浄霊なのだ″ということ、そして『人間生活こそ宗教である』ということを再認識し肚におとすことが出来ました。こういう大切なことを理解した上で、メシヤ様の御存在を伝えて行きたく思います。

寒さはこれからが本番です。どうぞご自愛ください。有難うございました。

 

追記

責任者:

結ノ和より、最新のお知らせ(研鑽資料のアップ等)をご登録いただいた方々へメールでお送りしておりましたが、今回の研鑽資料のアップよりお知らせは控えさせていただきます。なお、新しい研鑽資料のアップ状況は「最近の投稿」欄より閲覧下さい。よろしくお願いいたします。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.174三重(平成27年7月分)

 

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